第36話 悪魔との対峙

 バザルとサリー、そしてリリィの三人は、レストランで五人分の食事をキレイに平らげた後、乗合馬車乗り場の方へ歩いて行った……。

 聞き込みで分かったのはそれだけだ。それから先の足取りは無い。

 結局、馬車乗り場で三人を見かけた者はいなかった。

 ブレードは、サリーとリリィが住んでいる街へ馬を走らせた。三人同時にこの街で行方不明になった可能性が高かったが、二人も家に戻っていないという事実を確認する必要があったからだ。

 芳しい情報も無いまま、午後に捜索隊は一旦捜索を打ち切る。

 ここグレンキャンベルは王都である。決して人通りの少ない街ではない。そこで目撃者も無く、三人も忽然と姿を消したのだ。事故や遭難の類ではなく、何かの悪意が働いている事は容易に推測できた。

 ベニーユキーデ大聖堂へは、あえて捜索には行かなかった。犯人がサンドラの予想通りの人物だったとしても、教会組織には司教やチェダー副司教のような反対勢力もある。捕らえた三人をわざわざ聖堂内に隠すとは思えないし、しかもこの日から近衛兵一〇名と財務官二名による大聖堂の調査が行われていたからだ。

 夕方、ブレードが戻って来た。やはり、サリーもリリィも帰宅しておらず、家族も心配していたと言う。

 ブレード自身も青い顔をしており、憔悴していた。

「とにかく、街中を走り回ってきます。手掛かりの欠片でもあれば……」

 居ても立ってもいられないのだろう。馬を変えて再び宮廷を出て行くブレードを黙って見送りながら、サンドラは思った。

 ――捜して見つかるような場所には居ないだろう。敵の狙いは俺だ。バザル達は撒き餌に過ぎない。間もなく何らかの連絡がある筈だ。撒き餌を撒いたつもりが、逆に撒かれていたとは……。

