第67話 運命の歯車
チビでデブでマヌケ面。
数々のゴシップ紙に描かれた風刺画を見て、サンドラもルイ一六世に対し、漠然とそういったイメージを持っていた。
しかし、実際のルイ一六世はまるで違った。グレンキャンベル宮殿の近衛兵で最も背が高いアンドレ並の身長、胸板は同じく最もブ厚いジャン並だ。
サンドラは、まるで巨大な岩石を見上げるかのごとく、ルイ一六世を見上げていた。
一度でも直接ルイ一六世に会った者なら、あの様な風刺画は絶対に描けないだろう。この事自体が、民衆が誤った報道により集団ヒステリーに陥っている証拠だと言えた。
「なんだ、連隊長から客人が来ると聞いていたが、新しいメイドの事か?」
サンドラは両手でスカートを少し持ち上げて、美しいカーテシーを披露する。
「初めてお目にかかります、国王陛下。わたくしは、アルフレッサ王国エメラーダ公爵家の長女、サンドラ・エメラーダと申します。国民衛兵隊の皆様にも色々と事情がございまして、この様なメイド服姿での訪問になった事をお詫び申し上げます」
「エメラーダ家の長女……まさか、アルフレッサ王国の次期王妃……」
それまで少し離れた場所にあるテーブルで、興味無さそうに編み物をしていた貴婦人が、夫の声に反応して立ち上がった。
「アルフレッサ王国の王妃様?」
真剣な表情で近付いてくるその婦人は、何枚かの肖像画で見た事のあるマリー・アントワネットその人に間違いなかった。
「……まさか、私たちを助けに来てくださったのですか?」
サンドラは、マリー・アントワネットにも落ち着いて挨拶する。
「わたくしはまだ王妃ではありませんが、助けに来たという事に関しては、そのつもりでございます。マリー・アントワネット様」
マリーは、天を仰いだ。
「ああ、神様、感謝致します!」
サンドラは、唇の前に人差指を立てる。
「どうかお静かに。部屋の前には連隊長と小隊長がおります。私の部下が注意を逸らしていますが、話が外に漏れたら大変です。建前上、私は旅行の途中にご挨拶に立ち寄っただけ、という事になっておりますので」
「わかりましたわ。小さな声でお話致します」
マリーの眼は希望に輝いたが、ルイ一六世はまだ疑いの眼差しだった。
「だが、口先だけならどうとでも言える。何か証拠はあるのか?」
これにマリーが反論する。
「それはサンドラ様に対して失礼です。気品というものは、取って付けられるものではありません。サンドラ様の気品は、間違いなく王族のものですわ」
サンドラは、エレデから一通の手紙を受け取り、ルイ一六世に差し出した。
「いいえ、王妃様。メイド服姿の小娘が突然現れて、アルフレッサ国王の使いだと言われても、信じられなくて当然です。その為に。こちらの親書がございます」
ルイ一六世は、訝しながらも手紙を受け取る。
「この封蝋の紋章……紛れもなくアルフレッサ王家のものだ」
封筒から手紙を取り出し、素早く一読した。
「うむ……サンドラ姫、大変失礼をした。姫はアルフレッサ国王からの使いで間違いないようだ。しかし、解せぬ事も書いてある。その……姫は未来を見通す力がある、と」
「はい、そう考えて頂いて結構かと」
「面白い。では、何か未来を見通してはくれぬか?」
「一七九三年一月二一日。同年一〇月一六日」
「……それが何の日か、言ってみよ」
「失礼ながら、それぞれ陛下と王妃様が処刑される日でございます」
ルイ一六世の顔は真っ赤になり、マリー・アントワネットの顔は真っ青になった。
「余がギロチンにかけられると申すか!」
ルイ一六世の剣幕にエレデは後退りしたが、サンドラは動じない。
「陛下、どうかお声を控えめに」
サンドラの言葉に、ルイ一六世は声を落とす。
「我々にはミラボーがおる。あの者は立憲君主制を目指しており、この混乱を鎮めてくれる筈だ」
マリー・アントワネットも言った。
