第80話 本当の夫婦
ルイ16世とマリー・アントワネットは、期待に満ちた眼差しでサンドラを見た。
「何と頼もしい姫だ……運命を捩じ伏せた者は、ここまで強く、しなやかになれるものなのか」
ルイ16世の言葉に、アントワネットも大きく頷いた。
「して姫よ、具体的な逃亡計画がいかに?」
「はい、陛下。プランは二つ準備してございます。一つ目は、本来陛下が逃亡を決断する筈の復活祭の日。この日は宮殿に大変な数の民衆が押し寄せ、大混乱になります。その混乱に乗じて脱出致します」
「なるほど。だが民衆は、余が逃亡すると思って押し寄せるのであろう?」
「その通りです。ですので、襲われる馬車にはオトリが乗り込み、陛下御一行は変装して民衆に紛れて逃げて頂きます」
「何と……余に平民の服を着れと申すか?」
憤るルイ16世を、アントワネットがたしなめた。
「それを言えば、サンドラ様も次期王妃。しかも、我が国よりも遥かに王制の安定したお国の方。そんな方が私たちの命を救うために、メイドに変装してまで来てくださっているのですよ」
ルイ16世は、バツが悪そうにサンドラに作り笑いを向けた。
「そうであったな……姫は誰よりも強く、誰よりも慈悲深いと聞いておる。貧しい者に寄り添い、罪を犯した者にも寛大で更生の機会を与えると。余も現実から目を逸らさず、姫のように生きておれば、ギロチンという最悪の事態には……」
それも全て、鉄造のお陰ですけど……サンドラはそう思いつつ、国王を励ます。
「陛下。生きてさえいれば、人生はやり直せます。逃亡して長らえた命は、今度こそ病む者、貧しき者のために使えば良いのです。必ずや偉大な王として名を残すことになるでしょう」
「太陽王(ルイ16世の祖父、ルイ14世のこと。フランス王宮文化を作り上げるが、借金大国にした張本人でもある)よりもかな?」
「もちろん。御祖父は絢爛な王ではありましたが、偉大な王ではありませんでした。ベルサイユ宮殿が後世に遺っても、ルイ14世の借金の額と共に語られるでしょう。しかし……」
サンドラは、ルイ16世の心臓の前に手をかざした。
「……陛下が他人の言葉に左右されす、心の羅針盤に従えば、必ずや偉大な王と呼ばれるとお約束します。讃えるのは民であり、語り継ぐのもまた民。民の為に何を為すかが重要なのです」
ルイ16世は、真剣な顔で頷いた。
「さて、二つ目のプランですが、王妃様とフェルゼン様とで進められていた逃亡計画を、そのまま実行するというものです」
それにはアントワネットも驚いた。
「お待ち下さい、サンドラ様。その計画が失敗するとは、サンドラ様自身からお伺いしております。確か、ヴァレンヌの町で捕らえられてしまうと」
「ええ、その通りです。ですが、計画そのものは完成されたものでした。失敗の原因はパリを出た後の油断にあります。そして、八頭立ての豪華な馬車。そんな物で田舎の街道を走れば、人目について当然です」
アントワネットは、恥ずかしそうに言い訳を口にする。
「その、陛下はこの通り御身体が大きいので……ですが、確かに八頭立てを新調するのはやりすぎでした」
サンドラは満足げに頷く。
「ご理解頂き、ありがとうございます。馬車についてはフェルゼン様にお願いして、既に発注を取り消しさせて頂きました。逃亡とは着のみ着のまま、当面生きるのに必要な物だけを持って逃げる事とご理解ください。ワイン樽を担いで逃げるなど、言語道断です」
今度はルイ16世が恥ずかしそうに苦笑いした。
鉄造の知る史実では、ルイ16世は逃亡の馬車にワイン樽を積むという愚行を行っている。やはり眼の前の国王も、同じ事を考えていたのだろう。
「いやはや、未来を見通す姫には敵わぬな。しかし、同じ事をサン・ジェルマンに言われると腹が立つのに、姫だと納得するのだから不思議なものだ」
これにはサンドラも苦笑いするしかなかった。
「まあ、龍馬……サン・ジェルマンの口の悪さは弁解のしようもありませんが、彼は彼なりに陛下の御命を守ろうと必死なのです。計画が決まれば、嫌でも顔を合わすことになりましょう。何卒寛大な御心を」
