第43話
慶長十六年。関ヶ原の戦いから十年が過ぎようとしていた。
この年の正月を、吉興は江戸で迎えた。
この頃には、六割以上の大名が子女を江戸に住まわせるようになり、江戸には大名屋敷が建ち並んでいる。時康は官位を豊前守に替えている。以後、この家では、当主が豊前守、嫡男が豊後守を名乗るのが倣いとなる。
佐助豊前守家は、縁戚関係から言っても、大名屋敷を営んだのが早い時期であったということもあり、相当に優遇されていた。
城内、一ツ橋に上屋敷を持ち、本郷に中屋敷、品川に下屋敷があった。他に、築地に蔵屋敷があり、三鷹に鷹狩場、中野に馬場があった。佐助対馬守家と赤橋伊豆守家も、それぞれに屋敷を下賜されていたので、吉興は、江戸では住むところには困らない。
コウ姫は、徳川の姫である。見星院は、正式に言えば信康と離縁したわけではないので、その後、誰ぞに嫁したわけでもない以上、将軍夫妻にとっては嫂、公方と御台所すら「見星院様」と呼ばなければならないやんごとなき立場である。お江とも従姉妹であり、織田家ではそれなりの交際があったこともあり、何か、催し事があれば、見星院とコウ姫には必ず声がかかる。
江戸では、佐助はそういう重い家として遇されていた。
佐助は、最初に参勤交代をした家であるので、制度が決まる前に通例として為していたことが後に特権として許されるようになった。西洋式の船、キャラック船を建造保有できることに加え、船で直接江戸入りすることも許されていた。小倉から江戸まで早ければ六日で着いた。これはいくらなんでも、相当に無理をした場合であり、通常は十二日程度である。頻繁に航海することで、月明かりがある場合は夜間航行も可能になり、無停泊で航行することで経費も大幅に抑えられた。
佐助では、上屋敷には、見星院とコウ姫が住み、中屋敷には藩主夫妻が居住していた。中核機能は中屋敷にある。
吉興は中屋敷に逗留し、吉興がいる間は、見星院とコウ姫も中屋敷に移ってくる。破格の扱いとして、城内に上屋敷を拝領したのはいいのだが、はっきり言って他人の城の内側に住むというのはなかなか気が重いものである。
見星院とコウ姫も、わざわざ城内には住みたくないのだが、貰った以上、誰が住まねばならず、徳川の嫁であり、徳川の姫でもある以上、諦めるしかない。ただ、吉興は江戸城内に滞在するなどまっぴらごめんであった。
「なかなか上手くいかないものですね」
襖を開け放し、庭の寒椿などを見ながら酒を飲んでいれば、酌をするコウ姫がそう言う。見星院はいける口なので、吉興に付き合って飲んでいるが、コウ姫はもっぱら酌の相手である。
コウ姫が言うのは、豊徳和合のことである。吉興が心血を注いでも、なかなか上手くいかない。最近ではようやく、淀殿も秀頼も、豊臣の公家化を受け入れる気になってはいるが、ならばまず秀頼を関白にせよ、と言う。
さすれば武家として、将軍に礼を尽くしてもいいだろうと。
徳川にしてみれば、順序が逆である。関白にして、秀吉と同じ地位につけて、その後でのらりくらりとはぐらかされてはかなわない。
先に臣従、しかして関白就任の流れを要求している。
互いに互いへの不信感がある。
間に入る者は擦り切れるばかりであり、一番擦り切れているのが吉興であった。最近では大御所も将軍も、吉興にはいい顔ばかりを見せない。十年待ってやった。いったい何をしているのか、というところだ。
もう十分だろう、とコウ姫は言うのである。佐助が豊臣にして貰ったことについては倍返し以上の働きをしてきた。前田などはすっかり豊家とは音信不通になっているのに、どうして佐助だけがそこまでしなければならないのか。
「私は良いと思いますよ」
と見星院は言う。
「長い短いは関係ありませぬ。吉興殿がご納得いっていないのであれば、納得するまでなされればよろしい。今の佐助も、吉興殿が一代でこしらえたもの。どうとでもご自由になされればよろしい」
「母上」
余計なことを言って、とコウ姫が不満顔になる。
「おコウ。だいたいそなたは吉興殿のおかげで大した苦労も知らず。嫁姑のことも知らずに。本当に幸せ者ですよ。旦那様が命を賭けても成したいことがあるのです。支えるが妻の役目です」
「母上は、父上と喧嘩ばかりだったくせに」
