第21話 最後の登園
王立貴族学園は、通常一五歳から一七歳の貴族子女が通う学校だ。卒業式とその後のパーティーは盛大なものになり、王か王妃、またはその両者が必ず出席する。
そこまで卒業パーティーが盛大になるのは、事実上の成人式と、在学中に婚約までたどり着いた者達の披露を兼ねるからだ。多くの女生徒は卒業式終了後、パタパタとドミノが倒れて行くように結婚式を挙げる。
もし、鉄造の自我が覚醒しなければ、サンドラはケイン王子の婚約者の座を狙ってシルビア暗殺未遂を起こし、その卒業式で悪事が暴かれ監獄へ直行となる筈だった。
確かにケイン王子は外見も人格も非の打ち所の無い王子だが、サンドラが人殺しを決意するほど恋に狂っていたかというとそうでもない。サンドラが欲したのは第二王子の婚約者の座であり、ひたすら見栄っ張りで強欲だっただけである。
しかし、運命は変わった。
サンドラは、卒業まで後半年少々という所で、先んじて卒業証書が発行される事になった。
セイラ王子の護衛として、共に王立貴族学院へ通学する為である。
貴族学院は、通常一八歳から二〇歳までの、将来の王国を背負って立つ上級貴族子女や特別な成績優秀者が通う学校だ。学園の授業にも苦労しているサンドラが付いて行ける筈もない。
しかし、次期王妃としてはあまり恥ずかしい成績を取る訳にもいかず、悩みが一つ増えた状況だった。
婚約の儀の翌日、その日はサンドラが学園に通う最後の日となった。
ケイン王子とブレードと共に馬車に乗り込む。
ケイン王子は、サンドラが来ている護衛官の制服を見て言った。
「義姉上、その格好で登校なさるのですか?」
「義姉上はご勘弁ください。婚礼の儀までは、どうかサンドラと」
「それは構いませんが……」
「この制服、カッコ良いし、動きやすいし、とても気に入りました。ズボンとは、本当に機能的で良いですね」
袴も悪くないが、ズボンは一歩上を行くとサンドラは思う。
学園へ到着すると、乗降場では『サンドラの取り巻き』の三人が待ち構えていた。馬車を降りたサンドラを取り囲む。
「サンドラ様、ご婚約おめでとうございます!」と、青い瞳のセーラーが言った。
「パーティでは賊を退治し、大活躍なさったとか。詳しく伺いたいですわ」と、白い肌のジュエル。
「学園へは、最後のご登校なのですね。寂しくなります」と、長い髪のメアリ。
繰り返しになるが、三人とも舞台女優並の美貌である。こんな美女達からチヤホヤされる生活もこれで終わりかと、サンドラは少し悲しくなった。
「皆さん、別に今生の別れではありませんよ。卒業パーティーへは、私もセイラ王子と一緒に参加しますし。私たちの友情は永遠ですから」
サンドラが言うと、三人とも涙ぐむ。
それを見てサンドラ……いや鉄造の人格は、何だかんだとサンドラは人を引き付ける魅力があるのだなと思った。
「そうだ。次の休日、皆さんを宮殿の私の部屋にご招待しますわ。ここだけの話ですけど、宮殿にはめずらしいお茶やお菓子が沢山あるのです。私、少しくすねておきますから」
少し離れた所にいたケイン王子がクルッと振り返った。
「義姉上、聞こえてますよ。ヒソヒソ話は小さな声で頼みます」
サンドラと三人は、顔を見合わせて笑う。
「では、皆さん。ごきげんよう」
サンドラが去った後、三人はサンドラの制服姿のカッコ良さについて盛り上がるのだった。
取り巻きの三人と別れると、サンドラは真っ直ぐに裏庭へと向かった。
大きな木の下にはシルビアがおり、小鳥に餌を与えている。サンドラがやっていた頃よりも多くの小鳥が、シルビアの手や肩に止まっていた。
「小鳥って浮気者ね。餌をくれる人には誰にでもデレデレして」
サンドラに気付いたシルビアの顔がパッと輝く。
「サンドラ様!」
シルビアの声に驚いた小鳥が数匹飛び立った。
パン屑を地面に落とすと、残った小鳥がその上に飛び降りた。
「昨日はお疲れさまでございました。義父もサンドラ様の美しさを絶賛しておりました。ドレス姿のまま賊を退治なさったとか。誰もが恐怖で身を屈める中、サンドラ様お一人で立ち向かい、まるでお芝居のようだったと」
「王子の護衛官でもありますので、当然の事をしたまでですよ」
