第59話 花の都

 ベルサイユからパリは、距離にして二〇数キロ。

 パリに近付くにつれて路上生活者の姿が増え、衛生環境が悪くなっていくのが眼に見えてわかった。

 ブレードが馬に乗りたいと希望したので、交代したルブランが車内で説明する。

「ルイ一六世は頭の良い方です。フランスの現状を数字で具体的に把握していました。ですが、その深刻さから現実に眼を背けてしまった。その結果がこの有様です。失礼ながら、あえて貧民街を通らさせて頂きました。サンドラ様に、この国の実状を見て頂きたかったので」

 サンドラは、自分に言い聞かすかの様に言った。

「アルフレッサを……我が国を、この様にしてはいけません」

 車内がシンと静まり返ったので、エッジがわざとオドケた調子でルブランをからかう。

「それにしてもルブラン殿、先程は素晴らしい名演技でした。大使を引退されても、役者で食べていけますよ」

「ははは、何をおっしゃる。エッジ殿には、足下にもおよびません。その演技力で、ずいぶんご婦人を泣かせたとか」

 エッジとルブランの視線がぶつかり、エレデには火花が飛び散ったかの様に見えた。

 ちなみにこのルブラン、若い頃はエッジ並の美形であったが、堅物で仕事に情熱を傾け過ぎたせいで未だに独身である。今も美中年と謳われているが、相変わらず浮ついた噂の一つもない。セイラ王子との一件で心を入れ替えるまで、色恋の噂が絶えなかったエッジとは真逆であった。

 エレデは二人の険悪な空気を察し、間に割って入る。

「でも、王様亡命まで、このまま運が味方してくれたらいいですね」

 これには同意するしかないエッジとルブランだった。


 貧民街を抜け、パリも中心部に近付くと、街は華やかになっていく。

 どの様な政情でも、事業を成功させて富を得る者は必ず出てくる。むしろ今のフランスは、庶民の不満や恨みが貴族や王族に向いている分、ブルジョアジーには都合の良い社会と言えた。

 やがて馬車は、立派なホテルの前で止まる。ボーイが数名、駆け寄ってドアを開けると、うやうやしく頭を下げた。

 サンドラ一行がホテル内に入ると、すぐに支配人が飛んで来た。筋肉質でガッチリしている支配人だが、歩き方が妙にナヨナヨしている。

「ようこそ、遙々お越しくださいました。アルフレッサ王国のプリンセスをお迎えできて、誠に光栄でございます」

 サンドラは、ろくに支配人を見もせずに、物珍しそうにホテル内を見回しながら言った。

「これがホテル……立派なものね。だけど、随分ガランとしているのはなぜかしら」

「はい……あの、正直に申しまして、当ホテルのメインのお客様はイギリスの上流階級の方だったものですから、このところの政情不安でめっきりパリに来られる方が減ってしまいまして……」

 支配人が本当に悲しそうな顔をするのが可笑しくて、サンドラは必死に笑いを堪えた。

「……ですが、これを機会に貴国との交流が盛んになる事を期待しております」

 次は、眼をギョロギョロとさせながら嬉しそうな顔に変わった。その顔芸に、とうとうサンドラは笑ってしまう。

「ププッ! コメンなさい……そうね、これからは我が国との交易も増えると思うし」

 サンドラは、すっかりこの支配人気に入ってしまった。

 手続きが済むと、支配人は自らサンドラ一行を案内する。ボーイ達が荷物を持ち、後に続いた。

「プリンセスは庶民的なお部屋が好きとお伺いしていたのですが、手前どもと致しましては高貴なお方をその様な部屋にお泊めする訳にもいかず、誠に勝手ながらペントハウスをご準備させて頂きました。もちろん、お代はそのままでございます」

 ルブランが、慌てて支配人にクレームをつけた。

「いや、サンドラ様のご意向も伺わずにそんな事をされては……」

 ところが、当のサンドラがそれを止めた。

「いいのよ、ルブラン。ご厚意は素直にお受けしましょう。ですが支配人さん、宿泊費は正規の料金をお支払い致しますことよ。オホホホ……」

 ルブランは、驚きで口が開いてしまった。サンドラは広い部屋では眠れない体質なので、くれぐれも狭い部屋を準備するようにと、本国から再三の注意があった程だった。

「はあ……サンドラ様さえよろしければ」

 釈然としない気持ちでルブランは答える。

 だが、サンドラとしては、シェルブール港からベルサイユまでの道程で何泊かした宿はいずれも鉄造好みの狭い部屋ばかり。鉄造の人格がメインだった頃に立てられた計画なので仕方ないのだが、正直もうウンザリしていたのだ。