「もちろんだ。結局、奴は余の心配を本気でしてくれていたのだ。感謝はしていても、恨みはしておらん。現世の名をエリックと言ったか、早く再会したいものだ」
アントワネットも頷いた。
「私もです。自分を不老不死だと申した時にはとんだペテン師だと思いましたが、ある意味真実だったのですね。世には不思議な事があるものです」
フランソワが言った。
「彼とは剣でも手合わせしましたが、サン・ジェルマン伯爵で間違いありません。癪に障る喋り方も、以前と同じでした」
サンドラは、ゆっくりと三人の顔を見回す。
「ご理解頂いたところで、もう一度申し上げます。王妃様のプランも、油断せず慎重に行動すれば、成功の可能性が非常に高いものです。どちらのプランも我が国が誇る腕利きの剣士が同行しますので、例え追っ手に襲われても、大砲でも持ってこない限り蹴散らしてしまうでしょう」
「そこのところは心配しておりません。私たちには最強のサンドラ様がいますし……」
アントワネットは、フランソワを力強い眼差しで見た。
「……フランソワもこうして戻って来てくれました。あとは陛下の御心に従うのみです」
ルイ16世は、一人掛けの椅子から立ち上がる。粗末な椅子だが、今はそれが王座の椅子だ。
「余の心は決まっておる。例え状況が変わっていようと、一度姫らが失敗を見届けた計画には乗りたくない。一つ目のプランで行きたいのだが、どうだろう?」
サンドラに異論がある筈もなかった。
「承知致しました、国王陛下。4月18日、復活祭のミサの日に作戦を決行致します。どうか我々を信じてください。一抹でも疑念が生じれば、計画は失敗に終わるでしょう……」
そして、自分に言い聞かせるように言った。
「……このサンドラ・エメラーダの命とアルフレッサ王国の名に懸けて、国王陛下とご家族をお守り致します」
サンドラとフランソワが出て行った後、マリー・アントワネットは独り言のようにルイ16世に語った。
「ベルサイユにいた頃、私は退屈が怖かったのです。ですから、意味も無くドレスを買い漁り、プチトリアノン(マリー・アントワネットの私的な宮殿。ベルサイユ宮殿の豪華絢爛さとは全く異質の素朴な一軒家造りとなっている)で遊びました。ですが、今は全く自由がありませんし、常に未来に怯える日々ですが、不思議な充実感があります。それに……」
アントワネットは、真っ直ぐルイ16世を見つめた。
「……ようやく、あなたと本当の夫婦になれた気がします」
ルイ16世は、アントワネットの肩を優しく抱いた。
「僕もだよ……」
☆
王の間を出ると、扉の前にエレデが無表情で立っていた。
その表情を見たサンドラは状況を察し、兵士たちとは一言も交わさずに、会釈だけをしてその場を離れる。
兵士たちから、ジッと見られているのを背中で感じた。
三人が口を開いたのは、馬車に乗り込んでからだ。
「年配の方の兵士は、フランソワ様が指揮する部隊にいたそうです。確か、ベルサイユ常駐部隊。フランソワ様を命の恩人だと言っていました」
エレデの報告に、フランソワは頷く。
「ええ、間違いありません。バスティーユで彼を助けた事があります。そうですか、私だと気付きましたか……」
「はい。ですが、私の母親だと伝えたら、別人だと納得したようです。良い人そうなので、騙すのは気が引けました」
それは聞いたサンドラは、上機嫌で面白がる。
「まあ、フランソワさんがエレデのお母さん。クスクス……そう言われれば、何となく似てましてよ。美人母娘ですわね」
フランソワも、照れ臭そうに笑う。
「ハハハ。確かに早く結婚した知人には、エレデさんくらいの子供がいる者も少なくありません」
「上出来でしてよ、エレデ。よく一人でピンチを乗り越えました。しかし、一度口にしたキャラ設定は、今後も演じ続ける必要がありますわ。フランス国王一家の逃亡が成功するその日まで、二人は仲良し母娘という事でよろしいですわね」
エレデとフランソワは、笑顔で頷いた。
サンドラも、満足げに頷く。
「さあ、これから忙しくなりましてよ」
車窓から見えるパリの街も、心なしか慌ただしさを増したように見えた。
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