第29話 修羅の刻

「いいですか、もしサンドラ様と手合わせする事があったら、手加減だけはしてはいけません。ヘタすれば死にます。全力で当たってください」

 今回の謁見にあたって、エッジはブレードからそうアドバイスされていた。

 ――手加減などできる訳がない! 一体何なんだ、近くにいるだけで切れるような殺気は……。

 エッジはサンドラの後を歩きながら思う。

 剣術場では、非番の近衛兵達が稽古に励んでいた。サンドラが来てから、近衛兵達の意識が変わり、よく鍛えるようになったと軍にも伝わっている。まだ十代の公爵令嬢が、ここまで兵の意識を動かすのかとエッジは感嘆する。

 サンドラが、ドレスとヒールの高い靴のまま短く刈られた芝に足を踏み入れると、兵達は稽古を止めて、腰から身体を曲げる東洋式のお辞儀をした。サンドラはそれに対し、右手を軽く上げて応える。

 一人の近衛兵が、黙ってサンドラに一本の枝を差し出した。サンドラが通常の形状をした木剣を使用しないのはエッジも事前に聞いて知っている。葉を払い、乾かして磨いただけの枝を木剣として使うと。

 その木剣を受け取ってサンドラは言った。

「彼にも剣を」

 近衛兵達がどよめいた。そして、剣術場の中央部分を空けるように後方へと下がって行く。

 エッジにも、一本の木剣が手渡された。

 サンドラは木剣を両手で持つと、剣先を真っ直ぐエッジの眉間に向けた。東雲示現流、晴眼の構えである。

 エッジは、一応の気遣いを見せてみる。

「そのお召し物のままで? 靴だけでも脱いでは?」

「構わぬ。来るが良い、どこからでも」

 サンドラの声に、エッジは右手と剣を大きく前に伸ばし、左足を後に引いて低い体勢を取った。速攻で行くつもりだ。

 ブレードからのアドバイスは、後二つあった。その一つが、剣を正面に構えた時、それはまだ本気ではないという事だ。

 ――今の内に一本取らねば。

 剣術場は静まり返り、近衛兵達はサンドラの動きを一瞬でも見逃すまいと眼を凝らしている。

「ハアァッ!」

 エッジは気合いと共に、速射砲のような突きを立て続けに放つ。

 それをサンドラは、一歩も動く事なく、剣先の僅かな動きだけで全て払い落とした。

 焦ったエッジは、身体ごとぶつかって行くように渾身の突きを放って行く。

 しかし、サンドラは剣を払う事もせず、クルリと身体を回転させて後を向いた。バランスを崩したエッジが横を通り抜けて行く。

 慌てて振り返ったエッジに、左からの袈裟切りが飛んできた。必死の思いで受けると、すぐに右から飛んできた。そして、左、右、左と間髪も入れずに打ち下ろされる袈裟切りに、エッジは防戦の一方だ。

