第17話 VS暗殺者
前世で、鉄造が剣の修行の一環として坐禅を組むのは、通常三〇分、長くて一時間程だった。
ところが今回、二時間を越えている。どんなに精神を統一しても、無念無想の境地にいれるのは、これが鉄造の限界らしい。
それでも、良く頑張れたものだと鉄造は自分で思った。
鉄造の人格が覚醒すると、この二時間余りのサンドラの記憶が一気に流れ込んで来た。
手を繋いでいたセイラ王子がサンドラの変化に気付く。
「サンドラ様、どうかなさいましたか?」
来賓に左手を振りながら、サンドラの耳元で囁く。
「いえ、何でもございません」
サンドラも、笑顔で右手を振り続けた。
異変を察知したのはその時だ。
身なりは立派だが、貴族の割には肌が浅黒い長身の男が、来賓の後方、セイラ王子の正面辺りに立ったのだ。
そして四〇センチ程の棒を取り出し、口にくわえた。
――吹き矢だ!
サンドラは本能的にテーブルの上にあった銀の盆を手に取り、セイラ王子の前に立つ。
ほぼ同時に矢は盆に命中し、ポトリと落ちた。
ダンサーの誰かだろう、切り裂くような悲鳴が上がる。
サンドラが叫んだ。
「頭を下げろ!」
来賓が一斉に身を沈める中、男は筒に二発目の矢を詰める。
サンドラは雛壇から飛び降り、男に向かって突進する。が、高いヒールのせいであまり速く走れない。
二発目の矢が飛んで来た。サンドラはそれを盆で叩き落とす。
男に三発目を詰める余裕はなかった。吹き矢の筒を振り上げてサンドラに殴りかかる。
その攻撃も盆で受けると、サンドラは男の股間を蹴り上げた。男は眼を剥き、動きが止まる。
盆を投げ捨てたサンドラは、筒を持った男の右手を両手で包む様に持った。
人間の手は、握ると屈筋が作用して手首の可動域が狭くなる。それを利用してサンドラの両手が小さな円を描くと、男の身体は宙高く舞い上がった。
そして、受け身を知らなかったのだろう、頭からまともに落ちると気を失ってしまった。
二階から、軽量のクラフトが飛び降りて来た。
「サンドラ様! 大丈夫ですか!」
「大丈夫だ。こいつを頼む」
男の右手をクラフトに渡す。すると、階段を降りてきた他の四人の近衛兵も、ドタドタと式場に入って来た。
リーダー格のジャンが、三人に指示する。
「アンドレとマックスは担架を持ってこい! ピエールは隊の本部へこの事を連絡して警備を強化しろ!」
三人は迅速に行動し、ジャンはサンドラとクラフトと合流する。
クラフトは、手際良く男の手足を縛っていた。それを見てジャンが言った。
「取り敢えず隅に運ぶぞ。サンドラ様は、どうぞ式の続きを」
「よろしく頼む」
サンドラは雛壇へと戻ろうとする。
「あ、サンドラ様」
ジャンの声にサンドラは振り返った。
「ん? 何だ?」
「良くお似合いですぜ、その赤いドレス」
ニヤリと笑ってサンドラは応えた。
「ありがとう」
気を取り直した来賓が一人二人と立ち上がり、雛壇へ戻るサンドラに向けて拍手した。
――しまった、女言葉をすっかり忘れていたぞ。
サンドラは何とか取り繕おうと、拍手をしている人に向かって笑顔で手を振り、愛想を振りまいた。
壇上では、ケイン王子が、自分の前に両手を広げて立っているブレードの腕を下へおろした。
「もういいだろう。終わったようだ」
サンドラが「頭を下げろ」と叫んだ時、ケインはセイラ王子に駆け寄ろうとして、ブレードに止められたのだった。
ブレードはケイン王子の命を守るのが役目、当然の事をしたまでだが、兄の危機に何もできなかった事がケインには悔しかった。そして、そんな王子の気持ちをブレードも見抜いていた。
「あの状況では、サンドラ様にお任せするのが最善でした。矢が流れる事もありますし、殺傷力を増す為に毒が仕込んであるのは確実です」
「そんな事は分かっている……ただ、もう兄上を守るのは私ではないのだな、と思って……」
「セイラ様の護衛は今までもおりました」
「長続きしないのが分かっていたからな……」
ケイン王子は、諦めたように言葉を続けた。
「男の子の初恋は母親と言うが、私の母上は王妃。公務で忙しく、甘えた記憶はほとんど無い。そんな幼い私を甘えさせてくれたのが兄上だった。そして、いつもドレスを着ていた兄上を、私はかなり大きくなるまで姉だと思っていたんだ」
「つまり、初恋の人はセイラ様だったと。そんな恥ずかしい話、よく言えますね」
「そう言うな。おまえだから話しているのだ」
「そうですか。では、私も恥ずかしい話を一つせねばフェアではないですね」
「全くだ。聞かせてくれ」
「ケイン様にお仕えして三年目を向かえましたが、私が最初に王宮に連れてこられた日、優しく出迎えてくれた少女に一目惚れしました」
「おいおい、それって……」
「はい……私は下級将校の家の出。当初は王宮での生活も精神的な重圧が強く、そんな私を救ってくれたのが、いつも気さくに掛けてくれる少女の一言だったのです。私はよく、花の手入れをする少女の姿を見に中庭へ行ったものです……」
「マジか……」
