第20話 新たな生活

「サンドラ様、こちらでございます」

 バザルが恐る恐ると部屋の戸を開ける。

 サンドラが中へ入ると、そこは日本の畳で六枚分程の部屋だった。

「あの、何度も申し上げるようですが、この部屋は物置として使用されておりました。ご指示通り、急いで荷物を出して掃除はしましたが……」

 天井が低い割に窓が大きく、沈みかけの太陽が遠くの山々を赤く染めているのが見える。少しカビ臭いが、暮らしていればいずれ消えるだろう。

「完璧よ、バザル! 私の理想通り! あ、この部屋に入る時は靴を脱いでね。土足厳禁だから」

「土足厳禁……でございますか?」

 サンドラの予想外の反応に、バザルは呆気に取られる。

「そう。座る時は床の上に直接座るのよ。今は絨毯だけど、バートンに頼んでゴザを編んでもらうわ」

 バザルが不思議そうな顔をした。

「あ。バートンってね、エメラーダの家の庭師なの。器用で何でも作ってくれるのよ」

「いえ……その、ゴザとは?」

「ああ、ごめんなさい。ゴザね。い草で作った敷物よ。新品のゴザはね、い草の香りが素晴らしいの。そこに寝ころぶだけで幸せになれるんだから」

 力説するサンドラに、バザルは思わず笑ってしまう。

「フフッ。サンドラ様ったら、子供みたいです。ですが、この部屋が姫様に相応しいとは、とても思えません」

「そんな事ないわ。起きて半畳、寝て一畳よ」

「えっ? ……申し訳ございません、意味がわからないのですが」

「私もバザルも、座る椅子の大きさは同じでしょ。ジャンとだって、寝るベットのサイズは同じで事足りるわ。究極的に人は、位も人種も性別も越えて平等なのよ」

「サンドラ様……素晴らしいお考えです。サンドラ様以外の方が言っても説得力が無いと思いますが」

「へへへ。後はテーブルね。床に座った状態で使える、低いテーブルもバートンに作ってもらわないと」

「しかし、サンドラ様。ベッドはどうするのです? この狭さですと……」

「いらないわ。寝具は普段は畳んでおいて、寝る時だけ広げるの」

「山の民みたいですね。彼らは寝る時だけ藁の上にシーツを敷くんです」

「そうね、似たようなものね。とにかく、人がくつろぐには適度な狭さが必要なのよ。ここも、エメラーダの家も、あまりにも広過ぎる。それじゃあ、くつろぐどころじゃないから」

「あの、私、狭いと文句をおっしゃる貴族様は何人も見てきましたが、広いと文句をおっしゃる方を初めて見ました」

「あらそう。まあ、貴族って変な人が多いから」

 貴族として変なのは、サンドラの方であろう。

 そこへ、セイラ王子がヒョイと部屋の中へ顔を出す。

「ここって部屋の外で靴を脱ぐのかしら」

 靴を脱いで入って来た。

「まあ、ステキ。こんなステキな部屋があったのね。全然知らなかったわ」

 知らなくて当然だろう。宮殿には一〇〇〇室を超える部屋がある。

 セイラ王子の言葉にサンドラは、分かる人には分かるのよ、という顔でバザルを見た。

 セイラ王子の後から、バザルと同じ制服を着たメイドが数人入って来た。下着や寝具、そして姿見を運んで来たのだ。

 最後に、痩せて眼付きの鋭い中年女性が入って来た。

 その時、バザルの背筋が伸びたのをサンドラは見逃さなかった。きっと怖い人に違いない。

 その人物は、部屋を見回すとあきれた様な顔で言った。

「まあま、何てみすぼらしい部屋なのでしょう。姫様が暮らすような場所ではございません」

 この手に人に口答えすると長くなる。そう判断したサンドラは、黙って言いたい事を言わす事にした。

「そもそも王族の方には、五室以上の部屋が私室としてあてがわれるのがハプスブルグ家以来の慣わし。この様な部屋に次期王妃が住まわれていると諸外国に知れたら、アルフレッサはウィーンから遠く離れた田舎の貧しい国と噂されかねません」

