第33話 白き騎士団の襲来
一六世紀から一八世紀にかけてヨーロッパでは魔女狩りの嵐が吹き荒れ、五万人もの人々が惨殺された。その犠牲者の数は、当時のヨーロッパ人口と対比して余りにも多過ぎる。
言うまでも無く、その全ては冤罪である。
人が人を魔女に仕立てる理由は様々だった。ある者は恨みから、またある者は財産目当てに。そしてある者は、ただ単に人が生きたまま焼かれるのを見たいが為に。
そして今、サンドラが魔女に仕立てられる理由は明らかだ。何者かが王国の実権を掌握しようとしている。それにはサンドラが招かざる客なのだ。
車中でサンドラは、ブレードとセバスチャンから、ヨーロッパにおける魔女狩りと魔女裁判の歴史を一通り学んだ。それは、胸が悪くなるような忌まわしい歴史だったが、敵が何をしたいのかは理解できた。
敵の目的はサンドラを抹殺する事、そして魔女を王妃に据えようとしたとして王家の名を貶める事だ。最悪の場合、サンドラは火あぶり、国王は王位を剥奪されて王妃とセイラ王子と共に国外追放となる。
三人の分析通りにこの件にケイン派の貴族と聖職者が一枚噛んでいるとすれば、ケイン王子は、王と王妃とセイラ王子の命の保証と引き替えに王位に就く事を強要される筈だ。もちろん、実権の無いお飾りの王として。
宮廷の正面に馬車が到着した時、そこは異様な緊張に包まれていた。馬車の前に立った近衛兵達がピリピリしているのが伝わってくる。
理由はすぐに分かった。ホールに入ると、そこには白いマントを羽織った一〇名程の一団がいたからだ。
全身をスッポリと包み込むようなマントだが、その下に剣を携帯しているであろう事は容易に推測できる。
ブレードが呟いた。
「何だ、アイツら。テンプル騎士団(中世に活躍した騎士であり修道士であるという二重性を持つ宗教騎士団。白いマントがトレードマークだった)気取りかよ」
セバスチャンが小声でサンドラに言った。
「これはマズイですね。大聖堂の連中でしょうが、昨日今日で武装化した訳ではなさそうです。この日を狙っていたのでしょう」
サンドラは黙って頷く。向けられた一団からの視線には記憶があった。敵意、そして殺意を含んだ眼。
それは、幕末の前世で、戦場において敵から向けられた視線と同じだった。
本能的に剣の柄に右手を掛ける。
そのサンドラの手の上に、そっと手を重ねる誰かがいた。
誰かはサンドラの耳元で囁く。
「サンドラ様、辛抱なさってください」
エッジだった。
我に戻ったサンドラが、剣から手を離す。
「すまぬ……感謝する」
エッジが笑った。
「クスッ。怖いサンドラ様と、陽気なサンドラ様と、どちらも本物のサンドラ様なのでしょうね」
そして、すぐに真顔になった。
「謁見の間での話し合いは続いています。サンドラ様はドレスにお着替えを」
「そんなにノンビリで良いのか?」
「はい。王と司祭の話は永遠に平行線でしょう。それよりも、魔女などと口が裂けても言えないくらいゴージャスに行きましょう」
「バザルを置いてきてしまったのだが」
「大丈夫です。私がお手伝いします」
サンドラとエッジは鏡の間に向かい、ブレードとセバスチャンは謁見の間へ急いだ。
鏡の間に入ると、サンドラはその場で制服を脱ぎだした。これにはエッジも驚く。
「サンドラ様! お着替えはどうか、ついたての奥で……」
「構わん。パンツは脱がんから心配するな。それより、胸にサラシを巻いててな、取るのを手伝ってくれ」
「ひえっー! なぜこんな物を?」
「ダンスに邪魔なのだ。この乳が重くて敵わん……」
エッジは眼のやり場に困りながらサンドラの胸のサラシを取るのを手伝う。
――後で殴られたりしないだろうな。
そんな事を考えていると、幾人もの女性の裸を見てきたエッジが驚くほど美しい形をした胸が現れた。胸だけではない。引き締まった腰、持ち上がったお尻、筋肉が形造る伸びやかな腕と脚。
ひたすら豊満で、ウエストだけをコルセットで不自然に締め付けた姿が美しいとされたこの時代に、エッジはサンドラの鍛え抜かれた野性的とも言える美しさに衝撃を受けた。
「……この生活をしていると、人に裸を見られるのが平気になってな。なにしろ、風呂も一人で入れんのだ。身体は使用人に洗われて……」
