第76話 薔薇の剣

 興奮して喚く龍馬に対し、フランソワは冷静だ。

「私の事をとやかく言う前に、君も名乗ったらどうだ。君のような若者を、私は知らないのだが」

 そう言いながら、部屋の中の状況を眼だけを動かして確認する。

 出口にいる二人の騎士は、確実に強いのは間違いない。丸腰で太刀打ちできる相手ではないだろう。となると、やはりイザという時には窓から飛び降りるしかないか……。

 若者が近衛隊の残党か、それとも最近過激さ増す衛兵隊かは知らなかったが、いずれにせよフランソワが会いたい相手ではなかった。

 すると若者が言った。

「ああ、この姿で会うのは初めてじゃったの。こりゃすまんかった。しっかし、先日のフェルゼン殿といい、貴殿といい、長々と事情を説明するのはいい加減うんざりぜよ」

 フランソワの顔付きが変わった。

「フェルゼン? 君らが打ち合わせに行ったスウェーデンの貴族とは、フェルゼンの事なのか?」

 龍馬はニヤリと笑った。

「その通りじゃ、元近衛士官殿。お前さんと違って、あの人は最後まで王妃を守り抜こうとするき、その手助けをするつもりなんぜよ。こんままじゃあ、王も王妃も確実にギロチン送りだからの」

「君は何者だ!」

 今度はフランソワが興奮し、龍馬が冷静に答えた。

「サン・ジェルマン……そう名乗るのが、今は一番通りが良いかもしれん」

「なるほど、あの錬金術師の息子か」

「いやいや、本人じゃき」

「バカを言うな! 以前、彼とは剣で立ち会った事がある。あの時ですら、今の君より年上だったぞ」

 その時だ。

 いつの間にか、サンドラ……いや、鉄造が部屋の入口に立っていた。嬉しくて堪らない、といった顔をしている。

「それでは、その剣で立ち会ってみればどうかな? 剣は嘘をつかない」

 二代に渡るフランス国王と王妃、そして数知れぬ貴族を間近で見てきたフランソワである。鉄造を見た瞬間に直感した。

――この方こそ王妃、いや、女王にすら相応しい器を持つのお方だ。

 フランソワは本能的の片膝をつく。

「留守中に申し訳ございません、姫様。私はフランソワと申します」

「堅苦しいのはヤメようじゃないか。君の事は色んな人から散々聞かされているよ。前回の立ち会いでは彼と引き分けたらしいね。さあ、再戦と行こうじゃないか」

「申し訳ございませんが、姫様。私は、この頭のイカレた男と会うのは初めてでございます。若くてハンサムなのに気の毒だとは思いますが」

「まあまあ。彼が本当にイカレているかどうかは、剣を交えればわかるさ」

 一行は、ゾロゾロと中庭へと移動した。


「君らの場合、五分闘って勝負が着かなければ、その後は何分闘っても同じだろう。引き分けとするがいいかな」

 鉄造の言葉に、龍馬はいつもの飄々とした顔で答えた。

「ワシは何だって構わんぜよ。じゃが、そちらのお嬢様は手をケガしちょるが、木剣は持てるんかの?」

 だが、フランソワの顔は険しい。

「お嬢様と呼ぶな! ケガは大したことない。何がサン・ジェルマンだ。彼は強かったぞ。一分でバケの皮を剥がしてやる」

 鉄造は右手を上げると、手刀を切って下ろした。

「はじめ!」

 フランソワは、龍馬の構え見てハッとする。

 両手で剣を持ち、剣先が相手の眼を狙う構えだ。フランソワは、それが日本剣術の正眼の構えである事は知らないが、サン・ジェルマンと手合わせした時に、この構えを取っていた事は憶えていた。