「こちらが当ホテル、最上級のお部屋にございます」

 支配人がドヤ顔でドアを開けただけあって、家具も調度品も高級な物ばかりを揃えた広い部屋だった。

「いい部屋ね。気に入ったわ」

 サンドラが本気でそう言っているようなので、ルブランは首を捻るしかない。支配人はさも有りなんといった表情だ。

「こちらのお部屋、右手奥にお付きの方のベッドがございます。出て左右が護衛の方のお部屋。何かご不便があればフロントまで、ご遠慮なく……」

 支配人は、顔と体格に似合わないナヨナヨとした仕草で部屋を出て行った。

 ルブランは、早速サンドラに疑問をぶつける。

「サンドラ様は、広い部屋では眠れないと本国から連絡があったのですが、この様な部屋で大丈夫なのですか? 宮殿では、わざわざ狭い物置で寝起きしているとも伺っております……それに、質素を好まれるとの事でしたので、わざと絢爛な部屋を避けていたのですが、お気に召しませんでしたでしょうか?」

 サンドラの眼が泳ぐ。

「えーっと、そのう……」

 見かねたエッジがサンドラに言った。

「これからは、ルブラン殿も我々と一蓮托生。真実を話すべきではないでしょうか?」

 サンドラは、眼を泳がせたまま答えた。

「そうね……エッジに任せるわ」

 ルブランの胸に、嫌な予感が走った。

 エッジは頷くと、少し考える。

「……実は、サンドラ様は二人いるのです」

「何と! 影武者がいると?」

「いえ、そうではなく……」

 エッジが言葉を探していると、ブレードが手を挙げた。

「あの、俺に説明させてください。学園時代から、ずっと近くで見てきたので」

 サンドラは気恥ずかしいのか、窓辺の椅子まで歩いて行き、外の方を向いて座ってしまった。

「ああ、よろしく頼むよ」

 エッジのその言葉を合図に、四人もソファーに座った。

 ブレードは、膝の上で指を組む。

「学園時代のサンドラ様は、他の方よりお美しいですが、ごく普通の公爵令嬢でした。その……少し意地悪な。だから、サンドラ様を恐れていた人は大勢いたし、悪役令嬢と陰口を叩く者もいました」

「酷い! サンドラ様は慈悲深く、お優しい方です」

 無条件にサンドラを信奉するエレデが異議を唱える。

「昔の話だよ。えっと、特にケイン王子と婚約されたシルビア様へのイジメは酷いものでした」

 聞こえている筈なのだが、サンドラは相変わらず外を向いて黙ったままだ。悪い女だったという自覚はあるのだろう。

「ところがある日、サンドラ様は乗馬の授業で落馬事故にあってしまいます。一時的に心臓が止まってしまう程の大事故でした。そして、その事故を境に、サンドラ様は文字通り人が変わってしまいます」

 この辺りの経緯はエッジとエレデは知らない。思わず身を乗り出す。

「まず、高飛車で高圧的な所が全く無くなりました。ケイン王子と事故のお見舞いに行った時、シルビア様と仲良く談笑されているのには驚きましたよ。聡明で思慮深く、感情に流される事などありません」

 だが、サンドラは心の中で呟いていた。

――性欲には簡単に押し流されるスケベ野郎だけど……。

「そして、何よりもその卓越した剣の技です。並び立つ者のいない技。私もエッジさんも、サンドラ様には全く歯が立ちませんでした。その剣技と、まるで未来を見て来たかのような見識で、国の存亡に関わる事件を幾つも解決されたのです」

 ルブランは、腕を組んで頷く。

「それを聞いた時には、私もにわかに信じられませんでしたが、事実なのでしょうが」

「はい、事実です。ですが、グレンキャンベル港を出る時、私達は衝撃の告白を受けました。あの落馬事故の時、サンドラ様の中で前世の剣士の魂が蘇り、本来のサンドラ様と入れ替わっていたというのです。そして……その……セイラ王子との初めての夜に、その剣士の魂はどこかへ行ってしまったと……」

