第42話

 京四条は繁華街であって、町人たちは誰も忙しく働いている。子などの面倒を見る暇もない。

 吉興は庵をあんではいても、滅多に京に留まっていることは無かったが、たまにいれば、近隣の子らを庭に招いて、童遊びをするのを愉しんだ。

 飯炊き女のお菊も、吉興が意外に子供好きなのを知って、簡単な煎餅やら餅やらを、こしらえては、子供が居つくように振る舞った。

 となれば、道崇庵は、四条の子らにとっては格好の遊び場になるわけで、今枝なども居れば手習いなどを教えていたりする。

 何しろ清貧を気取っても、金銭は唸るほどあるのだ。


 吉興の末の姫、英姫は、西本願寺の大谷氏に嫁いだ。本願寺は一向宗とも言われ、恐れられてはいたが、豊臣政権ではかなり牙を抜かれている。吉興は切支丹禁令に際しては浄土真宗の合力を相当あてにしていて、佐助と真宗は癒着状態にある。佐助領に関しては、真宗の人事もすべて佐助に委ねられている。

 英姫の結婚は、その癒着の集大成ともいえるものであり、朝廷工作などでは、吉興は本願寺の潤沢な資金をあてにできる立場にあった。

 また、三河武士には意外と門徒が多いのである。

 板倉勝重もそうであるし、本多正信もそうであった。信仰を通して吉興は彼らとつながりを持つことが出来た。

 佐助の宗派は元は臨済宗であるのだが、吉興以後、浄土真宗になっている。


 道崇庵の話である。

 子らを可愛がってくれる吉興を、四条の町の者が粗略にするはずが無い。彼らはこの初老の男が、佐助の太守であったとは思いもつかないのだが、道崇先生と慕った。

 案外、京町衆から得られる情報も馬鹿には出来ないものである。

 京には全国の情報が集まる。道崇先生が喜ぶと知れば、町の者たちも進んで情報を集めてくるもので、慶長十二年、越前候がどうにも病が重いらしいという噂は、そうやって、吉興のもとに届けられた。


 秀康と言えば、まだ幼い少年であった頃、吉興が三河から大坂へ連れて行った日が思い出される。家康や秀忠らは浜松にいたが、秀康のみ、岡崎に置かれていた。

 吉興は自分が連れて来た子であるからと、後見のつもりで、秀康に深い情を示した。そうでなくても信康の娘婿にあたる吉興に、秀康は好意を抱くべき立場にあったが、徳川一門の中にあって、吉興に対しては圧倒的な好意を示し続けている。

 吉興にしてみれば、病に失くした亡き弟を想いだす。

 吉興の人生の中でも悔やんでも悔やみきれぬ後悔というものがある。

 竹中半兵衛については無理を言ってでも静養を強制すべきではなかったか。

 浅井万福丸を救出する手筈があったのではないか。

 今も胸の中に忸怩たる思いがある。

 亡き弟は、浅井が滅びた浪人生活の中で、十分なことをしてやれず死なせてしまった。

 あの子が生き返ってくれるならば、吉興はなんでもするだろう。

 秀康の印象は、どこかその弟に似ていた。


 今枝と忍びの一人、上江甚左衛門を連れて、吉興は越前路を歩く旅の人となった。


「かような姿で。吉興殿には申し訳ありませぬ」


 寝着のまま、布団に横になったまま、秀康は吉興に面会した。普通ならば、そのような状態であれば武士は会わない。しかし、秀康は、無様な姿を晒してでも、吉興に会っておきたかった。京へ使いを出そうかという時に、吉興が来てくれたのである。


「なんの、我らの間柄なれば。何の遠慮がいりましょうか」


 吉興は、差し出された秀康の右手を、慈父のようにさすった。

 秀康は死相を帯びてはいたが、吉興に会えた喜びを表情に浮かべていた。


「吉興殿には何としてでも会っておきたかった」

「ここにおりますぞ」

「溶姫のこと、お詫びのしようも無く」

「徳川家にあっても秀康殿が守ってくださったことはよう知っておりまする。ありがとう」

「ああ、やはり吉興殿はいい」


 秀康は満足げな表情をした。


「身内には恵まれぬ境遇でしてな。親しく思うは亡き兄、信康殿と、吉興殿のみでございました」

「それがしもそなたを頼りにしておりますぞ」


 だから。だから回復してくれ、とは簡単には言えない程、秀康の死相は明らかだった。


「おそらくはそれがしが死ねば、父は少しは泣くでしょうが。正直それはどうでもいい」


 秀康は家康のことを切り捨てるようにして言った。日頃、不平不満を漏らすことは一切無かったが、長男亡きあとの次男でありながら、家督相続から外されたことに、怒りがまったく無かったはずがない。


「それがしは、亡き太閤殿下の養子にござる」

「いかにも」

「さすれば、秀頼君は我が弟。豊臣の行く末を案じておりまする」

「ふむ」

「吉興殿の公武両頭制の案、あれは見事でござった。あのまま行けば良かったのではありますが」

「上手くいっておりませぬな」


 大坂の抵抗は変わらずに強い。


「それがしが死ねば、徳川の中で豊臣を真に案じる者がいなくなります」

「確かに」

「父は ― 。家康殿は、それがしが豊臣につくを恐れて、今まで融和の姿勢をとっていたのでござる。それがしが死ねば。家康殿もご高齢、生きているうちに蹴りをつけようとしても不思議ではありませぬ」

「豊臣を滅ぼしにかかると」

「その恐れなきとは言えず。秀忠は ― あれは恐ろしい男にて」

「秀忠殿がそうそそのかすと」

「ある意味、父以上にお家の権化にございまする。。あれこそは、豊臣と戦えば痛みが一番大きい立場。妻はお江殿、長女は千姫にござる。さりながら。それらをすべて捨ててかかれる、そういう男にございます。悔しいが、家康殿はご慧眼であった。二代将軍は、ああいう男でなければ務まりませぬ」

「秀康殿」

「天下のためには、天下人は一人はおらねば収まりませぬ。しかしながら、二人では多すぎまする。公武両頭、これは豊臣を残すがための策。素直に天下のためを考えれば」

「豊臣を滅ぼすべきである、と」

「将軍がそう言う考えに至ったとしてもおかしくはありませぬ。どうぞ、ご用意を。それがしが死ねば、さほど猶予はありませぬ。佐助の家のこと。多少のことがあっても家康殿であれば守り抜くでしょう。家康殿は佐助を信康殿の家と見ておられるゆえ。さりながら。だとすれば、豊前家は徳川長男の家。越前家は徳川次男の家にございます。将軍家は徳川三男の家。いかにも危うい。吉興殿とお江殿は昵懇の仲なれど、将軍に心を許すこと無きよう」

「秀康殿のお言葉、しかと胸に刻みました」

「なにとぞ、豊家のこと、そして兄信康のお血筋を、よろしくお頼みもうしまする」


 それからしばらくして、吉興が越前に滞在中に、松平秀康は没した。

 京へと続く道を進みながら、吉興は思う。

 何かしらを遺託されたのはこれで二度目である。

 一度目は石田三成から。

 二度目は松平秀康から。

 彼らはまだしも幸いであった。思いを託せる相手がいたのだから。吉興には誰がいるのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る