第26話 許されざる敵

 サンドラとセイラ王子が、息を切らせて部屋に駆け込んできた時、ジャンは熟睡に入っていた。

「すまない、みんな! 待たせてしまって!」

 サンドラの声に、ジャンが驚いて立ち上がる。

「な、なんだあ? ……ああ、サンドラ様か。もう少しゆっくりなさってよかったのに……」

 睡眠を邪魔されたジャンは、少し機嫌が悪い。

 サンドラはクラフトの横にあぐらをかいて座る。

「じゃあ、聞かせてもらおうか。何が起きたか」

 ジャンも大きな身体を丸めるように座った。

「いきなりですかい? この狭すぎる部屋も、その男らしい座り方も、未来の王太子妃としてどうかと、突っ込みどころ満載なんですが」

「狭い? ジャンがそのデカい態度を改めれば丁度良いと思うぞ。それに今は、王太子妃である前に一警護官さ」

 サンドラの言動に、セイラ王子とバザルが同時に言う。

「サンドラ様、カッコいい……」

 そして、二人は顔を見合わせて笑った。

 クラフトが話し始める。

「アルの家は川沿いの船着き場の近くにありました。家というよりボロボロの掘っ建て小屋です。初日は通りを挟んだ反対側に労働者の溜まり場になっている商業施設があったので、そこから監視しました」

「つまり、昼間っから飲んで、ボーッと通りを眺めてたって訳だ」

 ジャンの言葉に、クラフトが嫌な顔をする。

「掘っ建て小屋って?」

 セイラ王子は小声でバザルに聞いた。宮殿育ちの王子は掘っ建てを知らない。

「地面に直接穴を掘って柱を立てた建物です」

 バザルが説明する。

「それって、物置じゃ?」

「ええ。ですが、貧しくてそういった所に住んでいる者は大勢います。雨風が防げるだけ、まだましです。路上で生活しているような人もいますので」

 セイラ王子は、自分の知らない現実に驚く。

「……私も……セバスチャン様に救われる直前は、路上で暮らしていました」

 王子はバザルの言葉にショックを受けるが、サンドラも二人の近衛兵も、何事も無かったかのようだ。周知の事実だったのだろう。

 ――ボクだけ知らない……。

 その事が王子にはショックだった。

 クラフトは言葉を続ける。

「……二日目、つまり昨日の午後ですが、動きがありました。男が二人、アルの家をたずねて来たのです。一般市民を装っていましたが、ズボンもシャツも、浮き方が半端ない高級品でした」

「年齢は?」

 サンドラが尋ねる。

「恐らく四〇前後かと。アルの家からは、二、三〇分で出て来たでしょうか。後をつけると、雌鶏通りの宿屋へ入って行きました」

 ジャンの眼が光った。

「雌鶏通り? あのいかがわしい通りか?」

「そうさ。そこでプッシーキャットという宿屋に入って行った」

「宿とは名ばかりの女郎屋だろ?」

「そうさ。そこで俺もそこに潜入した」

「潜入? カッコいい言葉使いやがって」

 クラフトは、ジャンを一瞥して話しを続ける。

「ソイツら、一階の居酒屋で、随分長い間飲み食いしていました。会話は下世話な話ばかりでしたね。やがてヘベレケになると、スケベ丸出しで女のコを選び、部屋に上がっていきましたよ」

「そしてお前も、ケツの大きな女のコを選んでシケ込んだという訳だ」

 ジャンの言葉にクラフトが言い返す。

「サンドラ様の前で失礼な事を言うな。仕方ないだろ、あんな場所で一人で部屋に行ったら、怪しまれるだけだ」

「まあまあ、ムキになるなって。兵団の金でイイ思いができたんだ、恩恵に与れなかった者の戯れ言だよ」

 ――それって売春……。

 セイラ王子は思ったが、口には出さない。身近な者がそういった場所に出入りしているのもショックだったが、サンドラもバザルもただ楽しそうに笑っているのが、またショックだった。

 クラフトは、気を取り直して話を続ける。

「女のコに聞くと、こんな連中は一〇人程いて、入れ替わりに二、三人で時々来ると言っていました。金払いがいいので宿には上客ですが、扱いが乱暴だと女のコには不評でしたね。そのコは、ソイツらじゃなくて、俺のような紳士に付けてラッキーだと言っていましたよ」

「ハハハ。そりゃあぁ、お前が早くて楽な客だっただけだろ……って、スマン。言い過ぎた……」

 ジャンの茶々がまた入りそうになったので、サンドラが睨むと、ジャンは素直に謝る。

「次の日の朝、今朝の事ですが、二人は早く宿を出て乗り合い馬車に乗りました。行き先は、王都です」

「マジかよ?」

 ジャンの言葉が、そこにいる全員の言葉を代弁していた。

 クラフトは頷く。

「アルフレッサ王国の首都、ここグレンキャンベルに奴らの本拠地はあったのです。俺は居場所を確認した後、隣街に戻ってアルと会いました。二人は、暗殺が失敗しながら生きて戻って来た事を不思議がってたそうです。そして、もうひと仕事頼みたいので連絡を待てと言われて、金を置いて行こうとしたと。アルは、成功したらくれと言って返しました」

