エピローグ
「んっ……んん……」
甘い吐息を漏らし、彼女は目を覚ました。
絹のような白髪の少女だ。
四肢はしなやかで長く、瞳はワインの様に紅い。
一糸まとわぬ姿の少女は欠伸を漏らしつつ、気だるげに身体を起き上がらせる。
「本体に戻るのは久しいのう……」
コキコキと関節を子気味よく鳴らし、凝り固まった筋肉を弛緩させる。
この所、ずっとあの老体だったせいかやたらと身体が軽い。
やはり肉体は己のモノが1番だと思いながら、少女は隣に眠る華奢な男を乱雑に蹴飛ばした。
「ほれ、いつまで寝とるんじゃ。起きよ、ライゼン」
「……ん? じいさん……じゃねえや。ばあさん……」
額に大きな十文字のある白髪の男は、身体を起こしながらまだ眠たそうに瞼を擦る。
「本体に戻ってるってこたあ、アンタも負けたのか?」
「……まっ、そういうことじゃの」
「ヤマトの小僧か?」
「そうじゃよ」
「ダッハッハッ!! あの小僧、やってくれるわ!!」
あっさりと敗れておいて何を嬉しそうにしているのか。
少女はため息を吐いて、しかし敗れても致し方ない相手であったとも思う。
あれでまだ隠し球があるというのだから驚きだ。
「強いな、あの小僧は」
「ああ、中々おもしれえガキだったよ。思わず本気を出しちまった」
だが、それはあくまでもあの借り物の身体での話だ。
器が弱ければ、当然出せる力にも限りがある。
本来の実力を発揮出来たかと問われると、答えは否であった。
「次はこの身体でやり合いたいものよな」
「そりゃあそうだけどよ。まだ駄目なんだろ?」
ライゼンはそう言って溜め息を吐く。
「この身体では1度会ってしまっているからのう。会えば儂等の正体に気付いてしまうかもしれん」
ヤマトに正体を明かすのは、もう暫く先の話だ。
もっとも、あの時のヤマトは憔悴していて自分達のことなど覚えていないかも知れないが。
「まあ、焦ることはないわい。じきにやり合える時が来るじゃろ」
それに、と継いで。
「永き時を生きる儂等には数ヶ月や数年あっという間じゃよ」
「まっ、そうなんだけどよ。あーあ、しゃあねえ。飯でも食うか」
ライゼンは立ち上がると、不満そうに顔を顰めて部屋を出た。
露骨に苛立っている。
暴食するつもりか。
苛立っている時の奴の食欲は異常だ。
料理人達が悲鳴を挙げる姿が目に浮かぶ。
(若いな……)
と、少女は思う。
ライゼンが苛立っているのに対し、少女は至って冷静であった。
永い時を生きる彼女にしてみれば、待つのもまた一興なのだ。
円熟したものを喰らう方が美味いに決まっている。
数ヶ月や数年待つくらいどうということはなかった。
しかし、ライゼンはそうもいかない血気盛んな年頃である。
ライゼンの年齢も疾うに100を超えているが、長寿である彼女等の種族の中ではまだまだ若造なのだ。
今にも飛び出したい気持ちでいっぱいだろう。
自分も若い時はそうであったなと思いつつ、自分を抑えられるライゼンの方がまだマシかと苦笑いを浮かべた。
もしも自分も同じ年頃であったなら。
命令を無視して飛び出していただろう。
ヤマトはそれだけ価値のある玩具だ。
──と、そこへ。
「よっ、ゲンサイ」
1人の男が現れる。
身長2メートルを超える赤毛の大男だ。
額には1本の角が生えていた。
「よう」
少女もといゲンサイは、手を挙げて親しげに挨拶を交わす。
「さっきそこでライゼンとすれ違ったよ。随分苛立ってるじゃねえか」
「カカッ、奴はまだ若いからのう仕方ないじゃろ」
「ヤマトは強かったろ?」
「うむ」
首を縦に振るゲンサイは、いやはやと継いで。
「まったくとんだガキじゃよ。こっちの人間の身体だったとはいえ、まさか世界最強の一角たる儂が負けるとはな」
「当然だ。アイツは俺の弟だからな」
誇らしげにニヤリと破顔する男。
「弟……か……。ならば、何故その弟を敵に回した?」
「あいつをこっちに引き込めば良かっただろってか? おいおい、あいつが故郷をぶっ壊すことに加担するわけねえだろ」
「……それはそうじゃの」
ゲンサイは確かにと肩を竦める。
ヤマトと会ったのは今回を入れて2回だけだが、それでも多少の人柄は分かる。
真面目で、それでいて正義感が強い。
根っからの善人なのだろう。
