第44話
後陽成天皇は性格のきつい人で、衝動的な行動がまま見られた。慶長五年には、誰もが認めた東宮で、自らの一の宮の
代わりに東宮にたてられたのは三の宮の
英雄も家族から見ればただの人、と言うが、公家の間にそれなりの尊皇の念が芽生えたのはもう少し後になってからのことであり、衣食足りて礼節を知る、の言葉通り、然したる禄も与えられない主上など、実際には軽んじられていた。公家であろうが京人であろうが若者は若者である。公家なるものにうんざりして、剣を磨いて武士になりたがる公達も大勢いた。
そのような者たちは、主上の権威を軽んじ、後宮にまで足を踏み入れ、女房らと乱倫の限りを尽くすことも珍しいことではなかった。
慶長十四年に、かような不義密通事件が明らかになり、後陽成天皇は断固として、関係者全員、大典侍、権典侍と言った当代有数の高級女官らについても、処刑することを幕府に要求した。
これには国母、すなわち天皇の生母が驚いた。確かにいけない事件ではあったが、当時の朝廷にすれば、まま見られたことでもある。それまでの相場から言えば降格か、謹慎処分が妥当であって、公家を処刑するなど、絶えて久しいことだった。
主上の意を国母までもが軽んじるということになり、間に入った板倉勝重は、天皇からは断固たる処分を要求され、それ以外の公家らからは穏当な処理を懇願され、進退窮まった。とりあえず、実態を調査してみると、思ったよりも関係者が多く、似たような案件まで同様の処理をすれば、朝廷上層部が根こそぎ壊滅することも考えられた。
結局、大御所の直裁となり、首謀者二名は死刑、女房や女官らは流罪とした。これでも従来の相場からすれば相当に厳しい処分であり、ただでさえ扱いが難しい後陽成天皇の意を最大限尊重した結果である。
しかし、主上は、かつての寵妃を含めての全員の処刑が成らなかったことで、怒りを爆発させた。
それが、ほぼ突発的な、東宮への譲位表明につながるのだが、ともあれ、慶長十六年三月、新たに後水尾天皇が即位する運びとなった。
大御所、将軍、共に揃って即位の大礼に臨席するために、上洛することになった。大名諸侯らも供回りを務める。
この時、家康は佐助吉興を召し出して言った。
「関ヶ原より十一年か。まあ、儂も大概我慢強い方ではあるが。いくらなんでもそろそろ限度ぞ。こたびの上洛の機に、秀頼が儂か秀忠に拝礼の来なんだら、豊臣を討つ。首根っこ捕まえて、あの小僧を二条城まで連れて参れ!」
これは大変なことになった、と吉興はまず加藤清正を訪ね、それから清正と共に、福島正則、浅野幸長の順で説得した。
これが豊臣への報恩であると。
「む」
江戸に在府していた浅野幸長の元へ、加藤清正、福島正則と連れ立って面談した。
「そなたらにも、お家の事情はあろうが。頼む。これを豊臣への最後の報恩としてもよい。秀頼君の警護、佐助、加藤と共に頼み入る」
「吉興殿。福島の名が入っておらぬようだが」
浅野幸長がそう言えば、福島正則は首を振った。
「儂はそなた次第で決める。はっ。佐助も無理難題を言う。儂らには徳川の血筋の室もおらねば大御所のお気に入りもおらぬでの。佐助とは違うわ」
「正則殿。吉興殿こそ、我らに代わって危ない道を歩まれてきたのだ。さような言い方をするものではない」
清正がそう言う。
「なんじゃ、清正。おぬしは、肥後熊本五十二万石がどうなってもよいと申すか」
福島は安芸広島五十万石。浅野は紀州和歌山三十八万石である。背後に多数の一族家臣領民を抱えている。豊臣への忠義。当主の思いだけで軽々しく事を決められる立場ではない。
「さようなことにならぬよう、豊臣恩顧の我らが、一致団結して、心命を賭けて、秀頼君を説得するのよ。何があろうと、我らが断固として秀頼君を守り抜く。そうであろうが」
加藤清正が吼えるようにして言った。
それを受けて、佐助吉興が口を開く。
