第12話 サンドラの告白

 宮殿からエメラーダ公爵のもとへ親書が届いたのは、サンドラが五対一の闘いを繰り広げてから三日後の事だった。

 公爵はその手紙を、夕食前に妻と娘の前で開封した。

 サンドラはこの三日間、思い悩む日が続いている。

 恋の悩みとは、精神の年齢が幾つであっても、前世がたとえ武士であろうと、辛いものには変わりがない。

 セイラ王子を傷つけたかもしれない。そして、嫌われたかもしれない。

 そんな思いが堂々巡りしていた。

 内容は第一王子専属の警護の件だろうと察してはいたが、公爵はもったいぶって手紙を開く。

「ゴホン。どれどれ……えっと、サンドラ。お前にセイラ王子の警護を任せたいそうだ」

 サンドラは少しホッとする。王子に嫌われてはいないようだ。

 マリー夫人は、無表情でそれを聞いていた。

 第一王子専属の警護である。この国で一番強いと認定されたようなものだ。男なら名誉な事だろうが、女でそんなものに認定されてどうする?

 自分より強い女性を好む殿方がどこにいるだろう。近衛兵で最も強い五人をまとめて倒した話を、今や貴族や軍関係者で知らぬ者はいない。つまり、夫婦喧嘩になれば瞬殺されかねないのだ。

 一体なぜこんな事になったのか。ほんの少し前まで、ちょっと我がままで、ちょっと欲深な普通の娘だったというのに……。

 もう、上級貴族との婚約は無理だろう。せめて、軍の幹部クラスに変わった性癖の人物がいてくれたら……。

 それがマリー夫人の儚い望みだった。

 ところが、公爵は手紙を読み進めるにつれ、顔色が変わる。

「それでな……そんな……馬鹿な、これは本当か? 第一王子がサンドラを婚約者に迎えたい、と……」

 無表情だった夫人の眼が大きく見開かれる。

「あなた、それをちょっと!」

 公爵の手から手紙を奪い取る。タチの悪い冗談でも言っているのかと思った。

 しかし、確かにサンドラをセイラ王子の警護の役目と共に婚約者にと書かれている。署名も王の直筆に間違いない。

 公爵と夫人は同時にサンドラを見た。夫人が悲鳴に近い声をあげる。

「サンドラ! もちろんお受けするわよね!」

 サンドラは涙を流した。流しながら、女の涙腺は男より緩いな、と思った。

――確かにホッとしたが、泣くような事ではない。なのに自然に涙が溢れるのはなぜだろう……。

 両親はもちろん、感激の涙だと解釈した。

 そして今までの行動も、全ては第一王子との婚約の為に、弟君である第二王子のクラスメイトという繋がりを最大限に活かして周到に仕組んだ伏線だったのだと思った。

 見当外れだが、転生の事など知らない公爵と夫人には、そう考えるのが一番辻褄が合う。

「はい……お受け致します」

 サンドラが答えると、婦人は声を上げて泣き始めた。

「おお……ごめんなさい、サンドラ。私、あなたの考えなど知りもしないで、冷たく当たってしまって……私ったら、あなたが狂ってしまったかと思ったのよ」

 公爵は、再度手紙を読み直す。

「まいったな。妙に世情に明るくなったと思ったら、こんな計画を立てておったのか……既に調査済みだろうが、セイラ王子はちょっと変わった趣味をお持ちでな。女装が好きで、とにかく強い剣士が好きなのだ……」

 サンドラは黙って頷いた。

「……ワシらはそれをひた隠しにしてきたが、まさかこんな解決策があったとは……正直、王子は男しか好きになれない指向だと思っておった。違ったのか……おまえは剣の腕を磨き、次期王妃の座も射止めた。そして、この国の安泰も約束されたという訳だ」

