第4話

 小牧長久手の戦いが一応は和睦という形で決着してすぐに、吉興の工作の結果、秀吉は従三位権大納言に任官している。ここからは公卿と言うか、言わば日本国の取締役の一人になったわけである。

 大納言はこの頃には、正官は欠官になっていて、権官のみがあったが、ここからは、天皇の妃を出せる家格になる。


 一説には、この時、朝廷から将軍就任を勧められたとか、足利義昭の猶子となろうとしたのを断られたとか、そう言う話もあるのだが、将軍という地位にさほどの魅力があったのかどうか。

 

 鎌倉将軍の脆弱さは言うに及ばず、応仁の乱から百年、花の御所の公方もまた、世の人には飾り物としか見えない。

 この時期、大坂城においては、公儀政権構想についての案が多数寄せられていたのだが、吉興が求められて秀吉に提出したのは阿衡案であった。

 

 日本はそもそもは唐代の中央集権国家を模した政治制度になっていて、秀吉が中央政府を樹立しようと言うのであれば、律令体制をそのまま換骨奪胎するのが手っ取り早い。

 律令とは言っても、天皇や公家に発言権を与えるわけにはいかないので、天皇の権をすべて代行し、なおかつ公家よりも上位の立場が望ましい。公家の中の上位、ではなく、公家も武家も下につける地位である。

 太政大臣は単なる公家の中の上位であるのでよろしくない。

 征夷大将軍も、武家にしか権限が及ばないのでよろしくない。

 既存の地位の中では関白が一番望ましいが、秀吉は藤原氏ではない。この時は、平氏を名乗っている。

 秀吉に氏などあろうはずもないが、官位を貰う以上は氏は必要で、信長が平氏を称したのでそれに倣ったのである。

 そこで、関白に代わる地位として、関白よりも上の地位として、阿衡なる地位を新設してはどうかという案を吉興は提出したのだが、一応かすかな前例はあって、平安時代の前期に宇多天皇が藤原基経を阿衡と称して紛糾したことがあった。

 宇多天皇は天下の第一人者の意で阿衡という唐風の美称を用いたのだが、正規の官職ではないため、宇多天皇が基経を棚上げする意だと解した基経が反発したのである。

 ともあれ阿衡なる名が現れた前例はある。しかも天下の第一人者ということであり、なおかつ内容は判然としない。逆に言えば、使い出がいい称号であって、吉興はこれを活用すればいい、と言ったのである。


 ところがほぼ同時期に、摂家の内部で、関白の地位の継承について紛糾が起きていて、いったん秀吉がそれを預かるという事件が発生していた。

 黒田官兵衛が言うには、摂家のいずれが関白を継いでも紛糾するばかりであるから、預かっているならこの際、秀吉が関白に就任すればいいということになったのである。

 秀吉も阿衡だとかそんな聞いたこともないものになるよりは、関白の方が良かったので、近衛前久の猶子となって、関白に就任することになった。官位もそれに合わせて急ぎ足で、内大臣から太政大臣へとなった。


 近衛前久と言う人は若い時には上杉謙信の客分として越後へ下り、後に信長に接近して相談役みたいな立場になろうとした人で、世情には通じている。

 信長が武田を倒す際にも、同道していて、帰り道、せっかくだから駿河に入って表富士を見たいと言えば、


「近衛、控えよ。徳川殿に負担をかける」


 と叱られた人である。信長は前右大臣ではあったのだが、摂家筆頭の近衛を呼び捨てにするのはさすがに尋常ではなく、勘気を被ったと京へ逃げ戻り、本能寺の変まで震えながら蟄居していたという経歴がある。


 そこだけを抜き出せば迂闊な人にも思われるが、戦国の名将たちを直に見て来た人であり、戦国の遊泳術には長けている。


 藤原道長以来の歴史を持つ摂家、当然のことながら、関白の地位を秀吉に渡すのは五臓六腑がよじれるほどの屈辱ではあるが、秀吉がそこに目を付けた以上は、抗う力は無い。

 せめてもの利益をそこから引き出すのみである。


 秀吉は近衛前久の猶子となり、藤原秀吉として、関白に就任した。そして直ちに改姓の願いを出して、豊臣に姓を改めている。


 豊臣、と言う姓を考案したのは黒田官兵衛であるので、当然そこには軍師的な意図が込められている。まず、藤原姓を捨てたことで、藤原氏長者に服するつもりはないことを示し、臣の字を入れることで、簒奪をしないことを示している。

 源氏や平氏は、少なくとも系図上では皇裔であるわけで、将門がそうしたように、皇位を簒奪する潜在的な危険は存在している。天命が王者に下ることを思えば、天下人であるということはそれ自体が天命と解することも可能で、源氏や平氏であれば易姓革命という手段をとらずとも、八幡神あたりの神託を偽造すれば、皇位を得ることも、絶対に不可能とは言い切れない。


