第23話 衝撃のバスティーユ
「政治というのは絶えざる駆け引きであり、緊張の連続なのだ。味方もいつ敵に寝返るか分からんし、隙あらば我が国の領土を奪い取ろうとする外国に囲まれておる。取られる前に取るという覚悟も、時と場合によっては必要だ」
国王もエメラーダ公爵に似て、酒に酔うと声が大きくなるようだ。そして、饒舌に拍車が掛かる。
「その様な中で我が国が安泰なのは、やはり国王陛下が偉大な指導者であられるからです。アルフレッサ国民はわたくしを含め、心より感謝しております」
「ハッハッハッ。まあ、身内の席だ。私もサンドラと呼ぶので、国王ではなく義父と呼ぶがよい」
「はい、お義父さま」
「ハッハッハッ」
国王はご機嫌だ。
ケイン王子はセイラ王子にそっと耳打ちする。
「兄さん、サンドラさんは妾の才能もあるようですね」
「やめてよ」
セイラ王子は嫌な顔をした。
ワイングラスを片手に王は語る。
「しかしな、外国からの侵略であれば、国境に軍を配置すればよい。ところが、国内の暴動や革命となるとそうはいかん。数は力だ。そして、民衆の数は、貴族や兵士の数より遙かに多い。国内で民衆が牙を剥けば、我々に成す術は無いと知る必要がある。ケインはこれにしくじり、首を切り落とされた王を知っているな」
「イングランドのチャールズ一世ですね」
「正解だ。スコットランド、アイルランドの王でもあったチャールズ一世は、自らのホワイトホール宮殿の前に民衆から引きずり出され、ギロチンに掛けられた。ではセイラ、チャールズ一世がそこまで民衆の支持を失ったのはなぜだと思う?」
「幾つもの失策の積み重ねではありますが、最大の要因は議会を軽んじた事でしょう。数名の側近の言葉を鵜呑みにし過ぎました。妥協や譲歩も政治である事を理解できず、議会の決定の全てに反対する頑なさを改めるだけでも事態は変わっていたと思います」
「その通り。私もそう思う。しかしだ、チャールズ一世の首が落ち、イングランドは共和国となったが、そのような性急な改革が上手く行く訳もない。国民が自らの過ちに気付くのは、王の代わりに国の頂点に立ったのが、更にタチの悪い独裁者だと気付いた時だった。ではケインよ、それからイングランドはどうなった?」
「共和制は僅か一〇年程で崩壊。チャールズ二世が戴冠して王政に復古します」
「そう、言葉にすれば二言三言だが、その間にどれ程の血が流れた事か。我々王家が国民からの尊敬と賞賛にあるのは、失敗すればギロチンの露と消える程の責任を負っているからだ。サンドラも、どうかその事を忘れないでおくれ」
話題は政治の深い話になったが、サンドラには余裕があった。鉄造の記憶には、西洋の歴史と政治に対する知識と公論があった。サンドラは、それらを自分なりに考え、理解していた。
これらの鉄造の知識は、坂本龍馬という人物から得たものだった。この龍馬とは大した男で、大変な博識であった事は間違いない。山の中にいてはその山の形はわからないように、東洋にいたからこそヨーロッパの全貌を見渡せたのだろう。
サンドラは、レイラ王子やケイン王子のように気の利いた返事をしようと、持てる知識を総動員する。
「はい、お父様。肝に銘じます。私は、決してマリー・アントワネットのような過ちは繰り返しません」
王と王妃の食事の手が止まった。二人は、顔を動かさずに眼だけを合わせる。
セイラ王子とケイン王子は興味をそそられて身を乗り出した。
それまで、黙って食事を味わっていた王妃が口を開く。
「それは興味深いわね。私はあまり外国の事に詳しくないの。ぜひ、詳しく聞かせてほしいわ」
サンドラは、王家の誰もがサンドラに注目している事が嬉しくなった。以前のサンドラは着飾る事で注目されようとばかりしていたが、その実、注目されているのは着ている本人より衣装の方だ。
だが、知識は違う。知識を語る時、聞いている者は衣装などではなく、その人自身に注目する。どうして今まで勉強を嫌っていたのか、サンドラは自分自身を不思議に思った。
「はい。悲劇的な最後という意味では、アントワネットの夫ルイ一六世はチャールズ一世を凌ぐでしょう。民衆の手によりギロチンで処刑されたという事実は同じですが、その後が全く違います。チャールズ一世は息子の二世が王座に返り咲く事で名誉を回復されますが、ルイ一六世の息子シャルルは人による所行とは思えない残虐で卑劣な虐待により、わずか一〇歳で病死します」
サンドラは一呼吸継ぎ、言葉を続ける。
「フランス国民は、未来永劫の罪を背負ったのです。ただ一つ幸いだったとすれば、ルイ一六世は息子がこれからどれほど惨い仕打ちを受けるか、知らずに死ねた事でしょう」
「ひどい……そんな事が……」
王妃は絶句した。
王はグラスにワインを足すよう給仕に合図する。こんな恐ろしい話、酒でも飲まないと聞いていられない、とでも言うように。
「サンドラは、ルイ一六世が処刑された原因は何だと思うかね?」
さり気ない風を装っているが、王がサンドラの話に興味津々なのはありありだ。
「三つあると思います。一つは、運に見放されたこと。フランスはルイ一四世の時代に慢性的な赤字になり、一五世の時代に事実上破綻しています。先代、先々代の王が大勢の愛人を囲い、派手に遊んだ挙げ句の負の遺産を、一六世は全て負う事になったのです」
「これについては同情しかないな。私はそんな事にはならんから、心配しなくて良いぞ」
王が言うと、セイラ王子とケイン王子は真剣な顔で頷いた。
