第61話 マルシェでの出来事

 次の日、エッジとルブランは、朝から国民衛兵隊の連隊長との面会に、チェイルリー宮殿へと向かった。

 昨日、ベルサイユ宮殿を案内してくれた小隊長から話は入っている筈で、後はフランス国王訪問の日程と段取りを決めるだけだ。

「問題は会った後よ。そう何度もお会いできるとは思えない。私に頑固で有名な国王を説得できるかしら。それも、監視の眼を欺きながら……」

 サンドラは、鏡に映った自分に語りかける様に言った。

 エレデは、サンドラの髪を解かしながら答える。

「サンドラ様なら、きっと大丈夫です。ボクが保証しますよ」

「ありがとう。そうね、まずは自分を信じないと……それにしてもエレデ、あなたどこからどう見ても本物のメイドだわ。板に付いているというか何というか」

 エレデは、嬉しそうに頬を染めた。

 サンドラは、再び鏡に中の自分を見つめる。

「侍のアイツが表に出ていた時、私は鏡の向こう側にいたのよ。やがて、鏡を介してアイツと話ができるようになって、そのうち一日数時間だけ自分に戻れるようになった。今から考えると、それがアイツに無理をさせていたのかしら……」

 エレデは黙って髪を解き続ける。

「……私、表に戻ってくるんじゃなかった。だって、セイラ様が本当に愛しているのはアイツの方だし、アルフレッサの国民が慕っているのもアイツだわ。私はアイツみたいなこと何もできないし、弱い者イジメしかできない悪役令嬢なのよ」

「そんな事はございません。サンドラ様は優しいお方です」

「でも、エレデだってアイツの方が好きでしょ?」

「それは、太陽と月とどちらが大切かと聞くようなものです。どちらが無くても、この世は成り立ちません」

 サンドラは突然立ち上がった。

「ありがとう、エレデは優しいわね……もういいわ、少し一人にして頂けるかしら」

 エレデは、サンドラの部屋を出て行くしかなかった。


「そりゃあ、かなり重症だな」

 サンドラの部屋を出たエレデは真っ直ぐにブレードの部屋を訪ね、今し方の事を伝えると、ブレードは腕を組みながらこう言った。

「どうしたら良いでしょうか?」

「そんなのアレだよ、気分転換するのが一番いい。みんなで散歩にでも行くか。街の視察も兼ねてさ。馬車から見下ろすだけじゃ見えないものが見えるからな」

「しかし、サンドラ様が街を歩いたら、悪目立ちしませんか? それでなくても、ここでは貴族への風当たりが強いのに」

「だからさ、エレデのメイド服を一つ、サンドラ様にお貸しするのさ。背丈は同じくらいだし。サンドラ様に、庶民の開放感を味わって頂こうじゃないか」

「なるほど! それは良い考えです」

 二人はすぐに行動を起こした。

 ブレードがサンドラにメイド服を着ての散歩を提案すると、最初こそ渋ったが、直ぐに首を縦に振った。

 メイド服を着ていると気分も高揚してきたのか、表情も明るくなっていく。

「エレデのメイド服、胸が苦しいわ。ねえ、変じゃない?」

「とってもお似合いです。胸が苦しいのは仕方ありません。ボクは男ですから」

 着替えが終わって出て来たサンドラを見てブレードは驚いた。大きな胸が、ことさら強調されて見える。

「わぉ……」

 小さな声を上げて胸を凝視するブレードにサンドラは言った。

「ブレードのエッチ」

 フロントでは、支配人が眼をクルクルと回しながらサンドラに声をかけてきた。

「まあ、サンドラ様! お忍びでパリ観光ですね。メイド服をセクシーに着こなされて、とってもステキでございます」

「ありがとう。パリの日常を見てみたいの。どこがいいかしら?」

「マルシェ(市場)などいかがですか? アンシャン・ルージュは、一五〇年以上の歴史があるマルシェです。美味しいものが沢山ございますよ。マレ地区にあって、ここからですと歩いても行けますが、辻馬車も走っています」

