第26話

 日本の都市は、明治後、急成長した港湾都市を除けば、多くは江戸時代初期の城下町に由来することが多い。拠って、町の開発者は大名ということになり、決して少なくはない都市で、今もって旧大名家の影響力は残存している。甚だしくなれば、市長や知事の座を、旧大名家末裔が占めることも決して珍しくはない。

 福岡市についていえば、ここは無論、江戸時代は、黒田五十二万石の城下町であったのだが、そもそもそのかたわらをなす博多について言えば、三世紀末、「魏志倭人伝」において奴国として姿を現している。歴史資料に記述された、という限定をつければ、日本最古の都市と言ってもいい。

 福岡が福岡であり、博多が博多であることから、福岡と博多は別の町と言えなくもないのだが、通常の城下町における町域機能を博多が担っていたこともあって、創建当時からこの町はやはり双子都市であったと言っていいだろう。

 博多は、戦国期の復興に秀吉が尽力したこともあって、意外と豊臣贔屓の町である。では、黒田に対しては、と言えば、別にさほどの関心も愛着もないというのが実情だろう。何しろ、黒田が入る千三百年前から博多は都市であったのだ。

 神屋宗湛は、秀吉から恩顧を受けた博多の豪商である。今、その屋敷跡は豊国神社になっている。この豊国社は宗湛が屋敷内に建立していたものを、江戸時代には別の社になっていて、明治になってから復興したものである。博多の人の豊臣への思いの残り香のようなものである。

 宗湛は、秀吉をもてなす席でも用いたという名物「博多文琳」を愛蔵していた。黒田が福岡に入ってから、長政が奪うようにして、無論、相応の値をつけてのことではあるが、有無を言わさずにそれを買い取った。その末に宗湛は憤死したとも言うが、博多の人にとっては、黒田長政はそういうことをした人である。

 明治以降は、商業都市である博多に福岡は呑み込まれた。

 この町で、黒田の末裔が公職を得ることは、ちょっと考えにくい。


 栗山利安は、黒田の一老、すなわち冢宰である。

 如水と長政を除けば、一の人である。


「なにとぞ、皆々様お揃いで、御父上様の賀などを。伏して、伏してお願い申し上げます」


 黒田の使者として、栗山利安は大坂の佐助屋敷にあった。

 礼儀として、吉興は一応は対面している。


「何度も申すが余計なお世話よ。四十賀など、当家ですら祝わぬ。まして黒田とは他人、そもそもを申さば、数々の遺恨がある仲ではないか。迷惑である。下がれ」

「いいえ、此度こそは。この利安、事が成らねば切腹仕る覚悟」

「そなたの腹に我が何の関りがあろうか。死ぬなら屋敷の外で死ね」


 うーむうーむと狼のように栗山は唸るばかりである。栗山は如水の頃からの冢宰であるので、吉興も見知っている。あの一筋縄ではいかない「ひねくれ者」の最側近とはとても思えぬほど真っ直ぐな男で、播州には珍しい型の男である。

 他人のことは言えず、吉興と橘内長久の関係も、長久の人となりも、黒田主従そっくりではあったのだが。

 一応は旧知とも言える栗山に、吉興の態度はひたすらそっけない。


 黒田家中にある溶姫はそれなりに幸せに暮らしていた。周囲が重んじて大事にしてくれるだけでなく、心より慈しんでくれるのである。それは清らかで邪心の無い、明るい溶姫の性格ゆえであったが、一言も批判がましいことも言わず、他人の悪口を言うでもなく、そういう妻を持って、長政は初めて結婚生活において充実感を得ていた。

 前の蜂須賀の娘が、特別性格が悪いというわけではなく、大名家の姫とはそもそも外交官であり、家政最高顧問でもあるので、実務が絡めばおのずと言い合いにもなれば、批判がましいことも言わねばならないだけである。

 溶姫が少し抜けているだけであった。

 佐助の家では父である吉興と言い、祖母である見星院といい、ある意味、腹黒い者ばかりであるので、溶姫はかえってそういう機能を父や祖母に完全に委ね切った結果の今の性格である。

 男子にはそうも言ってはおられぬから、吉興もそこそこ厳しく鍛えたつもりだったが、女子については後手後手になっていた。

 気づいた時には、吉興の目から見ても、かように紙の毬のようにふわふわとしていて、武家の嫁としてやっていけるのかと溶姫を見て不安がよぎらなかったわけではないが、そもそもは橘内の息子に嫁がせるつもりだった。

