第43話 ファーストラブ

 次の日、サンドラが渡したドレスを着たバザルがホールへ行くと、そこにいた者は、あまりの美しさに一斉にタメ息をついた。

 一晩経ち、少し機嫌が直ったセイラ王子が駆け寄って来る。

「バザルったら、とってもステキ! 南の国のお姫様かと思った!」

 バザルは頬を染める。

「ありがとうございます。恐れ多くもサンドラ様から着せて頂きました。このアクセサリーもカバンも、サンドラ様からお借りした物です」

 そのサンドラはと言うと、眠れなかったおかげでグッタリとしている。

 セイラ王子も心配になる程だ。

「サンドラ様……顔色が悪いようですが」

「はい……昨日はセイラ様に冷たくあしらわれ、ショックで眠れませんでしたので……」

 バザルに対して沸き立つ邪な思いを抑えるのに必死だっただけの大嘘であるが、それでもセイラ王子はサンドラが可哀想になった。

「そうでしたか……ボクも大人げありませんでした。サンドラ様はバザル達の為に戦ったというのに……ごめんなさい」

 セイラ王子の怒りが収まったと見たサンドラはホッとする。

 馬車の前には、既にセバスチャンが立っていた。しかし、美しく変身したバザルを前に呆然としたままだ。

 呆れたセイラ王子が声を掛ける。

「セバスチャン! しっかりしてよ。今日はボクの代理なんだからね。サンドラ様の代理であるバザルをしっかりエスコートすること。いい?」

「あ、ああ、申し訳ございません。はい、しっかりお勤めを果たして参ります」

 そう言うと、バザルの手を引いて馬車に乗せた。

 馬車が動き出すと、バザルは興奮で顔を赤くしながらサンドラに手を振る。

 サンドラとセイラ王子も、馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。

「さてと、サンドラ様は、今日も学院へは登校されないのですよね?」

 セイラ王子は現在、新型顕微鏡開発の大詰めである。

「はい。修道院跡での顛末を、国王様と大臣の皆様にご報告せねばならず、申し訳ございません。代わりにセイラ様の警護には、ベテランと見習いの二名をお付け致しますので」

「二名? ベテランってジョゼフの事でしょ。見習いって……まさか……」

 セイラ王子の胸中を嫌な予感が流れた。

 案の定、小走りでやって来る、小柄な人物の姿が眼に入った。教会騎士団の制服から、警護団の制服に着替えたエレデだった。

「ウソでしょ……」

 セイラ王子の狼狽ぶりに気付きもせず、エレデは王子の前で片膝をついた。

「セイラ様! 本日、お供させて頂くエレデでございます。この大役のチャンスをお与え頂いたサンドラ様の顔に泥を塗らぬよう、セイラ様の安全、この命にかけてお守り致します!」

 セイラ王子はジロリとサンドラと睨むが、当のサンドラは極上の男の娘二人が並ぶ姿を見て悦に入っていた。

 ――尊い……。



 悪事千里を走る。

 サンドラは、事の一部始終を国王と大臣の前で説明するつもりだったが、その必要も無かった。ドトールとその一派の悪巧みは、僅か一日で王国中に知れ渡っていた。

 当然と言えば当然だろう。次にアルフレッサ王国宗教界の頂点に立つとされていた男が、裏で王国の実権そのものを狙っていたのである。それも、第一王子暗殺、次期王太子妃抹殺という強行な手段を用いてまで。

 話題の中心は、今回捕らえられたドトールと三人の聖職者、それと十三人の教会騎士の処分についてとなった。

「そんなもの、議論するまでもない。ドトールは火刑、手下の神父は断首刑、教会騎士は絞首刑だ!」

 誰かが言うと、その場の誰もが賛成した。

 国王も頷く。

「うむ。これにて決着だな。サンドラよ、異論はあるか?」

「皆様の判決に賛同致します。ただ一つ、提案がございます」

「申してみよ」

「はい。この者達の判決はそのままに、執行猶予を付けては如何でしょうか?」

「はて、執行猶予とな?」

「文字通り、刑の執行に猶予を与えるのです。ドトールは無期、三人の神父は二〇年、教会騎士は一〇年位が妥当かと」

 国王はニヤリと笑った。

「まあ、何かあってもただでは起きぬと思っておったが……詳しく聞かせて貰おうか」

「理由は二つあります。まず、ドトールも教会騎士団も、氷山の一角に過ぎないということです」

「確かに。ケインを次期王に担ごうとしていた派閥は、何かの形でドトールと繋がっていた可能性が高い。その証拠にホレ、大臣の何人かはこんなに重要な会議をスッポカしておる」