「いいわね。そこにするわ」

「スリには十分お気を付けください。最近は治安も決して良いとは言えません。ですが、そちらの騎士様がいらっしゃれば心配はございませんね」

 ブレードが鼻で笑った。

「オレはアルフレッサ王国第二の剣士です。そこいらのゴロツキなど、話になりませんよ」

「ホー! という事は、第一の剣士様は、朝方外出なされたイケメンの剣士様でございますね?」

「いえ、エッジさんは三番目です。エッジさんに言わせたら、自分が二番でオレが三番かもしれないけど」

「ホホホ、それは頼もしい方ばかりで。ところで、アルフレッサ王国最強の剣士様はどなたでございましょう?」

 ブレードとエレデが、同時に左右からサンドラを指差す。

 支配人は一瞬キョトンとしたが、大きな声で笑い出した。

「オッホッホッ! 確かに、美しい御令嬢に敵う殿方はおりませんですね」

 サンドラは、ウンザリした調子でブレードとエレデに言った。

「二人とも、もう以前とは状況が違いましてよ。わたくしはもう、最強どころか、剣士でもないのですから」

 先にブレードが頭を下げた。

「申し訳ございません、サンドラ様。以前サンドラ様と手合わせして、一本も取れずに敗れた時の印象があまりにも強くて……」

 続いて、エレデも頭を下げた。

「ボクも、教会騎士団の一〇人を一瞬で倒した時の事が忘れられなくて」

 支配人は、ホテルを出て行く三人を唖然と見送った。

 その時、ロビーで新聞を読んでいた、いかにもブルジョアといった身なりの紳士が、支配人に話しかけた。

「支配人。もしかして、今出て行った方々は、アルフレッサからお忍びで暇潰しに来ているという……」

「ああ、バンナ様。ええ、次期王妃であられるサンドラ様ですよ。お忍びでなければ、大々的に公表して当ホテルの宣伝に利用したい所なのですが……別に口止めもされていませんので、尋ねられたらお答えしております」

「これは良い話を聞いた。何とかしてお近付きになり、私のビジネスの役に立てたいものだが……」

「どうぞ。私どもは、止めもしませんし、中継ぎも致しません」

「冷たいなあ。そこを何とか、顔繋ぎを頼むよ……」

 バンナは紙幣を数枚、ソッと支配人に握らせた。

 支配人は、素早く金額を確認する。

「魅力的なご提案ではありますが、コレだけでは……」

「では、次期王妃に関わる面白い話をオマケにどうかな?」

「ほう、内容次第でございますね」

「あの護衛の騎士とメイドが言っていた話ね、本当だよ」

「えっ? そんなまさか……」

「ウチがアルフレッサと貿易をやっているのは知ってるだろう? あの姫様ね、国民から神様並に崇められているんだ」

 支配人は、眼をギョロギョロとさせるだけで言葉が出ない。

「あんな色気ばかりの小娘がなぜ? といった顔だな。まず、途方もなく強いらしい。国家転覆へ暴走した教会騎士団を、一人で壊滅させたという話だ。それも、一人も殺さずに全員峰打ちだったと。近衛兵に稽古をつける時は、毎回五人単位で同時に打ち込ませるんだと。それでも近衛兵は、毎回半殺しの目に会うらしい」

「そんなバカな……」

「バカなもんか。だからあの姫様は、まず第一王子の警護筆頭になった。それで、強くて美しい姫様に第一王子は夢中になり、婚約に至ったって訳だ」

 多少の誇張はあったが、バンナの情報は概ね正確だった。

「それだけじゃない。大の子供好きで、全国に孤児院と初等教育の学校を造っている。国民に愛される訳さ。面白いのが、その建設に当たらせているのが、姫様自身でこっぴどくやっつけた罪人どもなのさ。しかも、能力の有る者は、それなりの要職に就かせている。次に失敗したら文字通り首が飛ぶからね、そりゃあ罪人ども必死だよ」

「なるほど……きっとサンドラ様は、信心深いお方なのですね」

「それが、そうでもないらしい。立場上、教会の儀式には顔を出すが、いつも眠たそうな顔をしているそうだ。アクビを噛み殺している姿は、半分名物みたいになっているよ。こういった、最近の十代の女の子らしい所も、国民に愛される理由なんだろうな」

 支配人は何度も頷き、バンナから渡された金を胸の内ポケットにしまった。

「いや、良いお話が聞けました。バンナ様のお話を聞いていなければ、私はあの方を、ただ金払いの良い有閑令嬢としか思っていませんでしたよ。よございます。ご紹介いたしましょう」