 橘内であれば事情も知っているし、佐助の姫を悪くすることはないから、まあよいかと思っていたのである。

 そこを、溶姫が攫われた。

 長政が溶姫を溺愛していることは漏れ聞こえる。

 あれを気に入っているというなら、それに越したことは無い。父親がわざわざしゃしゃりでる必要もあるまいというのが吉興の考えである。

 長政は吉興をたてて、畏怖しているのは知っているが、どうもそりがあわない。深く付き合えば付き合うほど齟齬が生じるだろう。

 吉興が意地を張っているのも事実だが、ただ意地を張っているだけではないのである。

 藤堂高虎、黒田長政、この両名は豊臣恩顧でありながら、政略として徹底して家康に与している。他の者と違って、単に石田治部少輔憎しのみで動いているわけではない。

 畢竟、秀頼が害されても致し方ないと見通しているかのようである。

 行きつくところまで行けば、吉興の道とは相容れない。

 いずれ断つ交わりならば、なまじ親しく交際して、しがらみが生じるのも厄介であった。


 一方、溶姫の方は、ひたすら実家の家族に会いたい。吉興とは面談したが、コウ姫とは会っていない。

 あのような形で離れ離れになったのだ。いくら朗らかに笑っていても、母を思わぬ日は無い。それはコウ姫も同じこと。時折、仏間にて一心不乱に念じている。誰を想ってのことかは知れたこと。

 長政はひたすら溶姫の願いを叶えたかった。

 溶姫を佐助屋敷へ連れ出すのもひとつの手ではあったが、かくも頑迷な吉興が、そうそう立ち入りを許すとも思えない。

 父から立ち入りを拒絶されれば、溶姫がどれほど傷つくことか。

 それを思えば、その危険は冒せない。

 これまで何度も口実をつけて、佐助の家の者たちを黒田屋敷へ招くべく、長政は招待し続けた。吉興はそれをことごとくはねつけて来た。

 せめて溶姫の兄の時康だけでも連れ出そうと思い、時康が剣豪好きと聞いて、黒田家中で天下に名を轟かせている英雄豪傑の後藤又兵衛や、母利太兵衛を使いにやってみせても、吉興に阻まれた。

 ちなみに後藤又兵衛は、れきとした武士に小間使いのような真似をさせたということで、このことが遠因のひとつになって黒田家を出奔するのだが、それはまた別の話である。

 長政も進退窮まったというべきだろう。

 溶姫が恨み言ひとつも言わず、ただ元気がなくなってゆくばかりなのが、哀れではがゆい。

 今度は長政は絡め手を使うことにした。

 京の公家、徳大寺実久に接触し、夫人(信長十女)を通して、見星院の説得を試みたのであった。


「失礼いたしますよ」


 その席に入って来たのは見星院であった。


「義母上。他家の使いとの接見中ですが」

「他家と言っても黒田でしょう。それに溶姫の話でしょう、のう」

「さようにございます」


 見星院から向けられた水を受けて、栗山は平伏して見せる。


「溶姫のこととなれば私の孫、かの織田信長公の曾孫のことですから、織田の総領娘たる私に関りがないとは申せますまい、のう、栗山殿」

「まことに」


 吉興は舌打ちをしたい気分であった。佐助の家のことであれば何を置いても吉興の意が優先される。だから見星院は敢えて、織田という家を強調したのである。織田の血筋の者たちの話である。吉興は関係がないと。

 見星院と栗山があらかじめ謀っていることを吉興は察した。見星院が、黒田の冢宰たる栗山の名を知っている。


「義母上。何と申せられましても、それがしは参りませぬぞ。当人のおらぬ四十賀などあるわけがありませぬ」

「別に当人がおらねばならぬという道理もありますまい。仏と思えば良い。かの信長公の法事など当然、ご当人様などおられませぬが、はなされておりましょうが」

「故人と一緒にしないでいただきたい。それがしは生きておりまする。まだ仏ではありません」

「何の生き仏という言葉もありましょうに」

「それは屁理屈というものです」

「だまらっしゃい。屁理屈も理屈の内。よいか、吉興殿。この佐助家中で、溶姫に会わずとも良いと思っておるのはそなたひとりじゃ。おコウも、時康も、弟妹たちも、みなみな焦がれるようにしてお溶に会える日を待ち望んでおる。そなた一人の意地で、振り回されるは甚だ迷惑。父であるから夫であるから何でも通ると思いあがられぬよう。此度は、織田の者として、私が皆を連れて行きます」

「むむ」

「さて、栗山殿。日付はいつかの」


 結局、数日後に、、佐助家中の面々は黒田屋敷に赴いた。

 そこには、コウ姫と溶姫、涙を流して互いにすがるようにして抱き着く母子の姿があった。 

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