第70話 利己的な遺伝子

「今後、百数十年という長い年月をかけて、遺伝子や染色体、DNAといったものが発見されます。DNAとは人の身体の設計図、染色体はその設計図を集めた本をイメージして頂くといいかもしれません。そして遺伝子とは、設計図の中の親から子へ伝わる形質の部分を指します……」

 突然難解な話となり、興味をそそられたルブランとエッジの眼が真剣になる。だが、ブレードとエレデは戸惑いの表情だ。

「……そして肉体とは、それらを時空という海に運ぶ船と言えます。極端に言えば、肉体は遺伝子を運ぶために存在すると言っても、あながち誤りではありません」

 ルブランが尋ねた。

「その遺伝子とやらは、人体のどこにあるのですか? 脳? それとも心臓?」

「良い質問です。実は人体は、細胞という極小のブロックの集まりで、その数は約六〇兆個です」

「六〇兆? ピンと来ない程の数だな。つまり、遺伝子は、その六〇兆個のどれかにあると」

「いえ、全てにです」

「全て?」

「はい」

 ルブランが信じられないという顔をして言葉を切ったので、次にエッジが尋ねた。

「子が親に似るのは、その遺伝子のせいだと?」

「その通りです」

「しかし、子は親の記憶まで引き継ぐ訳じゃない」

「それもその通り。子を遺すには、親はその時点で生きている必要があり、記憶は当然完結していない。『魂』と『完結した記憶』は、ほぼ同じモノだと私は考えています」

「つまり、死んだ瞬間に他人の中で目覚める可能性もある。あなたとサン・ジェルマンのように」

 青年は頷いて言葉を続けた。

「自分の経験を客観的に捉えると、そう考えるのが合理的です。もう一つ、遺伝子により伝えられるのは、身体的特徴や体質だけではありません。実は『文化』の伝達も遺伝子により影響を受けると考えられます。これを後の世では『ミーム』と呼びます」

「親の好みや思考に、子が似る程度のものでは?」

「もちろんそれもありますが、思想や音楽、法則といった実体を持たない概念も、遺され伝えられるモノです。反面、消えていく文化も沢山ある。それは、多くの遺伝子に認められなかったか、その文化を伝えていた遺伝子が滅んだからだと考えられます」

「その理論は何世紀のものですか?」

「……二〇世紀です」

「二〇……」

 エッジが言葉を詰まらせたので、ルブランが続けた。

「啓蒙思想(一八世紀ヨーロッパにおける社会思想、フランス革命に大きな影響を与えた)と共通点があるように思うのですが?」

「ええ、ミーム理論の原点は啓蒙思想だとも言われています」

「そのミームによる伝達の中には、魂の伝達もあると?」

「お察しの通りです。正確には、魂を伝達するミームを持つ遺伝子が突然変異的に現れる、と言うべきでしょう。それこそ、私達が『転生』と呼ぶ現象の正体なのです」

「ですが、アナタとサンドラ様では現象が違いますよね?」

「先ほど染色体の話をしましたが、これの性染色体と呼ばれる部分が、男女では形状から違うのです。後の世では男性をXY型、女性をXX型と呼びますが、これにより同性では人格の統一が行われ、異性では人格の分離が行われるのだと私は考えています」

「なるほど、話の辻褄は合っている。ですが、先ほど二〇世紀の理論だと言いました。アナタが坂本龍馬として存在したのは一九世紀では?」

「こうも言いました。肉体は遺伝子を時空という海へ運ぶ船であると。空間を運ぶという亊は理解できると思いますが、では時間を運ぶという亊はどういう亊でしょうか?」

「いや……さっぱり」

「日常を生きていると、時間は過去から未来へ一定の速さで流れるだけと感じますが、これは万象に当てはまるものではありません。例えば、光の速さに近付くと時間の流れは遅くなり、巨大な重力下でも同様の現象が起きます」

 ここまでくると、ルブランとエッジも話に付いて行くのが難しい。エッジは、自分に理解できる範囲でこう言った。

「つまり、この世には多様な時間軸が存在すると?」

「そうとも言えます。そして、特殊な配列を持つ遺伝子……特別な魂と呼んでもいいですが、それは日常とは違う時間軸に存在している訳です」

 その時、黙っていたサンドラが、急に立ち上がって叫んだ。

 「だから、未来の魂が過去に転生したりするのね!」

 青年は、その声の大きさに驚きながら答える。

「ええ。恐らく特別な魂は、この次元とは異なる時空で数珠繋ぎに連なっている。その中のミームに導かれた魂が、現世へと転生すると考えます。我々の日常における時間の概念とは無関係に」