「ツルはこの手に握られました。引けば芋がボロボロと穫れるでしょう」

「芋ヅルというヤツだな」

「しかし、誰もが謀反を企んでいた訳ではありません。セイラ様の聡明より、ケイン様の明朗を次期王に相応しいと考える者もいるでしょう。それは、彼らなりの国を思う気持ちなのです」

「それは余も理解する」

「であれば、今回の過ちを咎めるより、その者達の財力や知識を国の為に活かすべきかと考えます」

「具体的には?」

「これがもう一つの理由なのですが、我が国には教育が足りておりません。頂点は底辺の広さに伴い高くなるもの。この者達の財力や知力により、庶民の通える学校と、その学校へ通う為の制度を整えるのです」

「なんと、それは農民や遊牧民に対してもか?」

「もちろんです。孤児や奴隷を祖先に持つ者達も同様にします」

「それが国の為になると?」

「この命に賭けてお約束致します」

「……だがな、差別は無くならんぞ。格差もな。百年後も二百年後も、いや千年後も。人間とは、そのようにできておるのだ」

「それは重々承知しております。だからこそ、私達は努力を続けなければならないのです。永遠に」

「……大したものだ。常々思うが、そなたが十七歳の娘とはとても思えんよ。世の貴族の娘なら、お洒落と焼き菓子が最大の関心事だろうに。誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも民を思う、か……よかろう、今回の件は全てサンドラに任せる」

 国王は大臣を見回して言った。

「異論のある者はいるか?」

 宮廷大臣が代表して答えた。

「異論など有る筈がございません。サンドラ様と我が王の意見に賛成致します」

 サンドラは椅子から立ち上がると、国王と大臣達に向け、深々と頭を下げた。



 山陰に陽が完全に隠れてしまう直前、バザルとセバスチャンを乗せた馬車は宮廷に戻って来た。

 セバスチャンは余韻を味わう間も無く仕事に戻って行った。湖を囲む遊歩道の一部に損壊が出ていたのと、昼食の食材に大使が食べると皮膚が痒くなると情報を得ていた物が含まれていたからだ。