 鎌倉時代の末期、皇位は持明院統の花園天皇から大覚寺統の後醍醐天皇に継がれたが、この両名は共に皇家累代の中でも抜きんでた英俊であり、同じ問題意識を抱えていた。それに向き合って出した答えが正反対だったのではあるが。

 花園は天命が皇位を保全すると言う考えであり、そのために、天皇は英俊でならなければならず、無私でなければならず、清廉潔白でならなければならない。そうでなければ天命に値しないからである。

 一方、後醍醐は、皇位は絶対であり、その絶対性によって天命が担保されるとした。これは別に後醍醐が個人としての徳を軽視したということではない。ただし、究極的には何が徳であるのかを規定するのは絶対性によるのであり、天皇はその定義上、無謬であると考えたのである。

 これは王と王法のいずれが優先するかという話である。


 武家政権というものは、本質的に共和政原理を持っている。つまり、王法は王に優先するという考えである。

 これは承久の乱において、後鳥羽院が「謀反をなした」と規定した時に明確化され、後醍醐が成したのはそれに対する反撃であったのだが、南朝は結局は滅亡している。


 秀吉と後陽成天皇を比較すれば、実質的には王法の守護者は秀吉であって後陽成天皇ではない。

 王法の論理から言えば、日本国の主権者は実際に王法を守護している秀吉なのであって、理屈さえ作り上げれば、秀吉が皇位を簒奪するのは不可能ではない。

 しかも皇位にあるのは北朝、すなわち王よりも王法を重視する「祈る天皇」である持明院統なのである。

 ただ、それをなせば有史以来のことではあり、あまりにも予測が不明すぎる。農民の倅から天下人になったという秀吉の経歴は、王法の権威を強化するには肯定的な要因にもなり得るのだが、秀吉が望む以上に革命的過ぎる。それをすれば秀吉もまた王法の奴隷になりかねないのである。


 実際には対朝廷の態度においては、秀吉は穏健策をとった。彼は別に革命を望んでいるわけでもなく、自身の権力が担保されることのみを望んでいたからである。


 豊臣という姓は、朝廷への強力な意思表示であった。

 臣という字によって、簒奪を否定し、豊という字において、第一人者であることを示しているからである。


 これによって朝廷と豊臣秀吉政権は一心同体となった、と言ってよかった。


 またこの頃、徳川の外務卿とも言うべき石川数正が豊家に転んでいる。

 これは対徳川外交の窓口であった佐助吉興の工作の結果であった。

 吉興は家康の孫婿であるので、見星院や、下の姫たちの処遇について、家康と話をつけておく必要があり、それは同時に豊臣と徳川の下交渉になり得る。

 石川数正は何度となく畿内と駿府を往復し、そのたびに、公儀と徳川の力の差を思い知った。


 外交官とは、いずれの集団にあっても裏切り者なのである。

 外交とは妥協の産物であり、妥協は、一切それを許さぬ者たちから見ればすべて裏切りだからである。

 そのため外交官は他国の外交官も含めて、ギルドを形成しやすい。説得し得る落としどころを探るには、むしろ敵国の外交官と協力しなければならないからである。

 外交的天才というような者は、外交の本義からすれば存在しない。もしそのような者がいるとすれば、ギルドの不文律を踏みにじっているということだから、いずれその国は報復されることになる。

 互いの対立を、共通の利益の下に昇華アウフヘーベンするのが外交官の仕事なのであって、石川数正はそれをやろうとしただけである。


 ただし、実態においては、豊臣は徳川に数倍している。

 徳川は傷つきやすい中学二年生男子のようなもので、その家臣団の世界観は、被害者意識のせいで歪んでいる。

 彼らの矛先は、石川数正に向けられた。


 その結果が、石川数正の移籍である。

 これは、交渉担当者であった佐助吉興が石川数正を個人的に憐れんだ結果であって、徳川が更に被害者意識を募らせることを思えば、むしろ豊臣外交の失敗である。

 秀吉はそこまでは気づいていない。

 石川数正を寝返らせたことで、上機嫌である。吉興もわざわざ叱られたくなかったので、そのままにしておいたが、今後の対徳川外交が難しくなることを思えば気が重い。

 出来れば四国あたりにでも領地を貰って、身を引きたいところだったが、家康の孫婿という使い勝手のいい立場にある以上、秀吉は使い倒すつもりでいる。


 天正十三年の末に、羽柴秀勝が病を得て逝去した。

 後継者を失った秀吉は号泣したが、あれで案外、本当に秀勝殿を大事に思われていたのだな、というのが周囲の感想である。


 関白任官の件、石川数正引き抜きの件と合わせて、故人の家老格であった佐助吉興には、「遺領分配」の名目で亀山を中心に五万石が与えられた。

 秀吉は吉興を畿内から手放さないつもりである。

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