 陽が沈みかけた頃、動きがあった。

 裏門担当の近衛兵が、慌てた様子でやって来た。この高齢の近衛兵も、バザル捜索に参加していたので事情は知っている。

「サンドラ様! 裏門に子供が来まして、この手紙をと」

 宛名だけで、送り主が書かれていない封筒だった。

 サンドラは封を切って手紙を取り出すと、素早く一瞥して封筒へ戻した。

「その子は?」

「門衛室に待たせてあります」

「ちょっと待って」

 サンドラは、自分の警護服を近衛兵に持たせると、両手にキャンディーを一掴みし、自室を出て行った。



 その少女は門衛室のイスに腰掛け、床に届かない脚をブラブラさせながら、さっきの兵隊さんが戻って来るのを待っていた。

 何でも、知らないおじさんから預かった手紙は、お城のお姫様宛なのだそうで、そのお姫様に直接渡してくるから待っているようにと言われたのだ。

 ――もしかして、お姫様に会えたりするのかしら。

 少しワクワクしていたが、期待し過ぎてはダメと、自分に言い聞かせもしていた。少女も、もうすぐ九歳。人生が思い通りに行かない事は、経験で知っている。

 ――それでも今日はステキな日。知らないおじさんからお小遣いも貰えたし。

 お腹の所にあるポケットの中の硬貨を、上から触って確かめる。チャリンと小さな音が鳴った。

 少女は自然と笑顔になる。市場のいつも憧れて見ているだけの砂糖菓子が一つ買える筈だ。

 ――アレを買って、母さまと妹と三人で分けるの。一口で終わっちゃうけど、みんなで幸せな気分になれる筈よ。

 そんな事を考えていると、兵隊さんが戻って来た。出て行った時と違って背筋がピンと伸びている。

 すると、その後から、少女の想像の域を超えた美しさの女の人が門衛室に入って来た。頭の先から足の先まで輝いており、部屋の中がパっと明るくなる程だ。

 少女は思わず叫んでしまった。

「お姫様! 本物のお姫様?」

 兵隊さんが、お姫様に少女を紹介してくれた。

「サンドラ様、この子が手紙を届けてくれた子です」

 お姫様は、感動でポーっとなった少女に笑顔で話しかけた。

「可愛いお嬢ちゃん、お名前は?」

「エバです。みんなはエビータ(小さいエバ)って言います」

「エビータね。今日は手紙を届けてくれてありがとう。この手紙を預かった時の事を覚えてる?」

「はい。知らないおじさんから、お城に届けたらお小遣いをあげるって言われました」

「どんなおじさんだったかな?」

「お顔が白くて、キレイなお洋服を着て……髪もキレイでした。近所の男の人はみんなボサボサなのに」

「顔は覚えてる?」

「ごめんなさい。おじさんの顔は、みんな同じに見えます……でも、眉毛がスゴく太かったです。毛虫みたいって思いました」

「そう……ありがとう、エビータ。参考になったわ。家は近く?」

「街の端っこです。ドレーク通り」

 ドレーク通り周辺は低所得の人々が集まっている地域で、王都内としては治安の良い場所ではない。

「少し遠いわね。陽が沈む前に帰り着くのは無理だわ。私が沢山待たせてしまったから」

「大丈夫です。仕事が忙しい時は、もっと遅くなるし」

「仕事……しているの?」

「はい、ヘランさんの店で瓶洗いを。私、瓶を洗うのが上手いって、よく誉められるんです」

「そう、偉いわ……」

 サンドラはエビータの頭を撫でた。少女は眼を細めて嬉しそうだ。

 ――子供に必要なんは、労働ではなく教育ぜよ。全ての子供が、生まれに関わらず等しく教育を受けられる。一日も早くそんな世界を実現せんといけんのじゃ。

 前世での龍馬の言葉が頭に響く。

 それは単なる理想論ではなく、今のサンドラであれば実現可能な立場にあった。もちろん、アルフレッサ王国全土を一度に変える事は不可能だろう。しかし、まず王都から、そし次にてエメラーダ公爵領と、順番に教育制度を整えていく事なら可能な筈だ。

 ローマの道も一歩から。

 今はその一歩目を早く踏み出さねばならないのに、あんな卑劣な奴らに邪魔されるとは……。

 サンドラの笑顔の裏に、怒りの炎が燃え盛っていた。

「……だけどね、宮廷からの帰りに、夜道を子供一人で行かせる訳にはいかないの。私が送るから、着替えるまで待っててくれる?」

「お姫様が! 私を?」

「そうよ。だから、これを食べながら待っててね」

 サンドラは、エビータの膝の上に、自室から一掴み持ってきたキャンディを置いた。

 エビータは、その中の一つを不思議そうな顔をして持ち上げた。

「あけていいですか?」

「もちろん」

 少女は包み紙を開く。

「わあぁ、キレイ。ガラス玉だ」

「それが違うのよ。食べてみて」

 指で掴み、マジマジと見つめた後、口に入れた。その瞬間、エビータの大きな瞳は、更に二倍に開かれた。

「んー! んんんーんー! んんんーんーんんー! んー!」

「気に入ったみたいね。良かったわ。残りは落とさないようにするのよ」

 エビータは、膝の上のキャンディを、慎重にポケットに入れるのだった。



 駿河藩砲術師範吉岡半次郎は、技術としての鉄造の師ではなかったが、藩内では鉄造の上役にあたり、武士としても人間としても均衡がとれた人物だったので、鉄造は素直に尊敬していた。