 テキパキと手配をするセバスチャンを、バザルは火照りが冷めぬ赤い顔で見ていた。

 バザルを見てるとスケベな気持ちになるから――そう鉄造モードが言ったので、バザルを迎えたのは悪役令嬢モードにチェンジしたサンドラだ。

「楽しかった?」

「ええ、とっても! 夢のようなひと時でした!」

 潤んだ瞳でバザルは答えた。その表情は、悪役令嬢モードのサンドラでもドキッとするほど色っぽく、鉄造に任せなくて良かったとつくづく思う。

「それで? 進展があったんでしょ?」

 バザルの顔が益々赤くなる。

「あ、はい……」

「何よ何よ、聞かせてよ」

「でも……ここでは」

 サンドラが周りを見回すと、確かに忙しく走り回る使用人達が何人もいる。

「そうね。じゃあ、私の部屋に行って着替えましょ。そのドレス、ゆったりだけど、着慣れないと辛いわよね」

「はい、そろそろ限界でした」

 サンドラは、バザルの手を引いて自室へと向かった。


「私の胸も大きい方だと思うけど、バザルの相手にはならないわ」

 バザルがドレスを脱ぐのを手伝いながらサンドラが言った。

「そんな、私なんてただ大きいだけで、サンドラ様のように美しい形はしておりません」

 頬を染めながらバザルが答える。

「しばらく楽な格好でいなさいよ。寒くないでしょ?」

「はい、ありがとうございます。ドレスよりも足が痛くて……貴族の皆様は毎日こんな踵の高い靴を履かれて平気とは、やはり育ちの違いでしょうか?」

「ただの痩せ我慢よ。それより聞かせて、今日のこと」

 二人は一緒に床へ座り込んだ。

「どこから話せばいいのか……」

「最初からよ。行きの馬車の中で何を話したの?」

「セバスチャン様は私の身体をとても気遣ってくださいました。とても酷い事をされたらしいが大丈夫か、と」

「ああ……」

「それから、昨日は私が戻った時に冷たい態度を取ってすまなかったと言われました。そして……今後も私の身体を気遣わなければいけないので、サンドラ様が助けに来てくださるまでどんな事をされたのか、辛いだろうが話してほしいと」

「ゲスね……」

「えっ?」

「いや、こっちのこと。で、話したの?」

「ええ。セバスチャン様は、私が流産して死にかけた事もご存じです。今さら隠す事などございません。それよりも、私が受けた仕打ちを知る事で少しでもご安心頂けるならと、正直にお話しさせて頂きました」

「……バザルって、本当に純粋ね」

「そんな、純粋なのはセバスチャン様です。私の話しに胃が痛くなったのか、お腹を押さえて前屈みになってしまいました。そして大変お怒りになっている様で、鼻息が荒く、眼は血走っていました」

 バザルは胸の前で手を合わせた。

「私の事を、こんなに心配してくださる……そう思うと、涙が止まりませんでした」

 悪役令嬢モードのサンドラは、鉄造モードから色々と聞いているので、セバスチャンの前屈みや鼻息の本当の理由を知っている。曖昧な笑顔で返すしかなかった。

「殿方にそこまで愛されるなんて、バザルは本当に幸せ者ね」

 その言葉を聞いたバザルの笑顔は輝いており、サンドラは本当に眼が眩むかと思う。

「ウフフッ……お昼少し前に到着したのですが、別荘の方は予行という事で、私達を本当の貴賓のように接してくださいました。食事の後にはセバスチャン様と別荘の責任者の方で実務の打ち合わせをなさったのですが、その方ったら私を本当に南の国のプリンセスと思ったそうです」

 恥ずかしそうに話すバザルを、サンドラは尊いと思う。

「それから、湖畔を歩きました。それはもう美しい湖で、水はどこまでも青く、周りの木々とのコントラストの艶やかさといったら……」

「その辺は知っているからいいわ。それからどうなったの?」

「遊歩道に一カ所壊れている所を見つけまして、間もなく一周を終えるという頃、セバスチャン様は急に立ち止まり、私の方を振り返りました……」

「それから?」

「それから、セバスチャン様は何か色々と言われたのですが、実は頭がボーッとして、ほとんど覚えていないんです」

「ええ! 何よぉ!」

「だけど、最後の言葉だけは覚えています。『一緒になろう』と」

「キャー! ステキー! それから? それだけじゃないでしょ?」

「それから……キスを……初めてのキスを」

「えっ?」

「私、何百人という男に抱かれはしましたけど、キスだけは拒んできたんです。だから……ファーストキスなんです」

「キャー! キャー!」

 その時、地響きする足音と共に、サンドラの部屋のドアが激しく叩かれた。

「サンドラ様! 何事ですか! 大丈夫ですか!」

 二人は飛び上がった。

「やばっ、ミスセリーヌよ」

 サンドラは慌ててドアを開ける。

「申し訳ありません、ミスセリーヌ。バザルを着替えさせていたら……その、虫がいたので……」

「それだけですか? 宮廷の周囲は木々で一杯なのです。虫がいて当然です。一々お騒ぎになりませんように」

 そして、下着姿のバザルを一瞥した。

「それと、バザルは着せ替え人形ではありませんから」

「はい、承知しています……」

 ミスセリーヌは、サンドラの部屋を出ようとして振り返った。

「ああ、バザル、今日は大役ご苦労様でした」

 バザルの背筋がピンと伸びる。

「はい、ありがとうございます」

「そして、婚約おめでとう」

 バザルとサンドラは同時に叫んだ。

「なぜ?」

「女子たる者、その手の情報に早くて当然です」

 そしてミスセリーヌは、二人に向かってウインクした。

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