第19話 神に等しい人

 罪人は、サンドラに勧められるままに料理を口にした。

 サンドラは、罪人の顔をのぞき込む。

「どうだ? 宮廷の料理だ。美味いだろ?」

「……正直、この状況では生きた心地がせず、まるで砂を噛んでいるようです」

「あ、そう……やはり、米の飯でないと駄目か……まあいい。しかしな、こんな大それた事をして、故郷のお母さんが泣いているぞ」

「いえ、私は生まれた時に捨てられたので、親の顔は知りません」

「あ、そう……」

 サンドラの目論見は、ことごとく外れた。ケイン王子とジャンの方を見ると、ケイン王子は祈るような眼でサンドラを見ており、ジャンは必死で笑いを堪えている。

 サンドラは作戦を変更する事にした。

 罪人は囚人服に着替えていた。よく観察すると、首筋と腕の日焼けの痕、そして、異様に発達した右肩の僧帽筋に特徴があった。

「まったく、なぜこんな事をしたのか。河か港かは知らんが、人足としてコツコツまじめに働いてきたのだろうに」

 罪人は驚いて顔を上げる。

 サンドラは、罪人の座っている姿勢が左に傾いている事に気付く。

「そうか、腰を痛めたのか。今はだいぶ良いようだが、給料の安い移民労働者に仕事を奪われ、復帰できなかった……といった所か」

 罪人の顔が青くなる。死は覚悟していても、自分の身元が割れるとは思っていなかった。

「左手に、外したばかりの指輪の痕がある。長年連れ添った奥さんがいるのだろう。今回の暴挙は奥さんの為か、子供の為か……恐らく奥さんだな」

「な……なぜ?」

「例え移民労働者並の給料であろうと、夫婦元気で働けば生きていく事はできる。だが、それすら出来ずにこんな一か八かの方法を取るのは、奥さんが病気か怪我で早急にまとまった金が必要。そう考えるのが自然だ」

 罪人は泣き始めた。そして、自分の浅はかさを悔いた。ここまで特定されれば、家も家族もすぐに見つけ出されてしまうだろう。

「……お願いです。私は今殺されても構いません。ですが、この事は妻や子供には伝えないでください。罪人の妻、罪人の子と、一生後ろ指を差されながら生きていくのは忍びありません……」

 ジャンがカチンと来て立ち上がった。

「おい、テメエ。勝手な事ぬかしやがって……」

 それをサンドラが手を上げて制した。

 ジャンは渋々と座る。

 サンドラが、罪人の前のワイングラスを押して罪人に近付けた。

「まあ、飲め。少し落ち着く」

 そう言って、自分もワインを一口飲んだ。

 罪人は、一息にワインを煽る。

「お、いいねえ。飲める口だ。早くここを出て問題を解決し、私と一緒に他愛ない話でもしながら、酒を酌み交わそうじゃないか」

 ジャンが飛び上がった。

「サンドラ様! 何を……」

 制したのはセイラ王子だった。ジャンの胸を押さえ、何も言うなという風に首を横に振る。

 ジャンは再び渋々と座った。

 罪人は、涙と鼻水にまみれた顔で、サンドラを不思議そうに見た。

 サンドラは、その眼をしっかりと見て言った。

「全て話してくれないか……えっと……」

「アルバートと言います」

「オーケー。アルと呼ばせてもらうよ」



 陽が沈みかけていた。

 宮殿の前にあれほど駐まっていた馬車も、今は王家の馬車数台だけだ。

 アルバートは、サンドラの前で、地面に額を押しつけながら言った。

「サンドラ様、ありがとうございます! 屑同然のこの命でありますが、サンドラ様の為でしたら、いつでも投げ捨てる覚悟にございます!」

 サンドラは、そんなアルバートと無理矢理立たせる。

「やめて、アル。そんな事されても嬉しくないし、いい加減泣くのをやめなさい。それに、お礼なら寛大なセイラ王子に言いなさいよ」

「セイラ王子ー!」

 セイラは数歩下がり、ジャンの後に隠れる。

「いいの、気にしないで。それより、このドレスに鼻水つけたら怒るから」

 御者のアダムが、アルバートに馬車へ乗るように言うと抵抗した。

「そんな、手前のような犯罪者が、王家の馬車になど!」

 そう言うアルバートを、大男のアンドレがひょいと持ち上げて御者台の隣に座らせる。

「めんど臭い奴だな。そこなら文句ないだろ。とにかく、お前の住む街まで歩ける距離じゃないんだから、黙って乗って行きやがれ」

 ジャンがクラフトに声を掛けた。

「不本意だろうが、コイツの警護をよろしく頼む」

「了解。仕事だからね」

 クラフトは答えると、馬車に乗り込んだ。

 アダムが手綱を軽く打つと馬車は走り出す。

 サンドラは小さく手を振った。

「またな、アル」

「サンドラ様ー!」

「うるさいよ」

 アルバートは、サンドラの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 しばらく走った後、アダムが話しかけた。

