第11話 セイラ王子の戸惑い

――そういえば、家光公も女装が趣味だったとか……。

 サンドラは前世を思い返す。やはり、将軍家光とセイラ王子には共通点が多い。

――それにしても、果たしてここまで女装が自然で似合っていたか?

 左腕にしがみついて歩くセイラ王子を横目で見ながら、サンドラは思う。

 二人の身長はほとんど同じだが、サンドラはブーツでセイラ王子が裸足なので、踵の高さの分だけセイラ王子の方が高いのだろう。

 花園と剣術場で汚れた裸足でペタペタと廊下を歩くので、侍女が後をモップで拭きながら付いて来ていた。

 サンドラとセイラ王子の前には、シルビアとケイン王子が上機嫌で今の試合の話をしながら歩いている。更にその前を、まじめな顔をしたブレードが歩く。

 最初に通された部屋に戻ってきた。

 椅子に座ってもサンドラの腕を離さないセイラ王子に声を掛ける。

「姫……じゃない、王子。皆様もおられますので、どうか腕をお離しくださいませ」

 セイラ王子は頬を膨らませて言った。

「嫌です。二人の時は姫とお呼びください、サンドラ様」

「いえ、今は二人だけではありませんから」

 ケイン王子が、愉快そうにセイラ王子に話し掛けた。

「兄上、あまりサンドラさんを困らせてはいけませんよ」

 セイラ王子は渋々と手を離す。

「それと兄上、女装は自室だけとの約束です。それを、ああも堂々とその格好で宮殿内を歩き回っては、父上の耳に入った時どれ程の逆鱗に触れる事か……」

 セイラ王子の頬が再び膨らみ、どちらが兄でどちらが弟か分からない。

サンドラは思わず笑ってしまう。

「……まあ、今はそれは置いとくとして、サンドラさんが兄上付きの警護になる事に異論はありませんね」

「もちろん! サンドラ様からお守り頂けるなんて、これ以上の幸せはありません」

 耐えかねたサンドラが口を挟んだ。

「セイラ王子。どうかサンドラとお呼びください」

「嫌です。二人の時はサンドラ様と呼ばせてください」

「ですから、今は二人だけではありませんから」

 セイラ王子の暴走には慣れているのだろう、ケイン王子は冷静に話を進める。

「ではサンドラさん、この件については父上から公爵へ正式にお話があるでしょう。後日、改めて宮殿に来て頂くことになりますが、よろしいですね?」

「はい、わかりました。ただ、一つだけお願いがございます」

「なんですか?」

「セイラ王子がお育てになったリンドウ、とても素敵でした。シルビアさんにも見せてあげたいのですが」

「はあ、そんな事ですか。では、ブレードに案内させましょう」

 セイラ王子が口を出す。

「ボクが案内する。サンドラ様も一緒に、ね」

 サンドラは首を横に振った。

「いえ、ケイン様にシルビアさんをエスコートして頂きたいのです。それが私の願いでございます」

 ケイン王子は不思議そうな顔をしたが、すぐに立ち上がった。

「ええ、いいですとも。それであなたが兄上の警護を引き受けて頂けるのであれば、お安い御用です。シルビアさん、参りましょう」

 シルビアはキョトンとしている。

「あ、はい」

 慌ててケイン王子の後を追う。

 残ったブレードにセイラ王子が言った。

「ブレード、君もボク達に気を利かせて、どこかへ行ってはどう?」

「いえ、私の主はケイン王子ですから、セイラ王子の思惑通りには動きません」

 二人はあまり仲が良くないらしい。

ブレードはセイラ王子を無視してサンドラに話しかけてきた。

「ところでサンドラ様、エメラーダ家秘伝の剣術なのですが、その片鱗だけでも我々にご教授頂く事はできないでしょうか?」

「申し訳ございません。当家の剣術の正当継承者は父上ですので、父に伺わないと私には何とも」

 大嘘だが、取り敢えずそう答えないと矛盾が生じる。

「そうでしたね。次にエメラーダ公爵にお会いした時に直接頼んでみます。それにしても、あの五人が瞬殺ですから、サンドラ様がその気になれば、隊は全滅かもしれません」

「とんでもございません。やはり、私が女なので油断されたのだと思います」

 セイラ王子は、サンドラのその言葉にいたく感動したようだ。

「ちょっと、ブレード、聞いた? サンドラ様の謙虚なこと。君もサンドラ様の爪のアカでも飲んで、少しは謙虚になったら」

 だが、ブレードは相変わらずセイラ王子を無視して返事をしないので、サンドラは話を進めた。

「それに、戦争の中心が剣と弓から銃や大砲へと変わるのは必然、剣に固執する事は、やがて滅びる事と同義になるでしょう」

 前世で体験済みのサンドラである。言葉の重みが違う。

「うーん、さすがサンドラ様。物事を総体的に捉えていらっしゃる。勉強になります。普通、腕に自信がある剣士ほど、最新兵器を認めないものですが」

 腹に大きな穴を開けられた前世があるのだ。認めざるを得ない。

 自分を無視して会話をされる事に不満だったセイラ王子が、再びブレードに文句を言った。

「ちょっと、ブレード。サンドラ様の主は、もうボクなんだからね」

 根負けしたブレードが返事をした。

「はいはい、承知しました。では、私はサンドラ様にやられた兵士達の様子でも見てきましょう」

 ブレードが立ち上がると、セイラ王子の顔が輝く。

「いってらっしゃい。もう、帰ってこなくていいよ」

 ブレードも負けずに言い返す。

「セイラ王子も、サンドラ様を襲ってはダメですよ。お互い逆の格好はしていても、王子は男でサンドラ様はレディーなのですから」

