第73話 フェルゼンとの出会い

「高杉がくれたスミス&ウェッソンは、まっこと良い拳銃じゃった。あれが有ればのう……今更こんな剣術の稽古なんぞ」

 そうボヤきながらも、木剣を持って立つ姿は様になっている。まるで、坂本龍馬の様だ。

 いや、事実上、本物の坂本龍馬なのだが……。

「残念だが、スミス&ウェッソンが世に出回るには、後一〇〇年近く待つ必要がある。だがな龍馬。思うのだが、お前が寺田屋で襲われた時、銃ではなく剣で迎え撃っていれば、両手を怪我する事はなかった。怪我さえしていなければ次に近江屋で襲われた時、いくら不意打ちとはいえ、お前が後れを取る事もなかった筈だ」

 鉄造は、喋りながら何気なく木剣を素振りするが、その度にビュンビュンともの凄い風切り音がする。

「まあのう……確かに寺田屋の狭い中で敵味方入り乱れると、味方に当たるのが恐ろしゅうて、よう引き金が引けんじゃった。だがじゃ、鉄造よ。薩長は、コツコツと銃や大砲の研究をしよったから幕府より強うなった。逆に、刀に拘った幕府はその薩長に倒される訳で、新しい事の研究がいかに大切かちゅう事じゃろ」

「そんな死んだ後の話をされてもな。確かに一理あるのは認めるが、ここは十八世紀。剣はまだまだ主要武器だ。ほら、グダグダ言わずに掛かってこいよ。お前の腕が錆びてないか、試してやる」

 鉄造はトンボで構えた。

 これに対し龍馬は、正眼に構える。龍馬が学んだ北辰一刀流は、状況によって構えを変化させるのが特徴だが、やはり基本となるのは正眼だ。

「最初に一つだけ聞いちょくが、もしもワシがそのキレイな顔に傷でもつけたら、その後どうなるんじゃろ?」

「ん? どうにもならんさ。怪我なんて普通だろ。いいからこいよ」

「そこのベッピンのメイドさんはどう思うね?」

 二人のそばで黙って立っていたエレデは、穏やかに微笑んで答えた。

「はい。確実にエッジさんとブレードさんに寝首を掻かれるかと」

 龍馬は木剣を投げ捨てる。

「ヤメじゃ、ヤメ! まだ死にとうないわ」

「そんな殺生な……長いこと日本剣術とは手合わせしとらんのだ。小栗流と北辰一刀流を極めた龍馬なら相手に不足は無い。何とか頼む、この通りだ」

 鉄造は構えを解くと、龍馬に深々と頭を下げた。

「そんなん言うても、おまんはもう前世の貧乏侍じゃないんじゃ。一国の王女様になるお方じゃろ。あんまし無茶言わんでくれ」

「それはサンドラだ。決して拙者では……」

「身体は一つじゃろが。それに、王子が本当に好きなのはおまんの方じゃて、サンドラ様が嘆きよったぞ。ほんに罪作りな奴じゃのう」

「それは……」

 鉄造は言葉が続かず、俯いてしまう。

 龍馬は、そんな鉄造が少し可哀想になった。

「まあ、わかった。今度、竹刀ば作るき、しばらく待っちょれ。あれなら、痕に残るような傷は付かんじゃろ」

「なるほど、竹刀か……しかし龍馬、ヨーロッパに竹は無いぞ」

「そんくらい知っちょるわ。サンジェルマンじゃった頃、電球のフィラメントにぃゆうて探しまくったからの。せやから、あんな材質の物で、ちゅう事よ」

「まあ、任せるよ。龍馬と剣術の稽古さえできれば、後は何も望まんさ」

「おまん……その顔で真剣に言うなや。心がザワつくじゃろ」

 三人はホテルの中庭にいた。支配人の好意で剣術の稽古に使わせてもらっていたのだが、その支配人が急ぎ足でやって来た。

「サンドラ様! サンドラ様にお客様です」

 鉄造は木剣をエレデに渡す。

 その一瞬、鉄造とサンドラは人格の入れ替えの為に意識が失われるので、龍馬とエレデがすかさず身体を支える。最近では、心拍数の上昇だけではなく、剣を手にしただけで人格の交代ができるようになっていた。

 だが、それを知らない支配人は驚いてしまう。

「あっ、サンドラ様! 今、倒れそうになりませんでしたか? お具合でも?」

 鉄造と入れ替わったサンドラは、落ち着いて答える。

「少しつまずいただけですわ。それより、お客様はどなたかしら?」

「大丈夫なら良いのですが。えっと、スウェーデンのフェルゼン伯爵です」

 ついに来た。

 サンドラと龍馬は、眼と眼を見合わせた。



 ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵。

 ルイ十六世一家救出の為に全身全霊で奔走した人物である。後に『ヴァレンヌ事件』と呼ばれる、鉄造と龍馬の前世では失敗に終わった逃亡も、このフェルゼンが莫大な資金を用立て、綿密な作戦を立てて尽力した計画だ。

