第57話 シェルブールの港

第二部 フランス革命編


「ようこそ、この世の地獄へ」

 シェルブール港へ到着し、船を降りた一行を出迎えたアルフレッサ王国大使ルブランの第一声がそれだった。

 サンドラは真っ青な顔で応えた。

「船の上以上の地獄で無い事を祈るわ」

 ブレードとエレデも立っているのがやっとだ。船酔いに苦しまなかったのは、エッジ一人だけだった。

 出航してしばらくはグレンキャンベルへ戻ると騒いでいたサンドラだったが、すぐにそれ所ではなくなる。

 天候に恵まれた船旅だったが、それでも波の荒い海域だ。船の激しい揺れに、三人は完全にグロッキーになった。

「地面の上なのに、まだ揺れている気がしますぅ」

 エレデは視点が定まらない。

 公爵令嬢とメイドが肩を組んで支え合っている姿に、ルブランは笑わずにはいれなかった。

「ククク……胸がスッとするハーブティーが飲める、船酔いの方には救世主のような店があるので、少し休んでいきましょう」

 サンドラは、フラフラと歩き始めた。

「この気分が少しでも良くなるなら、地獄へだって行くわ」


 高級そうな店なのだが、客に貴族はいないようだ。身なりは良いのだが、見るからに忙しげで、中には明らかに商談中のグループもいる。

――これがブルジョアという人種か。

 エッジは油断無く周囲を観察していた。

 そんなエッジに対し、サンドラら三人は、冷たいハーブティーをガブ飲みしている。三人とも胃液の最後の一滴まで吐き切り、脱水状態にあった。ハーブティーが全身に染み渡る。

「プハッー! 生き返ったわ。ちょっと、店のお方! お茶のお代わり頂けるかしら。今度はホットで。あなた達はどうする?」

 ブレードとエレデはまだ飲んでいる途中で、無言で頷いた。

 サンドラは店員に向かって三本指を立てる。

「三つね」

「かしこまりました」

 店員は忙しそうで、立ち止まりもせずに返事をした。

 ルブランは開いた口が塞がらない。だが、店員に対してではない。サンドラと三人の従者についてだ。

 大使としてフランスへ来て三年が経つ。だが、祖国の情報は逐一届いている筈だし、この少々お色気過剰な公爵令嬢が第一王子の婚約者、つまり次期王妃の最有力候補である事も知っている。そればかりか、実際に会った今でも信じられないのだが、アルフレッサ最強の剣士らしい事も……。

 なのにだ。メイドは次期王妃の隣に当然のように座り、護衛の二人は前の席で自宅のようにくつろいでいる。船酔いしていなかった方の護衛など、偉そうに足まで組んでいるではないか。

 それどころか、お茶の注文まで主人にやらせるとは……いったいアルフレッサ王国に何があったというのか?

 サンドラはお茶のお陰か、顔色が少し戻っている。

「ルブランさんもお掛けになって。一人で立っていると、私がイジメているみたいじゃない」

「はあ……では、お言葉に甘えまして……」

 ルブランは、座りながら言葉を続けた。

「……今後の予定ですが、変更はございませんでしょうか?」

 エッジが答えた。

「はい。まずベルサイユ、それからパリへ行く予定に変更はありません」

「ベルサイユ宮殿はもぬけの殻ですよ。賢い貴族や取り巻きは、バスティーユ襲撃の直後に宮殿を逃げ出して亡命しました。昨年一〇月に国王一家がパリに連行されてからは国民衛兵団が管理していますが、まあ名ばかりです。金目の物は略奪され、内部は荒れ放題と聞いています」

 エッジは周囲をグルッと見回し、小声でルブランに尋ねた。

「このような事を、大声で話しても大丈夫なのですか?」

「構いません。フランス人にとってアルフレッサは辺境の小国、まずアルフレッサ語がわかる者はおりません。今や我が国は、内乱続きのフランスより、よほど豊かなのですがね。それに、ここいるのはブルジョワジーばかり。例えフランス語で話していたとしても、自分のビジネスに夢中で他人の事など気にもかけないでしょう……」

 そして、自分のお茶を一口飲んで言った。

「……フランス国王一家を庇護するような事さえ言わなければ、ですが」

 サンドラは、お茶のお代わりが来るのを待ちきれず、エッジの飲みかけのティーカップに手を伸ばしながら言った。

「わかりましたわ。それでもベルサイユには行かねばなりません。フランスの宮廷文化に憧れる、辺境から来た色気ばかりでおバカな悪役令嬢。おだてれば、気前よくお金を落としていく、都合の良い金ヅル。わたくしを、国民衛兵団にそう印象付ける必要があるからです」

 サンドラがエッジのお茶を飲み干すと、エッジは悲しそうな顔をした。

 ルブランは自分の膝を叩く。

――そうか! 名優は舞台の幕が開く前から演じる役に入り込むという。この方も、すでに従者からもバカにされている頭の足らないおのぼりさんを演じている訳だ。この令嬢の国王一家からの信頼は絶大だと聞くが、こういった所に理由があるに違いない。

 これは一本取られたなと感じながらルブランは言った。

「確かにこれから、国民衛兵団は我々の最大の障壁になるでしょう。数も武力も無いに等しい我々が計画を成功させるには、敵の油断を突くしかありません」

 空になったカップをソーサーに戻しながらサンドラはつぶやく。

「まあ、今の私は、本当に何の取り柄もないタダのおバカなのだけれど……」

 その瞬間、横に座っていたエレデと正面に座っていたブレードが同時にサンドラの口を塞いだ。

 ルブランが眼を丸くする。

「何がいったい?」

 エッジは空になったカップを見つめながら言った。

「お気になさらずに。この通り、私たちのチームワークは完璧です」



 馬車は四人乗りだった。

 ルブランは自分の馬に跨がり、先頭を歩いている。

「美しい街ね……」

 サンドラは、車窓からの街並みを眺めながら言った。

「……せっかく来たのに、ただ通り過ぎるだけだなんて、もったいないわ」

 正面のエッジも、外を眩しそうに見ていた。

「シェルブールは、恐らく世界最大の人工軍港です。この港を建設したのは他ならぬルイ一六世で、これからの軍事における海軍の重要性を理解していたのでしょう。今はこの通り、街を歩いているのは軍人より武器商人の方が多い有様ですが」

「へえ。ルイ一六世、ヤルじゃない。でも、外は固めても、内は脆かったという訳ね」

 サンドラの言葉に、エッジも頷く。

「ところで姫様。姫様の船酔いでウヤムヤになってしまいましたが、もう一人の姫様の出現が今後も見込め無いのであれば、本当にこのまま観光のみで帰国するという選択肢もありますが」

 今度は、ブレードとエレデがエッジの言葉に頷いた。

 ところがサンドラは、開き直ったかの様に胸を張る。

「バカ言わないで。国のお金を使ってここまで来たのよ。帰るなら私がベソかいた時に引き返してほしかったわ。何を今さら」

 船酔いが醒めてきたサンドラは、今や祖国を離れた寂しさより、生まれて初めて外国へ来たという高揚感の方が勝っていた。旅行に行った開放感でハメを外し、後で痛い目を見るのがこのタイプである。

「まあ、最初から計画らしい計画では無いし、逃げ帰るのは命の危険を感じてからで良いのではなくて」

 シャアシャアとのたまうサンドラに、あの号泣は何だったのかとアッケに取られるエッジら三人だった。

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