「だからこそです。こんなに優しい旦那様がそうそういると思ったら大間違いですよ。そなた、また着道楽をして。吉興殿が何も言わないからと言って」
コウ姫は、どんどん着道楽になっている。正直、その係りも洒落にならないほどである。ただしどういうわけか、佐助の男たちはそれについては一切やかましいことを言わない。
「御台様にもお目見えするのですもの。佐助のためにもそうそう恥ずかしい恰好は出来ませんわ」
コウ姫とお江はほぼほぼ同年齢、気が合う仲ではある。
「あちらは天下の御台所様ですよ。張り合ってどうするのです。徳川八百万石、佐助七十五万石ですよ」
「もう。そんなことはいいのですよ。ね、あなたさま。もういいでしょう。京にも大坂にも行かないで。私、寂しい思いをしていますのよ」
「ん。ああ、まあ、そうよの。そうじゃ、西陣織をまたこしらえさせようぞ。帯はの、京物が一番にて」
コウ姫が寂しいのは事実である。
子も末の姫が嫁いで、子育ても終わり、嫁の安姫が何をやらせてもコウ姫の上位互換のような人であったから、孫の子育てにも口出しは出来ない。
次男のところは、加藤清正の姫が室で、気の強い女なので、コウ姫とは気が合わない。三男のところは、逆に公家風の嫁で、おとなし過ぎて味気ない。
「まあ、着物でいいなら好きなだけ買えばよい。佐助の身代はその程度では潰れぬ」
「吉興殿。そうそう甘やかしてくださるな。もはやわらべではありますまいに。安姫がしっかり者ゆえ、較べては私の方が恥ずかしくなります」
「母上ったら。嫌なことばっかり」
時康の妻の安姫が嫁してから、奥向きの差配はあっという間に安姫の管轄に移った。そもそもコウ姫はさして差配などしていなかったからである。次女の東姫がいる時は、東姫があれこれ口出しをしていたのだが。
「そうそう、そう言えば。しばらく豊前には行っておらぬが、東姫は息災かな。何か聞いておるか」
数年前、東姫の夫、長敬は没した。庶子の男子が一人いたが、東姫との間に子は無かった。東姫は佐助に引き取られ、改めて、橘内に嫁がせた。
佐助の家老は十三家ある。
橘内が、宗家、橘内刑部家、橘内典膳家の三家ある。宗家が橘内長久、刑部家がその長男、吉久、典膳家は長久の次男、久勝の家であり、東姫は吉久に嫁した。長久が没すれば、吉久が宗家に移り、刑部家は、吉久の庶長子に継がれるだろう。
橘内吉久には、前妻、側室との間に男子二名、姫一名がすでにいるが、東姫が男子を産めばその子が橘内宗家の跡取りである。
ちなみに、小谷以来の家老が寒河江、中江であり、丹波衆と呼ばれる、吉興が畿内大名であった時に家臣化した者が五家ある。波多野、赤井、蜷川、雨森、磯野である。豊前から登用したのは、麻生と大賀であり、豊後から登用したのは滝である。
紆余曲折したとは言え、吉興の娘の中で唯一のしっかり者の東姫が、豊前に入ってくれたことは、吉興には心強いことだった。
「さしたることは。あの子は相変わらず。小倉の物の値とか、ものなりとか。私に言われても困るようなことばかり、書いてきますので」
「まあ、東姫らしいの。その分、時康には助けになっておろう」
しっかり者であるから、吉興は東姫のことは案じて居ない。話をはぐらかせるために利用させてもらっただけだ。金銭で苦労はしていないか、と案じても、必要であれば、かくかくしかじかで幾ら幾ら入用、と自分で言ってくるような娘なのだ。
「他の子らはいかがしておる。そなたの方がよう知っておろう」
話の流れ的に親らしい話になった。とりあえず、子、孫については二人とも無関心ではない。共通の話題というものである。
「溶姫は、あの子も今は江戸におりますからちょくちょく会いますね。母上は私を着道楽と言いますけど。あの子にはとても敵いませんよ。長政殿はあれでいいのかしら。ちょっと聞いてみた方がおよろしいのでは。そうそう万徳丸の縁談の相談もありましたわね」
「万徳丸の。まだ早かろう」
万徳丸は、黒田長政と溶姫の間の一子で、黒田の嫡男にして、吉興夫婦の孫である。
「母上がお顔が広うございますからね」
「まだ、触りの話ですよ。今日明日のことではないでしょう。佐助にとっても支障のない相手をということで、長政殿が一応筋を通されたのでしょう」
