第78話 会う日再び

 久しぶりに再会したフェルゼンの顔は、心なしか疲れている様に見えた。

 王妃のもとを去った事を責める訳でもなく、懐かしそうに眼を細めてフランソワを見た。

「少し痩せたね。苦労はしてないかい?」

 セーヌ川のほとり、午後の日差しが水面に乱反射して眩しい。

 フランソワは、ベンチに座っていたフェルゼンの隣に腰掛ける。

 再会は二人だけで、とフランソワは望んだ。

 そして、フェルゼンが指定してきた場所がここだった。

「あなたこそ……ずいぶん痩せた」

「あれから色々あったからね。だが、これからが本番だそうだ。聞いたと思うが」

「ええ、サンドラ様から……信じているんだね」

 フェルゼンは、川の流れに視線を戻して頷いた。

「私の頭の中にしかない計画を言い当てた。それがどうやって失敗するかもね。信じるしかないよ。君は?」

「あの龍馬という男が嫌いだけど、個人的なことだから。それが本当に転生によるものかは別として、未来を知っているのは本当だと思う」

「そうか……それで、君はどうする?」

 フランソワも川の流れを見つめた。

「もう、十分に人が死んだ。これ以上死ぬ必要は無い。例えそれが神の望みであっても……私はあらがう」

 フェルゼンは微笑んだ。

「君が私と同じ考えで良かった……私も、人が少しでも死なないで済む道があれば、そちらを選択したい」

 フアンソワは、黙って頷く。

 フェルゼンはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「……それと、いつかの君の気持ち、本当は嬉しかった。一度だけ、舞踏会にドレスを着てきた事があったね。あの時の君は誰よりも美しかったよ」

 照れ臭そうに鼻の頭をかくフランソワ。

「そうかい? 実は自分でもそう思っていたんだ」

 二人は、ようやくお互いの眼を見て笑った。



 フランソワが直接会って、わだかまりを解くべき人物がもう一人いた。

 言うまでもない、王妃アントワネットである。

 こちらは、二人きりでの再会という訳にはいかない。前回、サンドラが国王と面会した時と同様に、ウバーリ連隊長とランス小隊長を頼ることにした。

 二人が相変わらずギャンブルで負けが込んでいるのは、ルブランの調査でわかっている。いつもの様に、金を少し握らせれば言いなりだった。

 トントン拍子に準備は進み、訪問の日が訪れた。


「こう言っては失礼かもしれませんが……」

 フランソワの着替えを手伝うエレデは、ためらいながら言った。

「……フランソワ様が、こんなにメイド服がお似合いとは思いませんでした」

 フランソワは苦笑いだ。

「そうかな……しかし、それを言うなら、君の正体が男って事の方が、よっぽど衝撃的だよ」

 今回、エッジとブレードの同行は無い。エレデに加えてフランソワもいれば、面倒が起きてもサンドラを守りきれるだろうという算段だ。

 それに、イザとなればサンドラから鉄造へと自動的に切り替わる。

「ウバーリ連隊長とランス小隊長は、フランソワ様と共にバスティーユで戦った戦友とか。気付かれないでしょうか?」

「革命前、宮廷の舞踏会に一度だけドレスを着て参加した事があってね。その時は、誰も私とは気付かなかった。それこそ、フェルゼンさえも…」

 そう語るフランソワの表情からは、懐かしんでいるのか、悲しんでいるのか、察する事ができない。

 エレデは何も言えず、ただ黙ってフランソワの髪を後ろで一つにまとめた。


 そして案の定、ウーバリ連隊長もランス小隊長も舐めるように見つめながら、目の前のメイドがフランソワだとは気付かなかった。

「いやはや、貴国には美男美女しか生息していないのですか?」

「いやですわ連隊長、アルフレッサにも子供がいれば老人もいるように、美しい人もいればそうでない人もいます。それよりも、女性をいやらしい眼で見たければ、娼館へ行かれる事をお勧めしますわ」