 ルブランはしばらく事を理解できず、ボーっとしていたが、やがて電気が走った様にソファーの上で跳ねた。

「……という事は、今のサンドラ様はタダの悪役令嬢……失礼、普通の公爵令嬢で、聞き及んでいた特殊な能力は既に持ち合わせていないと?」

 ブレードとエッジ、エレデの三人は、同じタイミングでコクリと頷く。

「突拍子もない話ですが、事実なんですね?」

 三人は、再度コクリと頷いた。

 ルブランは両手で顔を押さえる。

「おお、神よ……どうするんですか? この状況で計画を遂行するのですか?」

 エッジが答えた。

「遂行します。それが我らが王の望みですから。それに、絶望的な条件ばかりではありません。サンドラ様は前世の剣士の記憶を引き継いでいらっしゃる。不思議な話なのですが、サンドラ様の前世は過去ではなく、どうやら八〇年程先の未来らしいのです」

 顔を押さえていた両手を、ルブランはパッと離した。

「という事は?」

「これから起こる事が、粗方わかるという事です」

「なるほど……少し光明が射しますね」

「少し具体的な数字を申し上げましょう。一七九三年一月二一日がルイ一六世、同年一〇月一六日にマリー・アントワネット。お二人が断首刑となる日……らしいです」

「あと三年……」

「その二年ほど前、一家は亡命を試みますが失敗します。それからは罪人として厳重に監視されるので、救出は不可能となります」

「つまり、この何ヶ月で逃亡を成功させないといけないと」

「そういう事です」

 ルブランは、腕を組んで天井を見上げた。

「……実は、ルイ一六世とマリー・アントワネットの死刑を予言したのは、サンドラ様だけではありません」

 この発言にはサンドラも振り返った。

「えっ? 誰ですの?」

「サン・ジェルマン伯爵という人物です」

 今度はエッジの眼が丸くなる。

「サン・ジャルマン? 実在の人物だったのですか?」

「そうです。私は会った事はありませんが、彼に会った事のある人は大勢います。間違いなく実在していました」

「していました?」

「ええ、五年程前にドイツで亡くなったそうです」

 話に付いて行けないサンドラが、イライラして尋ねる。

「誰ですの? そのサン・ジェルマンとやらは?」

 エッジが答える。

「ホラ伯爵として有名な人物です。古代ギリシャのアレクサンダー大王と杯を交わしたとか、中世イギリスのリチャード獅子王と十字軍に参加したとか、途方もない話が多いので、てっきり架空の人物だと思っていました」

「そのホラ伯爵が何を予言したの?」

 ルブランが立ち上がって言った。

「サンドラ様、その話は後に致しませんか? 長い話になりますので。まずは荷ほどきをして、少しお休みになりませんと」

 サンドラは渋々了解する。

「そうね。そのサン・ジェルマンとやらの話、今後の計画にも関わってくる気がするわ。あとでじっくりと皆で議論しましょう」

 エッジとブレードも立ち上がった。

「では、私とブレード君で右側の部屋を使いますので、ルブラン殿とエレデで左の部屋を」

「いやいや、エレデさんは、サンドラ様とこの部屋でしょう? 奥にあるという使用人ベッド」

「ベッドが離れていても、二人が同じ部屋という訳にはいきませんから」

 ルブランは、訳が分からないという顔をする。

「さては私をからかっていますね。こんなうら若き乙女と同室など、許される筈ないでしょう」

 エレデの顔が真っ赤になり、曖昧な表情で笑っている。

 エッジは、「アッ!」と短く叫んで頭を抱えた。

「申し訳ない、ルブラン殿。もう一つ、伝え忘れていた事がありました。エレデ君は、サンドラ様付きの女中という事になっていますが、実は男です。宮廷では優秀な近衛兵なんですよ。女性しか入れないような場所でもサンドラ様をお守りできるよう、この様な格好をしてもらっているのです」

「こ……こんな美しい娘が、男……」

 ルブランは口を大きく開けたまま、エレデをマジマジと見る。

 エレデは恥ずかしさにうつむいてしまった。

「……いったいアルフレッサ王国に何があったというのか……」

 ルブランの偽らぬ本音であった。

 ブレードがルブランの背中をドアの方へ押す。

「という事で、安心してエレデと同室してください」

「いや、それはそれで何だかマズイ気が……」

「長旅でしたから、そろそろサンドラ様に休息を取って頂かないと」

 四人がサンドラの部屋から出て行こうとした、その時だった。

「ねえ、ちょっと待って……」

 そう声をかけて、サンドラは窓の外を指差す。

「……あの建物は何かしら?」

 その先には、人を威圧する様な巨大な建物があった。

 ルブランは答えた。

「チュイルリー宮殿……あそこにフランス国王一家は幽閉されています」

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