第42話 純愛への道程

 サンドラ一行が乗った馬車が宮廷に到着すると、まずブレードが飛んで来た。

「サリーさん! お怪我は? 乱暴はされませんでしたか?」

 ブレードは、馬車から降りるサリーに手を伸ばす。

「ブレード様、ご心配をお掛けしました。サンドラ様とバザルさんが私とリリィを守ってくださったので無事です」

 クマがクッキリと出ているブレードの眼から涙がこぼれた。

「良かった……本当に良かった」

 ブレードから抱き締められると、サリーは少し驚いた顔をしたが、すぐにそれを受け入れて抱き締め返した。

 リリィがバザルの耳元で囁く。

「ありゃブレードさん、姉様を完全に処女だと思ってるよ。姉様はモテるからね、男性経験は豊富だから」

 それを聞いてバザルもクスッと笑う。

 そんなブレードをだらしないなと思いながら見ていたサンドラは突然、鋭い視線に身体が震えた。

 ゆっくりと視線の方を向くと、口元は笑っているのに、眼だけ怒っているセイラ王子がいた。

「お帰りなさい、サンドラ様。そんなに愛らしい方と馬車に乗れて、さぞ楽しかったでしょうね」

 サンドラは慌てて御者席を降りる。

「セ、セイラ様、違うんです。これはタマタマでして……」

 駆け寄ったサンドラの頬をセイラ王子がツネった。

「イテテ……」

 サンドラが情けない声を上げる。

 エレデも駆け寄ってセイラ王子の前で片膝をついた。

「セイラ様、エレデでございます。サンドラ様の弟子の名に恥じぬよう、精進していく所存です」

 セイラ王子の眼が更につり上がった。

「弟子ー? 許しません。ボクは許しませんからね! あなたみたいな可愛いコをサンドラ様に側に置いとくなんて、絶対に!」

 クルッと振り返ると、セイラ王子は宮廷の中へヅカヅカと戻って行く。

「ああ、セイラ様……」

 サンドラの声に振り返る事もしない。

 馬車を降りながらリリィが言った。

「やっぱりサンドラ様とセイラ様って、男女が逆転してるわよね」

 不安げな表情でエレデが立ち上がった。

「あの、私が何かセイラ王子の気に障る事を……」

 サンドラは呆然と答えた。

「いや、エレデのせいじゃないから……」

 馬車から出てきたバザルにセバスチャンが近付き、優しく声を掛けた。

「バザル、難儀でしたね。お湯と食事を準備しています。今日はお休みを頂けるようサンドラ様にお願いするので、一日ゆっくりしなさい」

 ドトール達から乱暴された時も涙一つこぼさなかったバザルの瞳から、ドッと涙が溢れ出す。

「セバスチャン様……」

 涙が号泣に変わるのに時間は掛からなかった。

 だが、セバスチャンは、バザルにハンカチを渡しただけだ。

「これで涙を拭きなさい……さあ、サリー様とリリィ様もこちらへどうぞ。お食事を準備しておりますので」

 セバスチャンはサリーとリリィを案内し、バザルは涙を拭き拭き裏口へと向かった。

 サンドラは、その様子を複雑な思いで見送っていた。



 自室へ戻ると、サンドラは鏡に向かって話しかけた。

「どう思う?」

 鏡の中のサンドラは答える。

「バザルとセバスチャンの事ね。こっちが聞きたいわよ」

「あの二人、愛し合ってるよな」

「それは間違いないわ。やっぱり、バザルが元娼婦ってのがネックなの?」

「人によるね。俺が前世で惚れた女は娼婦だったし、セバスチャンもそれは無いと思うけど」

「そっか。じゃあ、やっぱりアレね。お互いがお互いに遠慮しちゃってる」

「うん、結局それだろう」

「多分このままだと、あの二人は永遠に平行線よ。私達が一肌脱ぐしかないわ」

「そうだな。で、具体的には?」

「同性の方が気持ちが分かると思うの。バザルは私に任せて。鉄造はセバスチャンをお願い」

「了解した。まあ、俺も今は女だけどな」



 サリーとリリィは、自宅まで馬車でブレードが送る事になった。

 去り行く馬車を見送りながらケイン王子が呟く。

「ブレードの奴、今ではすっかり私よりサリー嬢優先だよ。自分の役目、忘れてないか?」

 一方、ドトール一味と教会騎士達は、監獄までを道を両手を縛られたまま一列で行進する形で連行された。首都グレンキャンベルのメイン通りを通過する時には人だかりができ、「何をやらかしたのか知らないが、これで死罪なら事実上の市中引き回しだ」と人々は口にした。

