第48話 『公女シルビア』

 エメラーダ家で行われた婚約パーティーの翌月、次は貴族学園において卒業式が行われた。

 だが、当然ながら、サンドラによるシルビア暗殺未遂は起こらないし、ケイン王子とブレードによるサンドラの悪行断罪イベントも行われない。

 しかし、それらの事件が書かれた小説『公女シルビア』がサンドラの手により、その日の参加者全員に配られた。

 その内容には誰もが度肝を抜かれたが、サンドラの器の大きさを知らぬ者はいなかったので、友人が書いた本の話題作りを買って出た程度にしか思われなかった。

 そこで時の人となったのがジュエルである。『公女シルビア』は小説としての完成度も高く、配られた本にサインを求める列ができる程だった。

 臨時のサイン会が終了すると、ジュエルは上気した顔でサンドラの元を訪れた。

「サンドラ様! サンドラ様のお陰です。サンドラ様からアイデアを頂き、こんなに立派に製本して頂いたので、私、人気作家になった気分です」

「本当にそうなりますよ。今日の来賓である出版社の偉い方から、次の作品のオファーがもう来たと伺いました。頑張ってくださいね」

「そうなんです! 自信は有りませんが、精一杯頑張ります! 次の作品は、サンドラ様に捧げたいと思います。『公女シルビア』はサンドラ様のお言葉通り、未来の二人の侍に捧ぐ、としましたが、この意味を問われて何とお答えすれば良いのやら」

「フフフ、サンドラの戯れでとお答えください。それより、私のところにも『公女シルビア』増刷の話が来ていますよ。次は有料で販売し、収益は全てジュエルさんにお渡ししますから」

「そんな! そこまでして頂いては!」

「まあまあ。ジュエルさんのご婚約者様には、赤いヒゲが生えているらしいですから、どうぞ医院運営の足しになさってください(赤いヒゲ:赤ヒゲ先生として知られる江戸中期の名医、小川笙船のこと。貧しい人々を無償で治療した)」

「ヒゲですか? いえ、ヒゲは生えておりませんけど……ですが、良い機会ですので、ご紹介させて頂けますか?」

「ベネット先生に? 西洋の赤ヒゲ先生であるベネット先生に、ぜひお会いしたいわ」

「ですから、ヒゲも無ければ、赤毛でもありませんが……」

 ジュエルが手招きすると、お世辞にもハンサムとは言えないが、誠実そうな小柄な青年がカラクリ人形の様なギクシャクした足取りでやって来た。そして、深々と頭を下げる。

「サンドラ様、お目に掛かれて光栄です。ジャン・ベネットと申します」

「先生、どうぞお顔を上げてください。先生のご高名は常々伺っております。先日も私の大切な友人を救ってくださって、ありがとうございました」

「有り難きお言葉……しかしながら、ここしばらく高貴な方の診察をした記憶が」

「レナという小さな女の子です。高熱が出たところを、先生から頂いたお薬で助かったと。お母さんが泣いて感謝していましたよ」

「まさか、貧民街の……」

「ええ、エビータというお姉さんがいて、二人とも先生にお世話になっているそうですね」

「その通りでございますが……なぜ、その様なお知り合いが?」

「あの子達が私をどう思っているかは知りませんが……私にとっては孫の様なもの、かしら」

「孫? でございますか。娘ではなく?」

「ウフフ……」

 サンドラは曖昧な笑みでごまかす。

「……いずれにせよ、私は医学については無知なものですから、今後は先生のご協力を賜りたいと期待しているのですが」

「孤児院と初等学園開設の件ですね。私に出来る事でしたら、何なりとお申し付けください。微力ながら、我が国の為に貢献するとお約束致します」

「ありがとうございます。深く感謝申し上げます」

 ジュエルがベネット医師の袖を引っ張った。

「そろそろ……」

 振り返ると、サンドラに挨拶しようとする順番待ちの長い行列が出来ている。

「やや、これは大変。サンドラ様、今後もジュエル共々、よろしくお願い致します」

 サンドラから離れると、ベネット医師は大きく息を吐いた。

「はあぁー、怖かった」

「怖い? 何がですか?」

「サンドラ様ですよ。ジュエルさんは怖くないのですか?」

「次の王妃になる方ですから、緊張はしますけど怖いとは」

「慣れですかねぇ。魔王が実在したら、あんな眼だと思いましたよ。ザコキャラじゃなく、ラスボスです。それがサンドラ様の半身なのでしょう」

「あの、仰っている意味が……」

「いつかジュエルさんにお話した通り、サンドラ様は二つの人格をお持ちだと言う事です。ただ、以前はサンドラ様という個の中に二つの人格が存在していると考えていましたが、今は二つの人格によりサンドラ様という個が形成されていると考えています」

「それは同じことではないのですか?」

「いえ、この二つは同じ様で実は真逆なのです。個の中に二つの人格がいる場合、片方は負の感情で構成されている事が多い。虐待を受けた記憶、暴力や破壊の衝動、そういったものを片方に背負わす事で、もう片方は正常な社会生活を営む事ができる。しかし、負の感情を持った方が表に出た時、トラブルや犯罪を犯してしまう事があります」

「そんな恐ろしい事が……」

「ですが、二つの人格で個が形成されている場合、お互いの足りない部分を補い合っている事が考えられます。でないと、あれ程のスーパーレディーは存在し得ない」

「サンドラ様の二つの人格は、助け合う事で超人的な活躍をなさってきたという事ですね。だから記憶の欠損も無いと。ですが、人格が何人いようと、全員一七歳の乙女では高が知れているのでは?」

「さすがジュエルさん、人気作家だけある。飲み込みが早くて助かります」

「まあ、先生ったら、人気作家は止めてください。まだ、スタートに立ったばかりですから」

「ハハハ、ご謙遜を。で、これからは推測で私見になりますが、サンドラ様には勇者の霊が憑依したか、過去に勇者だった前世の人格が覚醒したのではないでしょうか」

「まあ。サイエンス的な話から、急にスピリチュアル的な話になりましたね」

「科学で全てが解明できる訳ではありません。サンドラ様もそうです。私としては、前世の人格が覚醒したのだと思います。聞いた話では、霊が他人に憑くのはやはり不自然な事で、元の肉体の拒絶反応が起こる可能性が高いらしいですから。輸血や臓器移植と同じですね」

「今のサンドラ様は健康そのものだから?」

「そういう事です」

 だが、聡明なベネット医師でも思いも寄らなかった。

 サンドラのもう一つの人格が、過去ではなく、未来からのものである事など……。

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