第14話 サンドラ、再び

 そこは、セバスチャンが婦人専用というだけあって、女性が喜びそうな部屋だった。

 部屋に入った瞬間、正面の壁にある巨大な鏡が眼に入る。サンドラの全身を隈無く映していた。

 中央には、横になって眠ってしまえば最後、二度と眼を醒まさないのではないかと思える程ふかふかのソファー。テーブルには、小皿の上に上質の紙に包まれた小さな玉が無造作に積まれている。

 サンドラはその一つを手に取り、紙を取ってみた。ピンク色のガラス玉のような物が出てきた。

 匂いを嗅ぐと、ほんのりと甘い香りがする。口に入れると、その上品な甘酸っぱさに、身を震わせて感激した。

――ああ、これが母上とフランが話していたキャンディとか言うやつだな。

 飴は江戸でも縁日などで売られる高級品だったが、この世界でもなかなか手に入らない代物なのだろう。しかし、この宝石のような輝きはどうだ。

 そんな高級品がテーブルの上にポンあり、サンドラはさすが王室と感心する。

――おっと、こんな事をしている暇は無かった。

 サンドラは、キャンディで片頬が膨らんだまま、鏡に映った自分に向かって声を掛けた。

「サンドラ」

 返事は無い。

「おい、サンドラ!」

 鏡の中のサンドラがようやく反応する。

「あら、わたくし?」

「他に誰がいる」

「あなただってサンドラでしてよ」

「では、二人の時は鉄造と呼んでくれ」

「よろしくてよ、鉄造。だけど、もう少しこのキャンディを味わせて。あなたったら、甘い物を全然食べないんだから」

「これからは、意識して食べるようにするよ。それより、入れ替わるぞ」

「えっ?」

「婚約の儀だ。晴れの舞台には、やはりサンドラが出た方が良い」

「それは出たいのは山々ですわ。だけど、何度試しても無理でしたのよ」

「坐禅を組む」

「ざぜん? ああ、鉄造が前世で、稽古の合間に座ってボーっとしてたヤツですわね。暇潰しでしょ」

「暇潰しなどではない。精神統一すれば、無念無想の境地に達っし、気は深く沈む。そうすれば、サンドラの自我が浮かび上がれる筈だ」

「本当ですの?」

 鏡の中のサンドラが、期待で眼を輝かす。

「わからん。思い付きだが、やってみる価値はある」

「何だ、思い付きですの……」

 鏡の中のサンドラは露骨に落胆した顔をしたが、鉄造のサンドラは構わずにソファーの上で胡座をかいた。右の手のひらを上にして左手を重ね、両親指同士をほんの僅かに離す。

 身体をユラユラと揺らして腰を安定させ、薄目を開けて呼吸を整えると、気を丹田(へそ下三寸の位置)へと落としていった。


「……ラ様……ドラ様……サンドラ様」

 誰かに呼ばれる声でサンドラは我に戻った。

 自分の顔や胸を触ってみる。

「やった……私、元に戻ってますの……」

 サンドラを起こした若いメイドが不思議そうな顔をした。

「えっ? どこからお戻りですか?」

「ううん、何でもないの」

 若いメイドは上品に笑った。さすが王宮のメイド、笑顔も上品だと、サンドラは妙な感心をする。褐色の肌、恐らく異国の血が混じっている。

「不思議な姿勢でお眠りだったのですね」

「違うの、眠っていたのではなくて、あれは坐禅でしてよ」

「ざぜん?」

「そう、坐禅。東洋の暇潰し。で、あなたは誰かしら?」

「バザルと申します。宮殿にいらっしゃる時は、わたくしがサンドラ様のお世話をさせて頂きます。よろしくお願い致します」

「あら、そうですの。でも、私も宮殿にいる時はセイラ王子の警護だから、あなたに世話になる事はあまり無いと思いますわ。でもまあ、仲良くしましょうね、バザル」

 サンドラは、そう口にしながらも思っていた。

――違う。昔の私なら絶対こんな風には考えない。やはり、鉄造の影響ですわね。

 メイドでも誰でも、使い倒すのが以前のサンドラのやり方だった。人種差別の意識も強く、白人以外のメイドは認めなかっただろう。

――でも、私自身が東洋の猿の転生ですし、今さら白人至上主義も無いものだわ。

 だが、バザルはサンドラの言葉にいたく感動した様子だった。

「ああ、やはりサンドラ様はお噂に聞いた通りの方です。大変お美しいのに気取りが無く、誰よりも強いのに分け隔て無く、ひたすらにお優しい。サンドラ様にこの国の未来を導いてくださるのは、国民にとって誇りであり、喜びでございます」