 そしてサンドラは、鏡の間にセバスチャンを呼び出した。

「お呼びでございますか、サンドラ様。お召し物の事でしたら、被服の担当者を呼びますが」

「忙しいのにすみません、セバスチャン。用というのは他でもない、バザルの事です。まあ、そこに座ってください」

「いえ、私はこのままで」

「立たれたまま見下ろされていては話し辛い話なのです」

「では、お言葉に甘えまして……それで、バザルが何か?」

「率直に聞きます。セバスチャンはバザルをどう思っていますか? 部下ではなく、女として」

「お……女としてでございますか?」

「そう、バザルはあなたに恋い焦がれている。見ていて不憫なほどです。それは分かっている筈。だから、セバスチャンにも態度をハッキリさせて欲しいのです」

「しかし、私とバザルでは、親子どころか、祖父孫ほど年が離れていますし……」

「恋愛に年齢は障害になりません。大切なのはお互いの気持ちです。寿命の事を気にするのであれば、摂生して身体を鍛え、長生きすれば良いだけのこと」

 セバスチャンの肩越しに鏡に映った自分が見えたが、頭の上で両手の指先を合わせて○のサインを出していた。悪役令嬢モードのサンドラも、これまでの流れは満足らしい。

「サンドラ様……正直に申しまして、私もバザルを愛しております。もちろん、女として。ですが、愛しているからこそ、彼女には年相応の相手と結ばれ、共に老いていく様な幸せな結婚をしてほしいのです」

 ――ああ、コイツ、意外とメンドクサい奴だ。

 鉄造モードのサンドラは思う。

「詭弁です。今さら聖人ぶってどうするのですか。それともバザルが昔、売春を生業にしていた事を気にしているのですか?」

 セバスチャンの眉が上がった。

「それをご存じでしたか」

「ええ、本人から聞きました。私とバザルに隠し事はありません」

「バザルに今の仕事を与えたのは私です。不幸なローティーンを過ごした娘ですが、それを気になどしておりません」

「では、先ほどはなぜ、もっと優しくしてあげなかったのですか? バザルがドトール達に乱暴を受けた事はご存じなのでしょう?」

「それは……」

「昨晩、サリーさんとリリィさんが純潔を守れたのは、バザルが二人の盾となったからです。代償としてバザルは長い時間、変態神父四人の攻めを受け続けたというのに」

 鏡の中のサンドラが、慌てた様子で腕で×を作っていた。「アンタ、何てこと言ってんのよ」と、声には出さないが口がそう動く。

 だが、鉄造モードには勝算があった。

「酷い……一体バザルはどんな攻めを?」

「私が救出に行った時、既に三人の神父から中出しされた後でした。聖堂の扉を開くと、バザルはわざわざ入口に顔を向けられて、ドトールから後から犯されていたのです。私への見せしめとでもいうように」

 セバスチャンは奥歯を噛みしめた。

「おのれ、ドトール。なんと卑劣な……」

「私がドトールに斬り掛かろうとしても、ドトールは腰の動きを止めませんでした。バザルは……そんな卑劣な行為に屈しまいと、必死に抗っていたのです」

 セバスチャンの鼻息は荒くなり、肩が怒った。

「今のバザルには、身体のケアも必要ですが、それよりも必要なのは心のケアです。セバスチャンに命じます。来週、隣国の大使を招いて国王主催の狩猟の会が行われますが、会場となる王立公園に下見に行くように。もちろんバザルと一緒に、明日の朝出発です」

「あ……明日でございますか? バザルと一緒に?」

「そうです。そして、御一行が昼食をとられる予定の湖畔の別荘で、同じメニューを毒味すること。当日は食事の後、王妃様が大使の奥様を湖畔の周りを案内する事になっています。ミリアムブルー湖は我が国で最も美しいと謳われる湖、見苦しい所があってはなりません。必ず一周して確認するのです」

「承知致しました。しかし、それはまるで……」

「ええ、デートよ。しっかりバザルをエスコートしなさい」

「……お心遣いは感謝致します。ですが、私の立場では……」

「良いですか、これは警護筆頭としてのお願いではありません。アルフレッサ王国次期王太子妃としての命令です」

 セバスチャンは観念したように頭を垂れた。

「承知致しました。全て御心のままに」

 そして、サンドラの方はチラッとも見ずに鏡の間を出て行った。

 鏡の中の悪役令嬢モードが笑っていた。

「鉄造には見えなかったと思うけど、振り返ったセバスチャンたら、思い切りニヤケてたわよ」

「素直じゃないよな。ホラ、この足音、スキップしてるよ。お茶目なオッサンだ」

「でも、さっきは何でバザルの傷口を見せつける様な事を言ったのよ? 犯されている所を必要以上に詳しく説明したりして、あれで引かれたり、冷めたりされたらどうするつもり?」

「ああ、そうか。鏡の方からは見えなかったか。あのな、セバスチャン、凄く怒っている様に見えたかもしれんが、実は驚くほど股間を膨らませていたんだ。奴さん、『寝取らせ』だね」

「……何よ、それ」

「何て説明すればいいのか、要するに自分の好きな女が他の男に抱かれる事で性的興奮を覚える連中の事さ」

「バカにしないでよ。そんな男、いる訳ないでしょ」

「いや、それが結構いるんだって。カンダウレス(リュディア王国の王、在位期間は紀元前七三三年から七一六年、『寝取らせ』を意味するカンダウリズムの語源になった)の時代からの由緒ある性癖だぜ」

