第75話 掃き溜めの薔薇

 明らかに敵意のある眼だった。

 パリに来てからというもの、男のイヤらしい視線には慣れていたエレデだったが、それとは違う眼だ。かといって、殺意は感じられない。

――狙いは財布だな。

 エレデは右足を引き、男達が近づいて来るのを待ち構えた。

 手提げカゴに入れていたヌンチャクを手に持つ。

 ウキウキが止まらない。鍛錬は続けていたが、全く暴れ足りていなかった。

 何よりも、鉄造から学んだヌンチャクを、まだ実戦で使用した事がない。

――丸腰の相手に武器を使用してはかわいそうだが、敵は三人。遠慮無くヌンチャクを使わせてもらうよ。

 左手のカゴをポトリと落とし、ヌンチャクを振り上げようとした……その瞬間だった。

 誰かが、三人の男達の前に立ちはだかった。

「おいおい。物盗りとはいえ、こんな愛らしいメイドさんに三人がかりか? 見下げたヤツらだな」

 手足がスラリと長い男だった。痩せてはいるが、ただ者ではない事は立ち姿だけで明らかだ。

 エレデに背を向けているので分からないが、イケメンでほぼ確定だろう。

「あんだぁ、テメエはぁ!」

 一番凶悪な顔をしている男が言った。

「ブッ殺されたくなかったら引っ込んでろ!」

 隣の小柄な男が言った。

 スラリとした男は動じない。

「ほう、おもしろい。ヤレるものならヤってみろ」

 後にいた男が言った。

「おい、コイツ、ヤベェ奴だ。ズラかろうぜ」

 だが、一番凶悪な顔の男は、地面にツバを吐き捨てた。

「ペッ、こんなヒョロイ奴がヤバイもんか。オレがノシてやる!」

 そして、小柄な男と同時に殴りかかってきた。

 エレデはスラリとした男の前に出ようとしたが、スラリとした男の踏み込みはエレデより早かった。

 凶悪な顔の男の大振りパンチを軽く屈んでかわすと、ガラ空きになったアゴにアッパーを見舞う。そして、振り返りざまに小柄な男の鼻っ柱にストレートを叩き込んだ。

 凶悪な顔の男は丸太ん棒の様に音を立てて倒れ、小柄な男の鼻からは鼻血が勢い良く吹き出す。

「ああ、だから言わんこっちゃない」

 後にいた男が逃げようとしたので、スラリとした男は声をかけた。

「お前と会うのは二度目だな。顔はしっかり覚えているぞ……」

 そう言われた男は観念して足を止め、愛想笑いをしながら振り返った。

「……ほう、賢いじゃないか。それに免じて、今回だけは見逃してやる。さっさと、この二人を連れて行け!」

 凶悪な顔の男は、逃げようとした男から顔を何度か張られて、ようやく目を醒ました。小柄な男は上を向いて鼻をつまみ、三人はスゴスゴと去って行く。

 スラリとした男は三人を見送ると、エレデの方を向いた。

「美しいお嬢さん、ご無事ですか?」

 エレデは、その顔を見て驚いた。エッジもルブランもイケメンで、イケメンは見慣れているエレデだが、まるで次元の違うイケメン振りである。

 どちらかというとフェルゼンに近いものを感じて、エレデは思わず口にしてしまう。

「お兄さんも男が好きなのですか?」

 スラリとした男はキョトンとした顔をし、そして笑い出した。

「アハハハ……別に普通だと思いますよ」

 我に返ったエレデは赤面する。

「あ……ごめんなさい、いきなり変なことを言って」

「いえいえ、お気になさらずに。でも、お使いは遠回りでも人通りの多い道を選んだ方がいいですよ。この辺も、気が立っている輩が増えたから。では、お気を付けて」

 男が去って行こうとしたので、エレデが呼び止めた。

「待って! 私は無事だけど、お兄さんは無事ではないですよね」

「えっ?」

 エレデは男の両手を取った。

「ツッ……」

 男が顔をしかめる。その手は赤く腫れていた。

「やっぱり。サンドラ様がおっしゃられていました。人の頭は思っているより硬く、人の拳は思っているより柔いと。拳で闘うなら日頃の鍛錬が必要だし、それができなければ手刀や掌底を使う方が良いそうです……指は動きますか?」