「その制服、とても良くお似合いです。無骨なデザインなのに、サンドラ様の美しさが更に引き立つから不思議です」
ところが、シルビアの顔が急に曇った。
「……ですが、学園でお会いできるのが最後だと思うと、シルビアは寂しくてたまりません」
「私もよ、シルビアさん……だけど、あなたがこのままケイン王子と上手く行けば、私たち義理の姉妹になれるのよ。楽しみでしょ」
シルビアの顔が再び輝いた。
「はい!」
二人は並んでベンチに腰掛ける。
「ところでサンドラ様、これは読まれました?」
シルビアが鞄から取り出したのは学園新聞だ。サンドラがセイラ王子と婚約した事が特集されている。
「学園新聞ね。今回の号はまだ読んでいなかったわ」
読んでみると、二人の出会いから婚約までが多少の誇張はあるものの、ほぼ正確に綴られている。もちろん初めてのキスの時、セイラ王子が勃起してしまい、逃げ出した事については触れられていない。
「へえ、よく調べていますね。これがどうかしたの?」
「これ、誰が書いたと思いますか?」
「誰って、新聞部でしょう?」
「ところが、私も知らなかったのですが、この学園に新聞部って無いんです」
「じゃあ、個人が学園新聞を発行していたのね?」
「そうなんです。そして、その人とは、サンドラ様もよくご存じのジュエル様なんです」
「あの色白の……そういえば聞き上手で、あのコなら情報を引き出すのもうまいでしょうね。文才も中々のものだわ」
「私、引っ掛かっていたんです。この世界が本当に『公女シルビア』の世界だとしても、それだけでこの世界は完結している訳ではない。物語に出てこない沢山の人々が存在しているし、むしろ『公女シルビア』がこの世界で起こった一つのエピソードを書き記した物ではないか、と」
「なるほど……だけど、それだと私は『公女シルビア』が書かれる前の世界に時間を遡って転生した事になるわね」
「その矛盾は残りますが、偶然にしては出来すぎた事実もあって……先日『公女シルビア』の作者名を教えて頂きました」
「ええ、ベネット夫人ね。私もシルビアさんも、そういった方の知り合いはいませんでした」
「はい。それで私、少し調べたんです。ベネット夫人とは何者で、その方にたどり着く人脈はないか」
シルビアの眼の輝きで、ベネット夫人までたどり着いたのだろうとサンドラはピンときた。
「そして、その方はジュエルさんにゆかりのある方だった……」
シルビアは頷く。
「ジュエル様には年の離れた婚約者がいらっしゃいました。名の知られたお医者様で、ジョージ・ベネット先生がその方です」
「ジョージ・ベネット……では、作者のベネット夫人とは……」
「ええ。恐らく、未来のジュエル様本人だと思います」
☆
その日の最後の授業が終わった後、サンドラは学園長室にで卒業証書の授受式を行った。
そこには学園中の教師が集まっており、その中でサンドラは学園長の前に立った。
学園長は、とても小柄な女性だ。平均的な身長のサンドラを見上げる様にして卒業証書を渡した。
「サンドラ様。私たち教師一同は、あなた様とこの学園に共に過ごせた事を誇りに思います。そしてこれは、通り一遍のお世辞ではありません。私たちの本心です」
卒業証書を手に、サンドラは深く頭を下げる。
「高貴な人ほどつつましい。能ある鷹は爪を隠す。そういった言葉を私たちは沢山知っています。しかし、実践できる人はほとんどいません。義を見てせざるは勇無きけり。この中国のことわざも、口にするのは簡単です。ですが、実行できる人はほとんどいません」
そして、まるで聖者を見るような眼でサンドラを見た。
「昨日のご活躍、伺っております。人の為に、自らの命を盾にする。それが咄嗟にできるのは、たゆまぬ努力と血の滲むような鍛錬の賜物でございましょう。正直に申し上げますが、私はサンドラ様を貴族のお嬢様にありがちな自己中心的で我がままな方だと思っていました」
学園長は、詫びるかのように視線を落とす。
「しかし、教師として相応しいかどうかを試されていたのは、私たちの方だったのですね。悪役令嬢の振りをなさって、私たちがどの様に考え、振る舞うかをご覧になっていた。今思い返すと、思い当たる事ばかりです」
