第15話 婚約の儀

 会場の巨大な扉からサンドラが姿を現した時、その凛とした美しさと気品ある佇まいに、会場内はどよめきに包まれた。

 アルフレッサ王国最強剣士の一人と謳われたブレードを打ち倒し、近衛兵団最強の五人をまとめて瞬殺した女剣士。その容貌は、神話の怪物であるスルトかテュポーンの様であると語られていただけに、その驚きは尚さらだ。

 荘厳な曲の演奏が始まる。

 サンドラとエメラーダ公爵は一礼すると、雛壇まで続く鮮やかな赤い絨毯の上を歩き出す。

 サンドラが前を通る時、人々はその美貌に溜め息をもらした。そして、洗練された歩き方に、この方は王妃になるべくして生まれてきたのだという思いを強くした。

――みんな私を見ている! みんな私に夢中になってる!

 サンドラは至福の中にいた。同時に、この場を譲ってくれた鉄造に感謝した。

――まあ、鉄造では緊張のあまり、途中でつまずいて転んだでしょうけど。

 雛壇の下にはセイラ王子がいた。笑顔でサンドラを迎える。

 サンドラが父親の肘から手を離すと、王子が右手を差し出した。サンドラはその手に左手を重ねると、共に雛壇へと上がった。

 壇上に立った時、割れんばかり拍手が起こった。

 恍惚感に包まれたサンドラは式場を見回す。

 人々の眼がサンドラを歓迎しているのが分かった。

――私はもう悪役令嬢ではありませんわ! この国の民を導く次期王妃の片割れですのよ!

 単に有頂天になっていただけではない。その責任の重さに身が引き締まっていた。

 そして、貧乏侍根性が抜けない鉄造を、王室の一員として恥ずかしくないよう、精一杯支えると心に誓う。

 雛壇前の最前列では、エメラーダ公爵が涙を浮かべて愛娘を見上げていた。

 国王が右手を挙げる。

 会場は瞬時に静まり返った。

 腹に響く太い声で、国王は語り始めた。

「我々の祖先は、世界は平らだと信じていた。果てには壁だか絶壁だかがあり、とにかく終わりがあると。ところが、世界は丸かった。正直な所、それを確認しに行った冒険者達がいなければ、余は今でも信じられん所だ。何と言っても、まだ外から世界を眺めた事が無いのでな」

 会場に笑いが起こる。

「新しい燃料が発見され、新しい機械が発明される。これから世界はますます小さくなるだろう。距離的にではない、時間的にだ。いずれ我が国の裏側にある国へ、僅か数日で行けるようになる。もはや、隣国だけに気を配る時代ではないのだ」

 国王は人々の顔を見回した。

「これからは戦争も世界規模になるだろう。貿易も一層さかんになる。情報を早く、正確に手に入れた者が覇者となるのだ。そして、そんな時代を切り開くのは……」

 国王は、セイラ王子とサンドラを指し示した。

「……この二人のような若者であろう。時代は変わる。諸君らは、ここにいるエメラーダ公爵家のサンドラ嬢が、セイラ王子の右側に立っているのにお気付きだろうか? 通常、男女で立つ時は、男が女性の右に立つ。言うまでもなく、左手で女性を守り、右手で闘う為だ。私と王妃の様にな」

 国王は、左手で王妃をかばい、右手で剣を振るう真似をする。

「では、なぜこの様な位置に立っているのか。それは、我が国の王子は二〇歳で結婚するしきたりであるが、それまでサンドラ嬢はセイラの婚約者であると共に、専属の警護となるからだ。この立ち位置はつまり、サンドラ嬢がセイラ王子を守る事を意味する」

 実は、サンドラは促されてそこに立っていただけで、立ち位置にそのような意味がある事を知らなかった。鉄造の記憶にあった日本古来の風習では女性は右側なので、何の違和感も無く右に立っていたのだ。

「この美しき姿に惑わされてはいけない。彼女は内に獅子を秘めたる、我が国最強の剣士だ……まあ、余は彼女が実際に闘っている所を見ていないので、世界が丸いのと同じくらい信じられんのだが」

 再び笑いが起こった。

「男が女に守られるという事に、正直、余の様な年寄りは抵抗がある。しかし、強い者が弱い者を守るというのは自然の理(ことわり)であろう。そうでなければ、ここにいる男全員、彼女にとっては邪魔なだけの存在になる」

 笑いは爆笑となった。国王は再び右手を挙げてそれを止めた。

「性別が人を守るのではない。力が人を守るのだ。但し、正義無き力は暴力となる。剣は磨いたら鞘の中に納めておくのが良い。剣を抜くのは、愛する者を守る時だけで良いのだ。その意味について、我が王国の民は皆、エメラーダ公爵とサンドラ嬢に学ぶ必要があるだろう」

 こぼれた涙を拭いていた公爵は、突然名前を呼ばれて慌てて背筋を伸ばす。

「公爵家の剣がこれほど強い事を、つい最近まで誰も知らなかった。全く、驕らないにも程がある。しかも、当主は余に身の危険がある時以外、たとえ自分の命が危なくとも剣を抜いてはならぬ定めなのだそうだ。それを聞いた時、余はとても感動した。どうか、彼に拍手を!」

