第31話 重なり合う思い

 エッジは今、生まれて初めての挫折を味わっていた。

 子供の頃からクラスの誰よりも強く、カッコ良く、常に女子の視線の中心にいた。エッジが話しかけただけで、女の子なら誰でも飛び跳ねて喜んだものだ。

 それは、青年になってからも同じ、いや、より顕著になった。エッジがベッドに誘って断る女性はいなかったし、宮廷に出入りするようになってからは、暇を持て余したマダム達が金品をネタに積極的にエッジに抱かれようとした。

 第一王子の警護筆頭などにならなければ、そんな美味しい生活がいつまでも続く筈だった。いや、せめて普通の王子でさえあってくれれば、宮廷を去る必要など無かったのだろう。

 しかし、第一王子は同性愛者だった。エッジにとって不運だったのは、その王子が今まで出会ったどの女性より美しく、清らかだった事だろう。

 その頃、エッジはマダム達との秘め事に食傷気味だった。きつい香水の臭いに飽き飽きしていたし、これ見よがしにアピールしてくる派手な下着に興奮したフリをするのにも飽き飽きしていた。

 何よりも、エッジにばかりサービスを強い、自分だけ快感によがりまくるマダム達自身に飽き飽きしていたのだ。

 だから、まるで妖精のような透明感に包まれた王子の清らかさは新鮮だった。いつも花園にいるせいか、淡い花の香りがする。なぜか女装している事が多いが、飾りの無いナチュラルなドレスは細い身体によく似合っていた。

 そしてそれらの魅力は、エッジにタブーの垣根を越えさせるのに十分なものだった。

 王子はエッジへの恋心を隠さなかった。隙あらばキスを求めてくる。

 エッジは頭では同性愛を拒否し、キスには巌として応じなかったが、身体はそうもいかなかった。その日、王子の執拗な密着に反応してしまい、服の上からでも明らかなほど股間を膨らませてしまう。

 王子はそれを狭いズボンの中から解放し、猛りを静めようと口に含んだ。それは、初めてでたどたどしいが、愛のこもった丹念なものだった。

 もちろん、それまでにも口茎の経験はあった。だが、一回戦が終わっても貪欲に快楽を求めるマダム達が、エッジを無理矢理に起たせようとする荒々しいものばかりだった。王子の様に、エッジに奉仕したいという気持ちからの口茎は初めてだった。

 あどけない王子の懸命で、それでいて焦れったい舌使いに、エッジはやがて絶頂に達する。ほとばしる男根をくわえたまま、切なげな眼差しで見上げる王子を見下ろしながら、エッジは今まで経験した事のない快感と征服感を感じた。

 普通の火遊びなら、一度だけの事で窮地に陥ったりはしない。マダム達は貴族の夫人であり、夫はもちろん子供がいる者も多かったが、それで問題になった事など一度もなかった。

 ヨーロッパの貴族文化において不倫は半ば嗜みのようなものであり、見て見ぬフリをするのが美徳とされている部分もあった。

 同性愛についても、宗教ではそれを否定していたが、その趣味の者は貴族にも当然いる。表向きは普通の家庭を築いているが、裏では同じ性癖の者同士ちゃっかりと楽しんでいるのだ。

 しかし、第一王子にその辺の要領の良さは全く無かった。エッジと性的な関係を持った次の日から、益々エッジを独占しようとするようになる。

 職務時間外のエッジの行動まで調べるようになり、マダム達との関係に気付くと、エッジに四六時中自分の側にいる事を命じた。人目をはばからず抱きつくようになり、女装にも熱が入る。エッジの前では、女になりきろうと懸命だった。

 これが一般貴族であれば、そこまで問題にはならなかったのだろう。だが、第一王子である。やがて周囲も、これ以上見て見ぬフリという訳にはいかなくなった。

 エッジは宮廷内の空気を読み、話がこじれて取り返しがつかなくなる前にと、軍隊への転属を希望する。幸い、エッジには故郷に親の決めた許婚がいた。この婚約に従うつもりは無かったのだが、転属の口実として「この婚約を王子が許してくれないから」というのは、十分な効力を持つものだった。

 宮廷を去る時、兵団長はボヤくように言った。

「前の警護筆頭は信心深い奴でな、このままでは神の教えに背いてしまうと言って軍隊に行った。モテ男のお前なら、王子の求愛も適当に受け流せると思ったのだが」

 エッジは答えた。

「神に背く事は別に良いのですが、国王の恨みは買いたくないので」


 宮廷を出てから軍隊に入るまでの休暇に、エッジは十数年ぶりに故郷へ戻った。許婚を理由に宮廷を出たからには、その許婚に一度は会っておくべきだろうと思ったからだ。

 許婚と会うのは二度めだが、前回はまだ赤ん坊だったので、初対面のようなものである。エッジと同じで地方の下級貴族の家に生まれ、少年だったエッジは数歩歩いては転ぶその赤ん坊を良く覚えていた。

