第74話 もうひとつの未来

 フェルゼンはさり気なく胸元を触って拳銃の位置を確認した。いつでも抜けるように、右手を上に軽く腕を組む。

 だが、龍馬はそれを見逃さない。

「この状況で拳銃に頼るのはやめた方がいい。抜くより早く、この魅力的なメイドさんが投げた短刀が、あなたの喉笛に突き刺さるでしょう」

 フェルゼンはチラッとエレデの手元を見た。キラッと光る物が覗いている。

 両手を挙げてフェルゼンは笑った。

「いやいや、最初から戦う気はありません。銃が一丁あったくらいで何とかなる場所ではない事くらいは、この部屋に入った瞬間にわかりましたから……」

 そして、エレデの顔を見てウインクする。エレデの頬が赤く染まった。

「……サンドラ様の仰る通りです。この計画を知っているのは、国王一家を除けばショワズール(竜騎兵隊大佐)とゴグラー(王室技師)だけ。彼らの忠誠は本物で、どこからも漏れる筈の無い計画でした」

 サンドラは、エレデの赤くなった顔を見ながら言った。

「フェルゼンさんが男女を問わずに魅了するというのは本当ですのね。ええ、計画はどこからも漏れていないでしょう。ただ、私達は未来から転生したので、結末を知っているだけの話ですわ」

「未来? 先程はサン・ジェルマンの生まれ変わりと」

「わたくしも詳しい事はわかりませんけど、時間は河の様に一方方向だけに流れているのではないそうですわ。興味があれば、詳しい事はこちらのエリックさんにお聞きになって。私は八〇年後の侍の転生者。実はエリックさんも、サン・ジェルマン伯爵の前は侍でしたの」

「サムライ?」

「ジパンという国における、騎士の様な存在ですの」

 フェルゼンの眼が、同情に近いものになった。

「そうですか、それはご苦労様です。とにかく私としては、今後も計画の事は内密のお願いしたい。それだけはどうかお願いします。では、今日はお目に掛れて光栄でした……」

 フェルゼンが立ち上がろうとしたので、龍馬が慌ててその手を掴む。

「おっとっと! おまん、ちょこっと待つがや。いきなり転生者じゃ言うても、信じられんのはわかる。じゃがな、話ば最後まで聞くもんぜよ」

「えっ? すみません、訛りが強くてよく意味が……」

「これは失礼。動転するとつい……とにかく、もう少し話を聞いてください。今まで伯爵は、フランス国王の煮え切らない態度と、王妃の無茶な我がままに振り回されてきた筈です。八頭立てのベルリン型四輪馬車を新調するなど、逃亡を見つけてくださいというようなものですから」

 フェルゼンの顔色が変わった。八頭立ての馬車は、先日マリー・アントワネットが思い付きで突然言い出した事だ。現時点でフェルゼン以外の誰かが知っている筈はない。

 自らイスに座り直す。

「どこまでご存じなのか、教えて頂きたい」

「いいですとも。伯爵は今、クロフォード卿の屋敷に潜伏の身でいらっしゃる。卿の愛人のエレオノール嬢の手引きで、同じく彼女を愛人とする伯爵が卿の屋敷に転がり込むとは、何とも珍妙な関係ですな。それともアレか、穴兄弟ちゅうヤツかのう。ガハハ、イテッ!」

 龍馬らしいといえば龍馬らしい下ネタだが、サンドラはその脚を強くツネった。

 それを皆は笑ったが、フェルセンだけは真顔で視線を龍馬から逸らさない。

 龍馬は、サンドラからツネられた脚をさすりながら続けた。

「失礼……コホン。さて、エレオノール嬢とはお会いした事はありませんが、さぞお美しい方なのでしょうな。富裕階級の男の間を蜜蜂の様に飛び回り、金という蜜を集めてくる。伯爵はさしずめ、養蜂家といった所ですか」

 フェルゼンは表情を変えない。

「否定はしません。私は、目的の為なら手段は選びませんので」

「結構、とんでもない金が必要ですからな。伯爵の計画力と行動力には敬服します。話を戻しましょう。亡命を強く希望しているのは王妃です。生まれ育ったオーストリアへの亡命を希望していますよね」

「ええ、その通りです」

「実はもう、歴史は変わってきています」

「歴史が変わる?」

「ええ。私の知る歴史では、ルイ十六世が逃亡を決断するのは来年の4月、復活祭のミサに行こうとした所を群衆に襲われてからです。この時、ミラボーはもう死んでおり、ラファイエットも群衆を押さえる事ができなかった。この事で初めてルイ十六世は死を実感するのですが、最近の陛下はどうですか?」

「……シャルル様だけは助けたいと」

「つまり、このままでは自分も王妃もギロチンの露と消える事をご理解されている訳です」

 フェルゼンは黙って頷く。

 サンドラは微笑むと、優しい口調で言った。

「もうコルフ侯爵夫人ご一行様という脚本は必要ありませんわね(史実では、ルイ十六世一家は、ロシア貴族コルフ侯爵夫人一行に成りすましてチェイルリー宮殿を脱出する)。自分には国王として神の加護があるという、根拠の無い楽観主義を捨て去る事が最も重要でしたの。目的は半分達成できたようなものですわ」

