第41話

 徳川秀忠は、生涯において、九名の実子を得た。うち七名が正室のお江の産である。残りの二名は、母が側室と言うわけではない。あくまで行きずりの相手であり、秀忠はその女らを側室とは遇さなかった。

 お江は太閤の養女として輿入れしており、家格は豊臣の方が上である。上位の上から室を貰えば、側室を置きにくい。そのせいで、前田利長のように、正室が子を産まなければ、子に恵まれないということも起こり得る。

 お江の場合は、七人の子を産んだ。豊臣のサダ姫を入れれば、八人である。但しサダ姫を初子とした場合、五人連続で、姫が続いている。


 慶長九年の初夏、お江は再び懐妊中であった。

 サダ姫は、九条幸家に嫁いでいる。

 千姫は、秀頼との婚儀を先年、終えた。

 珠姫は、前田利常の室として金沢にいる。

 初姫は、生まれてすぐに姉の常高院によって捥がれるようにして、京極家に引き取られた。

 

 今、手元にいるのは勝姫のみである。勝姫も、結城秀康、この頃、姓を松平に復して松平秀康の子、松平忠直に数年のうちに嫁ぐ予定である。

 姫ばかり産んだと言っても、その姫らは生まれるやすぐに攫われるようにして、徳川の婚姻政策に用いられている。役にたっていないわけではない。

 しかし、そろそろ嫡男を産まねばならない。


 秀忠には、他の女に産ませた長丸という息子がいた。母親は明らかではない。この長丸は、お江の養子として育てられた。徳川実紀なる江戸幕府の公式史書では、この長丸は赤ん坊の時に、お江に灸を据えられて死んだという。

 仮にも初代の御台所について、さような醜聞を書くというのは公式史書とも思えぬが、当時の将軍家は「紀州朝」であって、「台徳院朝」は前王朝である。逆に、記されている悪事については割り引いて読む必要がある。

 万が一、お江が男児を産まねば、長丸が世継ぎになるわけで、長丸の養母であることは、次善の策としては悪くはない。最悪は、尾張義直ら、秀忠の弟らが、世継ぎとして家康によって送り込まれることであり、損得勘定を考えれば、長丸に生きておいてもらわねば困るのは誰よりもお江である。

 

 しかし一方で、秀忠の脇腹の子、後の保科正之が生まれた際、その保護者となった見性院(武田信玄次女)が、相当、お江の悋気を警戒したのも事実であり、お江が、相当程度、「女」であったのは事実であろう。


 ともかくこの時、秀忠家には子は勝姫しかいなかった。お江についていえば、既に五度連続しての女子出産であり、これは三分の確率である。「まずありえない」といっていい。その「まずありえない」が実際に、ある。

 次も女子であれば一分五厘になるが、三分が実在するならば、一分五厘が実在しても何の不思議もないのである。

 さような中、慶長九年七月、男子が生まれた。

 竹千代、後の徳川家光である。


 お江の出産とその後の子の養育に関しては、家康も秀忠も万全を期している。乳母の手配はあらかじめ済ませてある。この場合の乳母とは、実際に乳を与えるというよりは、生涯をその子のために尽くす、保護者にして最側近である女である。

 生まれてくるまでは男子か女子かは分からないので、これまで、すべて徳川の嫡男、ゆくゆくは将軍家を支えるに相応しい乳母が揃えられてきた。

 しかし今度は五度目の準備であった。

 さすがにそうそう目ぼしい候補は簡単には見つからない。

 第一に宮中仕来りに通じ、公家武家諸般の教養に通じていること。

 第二に乳兄弟となる子が同年齢近くにあること。

 第三に家柄閨閥、十分であること。

 第四に忠義の志があり、終身奉公の覚悟があること。

 さほど都合のいい女がうなるように存在しているわけではない。


 家康は、佐助吉興にも伝手を聞いてみた。

 吉興が、推薦したのは、稲葉正成の前室、おふくであった。


 三条西家は武家伝奏を務め、幕府最初期の朝廷工作にも関与していた佐助吉興とは縁が出来ていた。三男、赤橋吉清の室、明子姫は同家より迎えられている。そもそも近江美濃の国人は、京公家から室を迎えることが多かったのである。佐助にも数代前に三条西家から輿入れがなされているので、元々、親戚ではあった。

 稲葉一鉄の妻は三条西家の出であり、その娘で斎藤利光の室は、明智が討たれた後、娘ふくを連れて、三条西家の厄介になっていた。

 おふくは従って、三条西家の典礼に通じている。後に稲葉正成の室となり、小早川秀秋の冢宰として大国の裏を差配したが、秀秋が子をなさぬまま没し、小早川家は改易となった。

 稲葉正成は美濃にて浪人しているが、夫婦仲が悪くなり、おふくは三条西家に戻った。赤橋吉清の室の婚礼を、三条西家側において差配したので、吉興は、おふくの人柄を知っていた。