「そうか! ありがたい。よろしく頼むよ」

「但し、いきなりサンドラ様とはいきません。まず大使の方を通じて、という事でよろしいですか?」

「もちろんさ。恩に着るよ」

 バンナの頭の中では、早速取らぬ狸の皮で算用を始めていた。


「ギャー! また馬のフン踏んじゃったよお」

 サンドラが情けない声をあげた。

「ボクもですぅ。パリの道は、思いがけず汚いですね」

 つま先立ちで恐る恐ると歩く二人を、膝下まであるブーツを履いたブレードは笑った。

「走っている馬車の数が、グレンキャンベルとは桁違いですからね。しかも、気温と湿度のせいで、馬のションベンもクソもなかなか乾かない」

「だからなのね、靴磨きの数がとても多いのは」

 サンドラは周囲を見回して言った。

 マルシェは活気に溢れていた。革命の真っ直中であろうが、人々の腹は減る。服や雑貨も無いと生きて行けない。

 そこには、逆行に立ち向かう人々のたくましい息吹があった。

「まあ、なんてチャーミングなメイドさん達だい。男前の兵隊さんも、ウチのお菓子、食べていきなよ。美味しいよ」

 三人は、屋台の元気一杯のおカミさんから声をかけられた。

 手の平サイズの焼き菓子だ。表面がデコボコに焼かれて湯気を上げている。

 エレデの眼が輝いた。

「いい匂い。初めて見るお菓子です」

 サンドラが、焼き機を上から覗き込んだ。

「ベルギーのワッフルね。食べた事あるわ。とっても美味しくてよ」

 おカミさんは不思議そうな顔をする。

「ワッフル? 何だい、それ? これはね、この国のゴーフルというお菓子さ。お客さん達、外国の人かい?」

 エレデが笑顔で答える。

「ええ、アルフレッサから」

「あらま、そんな遠くから。こんなベッピンのメイドさんに兵隊さんまで連れて、ご主人はさぞお偉い貴族様なんだろうね……」

 それから声を潜めて言った。

「……だけど気を付けなよ。この国では今、上級貴族への風当たりが強いから」

 サンドラも笑顔で答えた。

「ありがとう、ご主人様に伝えておくわ。それと、そのゴーフルとやらを三つね」

「まいど! 持ち帰るより、今アツアツを食べた方が美味しいよ」

 三人は一つずつ受け取ると、ブレードとエレデは迷わずソレにかじり付いた。

「うん、こりゃ美味いわ」

 ブレードが満足げに言うので、ためらっていたサンドラも一口食べる。

「美味しい! わたくし、食べ歩きは初めてですけど、素朴なお菓子が最高に美味しく感じますわ」

 何と、サンドラが一番最初にゴーフルを食べ終わった。手をパンパンとはたく。

「この事はミス・セリーヌには内緒でしてよ」

 もし知られれば、厳しいお叱りを受けるのは確実である。サンドラは、唇の前に人差し指を立てた。

 すっかりご機嫌になったサンドラが市場の散策を進めていると、新聞を売っている店があった。おびただしい種類の新聞が台の上に並べられて売られている。

 エレデが驚いた。

「これ、全部新聞ですか?」

 サンドラは少々呆れ気味だ。

「フランスでは毎日の様に新聞社の数が増えて、販売競争が激しいとは聞いていたけど、ここまでとはね……これで何が起こるかわかる?」

「さあ、さっぱり」

「売るために各紙とも嘘と大袈裟のオンパレードになるのよ。報道の倫理より、販売部数が優先される。エレデはお店の人に聞いて、売れ筋を五紙ほど買ってきてくださる?」

「かしこまりました」

 エレデが離れた後、ブレードがサンドラの隣に立った。

「淫乱な妖婦マリー・アントワネットと愚鈍な大食漢ルイ一六世……か。しかしまあ、表を見ただけで内容が想像できますね」

「ヒドいものだわ。有ること無いことではなく、無いこと無いことね。王族に怒りを向ける事が庶民の娯楽になってる。こんなバカバカしいゴシップが王と王妃をギロチンまで追い詰めて行くのよ。納得したわ」

 サンドラは怒っていた。

 ところが、そのサンドラの怒りに油を注ぐ出来事が、眼の前で起きる。

「離せ、このガキ! 離せと言っているだろう!」

 大声の方を見ると、身なりだけは立派な男に、みすぼらしい少年が追いすがっていた。

「靴磨きは二ソルなんです。一ソルしか頂いていません!」

 この会話を聞いただけで、何の騒ぎか察する事ができた。

「何でお前みたいな小僧に大人と同じ金を払う必要がある? 力も弱いくせに」

「靴磨きに力は必要ありません。靴だって大人がやったのと同じくらいキレイです。残りの一ソル、払ってください!」

 面倒になった男は、少年の胸を強く蹴り飛ばした。

 少年は、ゴロンゴロンと二回転して地面に倒れる。

「しつこいぞ、ガキ! 一ソルは払ってやってるんだから、ガタガタぬかすな!」

 そう言うと、男は少年にツバを吐きかけた。

 見兼ねたブレードが男に向かって一歩踏み出した時、サンドラはブレードの胸の前に右腕を差し出して止めた。

「ブレード殿、貴殿が出れば騒ぎが大きくなる。拙者が行くので、少年を頼む」

 そう言うと、サンドラは男に向かって歩き始めた。

 ブレードは、覚えのある威圧感を発する後ろ姿に、あの侍が戻って来た事を確信した。

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