「私の実兄、神聖ローマ皇帝レオポルド二世もいます。国外からですが、急進左派に圧力をかけています」
だがサンドラは、迷いの無い眼で言い切った。
「残念ですが、ミラボーは来年四月二日、病で急死します。その時になってようやく国王様は亡命を決心し、六月二〇日に決行しますが失敗に終わります。翌年の三月一日には神聖ローマ皇帝様まで急死され、陛下と王妃様は完全に後ろ盾を失う事になるのです」
ルイ一六世の顔は、もう赤くはなかった。蒼白と言ってよいほど、血の気が引いていた。
「それで、余と王妃はギロチンに向かってまっしぐらという訳か」
ルイ一六世がアッサリと自分の主張を受け入れた事を意外に思いながらも、サンドラは言葉を続けた。
「お二人だけではありません。一番哀れなのはシャルル様です。国王様と王妃様が断頭台の露と消えた後、人の所行とは思えぬ残酷な虐待の末に、僅か一〇歳で病死されるのです」
ルイ一六世は頭を抱え、マリー・アントワネットは声を押し殺して泣いた。部屋の奥では、何も知らない五歳のルイ・シャルルが、一人おとなしく絵本を見て遊んでいる。
しばらくの沈黙のあと、ルイ一六世は重たそうに口を開いた。
「余はどうなっても構わぬ。シャルルと王妃だけは守れぬか?」
「一刻も早い亡命をお勧めします。今後、事態が好転する事はありません。フランスは混迷を極め、国民議会は陛下に混乱の責任を押し付ける事で幕引きを謀ります」
「わかった。サンドラ姫に何か考えがあるのなら、それに従おう」
最大の難関はルイ一六世の説得だと思っていたサンドラは、アッサリと応じてくれた事に胸をなで下ろした。
☆
その頃、扉の外では、エッジ達が連隊長と小隊長の自慢話の聞き役に徹していた。
この手のギャンブラーは、とかく自分が如何に強いかを語りたがる。
「あの時、私はアイツの眼を見て直感したのさ。ハッタリだ、コイツの手札に切り札など無い、ってね。だが、アイツは降りなかった。賭け金だけが跳ね上がっていく……」
連隊長の話に、小隊長はエッジ達の方を見て言った。
「この話は何十回と聞いたが、何度聞いても胸が高鳴るよ」
だが、ギャンブルには興味の無い三人は、必死に興味の有るフリを続けなければならない。
「このままではどちらかが破産すると思うほどの金額になった時、とうとうアイツは賭けを降りたんだ。ギブアップ、と言ってね。だが、その札を見て私の心臓は凍ったよ。ソイツの手札の方が、私より強いカードだったのさ」
予想通りのオチだったが、三人は驚いたフリをする。
「オー!」
ブレードなど、ヤケになって眼をヒン剥いていた。
「勝った金で、私は小隊長を連れてサンドニ通りへと繰り出した。しばらくは酒の臭いも女の顔見るのもゴメンってほど飲んで遊んだな」
なるほど泡銭は身に付かないとは本当らしい、とブレードは思った。
トータルでは遥かに負けの方が込んでいる筈なのに、そこに触れないのがギャンブラーのマナーらしい。
いつまでこんな話を聞かなければならないのだろう、三人がそう思い始めた時、サンドラとエレデがフランス国王の部屋から出て来た。
狐に摘まれた様なサンドラの表情を見て、三人の胸を不安がよぎった。
連隊長が、呑気にサンドラに話しかける。
「お疲れ様でした、サンドラ様。今日の国王閣下のご機嫌はいかがでしたかな?」
「ええ……まあ、気分爽快という訳にはいかなそうですわ」
「それはそうでしょうな。ところで、まだ随分時間が残っていますが、お話はもうよろしいのですか?」
「はい。ご挨拶したかっただけで、別に話題がある訳ではありませんので」
「それなら結構です。では、我々はあの二人が戻って来るまでここに居なければなりませんので、こちらで失礼します」
「連隊長さん、小隊長さん、今日はありがとうございました。またお会いしましょう」
連隊長と小隊長は、鼻の下を伸ばしてサンドラを見送った。
