第24話 未来からの転生

 サンドラは、その日の朝にしたシルビアとの会話を思い出していた。

「……それだと私は『公女シルビア』が書かれる前の世界に時間を遡って転生した事になる……」

 あの時、鉄造モードのサンドラはそう言っていた。それは正解だったのだ。

 だが、国王に道を示せと言われて、今の悪役令嬢モードのサンドラに示せる筈もない。調子に乗ってべらべらと喋った事を後悔する。

 とにかく、今は口八丁で誤魔化すしかなかった。

「申し訳ございません、お義父さま。少しお喋りが過ぎたようです。これ以上は、あまり人に聞かれない方がよろしいかと。それより、お食事を続けましょう。お給仕の方が、次の皿を運べずに困っていらっしゃいますよ」

「おお、そうだな。その通りだ。腹が減っては戦はできぬ、だったか。なるほど、名言だ。ハッハッハッ」

 陽気に戻った国王とは対照的に、王妃はボソッと呟いた。

「私は食欲など失せてしまいました……」



 食べ過ぎて苦しいので、楽な服に着替えたい。食後、サンドラは国王にそう訴えた。

「もちろん、構わんさ。まだ婚約とはいえ、サンドラはもう家族同然。楽にするが良い」

 そう言われたので、サンドラは鏡の間へと戻った。

 ゆったりめのドレスに着替えると、バザルを部屋から出して一人になる。

 そして、鏡の前のソファーであぐらをかくと両手を重ね、親指と親指を僅かに接触させた。

 ――確か、鉄造はこんなポーズをとっていた筈。

 急いで鉄造と入れ替わる必要があった。パーティーの時のように、時間がくれは自然に鉄造と入れ替わるのだろうが、国王と王妃を待たせて悠長な事は言っていられない。

 ――無念無想だったかしら、要は何も考えないという事ね。

 眼を閉じて、ゆっくりと呼吸する。しかし、何も考えまいとすればする程、雑念が沸いてきて焦りが生じる。

 それでもしばらく呼吸だけに意識を集中していると、突然、水中に沈んでいくような感覚に襲われた。

 眼を開けると、鏡に向こうに驚いた表情でキョロキョロと辺りを見回している自分の姿が見えた。

 サンドラは、鏡の中から声を掛ける。

「鉄造……鉄造ってば!」

「ん? おお、サンドラか。そうか、晩餐が終わったのか。そう言えば、確かに腹がパンパンだ。よく食ったな、お前」

「余計なお世話よ。それより、晩餐の時の私の記憶を早く認識して」

「ちょっと待ってくれ。えっと……なるほど、大体わかった。やはり、転生は過去に向かって行われていたのか。時間とは、川のように一方方向に流れ去るだけのものでは無いのだな。そう言えば古代ギリシャの時代から、時間は絶対的なものではなく、相対的なものであるという考え方があると龍馬が言っていた。つまり、時間と空間には互いの相対性が……」

「ちょっと、論理的な考察は後にして! 早く戻らないと王様方がお待ちよ」

「しまった、そうだった。では、行ってくる」

「あ、一つだけ。鉄造は、この問題をどうするつもり?」

「簡単な事、俺は侍だ。侍は君主の命に従うのみ。国王が敵に飛び込めと言ったら飛び込むし、死ねと言えば腹を切る。ただそれだけだ」

「聞くまでもなかったわね。そう言うと思ってた。好きにすればいいわ。どうせ鉄造がいなければ監獄で一生を終えた命よ。あなたに預けるわ」

 サンドラは鏡の中の自分に頷き、歩き出そうとすると、最後にこう声を掛けられた。

「だけど、死ぬ時に痛いのは鉄造が引き受けてよ。痛いのだけは嫌なの。それとあなた、侍を気取るのはいいけど、今はアルフレッサ王国の次期王妃だから」



 宮殿には、『王家の居室』と呼ばれる部屋がある。主に家族で集まる時に使用される部屋で、お互いの声がよく届くよう、それ程広くはない。

「座って半畳寝て一畳、よね……」

 セイラ王子が呟いたので、王が不思議な顔をして尋ねた。

「なんだ、それは?」

「将来の妻から教えてもらった、東の果ての国ジパンの言葉です。人一人に必要なスペースなど、所詮その程度で事足りると。贅沢を皮肉る言葉です」

「ハハハ、確かにそうだな。ワシらも、ワシらだけだと、こうして好んで狭い部屋に集まる。広すぎる部屋は落ち着かんもんだ。しかしアレだ、公爵令嬢にこんな事を言っては失礼だが、お前も婚約者は掘り出し物だぞ。あんなスーパーレディがこの国、それもこんな身近にいたとはな」

