第22話 サンドラ、三たび

 いつもなら荷物が積まれている馬車上部の台の上に、サンドラは三角座りで後ろ向きに座っていた。そして、後から前へと流れて行く田園の風景を、飽きもせずに見ていた。

 馬車の中からは、シルビアとケイン王子の楽しげな笑い声が聞こえてくる。二人は学園帰りの僅かな時間に、着実に愛を育んでいた。

 サンドラは、自分が障害にならなければ二人の愛は燃え上がらないのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。そんな事をせずとも、その愛が真実であれば、後は勝手に盛り上がってくれるもののようだ。

 サンドラとセイラ王子がそうであるように。

 男爵家に到着すると、屋敷の前には男爵夫人と数名の使用人が並んで待ち構えていた。

 馬車が止まり、アダムが馬車の扉を開けると、ケイン王子が降りてきた。男爵夫人と使用人達が一斉にお辞儀をする。

 そして、ケイン王子はシルビアに左手を差し出し、シルビアはその手を掴んで静々と馬車を降りる。

 その様子を馬車の天井から見ていたサンドラが声を掛けた。

「シルビアさん、素敵よ。まるでお姫様みたい」

 そう言うと、ヒラリとそこから飛び降り、地面に着地する。

「まあ、サンドラ様ったら。本物のお姫様にそんなこと言われると、なんだか妙な感じだわ」

 二メートルを遙かに超える高さから飛び降りた制服姿の人物が、次に王妃になるであろうサンドラと知り、使用人達はざわめきながら慌てて頭を下げた。

 男爵夫人も驚きで眼を丸くする。

「あら! まあ! サンドラ様! 大丈夫でございますか? こんな高さから……あら、私としたことが、失礼致しました。昨日はご婚約、あめでとうございます。大変な事件があったとかで、お身体は大丈夫……でございますね。大変お元気とお見受けしますわ」

「ありがとうございます、男爵夫人。シルビアさんと一緒に王宮へ行った時に、我が家を訪ねて頂いた時以来ですね。あの日が切っ掛けで私には婚約者が、サンドラさんにはこんなに素敵な恋人ができたのですから、縁とは本当に不思議なものです」

 そう言って、ケイン王子を横目で見る。王子は照れ臭そうに咳払いをした。

「王子様も、娘を毎日送って頂き、誠にありがとうございます。親として、何とお礼を言えば良いのやら……」

「いえ、お礼ならアダムに言ってください。馬車を走らせているのは彼ですから」

 急に話を振られ、アダムが愛想笑いをする。

「よろしければ皆様でお茶でもいかがですか? 昨日シルビアが焼いたお菓子がございまして、私が言うのも何なのですが、とっても美味しいのです」

「ああ……とても残念なのですが、実は今日の晩餐は、サンドラさんが父上と一緒にする初めて晩餐なのです。父上はこのところ公務が忙しく、まだろくにサンドラさんと話ができていないもので」

「まあ、それは大切な日でございますね」

「私は良いのですが、女性は着替えなどに時間が掛かりますから」

 そう言って、横目でサンドラを見返す。

 サンドラは首をすくめて言った。

「私は、この警護官の制服で十分なのですけど」


 シルビアを送った後、馬車の中にはサンドラとブレードも乗り込んだ。

 その時、ようやくサンドラは気付いたのだが、ブレードの元気が無い。

「ブレードさん。今日は静かですね」

 ケイン王子がニヤリと笑った。

「ブレードはね、病気なんだ」

「それは大変。お医者様には?」

「その心配は無いよ。恋の病なんでね」

 ブレードの顔色が変わる。

「王子!」

「まあいいじゃないか。サンドラさんなんだし。恋バナといこうや」

 これにはサンドラも興味をそそられた。

「お相手はどなたなんですか?」

 ブレードは顔を赤くするばかりで喋らないので、ケイン王子が代わりに話した。

「昨日の婚約の儀に来ていた踊り子ですよ。サンドラさんが捕らえた罪人、あの男が宮中に忍び込む為に御者をやった馬車を操る者がいなくなったので、ブレードが代わりに踊り子達を街まで送って行ったのです。その中の一人に見初めてしまったという訳です」