 ――こりゃあ、口答えしなくても長くなるな。

 そうサンドラは思ったが、セイラ王子はこの女性の扱い方を心得ているようだ。

「ミスセリーヌ、お小言の前にサンドラ様にご挨拶を。まだキチンとご挨拶していないでしょ」

「あら、私としたことが、大変失礼致しました。セリーヌと申します。セイラ様とケイン様が幼い頃は教育係を、現在はメイド長を兼ねております。姫様がお見えになり、再び教育係のお役目を頂きました。心より光栄に存じております」

 ミスセリーヌは、深々と頭を下げた。

 サンドラは、すがるような眼でセイラ王子を見た。しかし、セイラ王子は無邪気な笑顔を返すだけだ。

 生まれた時からミスセリーヌのいる生活を経験していた王子に、初めて会った者の恐怖など分かる筈もなかった。

「姫様のダンスを拝見致しましたが、素晴らしく完璧でございました。立ち姿も歩き方も振る舞いも、次期王妃に相応しいものです。わたくしに教える事は何もございません」

 サンドラは安堵の表情を見せるが、それも一瞬だった。

「しかしながら、勉強が少々苦手だとか。いきなり貴族学園から貴族学院へ登校先が変わるのも不安でございましょう。西洋貴族の公用語とも言えるフランス語と我が国の歴史については、どうぞセリーヌにお任せください」

 サンドラは、観念して答えた。

「こちらこそ、よろしくお願い致します。ミスセリーヌ」



 そのまま素知らぬ顔でサンドラの部屋に居座ろうとしたセイラ王子だったが、ミスセリーヌから耳たぶを引っ張られて出て行った。

「初夜は婚礼の儀の後、皆様が見守る中、共にベットへ入るのが慣わしでございます」

 サンドラは、部屋を離れていくセイラ王子とミスセリーヌ、そしてバザルを見送って戸を閉めた。

 ――頂点に立つ者にプライバシーが無いのは、大奥も王宮も同じだな。

 サンドラはうんざりする。

 実は、サンドラが王妃になるまでの間に、セリーヌから習う予定のものがフランス語と歴史の他にもう一つあった。夜の手解きである。

 正室であろうが側室であろうが、とにかく将軍の子を生みさえすれば良しとする日本とは違い、西洋ではほとんどの国で、子は王妃が生む事を求められる。その為、王をその気にさせるテクニックは、王妃にとって何よりも重要とされていた。

 しかし、男であった前世の記憶を持つサンドラは、男のツボを知り尽くしている。そのツボを自分がセイラ王子に対して攻めるのかと思うと妙な気がしたが、とにかくミスセリーヌから習う事は何も無い事だけは確かだった。

 外はすっかり暗くなっていた。先程バザルが点けてくれたランプの光だけがユラユラと揺れている。

 サンドラは姿見の前であぐらをかくと、鏡に映った自分に話し掛けた。

「サンドラ」

 返事が無い。

「サンドラ……サンドラ」

 鏡の中の自分が驚いた顔をした。

「あ……ごめんなさい、ボーとしていて」

「今日は疲れだろ。眠っていたのか?」

「私と鉄造の脳は共用よ。鉄造が起きていれば、私も起きてるわ」

「そうか。今日はありがとな。ダンス、素敵だったよ」

「鉄造も大活躍だったわね。誰も傷つかなくて良かった。で、何か用?」

「いや、それだけだ。一言礼が言いたがった」

「それを言うなら私もよ。私だけなら次期王妃どころか監獄行きでしょ。ホント信じられない。自分の幸運がよ」

「明日は国王との晩餐がある。その時に入れ替わってくれないか?」

「えっ、いいの? そんな美味しい時ばかり」

「貧乏侍だった頃の記憶のせいか、どうも絶大な権力者の前では萎縮してしまってね。その点、サンドラの立ち振る舞いは相手が誰であろうと堂々としたものだ。エチケットも完璧だし」

「わかった。そんな事なら任せて。王様とご一緒となると、ファッションの話題ばかりじゃバカだと思われるから、鉄造の記憶を漁って政治や軍事の知識を仕入れておくわ」

「よろしく頼むよ」

「じゃあ、もう寝ましょう。明日も忙しいわ」

「ああ、おやすみ」

 サンドラは寝具を床に広げると、その中に潜り込む。

 そして、ランプに息を吹きかけて炎を消した。

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