 夕食の準備をしていたメイド達も手を止め、涙を拭いていた。メイドリーダーのフランなど、号泣に近い状況だった。

 鉄造の人格が目覚めてからというもの、その人当たりの良さと気さくさで、メイド達は皆、サンドラのファンになっていた。

 公爵は立ち上がった。

「屋敷の者達に伝える! セイラ王子と我が娘との婚約の儀には、全員に特別手当を配る。そして、王宮での婚約パーティの後には当家でもパーティを行い、その時はお前達全員を客人として迎えよう!」

 拍手が起こり、それはしばらく止む事がなかった。



 学校のある日、サンドラは前日に残していたパンの欠けらを持って学校へ行くのが最近の習慣だ。

 裏庭の二〇メートルはあろうかという高い木の下で、手のひらにパンを乗せてじっとしていると、数分程で小鳥が飛んで来てパンをついばみ始める。

 サンドラは、手のひらの上を小鳥が動き回るくすぐったさが好きだった。

 その日もそうしていると、突然小鳥達が飛び立った。

 視線を上げると、シルビアが歩いて来ている。

 サンドラがパンを細かく千切って地面に撒くと、小鳥達は地面の上を飛び跳ねた。

「おはようございます、サンドラ様」

「おはよう、シルビアさん」

「そして、ご婚約おめでとうございます」

「あら、ありがとう。だけど、なぜご存じなのかしら? 私も昨日知らされたばかりなのに……って、情報源はケイン王子しかいませんけど」

 シルビアは照れ臭そうに笑う。

「はい、お察しの通りです」

「随分親密になったのね。嬉しいわ。だけど、婚約発表は卒業パーティーの時にしてね」

「えっ? イヤだ、サンドラ様ったら。そんな、私がケイン様とだなんて、恐れ多くて」

 だが、『公女シルビア』では、リンドウを切っ掛けにシルビアとケイン王子は愛を深める。サンドラはそんな二人を見て、シルビアへの憎しみを増幅させるのだ。

 そして数日後、二人は下校途中に暴れ牛に遭遇し、シルビアをかばって車中から放り出されたケイン王子は大ケガをする。それから、サンドラの度を超えた壮絶なイジメが始まる筈だった。

「今日もケイン王子と一緒に帰るの?」

「ええ、お誘いは受けています。でも、もしサンドラ様が私に御用がございましたら、サンドラ様を優先致します」

「いえ、そうではないの。大事なお願いがあるのよ」

 サンドラの真剣な顔に、シルビアは少し不安を覚える。

「私にできる事でしょうか?」

「もちろん。森を抜けてしばらくした所に石橋があるでしょ」

「はい、短い石橋ですよね」

「これからしばらくは、あの石橋を馬車から降りて歩いて渡ってほしいの」

「……それだけですか?」

「それだけよ」

「それに何の意味が?」

「そうねえ、恋のおまじない。あなたとケイン王子が上手くいきますように」

 恋のおまじないという割にはサンドラの眼は真剣で、シルビアは怖くなる程だ。

「わかりました。石橋は歩いて渡るよう、ケイン様にもお伝え致します」

「絶対よ、約束してね」

 サンドラの迫力に、シルビアは頷くしかなかった。



 サンドラの願いをシルビアがケイン王子に伝えた時、王子は素直に了解した。

「サンドラ嬢の言う事だ。何か深い意味があるに違いない」

 そう言って、石橋の前で馬車を降り、二人で歩いて渡って再び馬車に乗るという事を始めた。

 その日もケイン王子が先に降り、下から手を差し伸べる。シルビアは、その手を取って馬車を降りた。

「なるほど、サンドラ嬢は、これを恋のおまじないと言ったのか」

「はい、そうおっしゃいました」

「このように自然にあなたの手を取り、手を繋いだまま橋を渡って再びあなたを支えて馬車に乗り込む。この触れ合いが、どれほど私達の心を近付けたか……確かに効果抜群のおまじないだ」