「命びろいしたな」

「はい、全くです」

「知ってるか? サンドラ様は未来をご存じなんだ」

「未来を?」

「そうさ。ワシも命を助けて頂いた。ワシにとっては神に等しいお方だよ」

「神……」

 アルバートは思った。

 ――神はいくら祈っても何も助けてくれなかった。しかし、サンドラ様は実際に救いの手を差し伸べてくださる。

「……そうですね。ですが、私には神以上のお方かもしれません」



 遠ざかる馬車を見ながらジャンは呟いた。

「……良かったのかねえ。仮にも王子の殺人未遂犯なのに」

 一人ごとの様に言っているが、サンドラに向けての言葉である事は明らかだ。

「いいのよ。雑草を駆除するのに、葉っぱを一枚千切った所で意味無いでしょ。根こそぎ取り除かないと」

「そりゃま、そうですけどね」

「アルは氷山の一角。水面下に大きな陰謀があるのは間違いないわ。アルを処罰するのは簡単だけど、氷山を見失ってしまう」

「しかし、奴を泳がせる事で元締めが尻尾を出すでしょうか?」

「多分ね。この氷山は、ジャンが考えているより遙かに巨大よ。場合によっては、アルフレッサ王国を二分する事になる」

「えっ! そんな、まさか……」

 前世で、実際に国を二分した戦を経験したサンドラだからこそ分かる事もある。

「アルは使い捨ての駒。奥さんの病気の為にお金が必要だったので、それをチラつかせれば何でもやると踏まれた。王子殺しだってね。そして、吹き矢の特訓だけを行わせて、宮殿に送り込む。暗殺に成功すれば儲けものだし、失敗しても目的は達成できる。さて、なぜでしょう?」

「そりゃあ、王宮を騒がせる事自体が目的だからでしょう」

「正解。アルに逃げ道は用意されていなかった。依頼人の正体も知らない。札束と共に指令が郵送され、アルは妻と子の為に従う事を選んだだけ。つまり、何かを喋る心配もなく、アルの首だけがハネられる予定だったという訳よ。そうなった時、普通は何が起こるかしら」

「アッシはサンドラ様みたいに頭が良くないんですから、あまり質問責めにしないでくださいよ。そうですね、敵対する勢力があればそいつらを疑いますかね。恨み辛みも残るかな」

「頭良いじゃない。その通りよ。今日、セイラ派と呼ばれる貴族の中には、ケイン王子に対する燻りが生じたでしょうね」

「そんな……ケイン様は、ご兄弟を殺そうなんて、そんなお方ではありません」

「知ってるわ、クラスメイトだもの。真っ直ぐで素晴らしい方よ。だけど、利害にまみれた者は、他人も自分の基準で測ろうとする。中にはケイン王子に報復しようとする者が出てくるかもしれないわ」

「競馬と同じですな。走っている馬より、賭けている観客の方がエキサイトする。結局、黒幕は誰なんでしょう?」

「それが分かれば苦労はないわ。だけど、目的はわかる。この国、このアルフレッサ王国の実権よ」

「王国の実権……」

 サンドラにしがみついていたセイラ王子がつまらなそうに言った。

「ねえ、ドンドンきな臭い話になってきてるけど、部屋で座って話しましょうよ」

 ジャンが苦笑いをする。

「まあ、殺されそうになったご本人がこれですから、我が国はちょっとやそっとの事では動じやしませんぜ」



 サンドラがアルバートの取り調べをしてから帰すまでの間、エメラーダ公爵は王の間にいた。

 国王は侯爵に矢継ぎ早に剣術に関する質問をし、公爵はホラを隠す為に更にホラを重ねた。ついにはアルフレッサのミュンヒハウゼン(一八世紀プロイセンに実在した、有名な物語『ほら男爵の冒険』のモデル)を自称する公爵も、辻褄を合わせた話を組み立てる事が難しくなってしまう。

「我が王よ、実の所、娘がなぜあそこまで強くなったのか、私にも不思議なくらいなのです。確かに幼少より乗馬とダンスは上手かった。体力と運動神経には恵まれていたのだと思いますが」

 公爵の背中は、嫌な汗ですっかり濡れていた。

「しかし、訓練はしているのであろう?」

 王の質問は止まらない。

「はい、それはもう、何かに取り憑かれているかのようです。我が邸には壊れた納屋があるのですが、朝起きると、その納屋の柱を木の棒で何百回と叩くのです。夜は一番重い火かき棒をブンブン振り回します。妻はそんな娘を嘆いておりましたが、それがご縁で王子の寵愛を受ける事ができた。人生とは分からぬものです」

 国王は満足げに自慢の顎髭を引っ張った。

「そうかそうか、素晴らしいな。公爵の愛娘は男の中の男であるな」

「はあ、お恥ずかしい限りで」

「いやいや、本当に感謝しておるぞ。セイラがほら、あのような感じだからな。世の女性の誰よりも美しいのだ。性格も女の様で、今まで好きになった相手は全て男。男らしくなるよう厳しく育てたつもりなのだが、王という立場上、子供と接する時間が不足していたのかもしれぬ」