「死ねる……」
「……はい?」
「サンドラ様の為なら死ねます!」
「……あ、ああ、それはかたじけない。だが、命は国王様の為に取っといてくれ」
エッジの目付きが急に変わったので、サンドラは不気味に思った。
無造作にドレスを選ぼうとしたサンドラを押し退け、エッジが丹念にドレスを選択する。そのエメラルドグリーンのドレスを着て鏡を見ると、鏡の中のサンドラが怖い顔で睨んでいた。
「ああ……エッジ殿。申し訳ないが、少し外へ出て頂けまいか」
「かしこまりました、サンドラ様」
エッジが鏡の間を出て行くと、鏡の中のサンドラが大変な剣幕で言った。
「ちょっと、いいかげんにしてよね! その身体は私のものでもあるんだから、ポンポン裸なんか人に見せないでよ」
「いいではないか。相手は男だ」
「アンタ、バカかもしれないとは思ってたけど、本当にバカだったのね。筋肉バカ、剣術バカ。その身体はね、女なの。きっと私、慎みの無い女だと思われたわ」
「アイツは、女だろうが男だろうが見境の無い、ふしだらな奴だ。それ位に思われて丁度いいさ」
「じゃあアンタ、エッジさんに押し倒されたらヤッちゃうの?」
「やめてくれ。その趣味は無い」
「セイラ様も男じゃない」
「セイラ様は別だ。セイラ様は性別を越えた存在なんだ」
「都合の良い話ね。とにかく、もう男性の前で迂闊に裸にならないでよ。特にエッジさんみたいな経験豊富な人に女のツボを攻められたら、鉄造だって意志とは無関係にひとたまりも無いわ」
「大丈夫だ。奴では俺に勝てない」
「だから、闘いの話じゃないから……もういいわ。いいから、私と変わりなさい」
「何ですと?」
「司教達とは、私が話をする。さ、座禅を組んで」
「危険だ! 俺が行かないと……」
「危険なのは鉄造、アンタ自身よ。さっき、宗教騎士団の連中に切り掛かろうとしたでしょ。エッジさんが止めなかったら危なかった。あの時、アンタは何も考えてなかったわ。殺意を感じると、無意識に動いてしまうのよ。下手すれば、皆の眼の前で司教惨殺、なんて事にもなり兼ねない」
「しかし……」
「大聖堂側が騎士団を同行させた事で、近衛兵も警戒態勢に入っている。今日の守りはジャン達に任せましょう」
「……そうだな。確かに、貴族としての立ち振る舞いはサンドラに任せた方がいいか」
サンドラはいつもの様にソファーの上でアグラをかくと、ゆっくりと眼を閉じた。
「お待たせー」
サンドラが鏡の間から出てくると、エッジはまじまじとサンドラの顔をのぞき込んだ。
「サンドラ様、大丈夫ですか?」
「えっ、何が?」
「ずいぶん長い間、大きな声で独り言をおっしゃっていたので」
「ああ、ハハハ。心を全集中させていたのよ」
「なるほど……空気が変わりましたね。サンドラ様が身にまとっている空気が。先程までは触れれば切れる抜き身の剣のような雰囲気でしたが、今は……」
「……何よ、最後まで言いなさいよ」
「失礼ながら……気位の高い、普通のお嬢様といった感じです」
サンドラは満足気に頷いた。
「うん、それでいいのよ。それで……」
謁見の間に向かう途中でジャンと合流した。
「あのテンプルもどきの連中は心配ありませんぜ。不穏な動きをすれば、即座に一網打尽です」
ジャンは自信ありげだ。
「今日の守りは任せたわ。よろしくね」
サンドラの言葉にジャンはニヤリと笑う。
謁見の間に近付くにつれ、廊下にいる人が多くなった。何が起きているかについては、まだ一部の者にしか知らされていない。だが、司教が騎士団を引き連れて宮廷に乗り込んで来たのだ。ただ事ではないのは、誰もが感じ取っている。
エッジとジャンが並んで前を歩き、サンドラがその後に続く。三人が近付くと、まるで波が退くように人々は前方を空けた。
謁見の間の扉の前にブレードとセバスチャンはいた。
ブレードとエッジが、自ら扉を左右に開く。
セバスチャンが前に進み出る。
「サンドラ様のご到着です!」
そう言って横に退くと、サンドラが進み出た。
そして、優雅なカーテシーを披露する。
「お待たせしました。サンドラ・エメラーダでございます」
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