「ね、サンドラ様、イイ女でしょう?」
小隊長の言葉に連隊長が頷く。
「全くだ。ああいうのを、高嶺の花というのだな。眼の保養になったよ。しかしアレだろ、小隊長はもう一人のメイドさんの方が好みだろ。ロリコンだし」
「いや、甲乙つけがたいですよ。許せないのはあのバカだ。あんな可憐なメイドさんの尻なんか触りやがって……」
そして、拳を握って両腰に当てると言った。
「……戻って来たら、こっぴどく叱らないと」
☆
馬車に乗り込むや否や、エッジはサンドラに尋ねた。
「ルイ一六世の説得は、上手く行かなかったのですか?」
「どうしてです?」
「浮かない表情ですので」
サンドラは、少し考えてから答えた。
「それが、逆でしたの。アッサリと説得できましたわ」
「良かった。しかし、それはそれで不安になりますね」
「理由があります。ちょっと信じがたい理由が」
「ほう……」
エッジと一緒に、ブレードとルブランも身を乗り出す。
「最初はやはり怒りましたわ。王も王妃も処刑されると、直球で申し上げたので」
ルブランは呆れ顔だ。
「あの王にそう言ったのですか? 凄い勇気だ」
ブレードがルブランに尋ねる。
「勇気? どういう事です?」
「大変な巨体なんだよ。しかも全身筋肉の塊だ」
「一国の王が? 兵士でも剣士でもないのに?」
「王には趣味が二つあってね、一つは狩猟なんだ」
「なるほど。野を駆け、山を登って鍛えられている訳か」
「そして、もう一つが錠前作りさ」
「錠前……まさか鍛冶からやるとか?」
「そのまさかなんだよ。おかげで王の二の腕は、君の太股と同じくらいの太さだ」
「……素手じゃ闘いたくないですね」
エレデがしみじみと語る。
「怒った王様、本当に怖かったです。だけど、サンドラ様は全く動じず、敬服致しました」
「私だって怖かったですわ。だけどここで臆しては負けと、必死でヤセ我慢しましたの。そして、私が知っている事を、できるだけ詳細に話しました。すると……」
「手の平を返したようにサンドラ様の言う事を信じるようになった……つまり、以前も誰かに同じ事を言われた事がある?」
エッジの言葉にサンドラは頷く。
「しかし、いったい誰が……」
そう言いかけて、エッジはある人物が思い当たった。
「……ああ、そうか……」
「簡単な謎解きでしてよ」
「サン・ジェルマンですね」
サンドラは頷いた。
「縁もゆかりもないサン・ジェルマンとサンドラ様が同じ予言をすれば、いかに頑固なルイ一六世も信じる気になるでしょう」
「おそらく、サン・ジェルマンも処刑執行の具体的な日時を伝えていたのだと思います。それが私が予言した日とピタリと合えば、もう疑う余地はありませんわ。さて、そこで、私たちは新たな謎を解決せねばなりません……」
ルイ一六世の部屋を出て来た時の狐に摘まれた様な顔の原因は、この新たな謎にあるのだな、と三人は直感する。
「……でも私、少々疲れましたわ。あとはエレデが説明してくださる?」
「はい、承知しました。王太子様の教育係にトゥルゼル侯爵夫人という方がいらっしゃるのですが、その方の娘であるポリーヌ様に、最近サン・ジェルマンの使いを名乗る者が接触してきたのだそうです」
「またサン・ジェルマンか……」
ブレードが呟く。
「で、使いの者は何と?」
ルブランが尋ねた。
「郊外のある小さな教会で待つ、と」
エッジは腕を組む。
「謎が謎を呼ぶ問題ですね。そのサン・ジェルマンは本者か偽者か? 本者だとしても、偽者だとしても、その目的は何か?」
車内は沈黙に包まれる。
最後に、ダメ押しでエレデが言った。
「サン・ジェルマンが指定した日は、明日となります」
そこにいた誰もが、運命の歯車の回転が早くなってきている事を感じていた。
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