 セイラ王子がそれ以上言い返さなかったので、ブレードは部屋を出て行った。

 見ると、セイラ王子はバツが悪そうにうつむいて赤くなっている。

「あら。もしかして、本当に私を押し倒そうと思っていらしたのかしら?」

「いえ……決して、その……頬にキスくらいならと……」

 サンドラは、本当におかしくなって笑った。

「ハハハ、本当に姫ときたら」

 姫と呼ばれ、セイラ王子は照れ臭そうに微笑む。

その美しさに、サンドラは眼が眩みそうになる。

 好意を真正面からぶつけてくるセイラ王子に、過去の警護の者は困惑しただろう。宗教的な抑制でも無ければ、この性別を越えた魅力に打ち勝つことは到底できまい。

 軍隊へ逃げたエッジの気持ちをサンドラは理解できた。

 しかし、今のサンドラが信じる神は遙か遠く日本の伊勢にいる。同性愛も禁忌ではない。

というか、サンドラとケイン王子は肉体的には異性である。

「……いいですよ、姫。私の初めてのキスをあなたに捧げます」

 転生後、という意味では初めてである。嘘ではない。

 一国の王子に失礼とも思ったが、中身はオヤジでも外見は十七歳の乙女、これくらいは許されるだろうと自分に言い訳する。

 サンドラは椅子の上に膝で立つと、セイラ王子の瞳を上からのぞき込んだ。

王子の少し不安そうな上目遣いに萌えるサンドラだが、ギリギリの所で理性を保つ。

「はい……ボクの初めてのキスも、サンドラ様のものです……」

 サンドラの右手の指がセイラ王子の顎にかかり、少しだけクイッと上げる。そして、ゆっくりと唇を近付けた。

 風が吹いたかと思う程かすかな感触を唇に感じ、サンドラは唇を離す。セイラ王子の瞳は潤み、切なげに溜め息をついた。

「はぁッ……サンドラ様……」

 サンドラは堪らなくなり、もう一度、今度はしっかりと唇を合わせた。

 王子を驚かせないように、ゆっくりと舌を口の中へ差し込む。セイラ王子もそれを受け入れ、二人はためらいがちに舌先を絡めた。

 その時だ。何かがサンドラの右肘に触れる。

 唇が離れ、右肘の辺りを見てみると、セイラ王子のドレスが腰の前だけ異様に盛り上がり、見事なテントを張っていた。

 セイラ王子が悲鳴を上げた。

「あっ、いや! 見ないで!」

 男の生理現象だった。元気の証である。

 サンドラも前世では毎朝のように経験していたので珍しくも何とも無かったのだが、それが妖精の様に愛らしいセイラ王子に起きているとなると話は別である。その雄々しく天を突き上げるものから視線を逸らす事ができずに凝視してしまう。

「サンドラ様! お願いですぅ、見ないでェ!」

 セイラ王子は慌てて立ち上がるが、そうすることで股間の膨張は一層目立った。

「姫、どうか落ち着いて。とても猛々しくて立派ですよ」

 何とか落ち着かせようとサンドラも必死だが、墓穴を掘っているようにしか思えない。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 セイラ王子は少しでも勃起が目立たぬようにとドレスの前をつまみ上げると、部屋を飛び出して行った。

「姫! セイラ様!」

 サンドラも立ち上がり、後を追おうとしたが、数歩で思い直して立ち止まる。宮殿内の人々に力を示したばかりのこの状況では、サンドラがセイラ王子を襲っていると思われかねない。

 ペタペタと走り去る音が遠ざかって行った。

――やってしまった。調子に乗り過ぎた……。

 サンドラは、椅子に戻って崩れ落ちると猛省する。

 セイラ王子は初めてのキスだと言っていた。前世でそれなりに遊郭遊びを経験したサンドラとは訳が違ったのだ。

 サンドラに鉄造の心が宿っているように、セイラ王子には乙女の心が宿っている。それなのに、サンドラとのキスで身体が男の反応をしてしまった。

 ショックだったに違いない。

 一人でクヨクヨと悩んでいると、シルビアとケイン王子が戻って来た。

「サンドラ様、ただいま戻りました」

 そう言ったシルビアの顔が、赤く上気している。

ケイン王子を見ると同様だった。

「おかえりなさい。リンドウはどうでした?」

「ええ、とっても美しくて、あれ程多くのリンドウが一斉に咲いているのを初めて見ました。まるで天国のお花畑のようで……」

 シルビアは赤い顔を一層赤くして、感動を言葉にしようとしている。そんなシルビアを、ケイン王子は愛おしげな眼で見ていた。

 サンドラは、リンドウを二人で見る事が恋の引き金になるという推測が的中したと確信する。

 シルビアが語り終える頃には、ケイン王子も落ち着きを取り戻していた。

「ところでサンドラさん。あなたはあの花園に、どんな魔法をかけたのですか?」

「はい?」

「いやね……あなたは、今起きている不思議な変化を知っていたのではないかと思って」

 いつものサンドラなら、色々言い訳したり取り繕ったりしただろう。だが、その時は自分とセイラ王子の事で頭が一杯だった。

 後先の事は考えずに、うっかり答えてしまう。

「一緒にリンドウを見たくらいでお二人が惹かれあうなんて、わたくしが知っている筈ございません」

 ケイン王子は嬉しそうに笑うと、ソファに深く腰掛けた。隣にシルビアが座る。

「その答えで十分です。いずれにせよ、私達はあなたに感謝する事になりそうだ」

 ケイン王子はそう言うと、シルビアと見つめ合った。

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