「それは何とドラマチックな。で、その方のお名前は?」

「えっと、サリーさん……だっけ?」

 ブレードは黙って首を縦に振る。

「サリーさん! 私、その方知っているわ。とっても綺麗な方。お友達はリリィさんで、愛らしい方ね。お二人には今度、ダンスを教えて頂くよう頼んでいるの」

「ダンスを? サンドラさんには必要ないでしょう」

「いえ、男性のパートを覚えたいのです。セイラ様は、ドレスを着て女性のパートを踊りたいと望んでいらっしゃると思いますので」

「いやぁ、婚約者の鑑ですね。良かったな、ブレード。サンドラさんを口実に、サリーさんに会いに行けるぞ。ついでにダンスも習ってきてはどうだ」

 ケイン王子は、一人でクスクスと思い出し笑いをした。

「帰りの馬車でブレードとサリーさんの会話が弾んだのも、ブレードがサリーさんの足を踏みまくったからなんですよ。彼がね、私にくっついて離れないものだから、一曲踊ってこいと命令したんです。言わば、私が彼の恋のキューピットなのです」

 サンドラも笑って言った。

「随分、偉丈夫なキューピットですね。こんなに頼もしい力添えがありますし、二人でダンスのレッスン頑張りましょう。ね、ブレードさん」

 ブレードは、ブンブンと勢い良く首を縦に振った。



 剣士には、己の間合いというものがある。

 自分は敵を斬れるが、敵は自分を斬れない。それが理想の間合いだ。

 それは、遠過ぎてはもちろん駄目だし、近過ぎても刃を掻い潜られる。即ち、間合いとは単に敵との距離だけではなく、角度やタイミング、精神的な駆け引きまで含めた総合的なものだと言える。

 したがって、剣士はおのずと自分の間合いに他人が入って来るのを嫌うようになる。これは、一種の職業病なのだろう。

 だから、鉄造の人格時のサンドラは、化粧をされるのが大嫌いだった。間合いどころか、ほとんど密着した状態で顔をいじくられるのだ。

 オリジナルのサンドラと代われば良いのだが、前回の経験で人格の入れ替わりは二時間程度が限界である事が分かっている。もっとギリギリまで待たねばならなかった。

 サンドラは、化粧係がメイクするのを、ひたすら耐えるしかない。ところがバザルは、鏡に映ったサンドラのそんな様子を、うっとりとした眼で見つめていた。

「はぁぁ……素敵です、サンドラ様。私も、もう少し美しければ、お化粧するのも楽しかったでしょうに……」

「はっ? 何言ってるの? あなたは綺麗よ。ねえ?」

 サンドラは化粧係に同意を求めたが、曖昧な笑顔を見せるだけだ。

 ――そうか、西洋では肌はひたすら白い事が求められるのだったな。きっと日本人も、野蛮な人種と思われているのだろう。

 同じ人間なのに、馬鹿げた事だとサンドラは思う。

 メイクが終わり、化粧係とバザルが鏡の部屋を出て行こうとする。サンドラはバザルを呼び止めた。

「バザル、ちょっと」

「はい、サンドラ様」

 バザルは部屋に留まったが、別に用事があった訳ではない。サンドラは昨日のようにテーブルのキャンディを一掴みすると、バザルのエプロンのポケットに押し込んだ。

「サンドラ様、毎回こんな高級なお菓子を……」

「いいのよ。それより、誰が何と言おうと、私はあなたを綺麗で魅力的だと思っている。それを忘れないでね」

 バザルの表情が、花が開くように笑顔になる。

「はい、サンドラ様。ありがとうございます。決して、決して忘れません」

 そして、野を駆ける子鹿の様に軽快な足取りで部屋を出て行った。


 バザルを見送ると、サンドラは椅子の上であぐらをかいた。

 鏡の中の自分に話し掛ける。

「さてと……準備はいいか、サンドラ」

 鏡の中の自分が答えた。

「いつでもいいわよ、鉄造」

 サンドラは眼を軽く閉じ、呼吸を整える。

 長く規則正しい呼吸がしばらく続いた頃、サンドラは再び眼を開いた。そして立ち上がると、大きくノビをした。

「ウーン……さあ、ショータイムよ!」

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