第25話 ラ・ムール

「良いお天気ですね、サンドラ様」

 セイラ王子は天気の話をするが、さっきから外など見ていない。サンドラの横に座り、顔を凝視するばかりだ。

「あの、セイラ様、あまり見つめられると恥ずかしいのですが」

「ようやく二人きりになれたのです。宮殿でも、学校でも、人ばかりに囲まれていますから」

 王立貴族学院から帰る馬車の中、セイラ王子は飽きもせず、サンドラの顔を見つめ続けている。

 サンドラは、何とも言えない疲労感を感じていた。学院への初登校だったのだが、ここまで授業がさっぱり理解できないとは思っていなかったからだ。

 将来の王国を双肩に担う若きエリート集団。それが学院生だった。その中でもセイラ王子は、トップクラスの天才だ。

 サンドラも記憶力には自信があったが、発想力、計算力といった分野では、とても太刀打ちできない。警護の者は、一緒に授業に参加しているだけで卒業と同等の資格を得る事ができる規定ではあるが、鉄造モードのサンドラとしてはそれに甘んじる事が悔しかったのだ。

 そういった事もあり、帰りの馬車の中では敵から襲われでもしない限りリラックスしたかったのだが、こうも見つめられてはリラックスどころではない。

 サンドラは少し意地悪な気持ちになり、セイラ王子をからかう事にした。

「そうですね。二人きりです」

 そう言うと、左手で王子の肩を抱き、右手の指で肩まである金色の髪をクルクルと絡めた。

「何て美しい御髪でしょう……ほら、今さら眼をそらしてはだめですよ、姫。そのサファイアのような瞳を私に見せてください」

「あぁ……サンドラ様……」

「熟れる前のチェリーのような唇。少し味見をしてみましょう」

 サンドラは、セイラ王子の唇を舌先でなぞる。

「はあぁ……ぁ……」

 切なげなセイラ王子を溜め息が、からかうだけのつもりだったサンドラをその気にさせる。

「おやっ、熟れたチェリーがお口の中に落ちてますね。これは甘そうです。どれどれ……」

 サンドラはセイラ王子の口の中に舌を差し入れ、王子の舌に絡ませた。

「……ぁ……はんっ……」

 セイラ王子が身を震わせるのが伝わってくる。

 サンドラは一度身体を離した。

「とっても甘いチェリーだわ。形はどうかしら。さあ、差し出して見せて」

 興奮でプルプルと震える舌が、怖ず怖ずと唇の間から出てきた。

「可愛い形。堅さも確かめないと」

 サンドラは、セイラ王子の舌を甘噛みする。そして最後、その舌先に吸い付いた。

「んんっ……」

 舌先から口を離すと、セイラ王子は全身の力が抜け、座席の上でぐったりとした。ところが身体の一カ所だけは堅く硬直し、ズボンの上からでも憤怒のごとく猛っているのが分かる。それは、小柄で華奢な身体からは不釣り合いな程の大きさだ。

 サンドラは偶然を装い、手の甲で優しくその隆起を撫でる。ところが次の瞬間、王子は仰け反り、切ない声を上げた。

「あ、あ、あぁぁ……お願い……サンドラ様。見ないで……」

 王子の身体が何度も痙攣し、眼から涙が流れた。

 ――しまった、やり過ぎた!