 故郷はエッジを盛大に歓迎した。田舎では、宮廷で働いていたというだけで箔が付く。第一王子の警護筆頭ともなると、最強の称号と共に錦を飾るようなものだ。軍でもそれなりの位が約束されていたのも大きかった。

 両親と共に先方の家を訪問し、許婚と久々の再会……というより、初めて顔を会わせる。

「貧相な身体に育ってしまい……顔はそこそこだと思うのですが」

 少女の父親は申し訳なさそうに言った。が、エッジは少女を気に入った。確かに肉感的ではないが、そこが好ましいと思った。

 少女はもちろん、エッジにベタ惚れである。

「一生分の幸運を今日使い果たしたようです。明日からが不安だわ」

 そう言って両家を笑わせた。

 それから一週間、エッジは出発の当日まで許婚の家に通う。

 少女は花が好きで、庭に沢山育てていた。ある日、エッジは花の世話をする少女を眺めていた。

 少女は、時々エッジの方をチラッと見ては恥ずかしそうに微笑む。薄い胸、細い身体、金色の髪、飾り気のないドレス……。

 少女が慌てて飛んできた。

「エッジ様! ご気分が悪いのですか?」

「えっ?」

 本人は気付いていなかったが、エッジの眼から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

 その時、ようやくエッジは、セイラ王子の面影を許婚の少女に重ねていた事に気付く。そして、自分の本当に気持ちも……。

「大丈夫です……ただ……その、少し抱きしめてくれませんか」

 エッジが言うと、少女は恥ずかしそうに、そして嬉しそうに、エッジの身体に腕を回して顔を胸に埋めた。セイラ王子がエッジを抱きしめた時の様に。

 エッジは、セイラ王子への思いが溶けて涙になって流れ出て行くのを感じた。

 少女は、セイラ王子と同じ、淡い花の香りがした。


 これからは心を入れ替え、許婚だけを愛していこう。エッジは心に誓った。

 幸い、軍隊はマッチョばかりの男社会だ。心を乱される事もなく日々が過ぎていく。

 非番の日には、仲間から女郎屋に誘われたりもしたが、婚約者がいるからと断ると誰も無理強いはしなかった。

 ところが転属から半年、宮廷から戻れとの命令が来たのだから驚いて当然だろう。しかも、国王から直々にである。

 この半年で、宮廷も随分変わったと聞いていた。何よりもセイラ王子が婚約したと。

 この知らせには、当然エッジもショックを受けた。どこかの悪役令嬢にたぶらかされたのではないかと心配になった。

 ところが、その後に届くセイラ王子の婚約者についての情報は、にわかには信じがたい事ばかりだった。

 ブレードより強く、近衛五人衆が束になっても敵わない、最強の女剣士。しかも、名門エメラーダ公爵家の令嬢でありながら、婚礼の日までセイラ王子の警護筆頭を兼ねるという。

