第64話 再会
「サンドラ様。後は何かございますか?」
エレデは、単に『メイドの格好をした護衛』ではなく、実際にメイドの業務もこなしていた。
「ありがとう。もう結構よ。今日も色々あったし、エレデも早く休んで」
ところがエレデは、部屋を出て行かないでモジモジしている。
「……あの、サンドラ様……ボク、サンドラ様のお部屋で、常にお世話をしていた方が良いのではないでしょうか?」
「あらあら。ルブランに何か言われたのね」
「いえ、そういう訳では……でも、部屋では決して眼を合わせてくれませんし、何を言っても生返事で……ベッドに入っても寝苦しそうで、よく眠れていないようなんです。ボクとの同室が不満なのかなと……サンドラ様のお部屋でしたら、奥にメイド用の簡易ベッドもありますし」
「まあ、そんな事が……ルブランの気持ち、少しわからないでもないわね……」
サンドラが考え込むと、エレデの表情が不安で曇る。
「……私とエレデでは、どう転んでも間違いは起きないでしょうけど、もし鉄造と入れ替わる事があれば……アイツ、本当に見境無いから」
「でも、ボク、鉄造様になら、どんなヒドい事をされても……」
それだけ言うと、エレデは頬をポッと赤く染めた。
「やめてくださる? アイツとは人格は別ですけど、身体と記憶は共有していますのよ。そんな事になったら、半分わたくしがエレデを抱くようなものですわ」
エレデは深く頭を垂れる。
「軽率な発言、申し訳ございません」
「まあ、詳しい事は明日話すけど、ルブランにはムラムラをスッキリさせる機会を与えるつもりなの。だから、もうしばらくだけ我慢して頂けるかしら」
「かしこまりました、サンドラ様」
エレデはもう一度深く頭を垂れると、サンドラの部屋を出て行った。
サンドラは部屋の灯りを蝋燭一本だけにして鏡台の前に座る。
しばらく黙っていたが、やがて鏡の中の自分に向かって話しかけた。
「ちょっと、鉄造から私に何か言う事があるでしょう?」
鏡の中の自分が、オドオドと眼を逸らした。
「心配をかけ、大変申し訳なかった」
「いつ戻って来たの?」
「少年が蹴飛ばされた時だ。気が付くとあの場所に立っていた」
「私が怒る事で鉄造との入れ替わりが起きる、という事で間違いなさそうですわね」
「うむ」
「前みたいに鉄造が表に出る事はできないの?」
「もう一度そなたが馬から落ちれば、もしかすると」
「落馬は二度とゴメンだわ。次も蘇生できるとは限りませんし」
「では、このままでい良いではないか。本来、そなたの人生なのだ。大丈夫、危険な時には拙者が出て、そなたを守ると約束しよう」
「でも……私わかりますの。みんなが信頼し、尊敬し、愛しているのは私じゃない。鉄造だって」
鏡に中の自分が、優しくサンドラに微笑みかけた。
「そんな事はない。拙者が失神した後の記憶、覗かせてもらった。立派ではないか。こんなに遠くまで皆を導くなど、並の一八歳の乙女ができる事ではない」
サンドラの眼に涙が浮ぶ。
「ええ、わたくし、頑張りましたのよ。普通より悪いくらいの頭なのに、鉄造みたいな超人を周りは期待するし、必死で頑張りましたの……」
鏡の中の自分は、黙って頷いている。
サンドラは優しく頭を撫でられた気がして、涙が止まらなくなった。
☆
『ルイ一六世救出部隊』の男性メンバーは四名。その内、エッジとブレードには、それぞれ婚約者と彼女がいる。エレデに愛を語り合う相手はいないが、童貞でそういった知識にも疎く、初めての相手を優しくリードするといった事は期待できない。
娼館で働く事になったという靴磨きの少年のお姉さんの初めての客候補には、消去法で自ずとルブランになった訳だが、次の日の朝食時には当然ながら他のメンバーから好奇の眼を向けられる事になった。
「いいなあ。実は私、まだ娼館には行った事がなくて」
エッジがぼやくと、ブレードがチクリと嫌味を言う。
「それは、エッジさんがそんな所に行く暇が無い位、多くのご婦人とお盛んだったからでしょう」
「それは言い過ぎだよ。ブレード君こそ、娼館に行って経験を積んだ方がいいんじゃないか。イザという時に役に立たないんじゃ、経験豊富なリリーさんをガッカリさせるぞ」
「えっ! リリーさんって経験豊富なんですか?」
「なんだ、知らぬは本人ばかりか。彼女は恋多き女性だと思うぞ。一番男が寄って来るダイプだ」
「……オレ、アルフレッサに戻らせてもらいます」
「いやいや、恋人がいるのに誰彼無しになびくコでもないから。彼女を信じなよ」
エレデはエッジとブレードのやり取りを楽しそうな顔で見ていたが、ルブランは浮かない顔だ。
「何か心配事でも?」
エレデが尋ねるとルブランは答えた。
「いやね、娼館なんて、一人でコッソリ行くべき所と私は思っているから。少なくとも、仲間から見送られて行くような場所じゃない……出て来た時に、どんな顔をすればいいのやら」
「ウフフッ、考え過ぎですよ」
「まだある。その靴磨きの少年のお姉さん、まだ一六歳というじゃないか。私の娘みたいな年齢だ」
その発言に、サンドラがピシャリと言い放つ。
「バザルとセバスチャンは、孫と祖父みたいな年齢差ですけど、上手く行ってますわ。男女は年齢ではなくてよ。それに、別に結婚しろと言っている訳でもありませんし」
ルブランも、サンドラに逆らう気は毛頭ない。基本的には長い物には巻かれるタイプである。
「はあ、確かに仰るとおりで」
「それに、エレデと同室だと色々と溜まるものもあるでしょうから、一度スッキリさせた方が良いと思いますわよ」
今度はエレデが浮かない顔になった。
「あの……ボク、何かやってしまったでしょうか?」
自分の魅力に無自覚な男の娘ほどヤッカイなものはないなと、そうルブランとエッジは眼で語り合った。
そんな和やかな朝食の後、部屋に戻っていると、支配人がルブランを呼び止めた。
「ルブラン様、少々お時間よろしいでしょうか?」
いつものクネクネとした歩き方でやって来る。
「ええ、いいですよ」
「実は今、当ホテルにバンナ様という貿易商の方にご利用頂いておりまして」
「はあ……そうですか」
「貴国ともお取り引きをなさっているそうで、ぜひ一度サンドラ様にご挨拶したいと」
「ほう、目的は販路の拡大……ですかな」
「裏表のある方ではありません。それだけが目的でしょう。この革命の最中、各国は警戒してフランスと距離を取り、物を売るのも買うのも自由にできません。比較的治安の良い貴国に活路を見い出したいのは、商売人として当然でしょう」
「なるほど。で、我々には何かメリットが?」
「そうですね……夜の世界にも顔がききますよ。身分を明かさずにノビノビと遊べる場所を紹介してくれます。ルブラン様もせっかくパリまでお越しになっているのです。一度くらい大使の役目をお忘れになって、ハメを外して遊ばれてはいかがでしょう?」
ルブランは腕を組んで考え始めた。
「そうか……そんな事にも気を配る必要があるな」
そして、一人で納得したかのように頷くと、支配人に告げた。
「わかりました。サンドラ様にお伝えします。返事は後ほど」
急ぎ足で立ち去るルブランの後ろ姿を見ながら、堅物の大使もやはり男だな、と思った支配人はニンマリと笑った。
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