第19話

 親子といえども別人格であり、生まれた時代、生きて来た時代が違うのだから、自ずと考えは違ってくる。

 戦国の世でも、百姓から大名に成り上がった例は極めて少ないことは先述したが、それでも、新たに大名となった家では、親には大名として育った経験が無いが、子にはあるのである。息子から見れば、「親父のやり方は古い」となりがちである。

 対立が甚だしくなれば、武田信虎と武田信玄、徳川家康と松平信康のようなことになってしまうのだが、そこまで行かなくても、親子の相克はわりあい、どこの家でも見られる。

 細川家、浅野家における隠居と当主の不仲は悪名高い。

 黒田もそうである。


 人質に取られ、しかも殺されかかるというのは生半可な体験ではない。長政は如水に対しても怒っていた。長政が、織田の人質になっているのを承知で、よせ、危ういぞ、と周囲も言っているにもかかわらず、おのが才を頼み、荒木を説得して見せると意気揚々と有岡城に入った。

 そこで結局、まんまと幽閉されて、織田からは裏切りを疑われ、長政は半兵衛が匿ってくれなければ信長の命通りに殺されていただろう。

 長政も振り返ってみれば、織田への恨みは不思議と無い。あの状況であれば、誰であれ信長と同じ判断をするだろうと思うからだ。他人のことであれば理非で物事を図れるのに、自分のことになれば感情のままに狂う、長政はそう言う人ではなかった。

 たとえひどい扱いを受けたとはいえ、理屈が通っているのであれば許せるのだ。その程度には、理が勝った人である。ただし、その理を父に向けてみると、控えめに言っても軽率としか思えなかった。

 当時の官兵衛は、羽柴と小寺に両属する形になっていたのだが、小寺の家の中で孤立し、織田が小寺への猜疑を強める中で、難しい舵取りをこなすにはどうしても大きな功績が必要だった。

 その、官兵衛の焦りが、長政を窮地に追いやったと言える。

 その辺りを膝詰めで話して、そうか、悪かった、というような態度をとれば、長政も水に流せたのだが、如水は自分の言動に一点の曇りもない、と思っている。状況状況で最善を尽くしてきたとの自負があり、たとえ息子相手にでも頭を下げる理が無い。

 詫びの一言もなく、如水から見れば未熟な長政の言動のあれこれを、異端審問官のようなやり口で事細かにあげつらうのものだから、父子の間の信頼は完全に瓦解した。

 みつが事態を深刻に受け止め過ぎることもなく、間に入って、なだめたり、そらしたりをしていればこそ、黒田家中は回っている。その、みつから見て溶姫は、気働きは大して出来そうにないが、とても戦国の世にうまれたとも思えぬほど、天真爛漫で心優しい姫であり、みつとは別の形で、長政と如水の間に入ってくれるだろう。

 蜂須賀の前の室は正論家なのはいいが、男たちの気をほどくことは出来なかったし、やろうともしなかった。

 溶姫が黒田に嫁いだ経緯を思えば、佐助が連れて帰っても文句は言えないとは思ってはいたが、出来れば、溶姫にはこのまま残って欲しい、とみつは思っている。

 夫と息子の性格を知っているみつとしては、長政も如水も溶姫を溺愛するであろうし、溶姫に悲しい顔をされれば、命にかけてでも曲げるものかと互いに意固地になっているそれぞれの理も、曲げてくれるに相違ないからである。


 大坂の黒田屋敷の奥に入って来た長政は、佐助吉興の姿を見るや、


「義父上」


 と平伏した。


「そなたに義父と呼ばれる筋合いは無いが」


 吉興の眼差しは厳しい。


「これは異なことを。ご公儀の許しを得て成った婚にて」

「ご公儀とは誰のことを仰せか。ご公儀とは秀頼君以外にはござらぬ。甲斐守殿、佐助と黒田は両兵衛の家、誰が離れても、豊臣に最後まで寄り添うが我らが使命。貴公は、この使命を蔑ろにする御所存か」

「内府殿を政務総覧に付けたは太閤殿下のご遺命なれば、豊臣に仇名すものではございませぬ。それに、ご尊家はともかく、黒田はさような筋目正しい家ではございませぬ。現に旧主、小寺氏を裏切り織田につけばこそ、今の身代がござる。その織田をも今は捨てておりますが。ああ、そう言えば。義父上様も、旧主・浅井氏を滅ぼした羽柴にお仕えでありましたな」

「長政!」


 如水が、鋭く叱責の声を上げた。


「いやはや、口が過ぎましたかな。それがしは別に誰を責めるつもりもござらぬ。そも、秀頼君をお産み遊ばされたのは、御父を羽柴に害された浅井の姫御前。ああ、義父上がその浅井の姫に仕えられるはそれはそれで筋が通っておりますな。ご無礼をお許し下され。みっともなくも生き残りで右往左往している黒田の家とはさすがに身綺麗さが違いますな。そこにおわす、父如水はいざ知らず、この長政は、両兵衛ではござらぬゆえ、黒田の家のために動くまで」