「何だか、気持ち悪いくらい予定通りだな。で、奴らの本拠地はどこなんだ?」

 サンドラの質問に、クラフトは立ち上がって窓辺に立った。そして、外を指さす。

「あそこです」

 そこには壮大な森林が広がり、遠くに大聖堂だけが頭を出しているのが見えた。

「なんだ、大聖堂しか見えねえじゃねえか?」

 ジャンが首を傾げる。

「それだよ。あのベニーユキーデ大聖堂が奴らの本拠地。奴ら、聖職者だったんだ」

 クラフトは答えた。



 戦国大名が群雄割拠した時代、大寺院は広大な寺領と多数の僧兵により、軍事、行政、経済全ての分野において、戦国大名並みの権力を手に入れていた。

 それらの勢力は、天下統一に向けて邁進する織田信長に対しても牙を剥く。浅井長政が信長に反旗を翻した事で、寺社勢力も反信長で決起した。

 それが比叡山延暦寺であり、石山本願寺であった。

 そして、これらの対立は、信長による比叡山焼き討ちという最悪の結末を迎える。日本史上最凶かつ残虐と語り継がれる事件である。

 寺領内に居た者は、女、子供も容赦なく殺された。ある者は生きたまま焼かれ、ある者は首を切り落とされる。

 その数、四〇〇〇人。

 信長は知っていたのだ。宗教の持つ脅威を。

 信者は、来世を約束すれば、簡単に命を投げ出す。そして、死を覚悟したものほど怖い者はいない。

 サンドラは、クラフトの話を聞き、前世でのこの事件を思い出した。

 ――信じるものの為に命を差し出すという意味では、侍も狂信的な信者も同じかもしれない……。

 サンドラは思う。

 思いながら木剣を振り下ろし、横木を打った。

「チェース! チェース! チェース!」

 サンドラは、ひたすら木剣を振り下ろす。東雲示現流の稽古法の一つ、横木打ちである。

 長さ二メートルほどの枝を何十本とまとめ、両端を荒縄で束ねる。そして、束ねた両端だけを腰の高さ程の台に乗せる。

 枝は一本一本が違う形状に波打っているので、それを束ねると枝の持つしなりと相乗し、打つとバネのように跳ね返すようになる。強く打つと、それだけ強く跳ね返す。

 この稽古を続けていると、身体が跳ね返りに負けなくなる。大事なのはイメージだ。横木ではなく、その下の大地を切り裂くイメージで行う事が肝心となる。

 筋力で打っては、どんなに力が強くとも、自らの力に弾き飛ばされる。剣のスピードと体重の移動、そして呼吸が一致した時、横木は木剣を受け入れ「く」の字に曲がるのだ。

 一見、ヒステリックに木を叩いているだけの稽古だが、近衛兵達はサンドラの実力を知っている。この稽古に何か秘伝がある筈だと、皆マネを始めた。

 当然、サンドラのように木剣はビシッ、ビシッと横木に食い込んではくれない。ボヨン、ボヨンと弾き飛ばされるばかりだ。自分でやってみて、始めてその難しさが分かる。

 この様子を、稽古場を通り掛かった近衛団長が見て言った。

「どうしたのだ、隊員達は……気でも狂ったのか」

 近くにいたジャンが答えた。

「そんな事ありませんぜ。このトレーニングで、全身が一致して連動する事の重要性が分かります。剣と全身と呼吸とがです。堅いだけの木材なら、力でへし折れます。しかし、柔軟な枝だとそうはいかない。ほら、あんな風に……」

 隊員の一人が横木に弾き飛ばされ、尻餅をついた。

「ところがほら、サンドラ様を見てください。あれが強さの秘訣ですよ」

 サンドラは、横木から数歩離れた。そして、最後の一撃とばかりに一層大きな気合いを入れた。

「チェーストォー!」

 近衛団長には技の起こりが見えなかった。サンドラが横木の前に瞬間移動した、そう感じだ。

 サンドラの身体は止まって見える。だが、手にしている筈の木剣が見えない。あまりの速度に眼が付いていかないのだ。

 野菜を包丁で切った時のようなサクッという音がした次の瞬間、木剣は地面に突き刺さっていた。

 横木は曲がる事もできずに二つに分かれた。「折れた」のではない、まさしく「切れた」かの様な跡だった。

「あーあ。あれじゃあ、オレら五人が真剣持って向かっても、あの魔女の杖みたいな木剣にやられちゃうな」

 ジャンが他人事のように言うのを、近衛団長は口を開けたまま聞いていた。


 いつの間にか、稽古場には誰も居なくなっていた。

 サンドラは長椅子に一人座り、汗を拭く。

 ジャンが水の入ったコップを持って来た。

「サンドラ様、どうぞ」

「あ……ありがとう」

「変わったスカートですな」

「これか? これはな『袴』というんだ。これを穿くと身が引き締まるぞ。穿いてみるか?」

「いや、結構。自分の体格じゃあ膝が出て、スコットランドの民族衣装みたいになってしまうんで」

「そうか。これはな、シルビアさんに作ってもらったんだ。彼女は素晴らしい女性だよ」

 ジャンは小指を立てた。

「ケイン様のコレですね。ですが、セイラ様の前でそれ言っちゃあダメですぜ。性別関係無しで、猛烈に焼き餅焼くから」

「ハハハ、気を付けるよ」

「で、考えはまとまりましたかい?」

「……お見通しだな」

「もちろん。オレらの様な脳と筋肉が連動しているような人種は、ジッとしてても考えはまとまらない。身体を動かさないと。サンドラ様もそうでしょう?」

 サンドラは首をすくめた。

「その通りさ。考えはまとまったよ。覚悟もね」

 ジャンが眉間にシワを寄せる。平静な表情のサンドラであるが、熱く感じる『何か』をジャンは感じたからだ。

「おーコワ。サンドラ様……もしかして、凄く怒ってます?」

 サンドラは、右拳を握ると真っ直ぐに突き出す。

「当たり前だ。セイラ様の命を狙った張本人は、聖職者だろうが許さない。この拳で、そいつ鼻を陥没させてやる」

 ジャンは、少しだけその張本人に同情した。

 これから降りかかるであろう惨劇に、少しだけ……。

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