 ブレードが、恐る恐ると手を挙げた。

「あの、エリックさんは何回くらい転生して、どの位の亊を覚えているんですか?」

「うーん。恐らく、人の記憶容量には限界があります。転生先の肉体の素質と素養にもよるし、脳には辛い亊や嫌な亊は忘れようとする機能も備わっている。正直、それらを定量的に表すのは難しいですね」

「はあ……そんなものですか」

「例えば、このエリック・ロメールの身体と脳は、サン・ジェルマンのそれと比較すれば格段に劣ります。しかし、それはスキルとセンスでかなりの部分を補う亊ができる。サンドラ様も同じでは?」

 先ほどから立ったままだったサンドラは、改めて座りながら答えた。

「確かにそうですわね。私の身体で前世の鉄造の身体とアームレスリングをすれば、相手にならずに負けるでしょう。ですが、鉄造が剣を持って立ち会えば、この身体でも前世の自分と十分に渡り合うと思いますわ」

 一同はウンウンと頷く。

「欠点や弱点を補うモノがスキルであり、センスです。具体的な記憶は残っていなくても、遺伝子に刷り込まれた経験がある。確かに今の脳では、サン・ジェルマンの時に覚えていた亊が随分失われました。坂本龍馬に至っては記憶に関する素養がまるで無く、ほとんどセンスだけで行動していたように思います」

 サンドラは鉄造の記憶の中で見た龍馬の行動を思い出し、思わず笑ってしまう。

「クスッ……では、そろそろ本題に入りましょう。先ほど申し上げたように、私達はルイ一六世を救出する為にフランスまで来ました。龍馬様に協力の意志はございますか? そして、もし救出に成功した時、歴史はどうなってしまうと思いまして?」

 再び、青年の右の眉がピクリと動く。

「ルイ一六世をギロチンから救うのは、サン・ジャルマンの時からの悲願です。一五世から受けた数々の恩恵に報いる為にも協力させて頂きますよ。ジョワズールのクソ野郎……失礼、あの公爵に一杯食わされて宮廷から追い出されるまで、城まで与えて頂いて研究に没頭できたのはルイ一五世のお陰ですから」

「ありがとうございます! 心より感謝致します」

「……ですが、救出は失敗すると思います」

「え?」

「私がジャンポール城で、寝食を忘れて没頭した研究とは何だと思いますか?」

 ルブランが答えた。

「錬金術の類、そして顔料の研究だと聞いていますが」

「顔料はその通りです。当時、色彩について関心があったもので。しかし、錬金術については誤りです。そもそも卑金属から貴金属を精製するなんて不可能なんですよ」

「未来でも不可能なんですか?」

「ええ、科学的に不可能です。私が本当に研究したのは、電球と電話でした」

「電球? 電話?」

「未来は、夜でも昼の様に明るい時代が来ます。その切っ掛けは、今から約一〇〇年後にジョゼフ・スワンという人が電球を発明する亊から始まります。同じ頃、電話という物もグラハム・ベルらによって発明されます。これは、遠く離れた場所にいる人物と会話する機械です」

 サンドラは、青年が言わんすることがわかった。

「それらをこの時代に作り出す亊で、歴史を変えようとしたのね」

 青年は頷く。

「実験は成功しました。答えを知っているのだから当然です。しかし、時代はまだ、この実験の価値を理解できる水準に達していませんでした。私の実験は手品や魔術の類と受け取られ、最後はペテン師の烙印と共に追放です」

 青年は、その場にいる者の顔を見回した。

「個人レベルの運命を変える亊は可能です。しかし、歴史の大河は変えられない。そして、間違いなくルイ一六世の命は個人レベルなどではなく、全世界の歴史に影響を与える大河です」

 しばらく静寂が続いたが、やがてサンドラが口を開いた。

「龍馬様。それでも、もう一度歴史にあらがいませんか? 少なくとも、サン・ジェルマンと私という縁もゆかりもない二人が同じことを言った亊で、ルイ一六世は自分のギロチン行きを現実味を持って受け入れています」

 青年は黙っている。

 サンドラは続けた。

「私が知っている坂本龍馬は、敵が強大であればある程、ムキになって立ち向かう『べこのかぁ(土佐弁:馬鹿者)』だった筈です」

 青年は迷いのある眼で瞼を閉じたが、しばらくして開いた時に迷いは消えていた。

「そうじゃのう……男はやっぱ、頼られてナンボちゅうのはある。それがサンドラ様みたいなベッピンさんなら、半分が男でも命の賭け甲斐があるちゅうもんよ。ヨッシャ! この命、サンドラ様の預けるぜよ」

 サンドラが差し出した右手を、青年は力強く握り返した。

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