 ケイン王子も頷く。

「まったくです。私など二年も彼女と一緒に学園に通いましたが、失礼ながら最近まで色気だけの女性だと思っていました」

 その時、ゆったりしたドレスに着替えたサンドラが入ってきた。

「大変お待たせ致しました。遅くなり、申し訳ございません」

「おお、サンドラ。そんなに待ってなどおらぬぞ。我々もほれ、普段着に着替えた所だ。ささ、セイラの隣に座るがよい」

 セイラが嬉しそうにサンドラを見つめるが、サンドラもセイラを見る度に喜びがこみ上げてくる。今日はさすがに男の服を着ているが、男装している美少女にしか見えないから凄い。

 そして、この様な中性的美を持った存在は、絶世の美女以上に男心を引き付けるのかもしれない。サンドラは、秀吉以外の戦国武将が、なぜ揃いも揃って稚児に走ったか、分かる気がした……今や女の身となったサンドラではあったが。

 気を取り直して、鉄造モードのサンドラは記憶を整理する。

 前世の自分が戦死したのは慶応三年、これは間違いない。西暦では確か一八六七年の筈だ。

 そして、バスティーユ襲撃があったのは一七八九年。

 つまり、鉄造は八〇年近く遡って転生していた事になる。この前提に沿って会話を進めないとチグハグな事になるだろう。

 国王が口を開いた。

「さて、サンドラ。聞きたい事は沢山あるが、夜も更けてきておる。明日は議会との重要な会議があるし、お前達も学校だ。要点を絞るとしよう。その力が何なのかについては、またいずれだ」

「わかりました、お義父さま」

「それで、まず教えてもらいたいのは、未来をどこまで知っているのかという事だ。心配はいらん。ここにはわしら家族とセバスチャンだけだ」

 セバスチャンがサンドラの前にティーカップを置いた。そして、人を安心させるような笑顔を見せる。

「ありがとう、セバスチャン。お答えいたします、お義父さま。私が知っているのは、大国と呼ばれる国の後世まで語り継がれるような大事件だけです。我が国の未来については何もわかりません。おそらく、王政を揺がすような大事件は起きないからだと思います」

「そうか、ひとまず安心だな」

「もちろん、内紛や権力争いなどはあると思いますが」

「それをここでは日常と言う。今日もセイラ派とケイン派で一悶着あったのだぞ。一々言わんのはきりがないからだ。では、今一番問題が大きいフランスに話題を戻そう。フランス国王と王妃が処刑されるのはいつか?」