 また、半次郎は、鉄造の義父になる筈の人物でもあった。一人娘の幸江を嫁にどうかと持ち掛け、鉄造は断る理由も無いのでそれを受けたからだ。

 幸江とは、それ以前にも半次郎の家で何度か会った事はあったが、挨拶を交す程度だった。しかし、武家の娘らしく清楚で控えめ、鉄造も好ましく思っていた。

 ところが、婚約を結んでから間もなく、幸江は流行病であっさりと死んでしまう。

 婚約後も鉄造は、照れ臭ささから幸江とはろくに会話を交わしていなかった。こんな事ならもっと色んな話しをすれば良かったと、酷く後悔した。

 幸江が死んでからも、鉄造は半次郎に義父のように接した。半次郎は半次郎で、幸江が死んでからは益々剣一筋になり、仙人のような生き方をする鉄造を心配する。

 半次郎自身も、産後の肥立ち悪さから、妻を早くに亡くしていた。

「私の女運の悪さが乾殿に伝染したのかもしれぬな。そなたには、本当に悪い事をした」

 ある日、半次郎がそう言った事を鉄造は覚えている。

「ははは、吉岡様も冗談がお好きだ。女運などというものは存在しませぬ故」

 鉄造はそう返した。

 しかし、そんな鉄造を、無理矢理遊廓へ引っ張って行ったのは半次郎である。気晴らしをさせたかったのだろうが、そこで蛍と出会う事になり、鉄造は再び辛い思いをする事になる。

 やはり、女運は存在するのかもしれない。

 妻も子も失った半次郎が、晩年に生き甲斐としたのが、子供達に学問を教える事だった。貧しい職人や農民の子らに無料で教え、それどころか栄養状態の悪い子には、食事まで与えた。

「吉岡様。赤の他人の子らに、なぜそこまでなさるのですか?」

 鉄造は尋ねた事がある。

「人生五〇年と言うが、私は五〇歳を過ぎた。これからの人生はおまけのようなもの。次の世代に繋ぐ為にあるように思うのだよ」

 半次郎は、少し照れ臭そうに答えた。

「それに、この歳になるとな、子供が可愛くて仕方ないのだ。どこの子でも、だれの子でもだ。この気持ちは、この年齢にならねば分からぬものなのだろう」

 確かにその時は分からなかった。子を作り、育てる年代というのは、我が子だけが可愛く見えるようになっているのかもしれない。

 しかし今、前世と今世の年齢を合わせると、サンドラの年齢は五〇歳を超える。自分の前で馬にまたがっているエビータの小さな身体が愛おしくてたまらなかった。

「……今の季節の瓶洗いは、とっても楽なんです。水が気持ち良いくらい。だけど、冬はとっても辛いの。水が冷たくて指が痛くなるし、そのうち何も感じなくなるし。それで瓶を落として割っちゃうと、お給料から引かれちゃうんです……」

 サンドラは、夢中で話し続けるエビータと密着しながら思った。

 ――そうか、吉岡様もこんな気持ちだったのだな。

「……きっと、サンドラ様と一緒にお馬さんに乗ったと言っても、お友達は信じてくれないわ。それがとっても残念です」

 ――子供は話す事がクルクルと変わって面白い。ついて行くのが大変だ……。

 街の中心部から遠ざかるにつれ、灯りが少なくなっていく。だが、サンドラが片手に持つランプが道を照らした。

 やがて、古くて小さいが、よく手入れされた家が見えてきた。エビータがそれを指さす。

「あ、あれです。私の家」

 サンドラがエビータを馬から降ろすと、家に向けて走り出した。

 玄関前の段差をピョンと駆け上がると、元気にドアを叩く。

「母さま、ただいま!」

 中から足音が近付いて来る。ガチャガチャと鍵を外す音がしてドアが開くと、痩せた女性が出て来た。

「お帰り、エビータ。今日は仕事だったのかしら? お腹空いたで……しょ……」

 女性は、娘の後に立つサンドラに気が付き、息を飲んだ。

 エビータは、自慢げにサンドラを母親に紹介する。

「母さま、サンドラ様よ! エビータをわざわざ送ってくださったの!」

 それだけ言うと、家の中へ入って行った。

 王室の第一王子が、さる公爵令嬢と婚約した事は、この王国の国民であれば誰でも知っている。そして、正式な婚礼が行われるその日まで、婚約者が第一王子の警護筆頭を兼ねる事も、王都グレンキャンベルの都民であれば知らぬ者はいなかった。