 公爵は、十分理解していますよ、という風に大袈裟に頷く。

 王は身を乗り出し、小声で言った。

「実はな、教会からの風当たりも強くなっていたのだ。アイツらは、絶対に同性愛を認めんからな。命を得たら、次の命に繋げねばならぬ……この考え方自体が間違いとは思わんが、もっと多様性や個性は認めるべきてあろう」

「全くの同意でございます」

「しかし、本当に良かった。男の娘の王子に男勝りの姫、お似合いではないか。ハッハッハッ」

「全くの同意でございます」

「これから我らは名実共に家族。よろしく頼む」

「ははっ。有り難き幸せ」

「そんなに堅くなるな。家族であるぞ」

 その時、セバスチャンが入って来た。

「エメラーダ公爵様、大変お待たせしました。馬車の準備が整いました」

 国王は立ち上がり、右手を差し出した。

「今日はありがとう、公爵。次は両家で会食だな。夫人によろしく伝えてくれ」

 公爵はその手を両手で握り返す。

「ははっ。有り難きお言葉」

「だから、そんなに堅くなるなと言うのに」


 公爵が廊下で出ると、掃除をしている数人の使用人しかいなかった。

「妙なものだな。会議やパーティでしかここに来る事がなかったので、人のいなくなった王宮は初めてだよ」

「寂しいものでございます」

 公爵とセバスチャンは並んで歩いた。

 ホールには、アルバートを見送って戻って来たサンドラ達がいた。

 セイラ王子は公爵に気付くと、走り寄って抱きついた。

「お義父様、今日はありがとうございました!」

 公爵は、抱きついてきた白いドレスの美少女が王子である事に気付くのに、しばらく時間が掛かった。

「王子? セイラ王子! なんとまあ、美しい」

 王子は恥ずかしそうに微笑む。

 男と分かっているのにドキドキする、という感覚を意識しながら公爵は言った。

「せっかくの婚約の儀であのような事件が起こり、本当に残念です。王子のお身体に変わりはございませんか?」

「この通り、何の問題もありません。来賓の皆様にも印象に残る式になったでしょうし、私もサンドラ様のカッコイイ所が見れて満足です。それに、アルとも友人になれましたし」

「はて、アルとは?」

「私を殺そうとした犯人です」

「犯人と友人?! サンドラ、お前の仕業だな!」

 王子の後にはサンドラが立っていた。護衛官の制服が何年も前から着慣れているように板に付いている。

「はい、父上。黒幕を炙り出して叩くつもりです」

「いったい誰に似たのやら。頼むから危ないマネはせんでくれよ。今日だって何度心臓が止まったことか」

 サンドラがバカにしたような笑いを浮かべる。

「父上、人は一度心臓が止まった時点で、大概死んでしまいます」

「モノの例えだ。王子を守る時以外の戦いは、近衛兵の皆さんに任せるんだ。いいな」

「はい、父上。ここにいるジャン達がいるから大丈夫です」

 サンドラが紹介したのは、筋肉の塊のような大きな男だ。右手を胸に当て、頭を低く下げた。

「近衛隊リーダーのジャンです。サンドラ様は、この命にかえてお守り致します。自分より強い方をお守りするというのも変ですが」

「ああ……サンドラが倒した近衛兵というのは……」

「はい、私もその一人です。片手で軽々と投げ飛ばされ、杖で一突きされました。手加減されなかったら死んでいます」

「それはそれは……お気の毒に」

「一体どのような育て方、教育をすれば、サンドラ様のような超人が生まれるのか。是非とも、ご教示頂けますでしょうか?」

「私に言えるのは、朝は柱を杖で打ち、夜は火かき棒で素振りをするという事だけだな。それを毎日毎日続ければ、もしかするとサンドラみたいになれるかもしれん」

「なるほど、継続こそ力か……」

 考え込むジャンを余所に、公爵はサンドラの手を握った。

「今日は一緒に帰れると思っていたのに……罪人は捕まえたし、危険はもう無いのだろう?」

「ええ。ですが火種は導火線に移る前に消しておかねばなりません。アルは殺される事を前提に送り込まれていました。そんなアルが、暗殺にも失敗したのに、ノコノコ家に戻って来たらどうするか?」

「それは当然、事の成り行きを確認しようと接触してくるだろうな」

「それを切っ掛けに黒幕までたどり着くつもりです。既に見張りをアルに付けてあります。今から詳細な計画を立てなくてはなりません」

「そうか、母さんもフランも寂しがるな。バートンも。必要な物は明日、屋敷から運ばせるよ。本当に下着と木の杖だけで良いのか?」

「杖ではございません。木剣です」

 親子はもう一度強く抱き合い、娘は父を見送った。

 エメラーダ公爵を乗せた馬車が見えなくなると、サンドラは振り返った。

 そこには巨大な王宮があり、愛する人(男の娘)が立っている。そして、心強い仲間達。

 一貧乏侍だった前世とは何から何まで違う。

 サンドラは王宮を見上げながら龍馬を思った。

 ――自分もあの男のように、この国の為に力を尽くそう。

 そう心に誓った。

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