「あ……ああ、動くが、君はいったい……」

「骨に異常は無いようですね。でも、早く冷やさないと。私たちが滞在している宿で冷やしましょう」

「あ、はい……」

 男は、エレデに背中を押されるがままに歩き始めた。


 エレデは、男の前に水の入った洗面ボウルを置いた。

「サンドラ様がおっしゃられていました。打撲は、まず冷やすことだと。この水の中に手を入れて冷やしてください」

 男は指先を水に浸ける。

「冷たいよ」

「だからいいのです。さあ、お早く。ある程度腫れが引いたら、打撲に良く効く軟膏があるので塗って差し上げますね」

 男は渋々両手を水に入れた。

「それにしても、君のご主人様はお医者様かい?」

「いえ、詳しくは申し上げられませんが、公爵家の御令嬢です」

「医術に詳しいんだな」

「医術というより、剣術にお強いんです。練習相手にケガをさせてしまうので、経験で学ばれたのです」

「剣術? 公爵令嬢が?」

 男は興味を引かれたようだ。

「はい、とってもお強いんです。棒切れ一本で、二十人もの騎士を一瞬で倒したのを、私はこの眼で見ました。その倒された騎士の一人は、私の兄なのですが……それどころか、拳銃を持っている敵も、サンドラ様は銃弾をかい潜って打ち倒したのです」

「そういえば聞いたことがあるな。どこかの国に魔王の様に強い御令嬢がいるって。与太話だと思って聞き流していたが……」

「それ、間違いなくサンドラ様のことです」

「しかし、そんな御令嬢が、なぜこんな混乱したフランスに? 腕試しか?」

 エレデは笑ってしまう。

「クスッ。それも少しあるかもですね」

 その笑う仕草があまりにも女らしくて、男はみとれてしまった。

「……それにしても、君ってとてもチャーミングだね」

 エレデは、テーブルの上に軟膏の瓶と包帯を置いた。そして、興味なさげに答える。

「そうですかぁ……」

 男は、エレデが嬉しそうではないのを不思議に思う。今まで、男に褒められて喜ばなかった女性に会った事がなかった。

 だが、エレデとて男である。好きで女装をしている訳でもなく、チャーミングだと褒められても嬉しくはなかった。

「……そろそろいいかな。手を見せて頂けますか?」

 男は水から手を出し、エレデはその手を拭いた。

「熱は引きましたね。どうですか?」

 男は、手を握ったり開いたりしてみる。

「うん、だいぶいい」

「良かった。では軟膏を塗りましょう」

 エレデは男の手に丁寧に軟膏を塗ると、包帯を巻いた。

「ところで、君のご主人はどちらに?」

「お出かけになっています。公務……そう、公務の打ち合わせにスウェーデンの貴族様のところへ」

「スウェーデンの貴族……ふーん」

「そう言えば、まだお名前を伺っていなかったですね。私はエレデと申します」

「私はフランソワ」

「フランソワ様は貴族ですか?」

「えっ?」

「事情がおありなんでしょうね。私の知っている方も、先日は娼館へ行くのに庶民の格好をしていましたから。ですが、気品は衣装だけで隠せるものではありません」

「まいったな。つまり、そう言う君もただ者ではないという事か」

「私も男爵家の出です。と言っても六男坊なんで、果てしなく一般庶民ですが」

「六男坊って……まさか」

「ええ、男です。気付きませんでしたか? 私はフランソワ様が女性だと、先ほど気付きましたよ」

「そんな……」

 その時だ。

 フェルゼンとの打ち合わせを終えた一行が戻って来た。

 まず、部屋に飛び込んで来たのは龍馬だ。

「エーレデちゃーん、待たせたのう。寂しかったがや?」

 しかし、フランソワに気付いて突然足を止めたので、ブレードとエッジは龍馬の背中にぶつかってしまう。

「お、おまんは!」

 フランソワは立ち上がって会釈した。

「驚かせてしまい、申し訳ございません。私はフランソワと申します。この通り手にケガをしてしまい、こちらのエレデさんに手当をして頂いておりました」

「いやいや、ワシが知りたいんはそんな事じゃのうで、なんでおまんが生きとるんか、ちゅう事じゃい!」

「はい?」

「バスティーユでの戦いに国民衛兵隊として参加して、流れ弾に当たって死んだと聞いちょるぞ」

「君は私を知っているのか?」

「知っちょるも何も、おまんはマリー・アントワネット王女付きの近衛士官だった奴じゃろが!」

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