 だが、構えを真似るだけなら誰にでもできる。要は、そのお構えで戦えるかどうかだ。

 フランソワは右足を細かく踏み込むと、小刻みに龍馬の胸を突いた。龍馬はその攻撃を、手首の小さな動きだけで全て叩き落とす。

 次の突きをかわされると、フランソワはその反動を利用して剣先で小さく弧を描き、首を狙った斬りへと攻撃を変化させる。

 しかし、その攻撃も、龍馬は僅かに身体を後方へ反らせるだけで避けた。

 だが、龍馬とて、余裕を持って技を捌いているのではない。全て紙一重の攻防である。

「おまん、腕は落ちてないようじゃのう」

 龍馬はニヤリと笑う。

「ぬかせ。サン・ジェルマンの偽物め!」

 フランソワは返したが、少し自信が無くなっていた。

 突きを弾かれた反動で剣先を返し、首を斬りにいく技は、フランソワの必殺技だ。女性の非力を補う為に編み出した技で、初見でこの技を避けれた者は、過去に一人しかいない。

 それこそサン・ジェルマン、その人だ。

 ところが、この若者はどうだろう。まるで、この技が来るのを知っていたかのようにスレスレで避けたではないか……。

「ほんじゃあ、次はこっちから行くぜよ!」

 フランソワの本能が、その技が来るのを警戒していた。木剣を持った手首を狙って打ち込んでくる技だ。

 この技で連続で来られると、防戦するしかなくなる。そして、手首に気を取られていると、大きく踏み込まれて脳天に一撃がくる。

 フランソワはその一撃を辛うじて受け、木剣と木剣がぶつかるカキーンという大きな音が中庭に響いた。

「どうじゃい! ワシの腕も落ちとらんじゃろ。さあ、これからガンガン行くぜよ!」

 だが、フランソワは剣を下ろした。

「いや、もう十分だ」

「なぬ?」

「何が何だかサッパリわからないが、君がサン・ジェルマン伯爵である事は疑いようがない。無礼は詫びるが、一体どういう事なのか、教えてもらいたい」

 龍馬も笑顔で剣を下ろし、右手を差し出した。

「そうかい。まあ、お前さんとワシじゃあ勝負がつかんのはわかっとった事よ。よっしゃ、全部教えちゃるけん。ワシの今の名はエリック。ここにいるみんなは龍馬と呼んどる。まあ、好きに呼んだらええ」

 フランソワは、その右手を握り返す。

「ああ、リョーマ。よろしく頼む」

 その時、鉄造が龍馬から木剣を取り上げると言った。

「話が早く付いて良かった。実は、拙者も君とは一手交えたいと思っていたのだよ。どうだい、今から?」

 フランソワも、魔王の様に強いという公爵令嬢には興味があったが、痛めた手が龍馬との戦いで限界を迎えていた。

 それを察したエレデが助け船を出す。

「龍馬様。フランソア様は、ボクを小悪党から助けてくれた時に手を痛めていらっしゃいます。手合わせは後日が良いかと」

「なんだ、そうなのか。しかし、痛めた手で龍馬とあそこまでやるとは大したものだ。ケガが治った時を楽しみにしているよ」

 鉄造は、木剣をエレデに渡すと、皆に告げた。

「では、後はサンドラに任せて、拙者は引っ込むとする」

 もう慣れたもので、龍馬とブレードが左右に立つと、鉄造の身体を支える。次の瞬間、鉄造の首がガクッと前に倒れて、全身の力が抜けたように見えた。

 それを初めて見たフランソワは驚き、思わず駆け寄ったが、すぐに意識を取り戻したようで、顔を上げるとフランソワを見て微笑んだ。

「初めまして、フランソワ様。わたくしはサンドラ・エメララーダ、アルフレッサ王国公爵家の娘ですわ」

「はい、それは存じておりますが……今、私の目の前で何が起きたのでしょうか?」

 二代に渡るフランス国王と王妃、そして数知れぬ貴族を間近で見てきたフランソワである。サンドラへと入れ替わった瞬間に直感した。

――この方は、若かりし日のマリー・アントワネット様と同様、わがままで贅沢好きの御令嬢だ……。

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