 シルビアは、頬を染めてうつむく。

 今や馬車内の定位置をシルビアに奪われ、御者台に座る事が多くなったブレードが、御者のアダムに耳打ちした。

「あーあ、聞いてらんないよ」

 アダムは声を押し殺して笑う。

「クックックッ。ブレード様も、早くお相手を見つけるこった」

 アダムが馬車を走らせようとしたその時、突然地響きが起きた。

 ギョッとして前を見ると、石橋の向こう側で五、六頭の成牛が現れ、飛び跳ねている。

 一匹の牛の耳にハエが奥深くまで入ってしまい、パニックを起こして暴れ始めたのだ。パニックは他の牛に伝染し、危険な状態になっている。

 あまりの迫力に、四人は暴れ回る牛を呆然と眺めるしかなかった。

 やがて騒ぎの原因となったハエが牛の耳から出て行き、落ち着きを取り戻すと、他の牛の騒ぎも収まった。そして、再びブラブラと草原へ戻って行った。

「いやぁ、びっくらこいたなぁ」

 アダムの眼は、まだ丸くなったままだ。

「ここで止まらなかったら、確実に巻き込まれていたぞ」

 ブレードの額を冷や汗が流れた。

 ケイン王子は、シルビアの身体を守るように抱き締めたままだった。シルビアも、すがるようにケイン王子に抱きついている。

 それに気付いた二人は、慌てて身体を離した。

「い、いや、失礼……しかし、それにしても……サンドラ嬢はこれが起こる事を知っていたのではないか? だから石橋の前で馬車から降りろと……」

 ケイン王子と同じ事をシルビアも考えていた。

「はい……あの時のサンドラ様は、とてもおまじないを教える時の顔ではありませんでした。怖いほど真剣な眼で……恐らくサンドラ様は……」

 ケイン王子は頷いた。

「うん。未来を予知しているに違いない」



 その日もサンドラは、学園の裏庭でパンを手のひらに立っていた。

 小鳥は手のひらだけでなく、頭や肩の上に止まるまでになっている。

「おいおい、頼むからそこでフンはしないでくれよ」

 一人の時は男言葉に戻るサンドラだった。

 いつものようにシルビアがやって来る。

「おはようございます、サンドラ様」

「おはよう、シルビアさん」

 いつものように挨拶を交わす。

 小鳥達は、シルビアを見ても逃げなくなっていた。

「昨日は石橋の所で暴れ牛に出くわして、とっても怖かったんですよ」

「まあ大変。皆さん、おケガはなかった?」

「はい、お陰様で。ケイン様もブレード様も、御者のアダムさんも無事でした。もちろん、馬と馬車もです」

「良かったわ。皆さんが元気で何より」

「それで、ケイン様がおっしゃってました。自分達はサンドラ様に救われた、と」

 サンドラは身体を動かさないよう、視線だけをシルビアに向ける。

「私が救った? 何の事かしら?」

 シルビアはサンドラに向けて両手を合わせた。

「サンドラ様は、未来をお見通しなのですね。改めてお礼申し上げます」

 サンドラは観念した。

シルビアは、頭が良ければ感も鋭い。いつまでもシラは切り通せないだろう。

「シルビアさん、『輪廻』という言葉をご存じ?」

「りんね? いいえ」

「肉体が滅んでも魂は存在を続け、また次の肉体に転生するという、東洋における死生観の事よ。世界の終わりに全ての死者が蘇り、最後の審判が行われて神に認められた者のみが永遠の生命を得るという、西洋の思想とは相容れない考え方ね」

「つまり、サンドラ様は東洋のお方の生まれ変わりと……」

 サンドラの眉がピクッと上がった。

「そこまで察っするとは。我も我が身に起きた事でなければ、とても信じられないというのに」

「信じます。そうであれば、サンドラ様の落馬事故以降の事が、全て説明がつきますから。前世のサンドラ様は、心優しい剣の達人だったのですね」

「まあ……優しかったかどうかは別として……」

「ですが、転生されたサンドラ様が、なぜ今世の未来をご存じなのですか?」

 手のひらの上にあったパンが無くなり、サンドラはパンパンと手をはたいた。それを合図に、小鳥達は飛び去って行く。

「前世で私は、友人に勧められて一冊の本を読んだ。西洋における貴族の学園生活を描いたもので、『公女シルビア』という小説だった」

「シルビアって……もしかして、私が主人公の小説ですか?」

「おそらく」

「だから、リンドウの事も暴れ牛の事も、その小説にあったので知っていた……」

 サンドラは頷く。

「なぜこの世界に転生したのかは分からない。前世で私は、国を二分する戦争で命を落とした。死ぬ瞬間、『公女シルビア』の事を考えた。次の人生こそ、主人公のように愛に満ちた生涯にしたいと。その想いが導いてくれたのかもしれない……」