 拍手が沸き起こり、公爵は冷や汗を拭き拭き頭をペコペコと下げる。

「そして、サンドラ嬢。彼女は幼少より、山中の飢えた狼と闘う事で剣の腕を磨いたという。この美しい顔に傷一つ無いのは、強さの証なのだ」

 場内がどよめいた。

「まあ、その辺の詳しい話はエメラーダ公爵に直接聞いてもらうとしよう。今日は何と言っても、セイラ王子とサンドラ嬢の婚約を祝うする式典なのでな」

 公爵の顔が青ざめるのがサンドラにわかった。調子に乗って喋ったホラ話が、全国に広まった瞬間だった。

「それでは諸君!」

 国王のその言葉を合図に、発泡性ワインのボトルの栓を抜くポンポンポンという軽快な音が場内に響いた。杯へと注がれた発泡性ワインは、使用人達により瞬く間に来賓へと配られる。もちろん、壇上の四人にも手渡された。

 国王は、杯を頭上に掲げた。

「この国を新しい時代に誘いでくれる若きセイラ王子とサンドラ嬢の婚約、そしてアルフレッサ王国の繁栄を祝して!」

 会場内の者が一斉に声を揃えた。

「乾杯!」


 それからが大変だった。

 サンドラとセイラ王子が雛壇を降りると、二人に挨拶しようとする貴族や豪商達が次から次へと押し寄せる。

 最初はサンドラも、顔と名前を覚えようと努力した。サンドラの記憶は、そのまま鉄造の記憶となる。今覚えておけば、後々鉄造の為になるだろう。

 だが、途中で諦めた。とても覚えきれる数ではない。しかも後がつかえているので、二言三言、言葉を交わすだけである。印象にも残らない。

 挨拶も会話も機械的になり、サンドラは次の人物にも同じ挨拶をした。

「はじめまして。エメラーダ公爵家の長女、サンドラでございます」

 すると、額をいきなり指で弾かれた。

 思わず声を上げる。

「イタッ!」

「何が、はじめまして、だ。学園で毎日顔を合わせているのに」

 ケイン王子だった。ブレードも後で笑っている。

 サンドラの人格としては久しぶりの対面だ。女を武器に色気で攻略しようとしていただけに、何ともバツが悪い。

 だがケイン王子的には、鉄造覚醒後の爪を隠す有能な鷹のイメージが既に定着しており、まさかサンドラがそんな思いでいるとは想像にもしていない。

「兄上、サンドラさん、ご婚約おめでとうございます」

 セイラ王子も嬉しそうだ。

「ありがとう、ケイン。あの……色々迷惑掛けたね」

「全くです。迷惑掛けられっぱなしでした。その分、立派な国王になる事で返して頂かないと」

 ハイヒールを履いたサンドラと釣り合わせる為、セイラ王子も踵の高いブーツを履いているのだが、それでも身長はケイン王子の方がはるかに高い。セイラ王子の童顔もあり、兄弟は逆転して見えた。

「もちろん。サンドラ様もいてくれるし、精一杯がんばるよ」

「期待しています。サンドラさん、兄をよろしく。ではまた、後ほど」

 今日ばかりはセイラ王子とブレートも口ゲンカする事なく、穏便に離れた。

 その後も挨拶は続き、これが王族かと骨身に染み出した頃、サンドラ好みの渋い中年が二人の前に立った。

――あら、カッコ良い。どちらのおじ様かしら。

 ありきたりの挨拶を交わした後で男は言った。

「私はシルビアの養父でして、サンドラ様には娘が大変お世話になっており……」

「シルビアのお父さん?」

 サンドラは、つい叫んでしまう。

 セイラ王子にとっても、シルビアの養父は好みだったようだ。急に目付きが変わる。

「あら、シルビアさんのお父様なの? ホントに良いコですね、シルビアさん。今ではケインもベタ惚れですよ」

「はい、ケイン様には通学の送り迎えまでして頂いて……もちろん、娘には身にそぐわぬ期待はするなと言い聞かせておりますが……」

「男爵様……」

 サンドラは人差し指を立てると左右に振った。鉄造の記憶にあった、坂本龍馬という男の癖である。

「……愛し合うのは外野ではなく、お二人。恋の行く末は、黙って見守らなければ野暮と言うものですわ」

「しかし、シルビアは孤児の出。とても王子のお相手などには」

 サンドラはバザルの事を思った。

「わたくしがセイラ様と婚約しましたのは、ただ自分の愛を成就させる為だけではございません。この国から、生まれや肌の色による差別を無くす為でもありますわ。男爵様にも、どうか私の手助けをお願い致します」

 男爵は、サンドラの言葉に強く感激した様だった。

「はい、必ずやサンドラ様のお力になりたく存じます。それにしても、サンドラ様はシルビアが言った通りのお方でした。セイラ様がお選びになった訳も、国王様が期待する訳も、この短い時間で全て理解致しました」

 セイラ王子もサンドラを見て呟いた。

「サンドラ様……やっぱり、ステキ……」

 しかし、鉄造が覚醒するまでは生まれに強く固執し、シルビアをイジメていたのは、何を隠そうサンドラ自身である。

「それではセイラ様、サンドラ様、これからも親子共々よろしくお願い申し上げます」

 そう言って離れていく男爵を、うっとりとした眼で追っていたセイラ王子を見て、サンドラはイラッときた。

 お尻を強くツネる。

「ツゥ!」

 セイラ王子は驚いてサンドラを見た。

 サンドラは、精一杯の怖い顔で言った。

「セイラ様は浮気性でございますのね」

「いや、そんなつもりじゃなくて。シルビアさんのお父様、ちょっとカッコ良かったから」

「それ、墓穴掘ってましてよ」

「あ、ごめんなさい。でも、私がお慕いするのは本当にサンドラ様だけで……」

 慌てふためくセイラ王子に、サンドラは堪えきれずに声を上げて笑ってしまった。

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