 逃亡失敗後も、フェルゼンは決して諦めなかった。あらゆる手段を尽くして、国王一家を救おうと奔走する。

 革命が過激さを増し、フランス国内に留まる事が難しくなると、フェルゼンは一旦ブリュッセルに避難する。しかし、そこでもスウェーデン国王グスタフ三世とオーストリア駐仏大使と共に救出計画を進めた。

 ところが一七九二年、グスタフ三世が暗殺されるとフェルゼンは後ろ盾を失い、政治的に失脚する。ここに最後の望みは絶ち切られ、翌年、ルイ十六世とマリー・アントワネットは処刑される事になる。

 後の世、フェルゼンの我が身をかえりみない度を超えた献身に、人々はマリー・アントワネットとの不倫を憶測する。特別な感情が無ければ、ここまで命懸けの事を何度も繰り返せる筈がないと考えるのは当然だろう。

 その真偽は別として、この時代では今、フェルゼンが逃亡計画を進めている筈だ。そして、その計画が失敗に終わる事を、ルイ十六世とマリー・アントワネットには伝えてある。

 鉄造とサンドラの推測では、その事がフェルゼンの耳に届く頃だった。


 支配人に案内されてサンドラの部屋を訪れたフェルゼンは、右手を胸に、恭しく片膝を着く。

「突然の訪問をお許しください、サンドラ姫。スウェーデン王国のフェルゼンと申します」

「ようこそお越しくださいました、フェルゼン伯爵。ところで、私はまだ公爵家の娘に過ぎませんの。どうか、サンドラとお呼びください」

「承知しました、サンドラ様。仰せのままに。では、私もどうかフェルゼンと」

「分かりましたわ、フェルゼンさん。どうぞイスにお掛けになって」

 サンドラは、ルブラン、エッジ、ブレードとフェルゼンに紹介する。

「……そして、わたくしの後に立っているチャーミングな近衛兵がエレデですわ」

「近衛兵? はて、メイドさんでは?」

「メイドの格好をしていますが、本当は男ですの。女性しか入れない場所でもわたくしを守れるよう、いつもメイドの格好をしていますのよ」

「なんと、この可憐さで男性とは……」

 最近のサンドラは、エレデの正体を明かした時の相手の驚いた顔を見るのがクセになっていた。

「ですけど、フェルゼンさん。あなたも、とてもお美しいのね」

 お世辞ではなく、本当に美しい。ルブランやエッジとは違うタイプのハイスペックイケメンである。

 『氷の貴公子』と呼ばれるように、冷たい印象の中性的な美しさなのだが、内には熱い騎士道精神が宿る男であることを、そこにいる誰もが感じていた。

「ありがとうございます。光栄に存じます」

 フェルゼン自身、美しいという自覚があるのだろう。照れる様子も無い。

「最後にわたくしの隣に座る青年。こちらがエリックさんです」

「これはまた気品に溢れるお方だ。やはり、貴国の王族の方ですか?」

「いえ、フランスの学生ですわ。今はこんなご時世ですので、ご自分で商売もなさっています」

「学生? 商売? 失礼ながら、その様な者が次期王妃の隣に座っているのが解せませんが」

 フェルゼンの冷たい眼が、益々冷たく光る。

「こう言うと、フェルゼンさんは信じてくれますかしら。彼こそがサン・ジェルマン伯爵、その人であると」

 フェルゼンのエリックを見る眼が犯罪者を見る眼になる。王族に取り入る為に嘘八百を並べる輩を散々見てきたが、コイツもその一人か……そういった眼だ。

「サン・ジェルマン伯爵……彼も灰色の噂が絶えない男でしたが、数年前に死んでいます。墓も有りますし、間違いございません。そもそも、こんなに若い訳が……」

「サン・ジェルマンが何と呼ばれていたか、ご存じです?」

「不老不死ですか。それこそデタラメだ」

「ええ、それは間違っています。正しくは転生者と呼ぶべきでしょう」

「転生者……何度も生まれ変わっていると?」

「その通りですわ。その事はわたくしが保証致します。なぜなら、わたくし自身も転生者だからです」

「えっ……」

「さて、そろそろ本題に入りませんこと。フェルゼンさんがご訪問されたのは、なぜわたくし達が逃亡計画の詳細を知っているのか、という事の筈です。そして、その情報を革命派に流していないかの確認。違いますか?」

 フェルゼンは、サンドラの眼を、正面からしっかりと見た。その曇りの無い眼が、フェルゼンを更に混乱させるのだった。

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