何かの答えがある時、その答えに合わせて過去を都合良く解釈するのは、頭の良い人にありがちな行為だ。が、言うまでもなく、以前のサンドラは、ガチで自己中で我がままなだけである。
サンドラは、過大すぎる評価に苦笑いするしかない。
「我が国の教育の重要性をご理解頂いているからこその行為であったと、今は理解できます。私たちの取った行動が満点だったとは思いません。ですが、教育に掛ける熱意は本物でございます。どうかサンドラ様、王太子妃になられてからも、私たち教師一同をお導きください」
そして、一斉にサンドラに向けて頭を垂れた。
「ちょっ……ちょっと、どうか頭を上げてください」
サンドラが青くなる。
武士道には、絶対に敬うべき対象が三つある。すなわち、主、師、親である。
その師が自分に頭を垂れるという事は、己の不徳をも意味した。
サンドラは何とか場を和ませようと、ワッツに近付き、無理矢理上半身を起こす。
「ワッツ先生! この卒業証書を頂けたのも、ワッツ先生のお陰です。先生が助けてくださらなければ、私は今頃、墓の下でウジ虫にまみれている所ですよ。ハハハ……ハ……ハ」
サンドラは、完全に滑った事を悟った。誰一人、ニヤリともしない。
「ありがたきお言葉にございます!」
ワッツは再び身体を二つに折った。
「先生、お願いです。頭を上げてください」
ワッツが頭を上げると、他の先生もそれにならって頭を上げた。
ワッツは両手を上げ、袖口のカフスボタンをサンドラに見せた。
「公爵様からサンドラ様を助けたお礼だと頂いた、エメラーダ家の紋章入りの金カフスでございます。フランスで流行っているとの事で、私には身に余る物ではございますが、我が家の家宝にございます。これからどんな困難がございましても、このカフスボタンを見ればサンドラ様を思い出し、乗り越える事ができましょう」
「いやですよ、先生。そんなにかしこまっては。いつものようにサンドラとお呼びください」
「それはできません。サンドラ様は卒業証書を受け取られました。もう生徒ではなく、間もなく王太子妃となり、国を率いる方なのですから」
サンドラは、改めて思い知った。これが王家の一員になるという事なのだ。
ワッツ達がこれからもサンドラの「師」である事に変わりは無い。しかしサンドラは、今この瞬間から、教師達にとって生徒から「主」へと変わったのだ。
サンドラは観念し、思った。教師達は、サンドラに「主」としての言葉を期待している。あの男なら、龍馬なら、こんな時に何と言うだろう、と。
そして口から出た言葉は、前世で龍馬がよく語っていた内容だった。
「わたくしはこの国を、農民の子も、商人の子も、誰もが等しく教育を受ける事ができる、そんな国にしたいと思っています。教育が貴族階級だけの特権であった時代は必ず終りが来るでしょう。そのような状態が続けば、我が国は国力を失い、諸外国との競争に破れるからです……」
学園長を始め、教師達の顔が輝いた。サンドラの言葉が、教師達が常日頃思いながらも、苦い思いをして飲み込んでいた事を代弁していたからだ。
サンドラは、前世での龍馬の言葉を絵空事だと思っていた。しかし、今は違う。出来る、出来ないではない。やらなければならないのだ。
――ようやく……時空と転生を越えて、ようやく龍馬に追い付けた気がする。
サンドラはそう思った。
「……理想を実現するには時間が掛かります。手間とお金も。しかし、我が国の教育水準を上げる事は、差別を無くし、経済の格差を狭め、豊かな人生へと導いてくれる道しるべとなります」
静まり返った学園長室に、サンドラの声だけが響く。
サンドラは、昨日の婚約の儀での国王の行動を真似て、両手を横に開いた。
「わたくしだけでは出来ません。先生方だけでもできないでしょう。わたくし達は共に手を取り合い、力を合わせなくてはなりません。我が国の教育の為に、共に尽力して参りましょう!」
拍手が沸き起こった。
それがいつまでも止みそうになかったので、サンドラは鞄と卒業証書を手に、愛嬌を振りまきながら学園長室を後にしたのだった。
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