第46話 切腹の作法

 ドトールの隠し財産は、サンドラの予測を越える額だった。

 その財産は全て国が没収し、孤児院と初等教育の学校建設に当てられる事になる。

 その計画の開始に当たって、サンドラは牢の中でドトールと面会した。

 深紅の美しいドレスに身を包んだサンドラが牢の中に入ってきた時、好色なドトールであったが、そんな気には全くなれなかった。

――この小娘がその気になれば、自分など素手で一瞬でヤられる。

 ドトールにとっては、ライオンが放たれたに等しかった。

「そんなに怯えないで。鼻が曲がって、前歯も無くなって、愛嬌のある顔になって良かったじゃない。少しはあなたのこと、好きになれそうよ」

「……命を助けて頂き、感謝致します」

 ドトールは、床に額を押し付けたまま言った。

 別に心から感謝しているという訳ではない。サンドラと眼を合わせるのが恐ろしかっただけだ。

 そんなドトールの眼の前に、サンドラは一本の短刀を置いた。

「助けたつもりはないわ。私の侍女を犯し、友人に怖い思いをさせた事は決して許しません。ですが、私も魔女じゃない……」

 サンドラは自分で言った冗談にクスッと上品に笑う。

「……あなたに生き延びるチャンスを与えましょう。あの時、バザルの中から抜いて恥ずかしげも無くさらした、ふやけて湯気を上げる汚らわしいモノが、眼に焼き付いて気分が悪いのです。アレをその短刀で切り落としなさい」

 ドトールは、土下座したまま短刀を凝視して叫んだ。

「なにとぞ! なにとぞお許しを! そんな事をしては、生き延びるチャンスどころか、確実に死んでしまいます!」

「大丈夫よ。外にお医者様を待機させているから。命の保証だけはしてあげます」

 ドトールは、床に涙と鼻水をポタポタと垂らしながら泣いた。

「なにとぞ! なにとぞ!」

 サンドラは溜め息をついた。

「何て見苦しいの。もういいわ、顔を上げなさい」

 ドトールは、囚人服の袖で涙を拭きながら顔を上げた。

 サンドラは、ドトールの眼を見ながら話した。

「私は、仁や義を守れぬなら、自ら腹を切って果てよと教育されてきました。男の命とは、己の誇りを守る為に在るのです」

「サンドラ様は女性では?」

 ベソをかきながらもドトールは突っ込む。

「小さい事はどうでもよろしい。今後あなたには、切腹の作法と心構えについて教育を受けてもらいます。いいですね」

「はい……」

「それから、ここを出て執務室へ移りなさい。そこであなたには、あなたが今まで貯め込んだお金で孤児院と学校を作ってもらいます」

「孤児院と学校……でございますか?」

「そうです。まず、この首都グレンキャンベルに。それから全国に増やしていきます」

「サンドラ様……お言葉ですが、私めの貯めていた金程度では、グレンキャンベルでの運営だけで、僅か数年で底を突くでしょう」

「だからあなたを生かしておくのですよ。あなたが資金を工面するのです」

「なる程、民からガッポリと税を搾り取るのですな。お任せください、ウヒヒヒ」

 サンドラは、ドトールの頭を、拳骨で思い切り殴りつけた。

「ギャッ!」

「増税は最後の手段です。軽々しく行ってはなりません。国民の信頼を失います」

「では、いかがしろと? フランスの様な貴族への課税はお勧めできませんが」

「ああ、あれは失敗しますよ。フランスの混乱は何年も続きます。納税も特権を失うのも拒否したバカな貴族が、自分達の身分の拠り所である王政を否定しているのですから。多くの血が流れます」

「まるで見てきたかの言い草でございますな」

「ある意味そうね。現実として、貴族から税を取るのは難しい。まだ、そこまで社会は成熟していません。ですが、税という形で取れなければ、自ら喜んで支払うようにすれば良いだけのこと。あなたにはその意味が分かりますね」

「まさか……女とギャンブルですか?」

「ご名答よ」

「これは驚きました……品行方正な姫君とばかり」

「いずれ世界は経済が中心となり、そこで成功した者を頂点とする構造に変わります。王族は国を象徴する者となり、その時は品行方正である事が求められるでしょうが、今はまだ早い。国を束ね、実権を持つ者は、清濁併せ呑む度量が必要なのです」

 ドトールは、信じられないという風に首を振る。

「王立の売春宿と賭博場を造る、という事でございますな」

「王位は神より与えられたもの。その建前では、もちろん公にはできません。だから、あなたに汚れ仕事を引き受けてほしいのです」

「かしこまりました。サンドラ様に救われた命、いかようにもお使いください。それにしても、ギャンブルならまだしも、売春は許せないお立場なのかと」

「私一人が許さなくてどうなるものでもありません。売春は決して無くならないでしょう。それこそ、二〇世紀になろうと二一世紀になろうと、手を替え品を替え存在する筈です。そういった仕事をするしかない女性がいて、そういった女性にすがるしかない男性がいる。この構図は、社会の成熟とは無関係で、無くなるものではないからです」

「確かに」

「さて、ここを出ましょう。執務室へ案内します」

「えっ、今ですか?」

「忙しくなりますよ。寝る時間が無くなるかもしれません。手始めにプッシーキャットを、貴族が好んで出入りする様な高級サロン風に改造してもらいます。見栄っ張りな貴族が、呑んで打って買って、たんまりをお金を落としていく様な場所にするのです」

「その金を、福祉や教育に充てるのですね。神の愛だけでは、腹は膨れないし、国を支える人材も育たない」

「そこまでは言ってませんが、まあそういう事です。今後、あなたには二四時間の監視を付けますが、貢献に応じて徐々に自由を与えます。それと、その短刀は肌身離さぬように」

「こんな立派な物を私に?」

「それは、あなたが身を守る為の物ではありません。私が死ねと命じた時に、自分で腹を切る為の物です。それを忘れないように」

 サンドラの口元は笑っていたが、眼は獲物も喰い殺す直前のライオンの様だった。

「あわわわ……」

 ドトールは失禁し、床に小さな水溜まりを作った。

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