「……サンドラ様とエリック殿が転生者という事は、信じざるを得ないようです。コルフ侯爵夫人のアイデアは、まだ私の頭の中にしかありませんから……そうが、結局失敗するのか……」

 フェルゼンは肩を落とした。

「……それと、もう一つ。サンドラ様が来た前世での私の運命が何かわかれば教えて頂けますか? まあ、私のような一介の貴族、歴史に埋もれて何も伝わっていないとは思いますが」

 サンドラと龍馬は顔を見合わせた。

 サンドラが目配せすると、龍馬は渋々頷く。

「では、それは私が……えっと、結論から言うと、私達が来た前世では、あなたは歴史に埋もれるどころか、最も有名な人物の一人になっています。その……マリー・アントワネットとの悲恋によって」

 その時、フェルゼンは驚きで眼を丸くした。

「悲恋? 私と王妃様が?」

 フェルゼンの反応に龍馬も驚く。

「違うんかい?」

「違うもなにも、私と王妃様に恋愛感情は一切ありません。あの方は少女をそのまま大人にした様なお方だ。男との色恋よりも、女子会を好みます。私も少々女性的な所があるので、話は合うのですが……」

「確かに、あなた以外の男性とのスキャンダルは後世に伝わっていない」

「それも、王妃様を中傷したい者達が無理矢理でっち上げたものです。あの方に、男女のスキャンダルは一切ありませんから」

「では、あなたは単なる友情の為に、何度も命懸けでマリー・アントワネットを救おうとしたのですか?」

 フェルゼンは苦笑いする。

「いやいや、命を懸けるのはこれからでしょう? それに、私には心に決めたお方がいるので」

 サンドラが呟いた。

「グスタフ三世(スウェーデン国王)……」

 フェルゼンの顔が再び驚きの表情になる。

「なぜそれを?」

「女の勘……ですわ」

 驚いたのは龍馬も同様だ。

「それは誠かい? つまり、ここまでフランス国王一家に肩入れするのは、革命をスウェーデンに飛び火させない為ちゅう訳か」

「……ここまで知られたら、今さら隠しても始まらない。その通りです。我が王と私は、身も心も強い絆で結ばれています。命を懸けてマリー様に仕えるのも、それがひいては我が王の為になるからです」

 サンドラも大変なショックを受けていた。

「マリー様とフェルゼンさんの悲恋は、時代も国も越えて語り継がれる美談でしたのに。本にもお芝居にもなって、どれ程の乙女が涙を流した事か……それが本命は男とは……」

 龍馬が慌てて人差指を口の前に立てる。

「サンドラ様、シッ。鉄造とセイラ王子も似たようなもんじゃけん」

「あら、そうでしたわね」

 フェルゼンは、真剣な眼でサンドラと龍馬を見た。

「そして、ここまで私が必死になるのは、我が王が四年前にお忍びで受けた占いのせいです。占い師ウルリカの占いは本物です。他の占い師の様に、どうにでも取れる曖昧な言葉ではなく、はっきりと未来を語る。彼女は、我が王は暗殺されると断言しました」

 龍馬も真剣な顔でフェルゼンを見た。

「それを貴殿は、フランス革命が引き金で起きると考えちょる訳じゃ」

「その通りです。この国の革命は、君主制諸国にとって紛れもない脅威ですから」

「よっしゃ、ワシの知っちょう事を話すけん……」

 サンドラが龍馬を肘でつつく。

「……失礼。私の知っている事を話すと、グスタフ三世は確かにストックホルムのオペラ座で暗殺されます。一七九二年、マリー・アントワネットが処刑される前年です」

「おお……やはり」

「ですが、一番悲惨なのはあなたですよ、フェルゼン伯爵。最愛の王を失い、マリー・アントワネットまでも失ったあなたは、民衆を憎むようになる。同様に民衆もあなたを憎むようになり、ついに一八一〇年、あなたは群衆に襲われ撲殺されます」

 龍馬の言葉に、フェルゼンは青ざめた。

「そんな……私は、民衆からはそれなりに愛されていると……」

「今は、です。二〇年という月日は、お互いの評価が一変するのに十分な時間だ。銃殺でも刺殺でもなく、名誉の欠片も無く殴り殺しになり、あなたの死体は側溝に捨てられます」

 フェルゼンは言葉を失い、うなだれた。

 サンドラは、そんなフェルゼンに声を掛ける。

「ルイ十六世とマリー・アントワネットの亡命を成功させれば、負の連鎖は断ち切られる筈です。グスタフ三世もあなたも、殺されない未来の可能性はある。生と死は入れ替わるでしょう。シェイクスピアのオセロのように……」

 フェルゼンは顔を上げると、救いを求める眼差しでサンドラを見た。

「……私達の目的は同じです。共に力を合わせましょう」

 サンドラが右手を差し出すと、フェルゼンはすがる様な表情でその手を両手で握った。

「サンドラ様、最後にお聞かせください。フランス国王一家の救出が成功して歴史が変わった時、サンドラ様達が来た八〇年後の未来はどうなるのですか?」

 サンドラは笑顔で答えた。

「そんなもの、それこそ神のみぞ知るですわ」

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