第77話 自由と平等と博愛と

「つまり、サンドラ様には人格が二つあり、一つは公爵令嬢のもの、もう一つはジパンという国の騎士のもの、という事ですね」

「その通りですわ。信じられないでしょうけど」

「信じるも何も、今、目の前にいるサンドラ様は、先ほどまでの鉄造様とは明らかに別人、信じざるを得ません。ですが、なぜこんな事が……」

 サンドラとフランソワの会話に、龍馬が割って入る。

「それがわかれば苦労はせんぜよ。神の導きか、悪魔の戯れか……」

 サンドラは、部屋にいる全員の顔を見渡しながら言った。

「ただ、一つだけ明らかな事がありますわ。これで役者が揃ったという事です」

 フランソワが怪訝な顔をする。

「役者が揃った?」

 サンドラはニヤリと笑う。

「そうです。ルイ十六世一家の救出に十分な戦力が揃ったという事ですわ」

「ちょっと待ってください! 何の事ですか?」

「言葉の通りです。ご一家をチェイルリー宮殿からお助けするのです」

「そんな事に何の意味が……しかも私は、爵位も肩書きも捨てた身、今さら王と王妃に合わせる顔などございません」

 しばしの沈黙の後、龍馬が口を開く。

「こんままでは二年後、二人ともギロチンで首が落ちるぅ言うても同じ答えかの?」

 フランソワは、困った様な笑顔を浮かべる。

「ギロチン? はは、いくらなんでも飛躍し過ぎだ。民衆が王と王妃を処刑するとでも?」

 だが、そこにいる誰もが真顔だった。

 フランソワの笑顔が凍り付く。

「おまん、バスチィーユ監獄の襲撃に、国民衛兵隊として参加した言うとったな」

「ああ」

「恋人を流れ弾で亡くしたとかで、ほんに気の毒に思う」

「……ああ」

「だがな、あそこにおまんらが助けようとした政治犯はおったか? おらんかったじゃろ。おそこにおったんは、七人のアル中とコソドロだけじゃ」

「それは……確かにその通りだが……」

「じゃが、国民は何をしたがや。降伏して無抵抗の司令官ド・ローネーと六人の部下は、市庁舎で首を切り落とされた。それだけじゃのうて、血に狂う国民はド・フレッセル市長の首まで切り落とすから訳わからん。その後の事はおまんも知っとるじゃろ?」

 フランソワが返事をしないので、龍馬は続けた。

「国民はな、彼らの首を槍に差して高く掲げると、市庁舎広場でお祭り騒ぎを始めよった……」

 龍馬は、無表情にフランソワを見つめた。

「……逆に聞きたいぜよ。何を根拠に、国王と王妃だけは例外だと言える?」

「……まるで……」

「まるで?」

「見てきたような言い草だな」

「お祭り騒ぎをか? 見たとも。この眼でしっかとな。あれ程おぞましいもん、そうありゃせん」

「違う。国王と王妃の処刑をだ」

「ああ……そりゃ見ちゃおらん。見ちゃおらんが、ワシと鉄造は、処刑された後の未来から来た。だから、その後にこの国がどんなに混乱するか知っとるし、もっと多くの血が流れる事も知っちょる」

「未来? もっと多くの血が流れる?」

「ルイ十六世の首が落ちた後、この国では『恐怖政治』ちゅうのが始まる。そりゃあ国を治める器も教育も無い連中がいきなり頂点に立つんじゃ。国民を押さえつけるのは恐怖しかあるまいて……」

 龍馬はフランソワにグイと顔を寄せた。

「……いいか、よう聞け。恐怖政治が始まると、パリだけで2千個の首が落ちる。国中だと2万個じゃ。じゃが、それは裁判所に記録が残る分だけでな、後になるとロクな裁判もせんで処刑が執行されたり、拷問での死亡が増える。それまで入れると、死人は4万人以上と言われちょる……」

 フランソワの顔が青ざめていた。この男がデタラメを並べているとは、どうしても思えない。

「……暗殺や内輪の権力争いによる刃傷沙汰も含めたら、一体どれ程の人間が死ぬか、もう誰にもわからん。おまんの恋人が命を懸けて勝ち取った自由の結末がコレちゅうことじゃ」