アレはそんなことに加担するような輩ではない。
だが。
「ならばせめて先に殺しておくべきだったな。それが優しさというものじゃろ」
「それじゃあ本末転倒だろうが。あいつは生きるに値する人間だ。自然に淘汰されるならまだしも、俺が手を下すべきじゃねえ」
「じゃが、いずれ奴とは戦う時が来るぞ。その時、お主はどうするつもりじゃ?」
男の眉がピクリと跳ねる。
「……そん時は戦うしかねえだろうな」
「それでも殺すつもりはない、と」
「……」
閉口する男。
つまりそれは肯定を意味しているのだろう。
「お主こそ小僧を甘く見すぎじゃ」
ゲンサイは嘆息を就いて肩を竦めた。
あの小僧は強い。
負けるとは思わないが、手加減をして勝てる相手ではない。
それは今回のことで身に染みた。
殺さずに封殺するなど、甘いとしか言いようがない。
「奴は計画を潰すかも知れんぞ?」
男は俯いた。
そして幾許かの逡巡の後、おもむろに口を開く。
「──……あの人はもしかしたら、あいつに……ヤマトに止めて欲しいのかも知れねえなあ……」
そう言って、男は笑う。
どこか疲れた様子で。
どこか悲しげに。
ヤマトとは何の血の繋がりもないが、この男はヤマトと似ている。
呆れるほどお人好しで。
不器用で。
はっきり言って計画そのものが向いていない。
それでも男は止まらなかった。
止まれなかった。
あの方がいる限り……──。
「じゃあな」
去りゆく男の背中は、なんだかやけに小さく見えた。
憐れな男だとゲンサイは思う。
本当に止めて欲しいのはあの方じゃなく──。
(──お主の方ではないのか。アルストロメリアよ……)
アルストロメリアはあの方の呪縛に囚われているのだ。
いや、それはアルストロメリアだけではないだろう。
自分も、ライゼンも、その他多くの人間があの方の呪縛に囚われて離れられずにいる。
あの方は変わってしまった。
かつてのあの方ならば、アルストロメリアにあんな顔をさせたりはしなかっただろう。
それでもあの方への忠誠が薄れることはない。
皆それぞれ大恩があるのだ。
命を救われた。
仲間を救われた。
家族を救われた。
あの方の為ならば、例え死んだとしても本望だ。
故について行く。
修羅の道だろうと。
地獄だろうと。
しかし、今のアルストロメリアは見るに堪えないものがあった。
奴はこの計画に関わらせるべきではない。
「あっ……忘れてた」
不意に、アルストロメリアは何かを思い出したように肩越しに振り返る。
「なんじゃ、まだ何か用か」
「用……つーか、1つ伝え忘れたよ」
と、一拍置いて。
「フシルも負けて帰ってきたぞ」
「ほう……」
それは興味深い話だ。
フシルと言えば、魔銃の名手である。
実力は確かだ。
1000回立ち会えば、1回くらいならば負ける可能性がある。
そのフシルが──自分達と同じく借り物の身体であったとはいえ──負けた、ということは相手は相当の実力者だろう。
フシルが担当していたユニオンは確か、【悪魔達の宴】でだったはずだ。
となれば相手は──……。
「──日本ランキング1位。"
「ああ、それだけ伝えておこうと思ってな」
──じゃあな。
アルストロメリアは、すうと闇の中に消えた。
「【悪魔達の宴】……か……」
噂によると、かのユニオンは【太陽の盾】を敵視しているらしい。
自分達が殺した隊士達も、【悪魔達の宴】と繋がっていた者達だった。
【悪魔達の宴】に内部情報を売っていたことが確認されている。
それ故の暗殺指令。
なんでも、近々戦争を仕掛けるつもりであったようだ。
しかし、各地で起きた暴動によりそれは先延ばしになったらしい。
その後、その話がどうなったのかは分からない。
が、あるいは近い内に何かあるかも知れない。
地球は再び変貌を遂げる。
だが、それはもう少し先の話。
時間がかかるのだ。
それまでの間退屈だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「……カカッ」
渇いた笑い声が木霊する。
余興としては面白そうなものが見れそうだ。
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