 その婚約者は、魔物の様な力を持つともっぱらの噂だった。近衛連隊が総掛かりでも敵わない、軍隊の一個小隊よりも強い。本当に魔女ではないかと言い出す者がいる程だ。

 人の噂には枝葉が付くものだが、それを差し引いても、なるべく遠い存在であってほしいと願うのは当然だった。

 しかし今、眼の前にいる宮廷制服の女性。胸の勲章は、紛れもなく警護筆頭である事を証明する。という事は……。

「夜分に失礼します。私はサンドラ・エメラーダと申します……」

 母親は思わず両膝を床につき、両手を合わせた。腰から下げた剣が眼に入り、身体が震えた。

「サ、サンドラ様! 娘が粗相をしてしまい、申し訳ございません! この様な貧しい家でございます。夫を事故で亡くし、一人で子供を育てているもので、しつけも十分にできておりません。なにとぞ哀れとお見逃しください!」

「え?」

 サンドラが固まっていると、母親の悲鳴に近い声を聞いて、隣の家の男が包丁を持って飛び出して来た。強盗かと思った所、宮廷制服を着た人物だったので、慌てて包丁を身体の後に隠す。

 そこにエビータが、自分より更に小さな女の子の手を引いて出て来た。

「サンドラ様。妹のレナです。五歳です」

「まあぁ、何て可愛らしい。こんばんは、レナちゃん」

「ほら、レナ、ご挨拶して。サンドラ様は、お城のお姫様なのよ」

 レナは不思議そうな顔でサンドラを見た。

「お姫しゃま? 違うよ、兵隊しゃんだよ」

 エビータは、根気よく妹に説明する。

「サンドラ様はね、お姉ちゃんをお家まで送る為に、わざわざ兵隊さんのお洋服に着替えてくださったの。お城でのサンドラ様は、とーってもステキなドレスを着ていらしたのよ」

 サンドラが今日着ていたのは普段着だったが、それでも庶民の女児の眼には、十分にお姫様のドレスに映るのだろう。

「わあ、ホントのお姫しゃま。こんばんは、お姫しゃま」

 レナが手を差し出した。

 サンドラは、その小さな手を握り返す。

「二人ともお利口さんね。女手一つでお子さんを育てて、立派だわ」

 レナの屈託のない笑顔に、サンドラの胸がキュンと鳴る。

「お母様、今エビータちゃんが言った通りです。宮廷に届け物をしてもらったのですが、暗くなったので送ってきました。粗相だなんて、とんでもない」

 サンドラは説明するが、母親はまだ膝をついたままだ。

「そんな、サンドラ様直々に……恐れ多い……」

「あの、もう遅いし、私は今から用事があるので、後日改めてご挨拶に伺いますね」

 本当はエビータとレナの姉妹にまた会いたいだけである。二人に手を振ると、二人とも元気に手を振り返してくれた。

 玄関前の段差を降りると、振り返ってサンドラは言った。

「キャンディーは二人で分けるのよ」

 エビータはポケットから一つ取り出すと、包み紙を剥いてレナの口の中に入れる。その瞬間、レナの眼は、眼球が飛び出さんばかりに見開かれた。

 それを母親が不思議そうな顔で見ていたので、エビータは母親の口にもキャンディーを放り込む。やはり驚きで眼が大きく開かれる。

「やだこれ……こんな美味しい物、初めて……」

「フフフッ」

 サンドラは、嬉しそうに笑うと馬に飛び乗った。

 それを見た母親が慌てて立ち上がる。

「そんな、お姫様がこんな夜道を一人で……」

 そう言い掛けて思い出した。

 ――そうだ、この方はこの国最強のお方。夜道だろうが、ならず者だろうが、関係無いのだ。

 ところが、やはり声を掛ける事になる。

「あ、サンドラ様。そちらを行くと森に行ってしまいます。宮廷は逆方向です」

 サンドラは、少し考えて母親に尋ねた。

「森の奥には何があるのかしら?」

「今は使われていない、古い修道院があります。悪魔に呪われた修道院と言われ、街の者は怖がって近寄りません」

 サンドラは、ニヤリと笑って頷いた。

「なるほどね……」

 そして、再び森の方へ向かって歩き出した。

 当然、母親は驚く。

「サンドラ様! 何をなさりに行くおつもりですか?」

 サンドラは、立ち去りながら答えた。

「悪魔退治に」

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