 あの女傑であれば、十分に竹千代を養育できるであろう。


 難点があるとすれば、明智の旧臣の娘であることである。言わば織田の敵であり、豊臣に対しても、斎藤利光を捕らえて磔にした秀吉に対して隔意があってもおかしくはない。

 ただしおふくと話せば、さようなことは引きずっていないのは明らかである。

 そもそも稲葉の家自体が、美濃斎藤氏を裏切って織田に寝返った。離合集散は武家の常であり、それを道徳で処しても何の意味も無い。

 織田の血筋でもあるお江が、おふくの明智家臣の血筋をどう捉えるか、それは分からないが、吉興の推薦があれば、大抵のことは呑み込むであろう。


 そのようにして、徳川の奥向きのことにも関与していた吉興であったが、竹千代の誕生が、淀殿を不快ならしめることまでは想像が及ばなかった。

 吉興に召喚の声がかかり、吉興は大坂へ赴いた。


「近頃は。年賀の拝礼は江戸にて行われて、大坂まで来る者も少なく」

「徳川と、競ってはなりません。あちらは武家、豊臣は公家、そのおつもりでなければ、家は保てませぬ」

「私は浅井長政の娘ですよ。秀吉が室にございます。武家の女です」

「武家ならばお判りでしょう。盛者必衰は世の習い。浅井は滅び、柴田も滅び、織田も衰え、豊臣のみがどうして例外でありえましょうか」

「豊臣の軍師ともあろうあなたが。情けない」

「それがしの力不足を責めてお気が晴れるならいかようにでも。武家として、徳川に臣従なされるお覚悟をおかためになるのであれば、それがしの首などいくらでも差し出しまする。さりながら、それがしが死んでも徳川が弱まるわけではございませぬ」

「竹千代殿が生まれねば」

「は?」

「そうでしょう。秀頼とお千の子が生まれれば家康殿が曾孫、秀忠殿が孫でありましょう。天下を譲られることもあったのでは」

「お袋様。人を呪わば穴二つと申しまする。竹千代君は、お袋様にとっては甥御、我が旧主、万福丸様にとっても同様。天下の権にとらわれて、人の道をお忘れになってはいけませぬ」

「いずれにしても。豊臣は武家です。天下を総攬する家です。そのために何をすべきか、それを考えるがあなたの務めでしょう」


 淀殿の説得は難航していた。

 家康には、今しばらくの猶予を願うばかりである。

 また、ひと月の後、海路で江戸に赴いた吉興は、江戸城にて家康に、面会した。

 ちなみに、大坂の湊には、佐助より専用の足早船が吉興に提供されていて、吉興の移動は基本は、海路である。移動日数が大幅に短縮されている。吉興の専用船、愛宕丸は西洋船を模していて、とにかく速度が速い。

 江戸湾に入るには、いったん、房総沖まで回って迂回するのが潮流に流されずにいいことを発見したのは、この愛宕丸であった。


「大坂にも、世の人にも、徳川の世が続くことを知らしめるが肝要かと存じます」

「婿殿。そもそも徳川の世は続くのであろうか」

「北条、足利、織田、豊臣とは比べようも無く盤石にございまする」


 吉興の眼から見てさえ、家康は天に愛されているとしか言いようがない。

 五大老五奉行のうち、三大老四奉行が敵に回ったわけである。しかしおかげで大大名の勢力をそぐことが出来たわけで、上杉も毛利も今は三十万石程度でしかない。

 対して徳川は一門家臣合わせれば八百万石。宗家支配に限っても四百万石である。これほど圧倒的な支配を確立した者は、日本史上、他にはいない。

 北条得宗家も、足利将軍家も、大大名らを統御できなくなって、滅びた。徳川の場合、すべての大名を敵に回しても勝てるだけの力を持っている。


「なれば、早めに秀忠に将軍職を譲るか」

「その際にはどうか」


 吉興は伏した。


 翌慶長十年四月、家康と秀忠は、東国衆あわせて実に十五万の兵を率いて、京二条城に入った。この示威行動を受けて、朝廷は、求められるがまま、秀忠に将軍宣下の宣旨を下した。


 二代将軍の誕生である。


 天下を徳川で続けてゆくとの明白な意思表示に、大坂は激怒し、豊家恩顧の諸将も期待を裏切られた思いを抱いた。それに伴う突発的な軍事蜂起を抑えるための十五万の軍勢である。

 佐助七十五万石ですら、通常の動員であれば一万五千人がせいぜいである。外様上位三位を占める前田、佐助、豊臣宗家を併せても、今回動員された幕府軍の三分の一にも及ばない。


 この時に、大御所となった家康と、新将軍秀忠は、秀頼の上洛を求めたが、大坂は拒絶した。この時点では、まだそこまで焦った態度ではない。「まあ、それはそうであろうな」という反応であった。

 それを不問には付したが、貸しは貸しである。

 一方で、家康は飴を豊臣に与えた。

 未だ十二歳の秀頼に右大臣の官職を与えたのである。

 家康は太政大臣に移ったから、家康よりは下である。しかし新将軍は内大臣であったから、秀忠よりは上である。


 公家としてならば優遇する。


 吉興が家康に頼んだ、大坂への暗黙の意思表示であった。

 

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