 謙虚で慈悲深く、それでいて策略家。絶対に敵に回してはいけない人物だと誰もが言った。

 そんな超人が存在する訳がない。エッジは実際に宮廷で謁見するまではそう思っていたのだが……。

 謁見の間に立った瞬間に分かった。確かに、この令嬢を敵に回してはいけない。だが、初対面にも関わらず、令嬢がエッジをビンビンに敵視しているのが伝わってきた。

 今まで、意中の女性をエッジに奪われた男の恨みを買う事は多々あったが、女性にここまで敵意を向けられるのは初めての経験である。

 いや、敵意どころか、殺意に近いものだった。エッジは令嬢と剣術で立ち合い、強烈な一撃を喰らう。

 薄れゆく意識の中でエッジは思った。

 ――この女のどこが謙虚で慈悲深いんだ……。


 生まれて初めての挫折ではあったが、最後は令嬢に一矢報いたという満足感もあった。

 ようやく立ち上がり、剣術場に行くと、そこには既に誰もいない。顔見知りの庭師が一人、芝を整えていた。エッジに気付くと、帽子を取って頭を下げた。

「エッジ様、お久しぶりでございます」

「やあ、久しぶり……あの、皆は?」

「エッジ様が倒されたのを見て、皆様逃げて行かれました。サンドラ様の相手をさせられてはたまらんと」

「……姫様は、いつもああなのか?」

「いえ、あんな怖いサンドラ様は初めてでございます。いつも気さくでお優しい方ですから。私はてっきり……その、サンドラ様と以前何かあったのかと思ったのですが」

「色恋の事か? 無い無い。いくら私でも、学園に通う年齢のコに手は出さんよ。許婚は一六歳だが、親が決めてきた相手だし」

「ほう、一〇も年下の方と。うらやましい事で」

「茶化すなよ」

 その時だ。遠くからエッジを呼ぶ声がした。

「エッジさーん!」

 エッジは我が眼を疑った。ダメージから回復できたのを見計ったかのように、サンドラが戻って来たのだ。

「では、アッシは仕事がありますので」

 庭師はペコリと頭を下げると帽子を被り、切った芝をかき集めて持って行った。まるで、これ以上残酷な場面は見てられないとでも言うように。

 唖然としていると、サンドラが近付いて来た。

「どう? 身体は大丈夫? まあ! こんなに腫れちゃって! かわいそうに……タオル貸りるわよ。冷たい水で濡らしてくるから。ちゃんと冷やさないとね」

 どこか他人事である。

 ――いや、やったのはアンタだろ。

 エッジは心の中でツッ込む。。

 剣術場のベンチに座って待っていると、サンドラが戻って来た。首筋に冷たいタオルをそっと当ててくれた。

「……すみません」

「いいのよ。だけど、さすがね。あの一撃を受けてその程度で済んでいるなんて。並の剣士なら首の骨が折れて死んでると思うわ」

「恐ろしいことを言わないでください」

「冗談抜きよ。アナタ、最後の最後で身体を剣筋の方向に逃がしたでしょ。あれができるかどうかで生死が分かれるのね」

 悪役令嬢モードのサンドラは、鉄造の前世の記憶で見た事があった。必殺の袈裟斬りを何とか受けたものの、そのまま己の剣の峰を頭に食い込ませて絶命する敵の姿を。

「そういうものですか?」

「そういうものよ。しかしアナタ、見れば見るほどイケメンね。やっぱり、人の意識通して見るのと直接見るのじゃ全然違うわ。主観の差ね」

「……あの、何の話でしょう?」

「失礼、こっちの話。こんな事を話に来たんじゃなかった。私ね、エッジさんに謝りに来たのよ」

「謝り?」

「そう、いきなり酷い事したから。ごめんなさいね。ほら、私も一応女の子なんで、月に一回あるのよ。今回は特にイライラが酷かったから……」

「ええっ! 私は生理前のイライラでこんな目にあったのですか?」

「テヘ」

 悪役令嬢モードのサンドラは、舌をペロッと出す。

「てっきり、セイラ様の件でお怒りに触れたものと……」

「そんな、出会う前の事に嫉妬しても仕方ないじゃない。私、そんなに心狭くないから」

 その仕方のない事に嫉妬する、心の狭い男が鉄造である。

「だけど、アナタの実力はわかった。安心して背中を預けられるわ」

「一方的にヤられただけですけどね」

「いいえ。鉄造の攻撃を二度外した。こんなのアナタが初めてよ」

「テツゾウ?」

「あ……ああ、あの技の名よ」

「テツゾウ……凄い技でした。私にも教えて頂けませんか?」

「えーっと、その辺の事は私もよく知らないのよ。なんでも父が全部管理しているとかで」

「エメラーダ公爵ですね……一度直接お願いしたいと思います」

「たぶん大丈夫よ。エッジさんとブレードさんは許可が出ると思うわ。だって三人でフランスまで行くのだもの。力を合わせなくっちゃ……って、そんなにジッと見て、私の顔に何かついてる?」

「い、いえ、申し訳ございません。先程まで闘神の様に恐ろしい印象しかなかったもので、サンドラ様のお顔が美しい事に今初めて気付きました」

 サンドラは、機嫌良くエッジの背中をバシバシ叩いた。

「やーねえ、お世辞言っても何も出ないわよ」



 エッジと仲直り(?)した後、サンドラは悪役令嬢と鉄造のモードチェンジを行い、再びセイラ王子の部屋へと向かった。

「別に止めないけど、行かなくても心配ないわよ」

 鏡の中へと戻った悪役令嬢モードは言ったが、鉄造モードになったサンドラとしては、不安で居ても立ってもいられない。

 セイラ王子の部屋の前には、先程の二人の近衛兵が立っていた。

 サンドラに気付くと、若い方の近衛兵が尋ねた。

「もう一度席を外しますか?」

「結構よ。忘れ物を取りに来ただけだから」

 部屋に中には、沈んだ顔の王子がいた。床に直接座り込んだまま、うなだれている。

「セイラ様……」

 サンドラがためらいがちに声をかけると、その声にセイラ王子が顔を上げて輝かせた。

「サンドラ様!」

 セイラ王子は飛び上がる様に立ち上がると、サンドラに駆け寄って両手を握る。

「良かった! 戻って来て頂けたのですね。てっきり……嫌われたかと」

「そんな、嫌うなんて……なぜそんな」

「その……早過ぎる男はご婦人から嫌われると聞いていたもので……」

「ププッ」

 サンドラは我慢できずに吹き出してしまう。

 それを誤魔化すように言った。

「サンドラはセイラ様を心からお慕いしております。そんな事で嫌いになったり致しません」

 セイラ王子の大きな瞳が涙で膨らむ。そして、サンドラの肩にアゴを乗せるように抱きついた。

「ボクは、その時にサンドラ様をガッカリさせたくありません。こういう事は経験が大事と聞いております。その……先程の様な事を時々して頂ければ、少しずつ長くなると思いますので……」

 サンドラは、頬に触れたセイラ王子の耳が、とても熱くなるのを感じた。今頃、顔は真っ赤になっている事だろう。

「はい、セイラ様が望むのでしたら、いつでも、どこでも」

 そう答えると、サンドラはセイラ王子の身体を愛おしげに抱きしめた。

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