「おかしいわよ。自分の子孫を残したいという本能に反するじゃない」

「難しいこと言い出したな。まあ、究極的には、個より種を優先するように出来ているんじゃないか? 自分に子種が無い場合でも誰かが作ってくれる、的な。女性だって、自分の子は無くとも、孤児を引き取って育てているような人、いるじゃないか」

「孤児を引き取るという崇高な行為と、『寝取らせ』みたいな変態行為を一緒にしないでよ」

「まあ、そうだな」

「鉄造もそうなの?」

「俺の場合、前世で好きになった女が娼婦だったからな。『寝取らせ』とはちょっと違うだろう。だが、他の客からどんな事をされたかを事細かく聞いては興奮してたな」

「ヘンタイ!」

「その称号、謹んでお受けしよう」



 その日の夜、悪役令嬢にモードチェンジしたサンドラは、自室にバザルを招いた。

「いらっしゃい。私がバザルの部屋に行ったのに」

「同室の者も居りますので。彼女はサンドラ様を怖い方だと思っているようです」

「私が怖いのは悪人に対してだけよ」

 二人は声を上げて笑った。

「ところで、明日の事、セバスチャンから聞いた?」

「はい、一緒にミリアムブルー湖の下見に行くと。サンドラ様の御心尽くしと、感謝しております。でも……」

「でも?」

「物心ついた時から通りすがりの男達に汚され続けた身ですが、昨日再び汚されてしまいました……セバスチャン様と馬車で同席するなど、無礼に思います」

「自分の事をそんな風に言ってはダメ。あなたは立派にサリーさんとリリィさんを守った。ただそれだけよ。それにセバスチャン、どうやら『寝取らせ』らしいし」

「ネトラセ……ですか?」

「えっと……バザルに今までどんな過去があっても、これから何があっても、丸ごと愛するってこと……よ……」

 サンドラは自信無げに語ったが、それでもバザルはいたく感激したようだ。涙を拭きながら呟いた。

「セバスチャン様……」

 サンドラは話題を変えようと一着のドレスを差し出し、バザルの身体の前に合わせた。

「ほら、これ見て。桜色のドレス。ゆったりして歩きやすそうでしょ。湖畔を散策するのにピッタリだわ」

「まあステキ! まさか、これを貸して頂けるのですか?」

「違うわ。バザルにあげる。王妃様お抱えデザイナーのボンド婦人という方の新作らしくて頂いたのだけど、形はともかく、色が私に合わない気がするの」

「ボンド婦人! ステキな筈です。王国中の貴族女性の憧れですから。これがサクラ色、ですか?」

「ジパンには、こんな優しいピンク色の花を咲かす木があって、それを桜と呼ぶそうよ。残念だけど、この優しさは私のイメージじゃない。でも、バザルなら着こなしてくれると思うのよ」

「そんな、私の様な侍女風情に……恐れ多いです。身分相応の格好をしないと……」

「明日は唯の侍女じゃないわ。サンドラ・エメラーダの代理、そしてセバスチャンのパートナーよ」

「ですが、こんな黒い肌でドレスを着ても……」

「肌の色は欠点なんかじゃない。個性よ。肌の色による対立や差別は、いつの日か絶対に無くさないといけない。だからバザルも協力してね。明日は堂々とこのドレスを着てほしいわ」

 バザルも年頃の少女である。綺麗なドレスが着れるとあって嬉しくない訳が無い。

「サンドラ様。この感謝の気持ちを、どうお伝えすれば良いか……」

「いいのよ、気にしないで。それより、今日はここに泊まっていきなさいよ。一緒に寝ましょう」

「それはさすがに……セリーヌ様がお怒りになります」

「見つからなければ問題無いわ。もし、見つかっても、朝早く来た事にすればいいし。ね、眠るまでお話ししましょうよ」

 バザルは笑顔で頷いた。


 鉄造の人格が無念無想の境地から解かれた時、部屋は暗く、身体は寝具の中で横たわっていた。

 ――何だ、もう寝ていたのか。

 鉄造モードのサンドラは思った。

 ところが、いつもより狭苦しく、柔らかい物が身体に絡み付いているのを感じる。そして、ほのかに甘い匂いが漂う。

 次の瞬間、悪役令嬢モード時の記憶が流れ込んでくる。サンドラは状況を理解した。

 ――あのバカ、バザルと一緒に寝やがった……。

 身体に絡み付く柔らかい物は、バザルの腕や脚や胸だった。息が耳にかかるのを感じ、恐る恐ると横を向くと、バザルの寝顔が真横にあった。

 ――ひえっー!

 昨晩、ドトールから犯されていたバザルの姿が眼に浮かんだ。わざわざサンドラが入って来るであろう方向に顔を向けられ、後からの執拗な攻めを受けていたバザルの表情は決して苦悶などではなく、男を知っている女の顔だった。

 サンドラの股間がジュンと熱くなる。

 ――ちくしょー! 眠れる訳ネエじゃないか!

 しかし、安心しきったバザルは、安らかな寝息をたてている。

 結局、サンドラは一晩中、眼が冴えたままだった。

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