「まあ、バザルったら、大ゲサですのね。何にも無いけど、これでも持っておいきなさい。私のではありませんけど」

 サンドラはテーブルのキャンディを一掴みすると、バザルのエプロンのポケットに押し込む。

「いけません。こんな高級なお菓子を」

「いいからいいから。誰かに何か言われたら、サンドラに貰ったって言いますのよ。私もさっき一個食べましたけど、本当に美味しいわ」

 そう言いながら包み紙を取って一個自分の口に入れ、もう一個包み紙を取ってバザルの口に押し込んだ。

 バザルの顔が、とろける様な表情に変わる。

「……おいひい……」

「でしょ。よくこんな美味しい物がテーブルにあって、我慢できるものですわね。で、何の用かしら?」

「ふぁい。間もなく御婚約の儀が始まりますので、式典の間にご案内致します」

「いよいよですわね。身震いしましてよ。その前にちょっとトイレ」




 式典は始まり、雛壇に立った国王と王妃、そしてセイラ王子とケイン王子に、来賓が一組ずつ挨拶していく。大変な数が招待されているので、まだまだ時間が掛かりそうだ。

 最後に登場する手筈のサンドラは、10メートルはあろうかという巨大な扉の前の椅子に座り、バザルを相手に時間を潰していた。

「へえ、それではバザルは、街で行き倒れていた所をセバスチャンに助けてもらったのですわね」

「はい。もしセバスチャン様がいなかったら、私はここにおりません。死んでいたでしょう。私は、セバスチャン様の為でしたら、いつでも命を投げ出す覚悟ができております」

「見上げた忠義ですのね。たいしたものだわ」

「ちゅうぎ?」

「全身全霊で上の人に仕える事でしてよ。東洋の言葉ですの」

「サンドラ様は本当に博識でいらっしゃる。羨ましいです」

 サンドラはドヤ顔になるが、それらの知識の全ては、鉄造の記憶からの拝借である。

 サンドラは、少しだけバザルに意地悪がしたくなった。さすが悪役令嬢である。

「ではバザルは、もしセバスチャンがあなたを抱きたい、って言ったらどうしますの? 抱くって、ハグじゃないですわよ。大人のエッチな意味での抱くでしてよ」

 バザルの褐色の頬が、あっと言う間に赤く染まる。期待通り反応をするので、サンドラは嬉しくなった。

「そんな……私の様な者が……有り得ませんので……」

「有り得るとか無いとか、そんな事を聞いているのではありませんわ。聞きたいのは、その時のバザルの気持ちでしてよ」

 バザルの顔はますます赤くなり、小さな声で答えた。

「……はい、セバスチャン様が望まれるのなら、私の全てを……」

 サンドラはバザルの手を握った。

「まあ、ステキ。ロマンスの予感ですわ」

「でも、決して無い事ですので」

「それは、年は親子以上に離れているでしょうけど、愛があればそんな差なんて。セバスチャン、確か随分前に奥さんを亡くして、それからずっと一人ですし」

「いえ、そうではないんです。私の身体は……ケガレているので」

「うん?」

「……私の母は梅毒で死にました。混血で女の私が売れる物は自分の身体しか無く、母と同じ仕事をするしか無かったのです。十三歳の時に妊娠し、橋の下で流産して死にかけている所を、セバスチャン様に助けて頂いたのです」

「そんな……この国でそんな事が……」

「今は奴隷制度は廃止されていますが、昔奴隷としてアフリカから連れて来られた人々の子孫は大勢おり、辛い差別があるのです」

 光ある所に必ず影もある。光が強いほど影もまた強くなり、この国の繁栄の影には、そういった欲望をぶつけられる事で生き長らえている人々がいる。

 頭では理解していた筈だが、自分の事以外には関心を持たずに生きてきたサンドラにとって、改めて知る衝撃的な現実だった。

「バザルは、今幾つですの?」

「十五です。もうすぐ十六になります」

「あなたみたいなコは沢山いるのかしら?」

「ええ、沢山。私は四分の三が白人の血ですが、白人の血が濃い娘ほど高く売れるのです。色々酷い目に合いました……まるで屠殺前の豚、いえ、豚の方が尊厳を持って死を迎えられるかもしれません」

 それなのにバザルは、犬に噛まれただけといった諦めの笑顔を見せる。

「こんなケガレた私なんかがセバスチャン様と床を共にするなんて、恐れ多くて……」

 サンドラは、バザルを強く抱き寄せた。

「もういいわ! もう言わないで。ごめんなさい、私、あなたがそんな辛い経験をしているなんて知らなくて……」

「サンドラ様! そんな、もったいない。私こそ、ご婚約のめでたい時に、こんな辛気臭い話をしてしまい……」

「わたくし、バザルに約束致しますわ。この国から、肌の色や民族の違いで起こる差別を無くすと。民の全てを裕福にするなんて、そんな夢物語は申しません。ですけど、自分を諦めないで生きて行ける、そんな国に必ずします」

 バザルもサンドラを抱き締め返した。

「はい、サンドラ様とセイラ様でしたら、きっとその様な国にして頂けると信じております」

 巨大な扉が少しだけ開き、使用人が何人か入って来た。最後にエメラーダ公爵とセバスチャンが入り、扉は再び閉められる。

 公爵の額には、大粒の汗が吹き出していた。

「いや、凄い人だ。挨拶して回るだけで一苦労だよ。皆、剣術の秘技を見せろと、うるさくて仕方ない」

 セバスチャンが、いつもの静かな声でサンドラに語り掛ける。

「サンドラ様。間もなくでございます」

 バザルが先に立ち上がり、サンドラの手を引いて立たせた。

 公爵がサンドラの変化に気付く。

「おや、さっきまで緊張のせいかオドオドした眼をしておったのに、突然ふてぶてしい顔になったな。まるで落馬事故の前に戻ったような顔だ。開き直ったか?」

「ええ、お父様の娘ですから。エメラーダ家の令嬢に相応しい態度を取らねばですわ」

 二人は、巨大扉の前に立った。

 公爵は軽く左腕を曲げ、サンドラはそこに軽く右手を乗せる。

 楽団が演奏していた華やか音楽がやみ、それに釣られるように人々の会話の声もやんだ。

「バザル。私の髪、乱れてませんこと?」

「きれいに整っております、サンドラ様」

 サンドラは安心し、正面を向く。

 ファンファーレが鳴り響き、二人の使用人により巨大扉は左右に開かれた。

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