「それが、家康殿につくことと?」

「さよう。誰の目にも明らかでござる。次なる天下人は、内府殿をおいて他にはおられぬ。聡明なる義父上、いえ、豊前殿なれば、お判りのはず」

「さて、それはどうかの。蜂須賀、加藤、福島に手を出し、そなたを引き抜いたとはいえ、豊臣にはまだ、この佐助吉興と黒田如水殿がおわす。少々甘く見られたものよ。この両兵衛が、そなたごときに踊らされるとでもお思いか」


 吉興は通常はわりあい腰の低い男である。

 しかしそれは彼に豊臣の軍師としての自負が無いということを意味しない。この男は太閤に天下を取らせた男なのだ。

 吉興と如水の冷徹な眼差し、一切の飾りを抜き去った冷酷な視線を浴びて、長政は身震いした。如水の子として生まれ育ち、常にその猜疑の眼差しを浴びていなければ、その威圧を前にして長政は我を忘れていただろう。


「ち、義父上は、溶姫を連れ去るおつもりか」


 そうなれば、まず間違いなく小競り合いになる。長政もやり方が汚かったのは自覚しているが、だからと言って、今更溶姫を手放すわけにはいかない。政略的も、既に沸き起こりつつあった夫の情としても。


「それはそなた次第よ」

「はっ」

「お溶とも話した。見星院様とも話した。おあんとも話した。お溶は別にそなたが夫で不服と言うわけではないらしい。こちらのご内室も、事情をお分かりの上で、よくしてくださる。そなたも見たから分かるであろう。お溶は年の割には幼い。よほど懐深い夫でなければ、やってはいけぬであろう」

「義父上。確かにこたびのことは政略ではありますが。それを抜きにしても、溶姫を頂きたい。この先、どのようなことがあろうとも、決して粗略には致しませぬ」

「蜂須賀の姫を捨てたそなたがの」


 と如水が口を挟む。余計なことを言うな、とばかりに長政は父を睨んだ。


「蜂須賀家政殿とは話がついておりまする。こたびのこともそもそも蜂須賀殿から申し出があってのこと。蜂須賀にも徳川の姫が縁づかれておられます。それがしが捨てたのではござらん。捨てられたのでございます」


 捨てられた、と口にするのも無様ではあったが、実情はそんなところだろうと、吉興も如水も承知していた。そもそも大名同士の縁組は、互いの家を背負うもの。長政が迎えたのはあくまで蜂須賀の姫であって、その女は最後まで蜂須賀の者だった。長政の妻にはならなかった。蜂須賀家より撤退命令が届けば、それに応じるのは当然だった。


「さりながら、溶姫とは。まことの夫婦になりたいと、心底思いまする。たとえこの先、溶姫を抱えることで黒田の家に不利益があろうとも、黒田家を潰してでも、溶姫と苦楽を共にします」

「…存じてはおろうが。お溶は、家康殿の曾孫であるばかりか、信長公の曾孫ぞ。織田の血筋の者を、そなたが果たして、愛せるのか」

「それは義父上の誤解でございます。我が父、如水が何を申したかは存じませぬが、この長政、信長公をお恨みしたことは一度もありませぬ。父の軽率な振舞いには憤っておりますが」


 さすがにはっきりと言われて、如水は憮然とした表情になった。


「そうか。相分かった。溶姫は呉れてやろう。しかしそなたを息子とは思わぬ。佐助から嫁に出したわけではないからな。溶姫は、徳川の姫。今日を限りで佐助とは縁もゆかりもない」


 それはちょっと、溶姫に酷なのではないか、と同席していたみつは思った。同じく同席していた見星院も、眉をひそめた。理屈は分かるが、溶姫がかわいそうではないか、と見星院は思った。

 吉興は溶姫を呼び、同じことを、今日限り、佐助とは縁を切ることを申し渡した。号泣する溶姫をしきりにおあんが慰めている。


「吉興殿、意固地が過ぎるのでは」


 見星院がそっと忠告する。


「それは甲斐守殿の申されるがよろしかろう。佐助は豊臣を守り抜く。それがしが道を違えるわけではありませんからな」


 吉興は如水に後のことを頼んで、見星院と共に黒田屋敷を後にした。見星院は残ろうかと思ったのだが、「義母上は佐助のお人なれば」と吉興に念押しされては、ここで我意を通せば、吉興がへそを曲げそうであったので、吉興と共に佐助屋敷へと向かった。

 

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