「その方が実は第一王子の女装した姿だと知るのは、三ヶ月程経った頃。それまで誰も……ケイン様からも教えて頂けなかったので……」
「いつも口ゲンカしていたのに」
「そうやって、自分の気持ちをごまかすしかありませんでしたから……」
ケイン王子はブレードの肩を組んだ。
「まあ、初恋は破れる為にあるものさ。私も新しい恋を見つけた。ブレードも大丈夫さ」
ブレードも笑って応えた。
「ええ、そう願います」
王と王妃の前には、四人の護衛が横一列に立ち、人の壁を作っていた。
サンドラが壇上へと戻り、安全が確認されると、四人はサッと王と王妃の後方へ下がった。
王妃がまだ震えていた。
王は優しく王妃の背中を撫でた。
「心配無い。悪党はセイラの婚約者が退治してくれたよ」
「は、はい……私は大丈夫ですので……」
精一杯、王妃を演じているのが伝わってきた。
――ワシも、もうしばらく王を演じなくてはな。
賊がまだ会場のどこかに潜んでいるかもしれない。そう思うと、父としては早く妻や息子達を安全な場所に下がらせたかったが、国王としてはそういう訳にはいかない。
式典を中途半端に終わらせては、アルフレッサ王国の王は臆病だと知れ渡る事になる。虚勢を張るという事は、時に命懸けでなければならないのだ。
王は、サンドラとセイラ王子の前に立った。
盛大な拍手が、一層激しくなる。
国王が右手を挙げ、拍手はピタリと止まった。
「諸君らは、実に運が良い。何といっても、次期王妃が賊を退治する瞬間を目撃できたのだ。フルフレッサ王国臣民だけの特典だ」
笑いが起きる。
「私は先程、新しい時代の到来について語った。諸君らも、サンドラ嬢の活躍を見て、それを納得した事と思う。今のは芝居でもデモでもない。もし、今日ここにいるのが彼女でなければ、セイラは死んでいた」
場内が静まり返った。
「私も無事ではなかっただろう。そして、ケインの護衛のブレードか、私と王妃の護衛四人の中の誰かは犠牲になっていた」
王は大袈裟に両腕を広げた。
「ここに彼女より剣で勝る者はいない。だが、数学や科学で勝る者は大勢いる。それで、ではない。それが、良いのだ。能力のある者が、その能力を自由に伸ばせる国に私はしたい。皆の力で、アルフレッサ王国をそのような国にしようではないか」
再び盛大な拍手が起こる。
国王がセイラ王子に耳打ちした。
「セイラ、最後に締めの言葉を。何でもいいぞ」
セイラ王子は息を大きく吸い込むと、精一杯大きな声を出した。
「今日は私とサンドラさ……彼女との婚約の儀に大勢お集まり頂き、誠にありがとうございました。私は、エメラーダ公爵家の皆様とのお付き合いの中で、本当の義とは何か、正しい力とは何か、それを学ぶ事ができました。彼女と巡り会う事のできた神の思し召しに深く感謝しています」
そして、より一層声を張り上げた。
「私は、いずれこの国を率いる者として、ここにお約束致します。我がアルフレッサ王国を、差別の無い、益々豊かな国にすると!」
割れんばかりの歓声の中を、王家と護衛の者は、雛壇奥の王家専用口から退場した。
扉が閉まると、ベソをかいているバザルが駆け寄って来た。
「サンドラ様! よくご無事で」
サンドラはバザルの髪を撫でて言った。
「泣かないで。大丈夫よ。知ってるでしょ? 私はこの国で一番強いの」
国王はドスンと、一番近くにあった椅子に座りこんだ。
「いや、まいった。命を狙われたのは十何年振りかな。義娘よ、みんなを守ってくれて、本当にありがとう」
「とんでございません、陛下。当然の事をしたまででございます」
王妃がサンドラを抱きしめた。
「おおぉ、サンドラさん。あなたがいなければ、私たち今頃、セイラのお葬式の相談をしていた所よ。心から感謝しているわ。セイラのお嫁さんになって頂けるだけでありがたいのに、守ってまで頂けるなんて。セイラ、あなた本当に掘り出し物のお嬢さんを見つけたわね」
王妃は一見、その人間離れした美しさのせいで冷酷に思われるが、実は恐がりでウイットなセンスの持ち主だ。
「母上、一言多い……」
セイラが止めようとするが、王妃のお喋りは止まらない。
「ねえ、このコの女装姿見た? 異様に可愛い過ぎるでしょう? 並の女の子じゃ引いちゃうのよ。あなたくらいの美人なら問題ないでしょうけど、それだと逆に女装趣味の王子なんてねえ……」
「母上!」
セイラ王子は、とうとう大きな声を出してしまう。
それを聞いて、国王が呆れてセイラ王子に言った。
「なんだお前、あれ程やめろと言ったのに、まだ女装なんぞしておるのか? 自分の立場を考えよ。婚約者殿に嫌われても知らんぞ」
サンドラがしおらしく口を挟む。
「慎んで申し上げます。セイラ様の女装は、わたくしと全国の男の娘ファンの眼の保養。王位を継いでまでとは申しませんので、何卒もうしばらくのご猶予を」
「何と、『男の娘』とな。おもしろい言葉を使うな。ハッハッハッ!」
国王の大らかな高笑いが響いた。
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