第20話

 明けて慶長四年、大坂城にて年賀の拝礼が行われてすぐ、吉興は陣触れを行った。但し人数そのものは五十名弱と少ない。家康および徳川勢は年賀の拝礼に訪れていない。

 同道する黒田如水の手勢が少ないのでそれに合わせて、吉興の手勢も少ない。別に戦が目的ではないからである。

 両兵衛は、千成瓢箪を掲げ、豊臣の軍則にのっとって、豊臣の軍師として市中を練り歩いた後、前田屋敷に入った。

 このことは、重大事として各大名らに衝撃を与えた。

 つまりは、両兵衛が前田に加担する意志を天下に示したわけである。

 伏見の徳川陣営と対峙するように、大坂の前田陣営も臨戦態勢にあった。

 吉興を迎えたのは、前田利家の娘婿の細川忠興である。


「肥後守殿もこちらにおわしたか」


 吉興の目に入ったのは加藤清正であった。


「親父殿を裏切ることは出来ぬゆえ」


 清正は、両兵衛に頭を下げた。蜂須賀、福島に誘われて徳川に接近したものの、いざ、戦になりかねないとなれば、利家に子供のころから可愛がられている清正は、利家を裏切るわけにはいかなかった。

 これが前田の底力である。

 織豊中枢の大名にとって、秀吉亡き今、利家がその最大の頭目である。個々人の利害、それぞれの感情はあるにしても、それらを大きくまとめ上げる権威が前田利家にはあった。

 五奉行はすべて、前田につき、大老らも、宇喜多秀家は前田の与党のようなものであるし、上杉毛利も選ぶのであれば前田に近い。


 逆に言えば、それでも前田に靡かない蜂須賀、福島、黒田長政には、徳川に着くだけの理由がある。

 石田三成である。

 治部少輔が前田についている限り、彼らは前田にはつけない。

 利家と、石田三成の関係は、良くもないが悪くもない。豊臣の大老としては、三成を断罪する理由は何もない。


 豊臣諸将の中で、三成を嫌っていない者の方が少ない。大谷、片桐くらいで、佐助でさえ距離を置いている。それは、三成が、秀吉の下で、秘密警察のようなことをやっていたからで、前田ですら、三成に告発されて煮え湯を飲まされたことがある。

 ただし、落ち度があったのは事実であり、三成は事実に基づかず、告発したことは一度もない。しかし、数万、数十万の兵を抱える大名家に落ち度のひとつふたつ無いわけがないのであり、あらかじめ規範があるわけでもないので、難癖をつけられる余地はある。

 無論、佐助のように、そもそも三成以前に秀吉から難癖をつけられかねないと身を引き締めていた家には、難癖のつけようもないのだったが。

 それぞれ個性も異なり、利害も異なる豊臣諸将、蜂須賀、山内、田中、加藤、福島、織田、浅野、まんべんなく憎まれる三成も、ある種の才があるというべきである。

 前田利家は秀頼後見の任にあり、豊臣政府を総攬する立場にあるのが徳川家康ならば、豊臣家を後見する立場にあるのが前田利家である。

 家康に専横の態度があるならば、五奉行が利家につくのは当然なのだが、三成のせいでかなりの諸将が徳川方になっている。

 福島や蜂須賀は、親徳川なのではない。反三成なのである。


 細川忠興に案内されて、奥へ進むと、三成とかちあった。


「徳川に通じた佐助、黒田がどの面を下げてこちらへ参ったのか」


 三成が嫌味を言う。いや、嫌味ではないのかも知れない。彼としては監察の任を果たしているだけだろう。


「そもそも、徳川には通じておらぬ。事情はそなたに言う必要はない」


 吉興の物言いに三成は言い返そうとしたが、細川忠興から、


「控えよ、治部」


 と睨まれて黙った。畿内諸将の中にも動揺はある。しかし両兵衛が前田につけば、少なくとも畿内諸将は前田につくだろう。そうなれば伏見の家康は動けない。いわば両兵衛がつくか否かは、情勢を左右する分水嶺である。その両兵衛を詰るなど、情勢が見えていないにもほどがある。


 騒ぎを聞きつけた前田利長が現れて、忠興から両名を預かり、そのまま、利家のいる部屋へと案内した。


「これは珍しい連れであるの」


 利家はひげをさすりながら、如水と吉興を見た。

 両名の不仲のうわさは徹底している。そうするように、両軍師が知力を絞ったのだ。利家も両名がまさか行動を共にするとは思っていなかった。

 吉興は軍配を差し出す。


「我ら両名、豊臣の軍師として、大納言様に合力いたす」

「そは、ありがたい。正直に言ってな。さすればいかがにあいなろうであろうか、如水殿」


 利家は如水に話を振る。


「畿内一円は強固に、利家殿に靡くは必定。家康は動けませぬ。我らが伏見に当たり、背後より加賀からの援軍があれば、粉砕することはたやすい」

「さすれば、ご子息も討ち死にしようが、それは?」

「酔狂でそれがしも太閤殿下より軍師に任じられたわけではござらぬ」


 つまり見殺しにする、と如水は言った。


「豊前、そなたの娘婿でもあるが」

「お溶は徳川にやった姫。いえ、徳川に連れ去られた姫にござる。さすれば佐助とは関わりないことにて」


 ふむ、と利家は頷いた。


「まあ、さようなことになっても、長政は助命いたそう」


 利家の言葉に、如水は頭を下げた。逆に言えば、福島と蜂須賀は潰すということである。


「賤ケ岳ではの、かの者らは羽柴の手勢として、柴田方にあったわしと戦ったものであるが。世の移りは分からぬよ」

「さすれば、早々に御出馬を。時は今にござる」


 吉興はたたみかけたが、利家は首を振った。


「なにゆえ、でございますか。時を移せば、最悪、家康は伏見より関東へ逃げてしまいますぞ」

「済まぬ、豊前。出馬したいはやまやまなれど。体が言うことをきかぬ。我が余命はもってあと三月。今でさえ、立ち上がれぬ」


 余りのことに、吉興は言葉を失った。

 利家は総大将であるから、別に山野を駆け巡らずとも良い。しかし姿を見せてその武威を示す必要がある。そうでなければ寄せ集めの前田勢は結束を保てない。


「今でさえ、死ぬ思いでここにあるのだ。弱った姿を諸将には見せられぬ。わしが死ねば、いや、病に倒れても、豊臣は瓦解する」


 前田利家がいなければ、豊臣恩顧は結束点を失う。その代わりは誰にも、両兵衛といえども務まらない。

 家康に各個撃破されるだけだ。


「このことは?」


 如水がそう聞いた。


「知るは、我が室のまつと利長のみ。腐っても槍の又左。強情を張るは得意でな。そなたらを待って居った。両名とも来るとは思っておらなんだが。軍師殿。天下の軍師殿。わしはどうすれば良いのだ。どうすれば豊臣を守れる? どうすれば加賀を守れるのだ」


 利家は弱った身体を震わせながら、吉興と如水に平伏した。

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