「そんな時代が、どれほど続く?」

 龍馬は、人差指を立てた。

「1年」

「1年? 1年でそれほど多くの人が死ぬのか?」

「その通り。ロベスピエールの首が落ちるまでよ」

「ロベスピエールだって? マクシミリアンの事か? 彼が恐怖政治の主導者だと? 有り得ん! 彼は死刑廃止論者だぞ。民衆が彼を何と呼んでいるか知っているか? 『清廉の人』だ」

「まっこと、そんな聖人が、なしてあんな殺人狂になってしまうのやら……ついでに言うちょくが、終いはクーデターでロベスピエールは失脚、一派数百人は徹底的に処刑されて恐怖政治は幕を下ろし、それはフランス革命の終焉でもある。1794年7月の事じゃ……」

 龍馬は、イスの背もたれに身を戻した。

「……一つだけ明らかなのは、ルイ十六世さえ生きとれば、対仏大同盟が結成されて外国から攻撃される事はないし、ロベスピエールがあそこまで権力を持つ事もないちゅう事よ。つまり、これほどの大量虐殺は、まだ回避できる可能性が残っとる」

「……最後に聞かせてくれ。あなた方は、フランス国王一家を助けて何を望む? 王政の維持か?」

 龍馬は眼を大きく見開くと、グルグルと動かした。

「そんなの知らん」

「はっ?」

 フランソワは、自分の耳を疑った。

 だが、龍馬は自分の調子で言葉を続ける。

「一人一人の理由があるじゃろ。ワシは前世で世話になったルイ15世の恩に報いたい。それに、あの二人、ギロチンで首を落とされる程の悪い事をしたか?」

「それはない。王は寛大で慈悲深いお方だ。王妃は……贅沢好きだが、人を傷付けたりするお方では決してしない」

「そうじゃろ。悪さは大概、宮廷貴族がやらかしたもんじゃ。そいつらも、今は天国か外国におる。じゃがな、パリを見てみい。何か変わったか?」

「いや……」

「街には人が溢れ、劇場には入りきれんほど観客が集まる。売春宿は大繁盛じゃ。その陰で、貧乏人は相変わらず今日のパンに困っとる。貴族がブルジョアに置き換わっただけの事ぜよ。まあ、ワシの今の親がそのブルジョアじゃけ、偉そうには言えんが」

 サンドラが口を開く。

「わたくしはアルフレッサ国王の命により、マリア・テレジア様の恩に報いる為ですわ。それと、個人的にはシャルル王子をお守りしたい。あれほど素直で愛らしい王子が、口にするのもおぞましい虐待を受けて衰弱死するのを、人として見過ごす事はできません」

「そんな……民衆がそこまで酷い事をするわけ……」

「するのですわ。そして、歯止めが効かなくなった民衆は、民衆同士で殺し合いを始めるのです。女性にも子供にも犠牲が……これから起こる事なので証明はできませんし、信じるか信じないかはフランソワさん自身ですけど」

「フェルゼン……そう、フェルゼンはそれを信じ、国王一家の逃亡に協力するのですね?」

「ええ。フェルゼン伯爵は、わたくし達の助けがなくても、大変な自己犠牲を払って国王一家の救出に尽力します。ですが、悲しいかな、全て失敗してしまいますの」

「それでは、救出作戦に意味がないのでは?」

「いえ、失敗の原因の多くは、国王の煮えきりの無さにあります。責任感の強さが仇になるのですわ。そして、ようやく逃亡を決めても、緊張感無く。観光気分で逃亡を行ってしまう。自分には神の加護があると、根拠の無い自信があったからです」

「まあ、一国の王ですから」

「ですので、わたくし達は、お二人は死ぬのだと、ギロチンで首を落とされるのだと、はっきり伝えてしました。そして、シャルル王子が残虐非道な児童虐待の末に、僅か十歳でお亡くなりになる事もです」

 フランソアの眼が驚きで丸くなった。

「それを、王と王妃にお伝えしたのですか?」

「もちろん。お二人に覚悟が無いと意味がありません。王は、自分の命はどうなってもよい、王子の命だけは助けたいと、そう仰いましたわ」

「なんと、おいたわしい……」

 サンドラは立ち上がった。

「これ以上いたわしい事が起きぬよう、わたくし達は命を懸けるのです。フランソワさん、ご協力頂けますね?」

 そして、右手を差し出す。

 フランソワも立ち上がり、その手を握り返した。

「わかりました。一度は自由と平等と博愛の為に棄てたこの命。もし許されるのなら、もう一度、王と王妃の為に棄てましょう」

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