 サンドラは反省したが後の祭りだ。セイラ王子は、突然襲われた強烈な快感に放心状態ちなる。

「ハァハァ……サンドラ様……浅ましい姿をお見せして申し訳ございません……どうか、ボクを嫌いにならないでください……」

「浅ましくなどございません。私たちは夫婦も同然。夫婦であれば、誰でも行っている愛の触れ合いです。それよりも下着の中が……」

 サンドラは前世の記憶から、下着の中がどれほど気持ちの悪い事になっているか想像できた。

 ――何か拭く物を。

 サンドラがハンカチを取り出していると馬車が止まった。

 いつの間にか宮殿の前だった。

 セイラ王子は、御者がドアを開けるのも待たず、馬車を飛び出して駆けて行く。

 出迎えの使用人も眼を丸くした。

 驚いた御者が呟いた。

「ションベンなら途中で声を掛けて頂ければ馬車を止めたのに。我慢はよくねぇ、膀胱炎になっちまう」


 馬車を降りたサンドラがセイラ王子の部屋へ向かっていると、ホールを抜けた所でジャンとクラフトがサンドラを待ち構えていた。

「クラフト! もう戻ったのね」

「はい、サンドラ様」

「ご苦労様。という事は、尻尾を掴んだという事かしら」

 クラフトはニヤリと笑う。

「もちろんです」

「アルは大丈夫?」

「奴は問題ありません。奥さんも、エメラーダ公爵家の主治医から診てもらえる事になったそうで」

 サンドラは初耳だった。

「父上が? さすが父上、粋な計らいね。続きはセイラ様と聞くわ。少し待てる?」

「いくらでも」

「じゃあ、私の部屋で待ってて。場所わかる?」

 ジャンとクラフトが、同じ角度で首を傾げる。

「いいわ、バザルに案内させるから。そこにいてよ」

 サンドラは小走りで駆けていった。


 セイラ王子の部屋の前では、メイドが三人、手持ち無沙汰に立っていた。

 サンドラが近付くと、気付いてお辞儀をする。

「どうかしたの?」

「セイラ様のお着替えの為に伺ったのですが、ご自分でなさるとの事で。代わりに水とタオルを言い付けられましたので、それをお届けした所です」

 扉に耳を近付けると、チャプチャプと水の音がする。下着の中で暴発した精液を、タオルで拭き取っているのだろう。

 サンドラはノックした。

「セイラ様。サンドラです。大丈夫ですか? 入りますよ」

 部屋の中から声がする。

「サンドラ様? ダメです。今は入らないで。入っちゃイヤ!」

 サンドラは三人のメイドに言った。

「ありがとう、あなた達はいいわ。後は私がやるから」

 メイド達は、不思議そうな顔をしながら去って行く。

 三人が見えなくなるのを確認して、サンドラは扉を開ける。

 セイラ王子は、いつもの丈の短い純白のゆったりとしたドレスに着替えており、前を持ち上げて下腹部を拭いていた。

 サンドラに気付くと、慌てて前を隠す。顔が真っ赤になり、金魚のように口をパクパクと動かすが声にならない。

 その瞬間、サンドラはセイラ王子の粗相をして縮こまるドングリの様な可愛らしいモノを見逃さなかった。ムラッムラッと強い衝動がサンドラを襲う。

 実は、サンドラには心配していた事があった。女に転生したとはいえ、鉄造モードの時の心は男。並び立つ者のいない美少女顔の王子であったが、裸になって前世で見慣れた男性の象徴を眼にした時、その気になれるかという心配だ。

 だが、結果的には全くの杞憂であった。

 サンドラはセイラ王子からタオルを奪い取る。

「セイラ様、ご自分でそんな事をなさる必要はございません。どうぞサンドラにお任せください」

 そう言って、スカートめくりの要領でドレスの裾を上げようとする。

 王子はそれを必死に押さえて抵抗した。

「サンドラ様……どうぞお許しください……あんまり刺激されますと、またボクの愚息が、反応してしまいます」

「まあ、それは大変! どうかサンドラにお任せを。スッキリさせて差し上げますから」

 何というか……精神年齢相応のスケベ親父ぶりである。

 その時、扉が勢いよく開いた。

 サンドラは慌てて王子のドレスから手を離す。

 恐る恐る振り返ると、怖い顔をしたミスセリーヌが仁王立ちで立っていた。

「何をなさっているのです?」

「あの……セイラ様のお身体が汚れたので、拭いて差し上げようと……」

「……まあ、将来ご夫婦となるお二人ですから、どんなプレイをなさろうと構いません。しかし、最後の一線は越えてはなりませぬ。何度も申し上げますが、聖油で清められたベットの上、上級貴族の皆様の見送る中、初夜を迎えるのが王太子と王太子妃のお勤めなのです」

「ですが、なぜそのような……」

「濃い一発で、お世継ぎをこさえる為に決まっています。婚礼の儀が女性の周期に合わせて日取りを決めるのも、そういう意味があるからですよ。お世継ぎさえこさえれば、後の人生ほんとうに楽ですから。王妃のお勤めは半分終わったようなものです。ですが……」

 ミスセリーヌの顔が、益々怖ろしくなった。

「……いつまでも妊娠できないようだと、国中の民から厳しい眼で見られ、針のムシロに座り続けねばならないのです」

 サンドラは、今更ながらにショックを受けた。そうだ、結婚して子を宿すのは、セイラ王子でなく、自分なのだ。

 呆然とするサンドラを見て、ミスセリーヌは不安になった。

「あの……サンドラ様は子供の作り方はご存知で?」

 サンドラは何度も頷く。もちろん知っている。前世では、それなりに遊郭で遊んだ身だ。

 だがそれは、相手をヒイヒイ言わせる立場だった。

「そうか、今度は自分がヒイヒイ言わされる側なんだ……」

 独り言が口に出る。

「ヒイヒイ? まあ、出産は苦しいものです。ですが、生まれてきた赤ちゃんの顔を見たら、そんなもの吹き飛びますよ」

 ミスセリーヌは自信を持って言った。

「ところでサンドラ様。バザルが近衛兵達をサンドラ様の部屋に案内していましたが、彼らを呼び付けられたのではないですか?」

 サンドラは飛び上がる。

「しまった! クラフトの報告を聞くのだった! セイラ様、早く下着を履いてください。皆が待っています」



「サンドラ様、遅いね……それにしても狭い部屋だなあ。俺らの宿舎より狭いよ。バザルちゃん、本当にサンドラ様はこんな部屋で暮らしているの?」

 クラフトは、バザルに話しかける。

「座って半畳、寝て一畳、らしいですよ」

「何、それ?」

「フフッ」

 バザルが楽しそうに笑う。

 待ちくたびれたジャンは、壁にもたれてウトウトとしている。

「だけど、ジャンさんの巨体じゃ、座っても一畳必要ですね」

「そうか、サンドラ様の言葉か……不思議な方だよね、サンドラ様って」

「綺麗で、優しくて、強くて。しかも、踊りまでお上手で」

「しかし、ほんと失礼なんだけど、なんか親父臭いんだよね。それに……俺、サンドラ様と戦ったから分かるんだ。あれは人を殺した事のある眼だ。それも、一人や二人じゃない。何十人も……」

 バザルは、黙って頷く。

「公爵令嬢だしね、そんな筈ないのにな」

「私は……サンドラ様が天使でも悪魔でも構いません。お仕えするだけです」

 クラフトは、バザルがあまりに真剣な顔なので笑ってしまう。

 そして言った。

「俺もさ」

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