 そして、サンドラは苦笑いをした。

「……実際に転生した先は、悪役のサンドラの方だったが」

 突っ込み所が多過ぎて、シルビアはどこから突っ込めば良いのか分からなくなる。ただ、それが真実である事だけはわかった。

「全てを打ち明けるなら、私には今、心配な事がある。サンドラに私の人格が覚醒してから、現実と『公女サンドラ』との間に違いが生じているのだ」

「違い?」

「そう。リンドウを見て、君たち二人に愛が芽生える所までは何とか辻褄を合わせることができた。しかし、暴れ牛に関しては、ケイン王子は大ケガをする筈だった。物語では、これを切っ掛けにサンドラの君に対するイジメが激しくなるのだが、現実はこの通りだ……」

「でも、現実が物語通りに行かなくても、みんな幸せな方へ向かっています。それでも問題があるのですか?」

「東洋には陰陽という考え方があって、良い事も悪い事も、全てバランスを保って存在しているという思想だ。例えば、家畜を襲うからといってオオカミを根絶やしにすると、ウサギや野ネズミが増えて農作物が荒らされてしまう」

「ああ、それ良くわかります」

「同様に、人間の浅はかな考えで物事の均衡を崩すと、どこかに必ず歪みが生じるのだ」

「サンドラ様はそれが怖いのですね」

「うむ。私は、本来誰も知らない筈の未来を知っている。そして、ケイン王子に訪れる筈の悲劇を書き換えてしまった。それに……」

「……それに?」

「私も前世で経験があるが、恋は障害があるから燃え上がる。あの小説を読む限り、その障害とはサンドラの事だ。つまり、私が障害にならなければ、ケイン王子と君の恋もこれ以上発展しないかもしれないし、卒業パーティーでの婚約発表も無いかもしれない」

 シルビアの口が、驚きで丸く開いた。

「私などがケイン様と婚約?」

「前にも言ったが、それが物語の結末だ。そして私は、君への殺人未遂で監獄へ送られることになっている」

「殺人未遂なんて……そこは物語を盛り上げるための創作では?」

「私が覚醒する前のサンドラだったらどう思うかね?」

「もちろん……いえ、まあ、確かに」

「理解してくれて感謝する」

「サンドラ様のお悩みは良くわかりました。でしたら、今から形だけでも私をイジメるというのはいかがでじょう?」

「実は私は、中身は三十路を過ぎた武士なのだよ。女、子供をイジメるなど、振りであってもできぬ」

「武士?」

「侍とも言う。この世では、騎士に近いか。武士道とは、主君の為に死ぬ事なのだ」

「ステキ。セイラ様の為なら、命を投げ出すのですね」

「まあ……覚悟についての教えだから。ちなみに『公女シルビア』にセイラ王子は出てこない。あくまで公女シルビアとケイン王子の恋愛物語なのだ」

「サンドラ様はセイラ様とご婚約なさるので、物語中の私をイジメる理由そのものが無くなります」

「そこが頭の痛いところなのだ。しかし、幾つかの分岐点は存在すると思っている。宮殿に咲いていたリンドウのように……」

 学園中にベルが鳴り響いた。

「サンドラ様、教室へ戻りましょう。間もなく授業が始まります」

「そうだな……」

「大丈夫ですよ、サンドラ様。『公女シルビア』にどう書いてあったとしても、実際に生きているのは私達ですから」

 侍であった鉄造は、常に最悪を受け入れる事で生きてきた。

――今世では、自分と愛する人達の為に、最後まで運命にあらがってみるか。

 シルビアの笑顔を見て、サンドラは思った。

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