 王妃が顔をしかめた。

「それから聞くのですか?」

「一番重要だ」

 サンドラは、すばやく計算して答えた。

「四年後です。王が先に斬首されます。王妃はその九ヶ月後」

「四年か……最悪でも、国外へ逃げる事はできるのではないか?」

「ええ、亡命は試みますが、ルイ一六世の状況認識の甘さから追っ手に捕まる事になります。それがフランス国民の怒りに油を注ぐ事になるのです」

「なるほど、運に見放されるとはこの事か。ではサンドラ、この運命は変える事ができないのか?」

「できます。私の経験では」

「何と、経験があると申すか」

「はい。既に私は、私の知る私の運命を変えてしまいました」

「私の知る私の運命? 何の事やら?」

「運命が変わる前の私は、卒業パーティーでのケイン様のパートナーの座の為にライバルを蹴落とす、まさに悪役令嬢だったのです」

「ええ! サンドラ様、ケインを狙っていたの?」

 セイラ王子がショックで叫んでケイン王子を睨んだので、国王がたしなめた。

「これこれ、運命が変わる前の話だと言っておるではないか。ケインに当たるでない。サンドラ、続けてくれ」

「しかし、ケイン様がお選びになるのはクラスメイトのシルビア男爵令嬢です」

「何と! ケインにもその様な相手がいるのか! お前、知っておったか?」

 王が尋ねると、王妃は意地の悪い笑いを浮かべて答えた。

「もちろん知っておりますとも。宮殿中の者が知っております」

 宮殿中というのは大袈裟だったが、王は文字通りに受け取って強くショックを受けた。

「知らないのはわしだけだったのか……」

 サンドラは話を続ける。

「私は、ケイン様が馬車の事故で大怪我をするのをいいことに、シルビアさんへの虐めが激化します」

 ケイン王子がポンと手を叩いた。

「先日の暴れ牛の件だな」

 サンドラが頷いた。

「しかし、私がシルビアさんを虐めれば虐める程、ケイン様のシルビアさんに対する庇護欲は高まり、愛は燃え上がります。私は嫉妬に狂い、シルビアさんの毒殺まで企てますが失敗。卒業パーティーで過去の悪行が断罪され、そのまま監獄送りとなるのです」

「いやはや凄まじいな。しかしそれは、サンドラの単なる妄想ではないか?」

「未だ発生していない未来の出来事ですから、妄想と言われればそれまでです。しかも、私がセイラ様と婚約した今となっては起こる事の無い未来ですから。しかし、その理屈だと、バスティーユの襲撃も私の妄想という事になります。今後、バスティーユで何が起こったか、少しずつ明らかになると思ますが、先ほどの私の話が正しかった事も明らかになるでしょう」

「ふむ。だが、公爵令嬢が裁判も無しに監獄に送られるとは思えない」

「名目は、私の精神障害の治療という事になります。その頃には両親にも見限られ、誰にかばわれる事も無く、私は監獄へと送られるのです」

 セイラ王子が立ち上がった。

「ヒドい! サンドラ様にそんなヒドい事するなんて! 大丈夫だよ、サンドラ様。ボクが必ず助けに行くから」

 国王があきれ顔で再びたしなめる。

「これ、落ち着かんか。だから運命が変わる前の話だと言うておろう。まあ要は、運命は変える事ができるという事だな」

「はい……その後の世界にどのような影響がでるかは分かりませんが」

「その後の世界に?」

 国王が不思議そうな顔をしたので、セイラ王子が説明した。

「例えばフランス国王を助ける事で、運命のままだと生まれてこない筈の者が生まれてきたり、その逆も起こり得るという事だね?」

 サンドラが頷く。

 国王も頷いた。

「なるほど……その様な変化を、神は許されるかどうか、だな」

 ケイン王子が尋ねた。

「……という事は、父上はフランス国王を助けるおつもりですね」

 国王は背もたれに身を預け、天をあおいだ。

「まだ迷っておる……だが、我が国はマリア・テレジア(オーストリア大公妃、実質上の女帝)に借りがある。そして、マリー・アントワネットは彼女の娘だ。彼女は一〇年ほど前に亡くなったが、だからといって借りを帳消しにするほどわしは恩知らずではない」

 セイラ王子が笑った。

「それはフランス国王一家を救うという事ですよ」

 国王はためらいがちに頷いた。

「……だが、だからといって我が国の民を危険に晒したくはないのだ。サンドラよ、もう一度願う。我々の進むべき道を示してはくれぬか」

 サンドラは立ち上がり、壁に飾ってあった剣を引き抜くと高々と掲げた。

「私は我が王の命に従うのみ! 戦えと言われれば全フランス国民を敵に回しても戦いますし、死ねと言われればこの場で腹を掻き捌きましょう」

 セイラ王子は熱で浮かされているような眼でサンドラを見る。

「サンドラ様……かっこいい……」

 国王は少々当惑しながら言った。

「いや、そんな極端な命令は絶対にせぬが……」

 そして、覚悟を自分に言い聞かせるように語った。

「……フランス国王を救ったところで革命を止める事はできまい。無益な血は流れ続けるだろう。だが私は、王位を持つ者がスケープゴートになるのを見捨てる訳にはいかぬ。ルイ一六世一家を助けるのだ」

 その口調は静かだったが、サンドラを見る眼は覚悟を決めた者の眼だった。

 サンドラは力強く答えた。

「御意!」

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