第49話 侍魂

 貴族学園の卒業式ともなると来賓の数も多く、式典も長時間になるのだが、なぜかそれほど長いとは感じない。この三年間の思い出が鮮やかに蘇るからだろう。

 ワッツも、この三年間の事を思い返していた。

 教師に成り立ての頃は、それほど熱心な教師という訳ではなかった。それどころか、生意気な貴族の子女とはなるべく距離を取り、事なかれ主義で生きて行こうと決めていた程だ。

 ワッツにとって教師とは、食べていく為の手段に過ぎなかった。

 だが、公爵令嬢の落馬事故により、情況は一変する。

 令嬢の蘇生に成功した事で、周囲に英雄視されるようになった。しかも、その公爵令嬢が第一王子と婚約したものだから、それに拍車がかかる。

 ワッツは現在、公爵家ばかりか王家からも恩人として敬される存在だ。

 長兄からは、家督はお前にとまで言われた。六男坊でありながらである。

 しかし、ワッツは自覚していた。自分はそんなに大それた人間ではない。全ては公爵令嬢の温情のお陰である、と。

 落馬事故の時も、ワッツは教師として、サンドラの無謀な挑戦を止めるべきだった。第二王子に良いところを見せたいだけで、実力以上の難題に挑んだのは明らかだったからだ。

 だが、ワッツは事なかれを通し、事故は起きる。

 ところが、その後の展開はワッツの予想を越えた。

 一時は教職のクビも覚悟したワッツだったが、逆にサンドラより心からの感謝と尊敬を得る事になる。それも、ワッツが恐縮で頭が上がらぬほど熱烈なものだ。

 その時、ワッツは学んだ。人を成長させるのは信頼と期待だ。そして、それを言葉で伝える事が大切なのだ、と。事なかれ主義では、自分も生徒も成長する訳がない。

 ワッツは心を入れ替え、サンドラから学んだ事を実践するようになる。そして、生徒からも他の教師からも、広く尊敬を集めるようになる。その根本にあるのは、単に馬術や剣術を教えるだけではなく、心から生徒を信頼し、将来に期待するという事だった。

 人生において最も大切なことは、サンドラから学んだとワッツは思っていたのだ。

 気持ちを伝える機会こそなかったが、ワッツは心からの忠誠をサンドラに誓っていた。ドトール一派から魔女の濡れ衣を着せられた時も、自分より遥かに強い近衛兵団が付いているからと心配はしていなかったが、万が一にも兵団が倒れた場合、ワッツは最後の刃としてサンドラの為に死ぬ覚悟はできていた。

 だが、そうやってへりくだるのをサンドラは好まないのもワッツは知っている。自分が教師として接する事が何らかの支えになるのならばと、ワッツは己にムチ打って態度を貫いていた。

 その日も式典が終わった後、公爵令嬢は、とんでもない美青年を伴ってワッツの元へ駆け寄って来た。その美青年がこの国の第一王子である事を知らぬ者はいないだろう。

「ワッツ先生!」

 サンドラの声に周囲が振り向く。当然、第一王子と噂の公爵令嬢が駆け寄るあの人は一角の人物なのだな、という眼でワッツは見られる。

 ワッツは膝をつきたくなるのを必死に堪え、笑顔でサンドラと第一王子を迎えた。

「ああ、サンドラ様。式典では、素晴らしいスピーチでした。東洋の哲学については、卒業生の皆さんのこれからの人生において、良い指針となる事でしょう。学園の教師として、厚くお礼申し上げます」

 ワッツは軽く会釈するが、本当は土下座でもしたい気持ちである。

 サンドラは、はにかむ様に頬を染める。

「先生にそう言って頂けると光栄です。私は第一王子警護というお役目を

頂き、皆さんより半年早く卒業しただけで、とても先輩面できる立場ではないのですが……それより先生、ご紹介したい方が……」

 サンドラの後から、セイラ王子が進み出た。

 小柄ながら、もの凄い存在感。さすが次期国王とワッツは感服するが、ワッツの先入観が大半であるのは言うまでもない。

「……あの、私の婚約者でもあるセイラ様です」

 ワッツは驚いたフリをし、ようやく膝をつけると身を屈めようとした。

 しかし、セイラ王子はそれより早くワッツの手を取り、強く握った。

「ワッツ先生! ずっとお会いしたいと思っていました。先生は、ボクにとっても恩人です。もし、サンドラ様を助けて頂けなかったら、ボクは人生に絶望し、命を断っていたかもしれません。いくら感謝しても、感謝しきれないくらいです」

 思いがけない拍手が周囲から起きた。通りがかった人々が、事情は分からないが、第一王子が礼を述べているのだから凄い事に違いないと手を叩いたのだ。

「お、恐れ多い……わ、私はただ、教師として当然の事をしただけで」

 ワッツはシドロモドロにそう答えるのがやっとだ。

「本当はもっと早くお礼に伺いたかったのですが、サンドラ様が事件ばかり起こすもので」

 サンドラはニヤリといたずらっぽく笑うと、ドレスの腰の辺りを指先で少し持ち上げ、優雅にお辞儀をする。

「それについては、弁解の言葉もございません。小賢しい悪党どもは、叩きのめさないと気が済まぬ性分にございまして」

 これにはワッツの緊張も溶け、セイラ王子と声を上げて笑った。

 そうしている内に、パーティー会場へ移動するようにとの声がする。

 サンドラとケイン王子の前には案内係の在校生が男女でやって来て、二人はそれに付いて行こうとした。

「あっ、サンドラ様!」

 ワッツは慌てて声をかける。

「はい、先生」

「私は普段は教師ですが、魂はサンドラ様よりご教授頂いた侍のつもりです。忠義の為に死ぬ覚悟は今この時も出来ていますので、有事の際には必ずこのワッツをお呼び寄せください」

 サンドラは、感激に身を震わせた。

「ありがとうございます、ワッツ先生! 頼りにさせて頂きます!」

 伝えたい気持ちは口にしないといけない。

 ワッツはそう学んだのだ。

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