「それに、不思議なほど味方や協力者が次々と死にました。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世、革命の獅子ミラボー、ヨーゼフ二世の跡を継いだレオポルド二世……それは、運に見放された人間の見本を見るようです」
サンドラは言葉を続ける。
「二つ目は、ネッケル財務長官を罷免したことです。確かに彼は熟練した実業家でしたが、偉大な政治家ではなかった。私は、ネッケルが罷免されなくても、国家を立て直す事はできなかったと断言できます。しかし、ネッケルはフランスで初めて国家予算を公表した事で、国民からの絶大な信頼と人気を集めていました。人々は彼に奇跡を求め、すがっていたのです。ルイ一六世には、それが考慮できなかった。その結果が……」
サンドラはワインを一口飲むと、パンを一切れ口にいれた。
「……このパンは本当に美味しくて……」
たまり兼ねたケイン王子が急かす。
「サンドラさん、ジラさないで続きを!」
「あら、私ったら、ごめんなさい。そう、ネッケル財務長官罷免が、バステューユ牢獄襲撃の直接の引き金となるのです。襲撃した民衆の数は九〇〇人弱、死亡者は約一〇〇人。対する牢獄守備隊の兵力は約一〇〇名、降伏時の戦死者は一名のみでした。この事から、異常な精神状態の民衆に対し、守備隊は戦う心構えが整う前に戦闘に突入した事が推測できます」
国王は唖然とした。
「フランス専制政治の象徴でもあるバスティーユ牢獄が……」
サンドラは続ける。
「しかし、バスティーユには、民衆が想像していたような大勢の政治犯などいませんでした。収容されていたのは文書偽造犯四人、精神異常者二人、そして素行不良で捕まっていた伯爵が一人、それだけです。それでも、守備隊の司令官と士官はパリ市庁舎まで引き回されて虐殺、後に死刑になった兵士を合わせると二五名前後の隊員が殺されます」
「……あの、私もワインを頂けるかしら」
王妃は皿にナイフとフォークを置き、いつもは飲まない酒を給仕に頼んだ。
「続けますか?」
サンドラが尋ねると、国王が答えた。
「もちろんだ。続けてくれ」
「最後の三つ目は、やはりマリー・アントワネットです。彼女は大衆に関心がありませんでしたが、大衆は彼女がかつての敵国人である事を忘れていませんでした。アントワネットほど、溜まりに溜まった民衆の怒りをぶつけるのにピッタリのはけ口は無かったのです」
サンドラは無意識に肩をすくめた。鉄造の記憶からマリー・アントワネットの人となりを知れば知るほど、かつての自分と重なる。
「派手好きで贅沢三昧。甘え上手で逃げ上手。自分の嫌いな事からは徹底的に逃げ、好きな事だけをやって生きていました。平和と王家の維持に、どれほどの努力と犠牲が必要か、全く理解できていなかったのです。アントワネットが日頃から庶民に寄り添う姿勢だけでも見せていれば、結末は全く違ったものになっていたでしょう」
「その、結末とは?」
国王は完全に食事の手が止まり、サンドラの話に熱中していた。
「最後の日、アントワネットは喪服から白い服に、憲兵の眼の前で着替えるよう命令されます。それから髪を短く切られ、後ろ手に縛られました。オンボロの荷馬車には、後ろ向きに座らされます。見物人からよく見えるように後ろ向きに。そして荷馬車は、民衆の罵倒とつぶての中を、ゆっくりと市内を回ったのです」
セイラ王子の顔は青ざめ、呟いた。
「酷い……それが仮にも王妃だった者にやる仕打ちなの……」
「コンコルド広場には、一万人の観衆が集まっていました。元王妃だった者の首が落ちる、そのおぞましい瞬間を見る為だけに。この世に悪魔がいるとすれば、それは人間の事です。しかし、アントワネットは最後の瞬間まで毅然とし、女王の威厳を持って死んでいきました。彼女ほど、多くの民衆から憎まれ、辱められながら殺された者は他にいません。軽々しい言葉では表せませんが……私はアントワネットを立派だと思います」
サンドラの話が終わった後、誰も言葉が出なかった。
しばらくの後、国王が口を開いた。
「ルイ一六世は優しい男だ。だが、まじめで頭が良い者にありがちな決断の鈍さが、最悪の結末を招くのだろう。どうやら、彼には二つの選択肢しかないようだ。国外へ逃亡するか、民衆に軍を向けるか」
そしてサンドラを見た。
「ではサンドラ、我々はどうすべきかな? これはテストではない。そなたに我々の進むべき道を示して欲しいのだ」
サンドラは困惑した。
「あの……どういう事でしょう?」
「フランス王家に救いの手を伸ばすべきか否か。そなたに未来を見通す力がある事は、ケインに聞いて知っておる。半信半疑であったが、今の話で疑いの余地は無くなった。事の大きさで、過去と未来の時系が混乱しているようだが、大筋に間違いは無いだろう」
「それはつまり……」
「バスティーユ牢獄襲撃の第一報を受けたのは先程の事だ。私は誤報だと思ったので、王妃にも息子達にも話しておらん。まだ、三日と経っていない筈だ。それを、ここまで詳細に状況を説明できるとは、最初からこの事を知っていたという事に他ならん。つまりだ……」
国王はテーブルの上に両肘を乗せ、両手の指を組んだ。
「……間もなくギロチン台に登るのだろうが、ルイ一六世もマリー・アントワネットも、今はまだ生きておる」
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