 だが、観ている者には分かった。サンドラは本気で打ち込んではいない。それは、ネコが捕まえたネズミをいたぶっている様を思わせるものだった。

 サンドラが攻撃を止め、一歩離れた。そして、剣を高々と天に向けて構える。

 トンボの構えだ。

 エッジは、サンドラの猛攻を耐え切ってホッとする間の無く、ブレードの最後のアドバイスを思い出す。

「サンドラ様が剣を天の向けて構えたら、マジのが来ます。恥も外聞も捨てて初撃を外してください。外せば、まだ生き残る道はある」

 エッジは、後に誰もいない事を祈って後方へ飛んだ。袈裟切りが鼻の前を通過するが、木剣の風圧で切れたかと思う。

 直ぐに返す刀で逆袈裟が来た。エッジはもう一歩後方へ飛んだ。近衛兵達が慌てて左右に分かれて道を開ける。

 だが、次の一撃でエッジは追い付かれた。サンドラの袈裟切りを何とか受けたが、そのまま押し切られ、首筋に強烈な一撃を食らう。

 エッジは、糸の切れた操り人形のように、グシャっと地に崩れ落ちた。そのままピクリとも動かない。

 壮絶な結末に、誰もが言葉を失った。

「おい、誰か。ボケッと見ていないで、彼を日陰のベンチに運んでくれ。それと、タオルと水も」

 サンドラが声を掛けると、慌てて近衛兵達は動いた。四人がかりでエッジをベンチに運こび、濡れたタオルを赤く腫れ上がった首筋に当てる。

「ありがとう。後は私が見るから」

 サンドラが言うと、近衛兵達は逃げるように剣術場へ戻って行った。



 そこは剣術場からセイラ王子の花園へと続く通路で、気持ちの良い風が通り抜ける場所だった。

 エッジが意識を取り戻して眼を開けると、頭の方に無表情なサンドラが座っていた。ぼんやりとした意識でその美しい顔を見ていると、サンドラが気付いた。

「脳震盪を起こしていたんだ。ここがどこか分かるか?」

「天国や地獄ではないようですね」

「冗談が言えるようなら大丈夫だろう。その……聞きたい事がある」

「何なりと」

「セイラ様は……貴殿の事が好きだったと聞く。猛烈にアタックされたとか?」

「ええ、大変でしたよ」

「……キスはしたか?」

「え? 何ですか?」

「だから、キスはしたのかと聞いている」

「すみません。頭がボーっとして。いえ、していません。私には故郷に許婚がいたし、無理にキスを迫られても私の身長には届きませんので……ただ……」

「……ただ、何だ? 最後まで言ってくれ!」

 エッジにも徐々に察しが付いてきた。なぜ自分にだけ、こんなに当たりが強いのか。近衛兵と五対一で闘った時も、ここまで酷くは打ちのめさなかったと聞いている。

 ――焼き餅だ。それも強烈な。この姫様、よほどセイラ王子に惚れ込んでいると見える。剣がいくら強くても、中身は一七歳に乙女という訳だ。

 エッジの推測は、半分合っているが、半分間違っていた。強烈な焼き餅は焼いているが、中身は実は中年のオヤジである。

 実はエッジは、セイラ王子の熱烈な求愛に、一度だけ一線を越えてしまった事があった。墓場まで胸に秘めて持って行こうと思っていたが、サンドラへのせめてもの腹癒せに、意識障害のフリをして打ち明ける事を思い付く。

「……セイラ様が、あまりにも身を寄せてくるので、私の下半身が反応してしまったのです」

「勃起か? 貴様! 恐れ多くもセイラ様に勃起したのだな!」

「はい。するとセイラ様は私の前にひざまずき、苦しそうだとズボンの前を開けて……猛るモノを取り出してくださいました」

 サンドラは、頭を押さえてうなだれた。

「そんな……あの、天使か妖精のようなサンドラ様が、そんな猥褻な事を……」

「私は、お止めくださいと哀願したのですが、セイラ様はボクに任せてと……私の愚息を、優しくお口に含んでくださったのです」

「おおぉ! 嘘だ! 貴様の様にノッポな奴のモノが、セイラ様の小さなお口に収まる訳がない」

 サンドラが涙を流し始めたので、エッジはすっかり嬉しくなった。

「嘘は申しません。セイラ様は亀頭の敏感な部分だけをお口に含み、舌先で男のツボを丹念に刺激してくださいました。セイラ様の切なげな上目遣いを見下ろしていると、私もタマらなくなり……もう危ないですとお伝えしたのですが……」

「貴様! まさか……まさか、セイラ様のお口の中へ?」

 エッジは、返事をする代わりに頷いた。

「大量に出ましたが、セイラ様はそれを必死に飲み込むと、満足げに微笑んでくださいました」

 サンドラは、フラフラと力無く立ち上がった。

「……おカマは……掘ったのか?」

「いいえ。ですが、このままではそうなると思い、警護官を辞め、軍への移動を希望したのです」

「そうか……手間を取らせた。ありがとう……」

 そのままサンドラは、フラフラと歩き去った。

 エッジはゆっくりと身体起こし、ベンチに座り直した。

「クックックッ……」

 笑いがこみ上げてくる。が、ふと思い当たった。

 ――ところで俺は、フランス国王救出で何をすればいいんだ?

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