と見星院が言う。如水は一昨年になくなっている。考えてみれば、黒田万徳丸は両兵衛の血筋なわけで、そういう存在が生まれてくることに、吉興は不思議な思いがした。
紆余曲折はあったが、女たちを通して今は、黒田が佐助にとって最も交際が頻繁な大名家であった。豊前と、黒田の領国の筑前は隣り合っているので、両家和合は境界紛争を収めるためにも不可欠であった。
英姫については、京にあることが多い吉興の方が詳しい。甘えん坊ながら、末っ子の手練手管で周囲をいいように動かしているのは佐助にいた頃と変わらない。
「宗興はどんどん気難しくなって。時康とも喧嘩をしていると聞きますわね」
「ふむ」
大分五万石を、宗興は思うがままに治めたいのに、時康が口煩いようである。たぶん話を聞けば時康の方がもっともなことを言っているに違いない。聞いてしまえば吉興は時康の味方をせざるを得なくなる。そうなれば、宗興もかたくなになるだろう。
吉興がざっと調べて、満点ではないにしても、宗興はまずまずの統治をしていた。細かいことを言えば穴があるだけだ。ある程度の範囲内にあるならば、「他家」と思い定めて過干渉はやめるべきだ。
しかし、時康は「大分の百姓も佐助の良民にて。最善の政道を求めるは当然のことでございます」と言うだろう。それも間違いではないのだが。
「こういう時は、女が裏で滑らかにするものであろうが」
「でも、私、隈姫は怖いのです」
宗興の室の隈姫は、やたら武張っていて、コウ姫からすればまったく共感できる余地が無い。豊臣大事の思いを清正から受け継いでいるのはいいのだが、吉興を崇め奉るのはいいが、時康の室の安姫が徳川の姫であるため、どうも当たりがきついようである。安姫は大人の態度で気にもしていないが。
なんとかなりませんか、という思いで、吉興は見星院を見たが、見星院はつまみに箸をつけながら、首を振るだけだった。
「吉興殿。残念ながら佐助の女には、女同士助け合って、なめらかにしようなどと殊勝な心掛けの者は一人もおりませんよ。安姫はそういうところはありますが、安姫だけがそうでもどうにもなりませんからね」
「母上もですか」
「私がさような殊勝な女なら、そもそも築山殿ともうまくやれたはずです。それにの。いつのまにやら、私も公方様から義姉上と呼ばれる身になってしまいました。私が動けば大袈裟なことになりましょう」
「ん、むむ。まあ、宗興のことはいずれ折を見てそれがしから話をしましょう。吉清はいかがか」
「明子と共に仲良く引きこもっておりますよ。鎌倉に」
「引きこもって」
「滅多に江戸にも来ず。大御所様とは文のやり取りをしているようですが」
「なに、それは」
時康の頭越しにあれこれ家康と交渉するのはよろしくない。
「歴史の話でございますよ。どこで何があったとか、そういうのを調べているようです。明子もそういうのが好きなようで。公家の姫というに、旅装で、山をわけいっているとか」
「ほお」
「大御所様もそう言う話がお好きでしょう。鎌倉を曾孫に預けて良かったと仰せとか」
「うむ。鎌倉は佐助の故地であるゆえな。事績を明らかにするは望ましい」
「と、とおほうじ? とうみょうじ? なんでも左様なところで祖先供養も今度するとか。あなたさまにもいらして欲しいと申しておりましたよ」
「それは東勝寺じゃ。佐助の奥のそなたが知らぬとは嘆かわしい。元弘三年五月、我らが北条一門、極楽寺より鎌倉中に入りし新田義貞勢に押され、続々と菩提寺の東勝寺に集結、かくして得宗、高時殿、あわれ、一族自決を決意」
「嫌ですよ、血なまぐさい話は。聞きたくありません」
「そう言えば、徳川は新田の末裔であるの」
「そうなんですか?」
「北条と新田の末裔がこうして夫婦になったか。不思議な話よ」
「そんな遠いむかしの話にこだわるのはおばかさんに見えますよ。吉清も明子も大御所様もあなたさまもみんなおばかさん」
吉興は愉快気に笑った。
「たまにそなたは良いことを言う」
「たまに?」
「さすがに夫の欲目でも、しょっちゅう言うとは申せなんだ」
「意地悪です」
「そうむくれるな。そなたはそのままでよい。過ぎたことにとらわれるな。今日明日のことのみを考えていればよい」
吉興は、コウ姫が酌をしてくれた酒を飲みほした。
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