「これは大変失礼しました。決してそんなつもりではないのですが」

 スタイル抜群のフランソワを、そんなつもりの眼で見ていたウーバリとランスは、慌ててフランソワから眼をそらす。

 そして、それをゴマ化すように歩き始めた。

「ルブラン殿から伺いました。間もなくお国に帰られるとか。せっかくお近付きになれたのに残念です。なあ、ランス」

 建前上、サンドラの花嫁修業という名目の物見遊山は終了、近々アルフレッサへ帰国するという話になっている。

「ええ、全くですわ……」

 したがって今日は、サンドラがフランス国王に最後のご挨拶、という事になっていた。

「……お二人には厚く感謝しておりますの」

 ウーバリは満面の笑顔になる。

「そう言って頂くと、頑張った甲斐があるというものです。最後までご協力致しますので、何なりとお申し付けください」

「まあ、頼もしい。その時には、ご面倒に相応しいお礼を致しますので、よろしくお願いしますわね」

 ウーバリとランスはお互いの顔を見合わすと、「ウヒヒッ」と声をあげて笑った。

 廊下を進むと、窓から庭園が見えた。

 今やチェイルリー宮殿の庭園の至る所に得体の知れぬ連中がテントを張り、まるで貧民街の様相だ。

 所構わずの排泄物は悪臭を放ち、衛生環境は最悪、これで治安だけが良い筈もないだろう。

 チェイルリー宮殿が徐々にスラム化していくであろう事は龍馬から聞いていたサンドラだったが、実際を目の当たりにしてショックは隠せない。

 サンドラの後ろで、エレデが独り言のように呟いた。

「我々のグレンキャンベル宮殿を、この様にしてはいけません……」

「ええ……ですが、アルフレッサにも貧しい人々が大勢いますわ。その人々を救うには福祉を充実させ、雇用を産み出す必要があります。国に帰ったら、すぐに取り組みますわよ。いいですね、エレデ」

「はい!」

 サンドラとエレデの会話を聞いて、この人は本物だ、王妃となって国民を導くに相応しい人だ、とフランソワは思う。

 もし、マリー・アントワネットが、貧しい者に寄り添う素振りだけでも見せていたら……いや、たまに民の前に立って手を振るだけでも、事態は全く違っていただろう。

 だが、アントワネットはベルサイユ宮殿に閉じこもり、贅沢と浪費に明け暮れた。媚びへつらう恥知らずばかりを周りにはべらせ、王妃の未来を心から憂う耳うるさい者を追いやった結果がこれである。

 フランソワも、ポリニャック公爵夫人を始めとする、私利私欲を肥やす事ばかりを考える貴族を遠ざけるよう、何度もアントワネットに進言した。

 貧しい者の声に耳を傾けるように、とも……。

 しかし、全ては徒労に終わり、結果フランソワはアントワネットと袂を分かつ。

「あなただけは、私を最後まで守ってくれますよね」

 そう懇願するアントワネットに背を向けてベルサイユ宮殿を後にする時、どれほど胸が掻きむしられた事か。

 まだ若かかりし頃、「この剣に賭けて、生涯妃殿下にお仕え申し上げます!」とアントワネットに誓ったのもフランソワ自身だ。

 もし、王妃の道を正し、もう一度仕える事ができたなら……。

 そう思っただけで、フランソワの胸は熱くなった。

 角を曲がる直前でウーバリは足を止める。

「では、私たちはここで。毎回、我々がメイドに付き添うのも変ですからな。その角を曲がって真っ直ぐ行くと王の間です」

「この前と同じ部屋ですわね。わかりましてよ」

「そちらのメイドさんの尻を触った兵隊が立っているので、その者が扉を開けてくれます。いや、大丈夫ですよ。減給になったうえに、こっぴどく絞りましたから、もう悪さをする元気は無い筈です」

 サンドラ達が進んで行くと、確かに先日と同じ若い兵士と年輩の兵士が扉の前に立っていた。

 若い兵士は、サンドラ達を見ると顔をこわばらせ、改めて直立不動の姿勢を取る。

 だが、年輩の兵士はフランソワに気付き、驚きに眼が見開かれた。

 若い兵士が年輩の兵士に声をかける。

「先輩、あんましジロジロ見ない方がいいっスよ」

「あ……ああ、そうだな」

 だが、年輩の兵士はフランソワから眼が離せない。

 フランソワは、まずい事になったと思う。その兵士の顔に見覚えがあったからだ。

 サンドラ達が扉の前に立つと、若い兵士は黙って扉を開けた。

「ありがとうございます、兵隊さん。エレデ、あなたはここで待っていてね」

 フランソワと年輩の兵士のただならぬ空気を察し、サンドラはその場にエレデを留まらせる機転を働かす。

「かしこまりました、メイド長」

 エレデも、瞬時に自分の役割を察知した。

 そして、サンドラとフランソワだけが王の間へと入り、扉が閉められた。

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