「嫌なことを申すようであるが。清正殿と正則殿は亡き太閤殿下の御親戚。幸長殿は北政所様の甥御であろう。そなたらまで見限るようであれば、豊臣は、織田ほども家臣に恵まれなかったことになろう。太閤殿下の御名を汚してもよいのか」
「吉興殿。この幸長にはかねてより分からなんだことがあり申す。そなたのそもそもの旧主は浅井であろう。いわば豊臣には行きずりで仕えたはず。なぜそうまでして豊臣にお尽くしになられる。黒田、藤堂、山内。あれらに声をかけなんだは、どのみち断られるが分かっておるからであろう。いや、あれが普通であるのよ。浅野とて元は織田の家臣。織田を見捨てたからこそ今の立場がある。そなたなど、将軍家とは縁戚ではないか。大御所様からも御台所様からも深く信頼されていると聞く。何も、佐助こそ危うい橋を渡らずとも」
「それがし、太閤殿下、いや、秀吉公には恩義があるゆえ」
「もう十分に義理ははたしたであろう」
「そは違う、幸長殿。何も武士としての恩にはあらず。人としての恩にござる。秀吉公なくして、今のそれがしなどかけらもなく。お袋様が浅井の血筋だから加担しているわけではない。秀吉公が、いまわの際で、それがしが大坂にいればきっと秀頼君のことを頼むと仰せになったはずだと思うから、力を尽くすのでござる」
「…軍師殿は意外とお甘いようだ」
幸長はそう言った。
「ところで、佐助の当主は今は時康殿であろう。そもそも佐助はそなたの言うことを聞くのか」
「聞かねば廃嫡するだけぞ。家臣郎党、すべてそれがしが見出した者。時康が従わぬなら、宗興を据えるまで。宗興は清正殿の娘婿なれば」
「佐助はそこまですると」
「此度の成否に、佐助七十五万石を賭けようぞ」
幸長はしばらく目を閉じて考えた後、口を開いた。
「あいわかった。豊臣一門ならざるそなたにそこまでされて、一門の我らが黙っておるわけにはいかぬ。のう、正則殿」
「浅野もたわけじゃの。佐助もたわけ、加藤もたわけよ。しょうがない、付き合ってやろうぞ」
「かたじけない」
吉興は、正則、幸長に頭を下げた。
四諸侯は、すぐさま支度を整え、佐助の愛宕丸にて大坂に向かった。
大坂屋敷を依然として維持している大名は、豊臣の直臣以外には、この四家のみであった。
「さような端近にあってはあぶのうござる」
夜半甲板の上に出てみれば、加藤清正がそこにいた。幸い、波穏やかで、船に乗り慣れていない者らもさほど体調を崩してはいない。
「平兵衛か」
と清正は古い名で吉興を呼んだ。そうした古い友として話がしたいという意思表示である。
「虎之介。何やら物思いにふけっておるようであるが」
「うむ。実はの、それがしの病は重い」
「…そうか」
清正は平然としているように見えるが、嫌な感じで少し痩せている。そういうこともあろうかと、吉興は予感していた。
「肥後のことは手配が済んでいるのか? 忠広殿はまだ十歳であろう」
「手配など済むはずが無く。肥後は難治の地ぞ。かつての小西領をたいらかにすることも未だままならず。先のことは天に任せるしかあるまい。忠広の後見は宗興殿に頼んである」
「宗興に」
「つまりはそなたをあてにしておるということだ。さりながら。当家のこと、いかがなろうとも誰をも恨まぬ。儂が抱えておるは、後悔の念ぞ」
「そなたほどの男が後悔なぞ」
「いいや。悔いの多い愚かな人生であった。殿下の朝鮮征伐を止められていれば。秀次殿の粛清を止められていれば。治部少輔と和解できていれば。そして関ヶ原で西軍に加担しておれば」
「虎之介」
「治部少輔が正しかった。儂が間違っておった。あの時は、家康殿を支えるが、君側の奸を除くことと真に思っていた。家康殿が豊臣を圧迫するなど。いや、先を読めば、家康殿の想いはどうであれ、そうなるであろうと読むべきであったのであろうな」
「未来から見て過去を断罪すれば、その時々で死力を尽くした想いも見えなくなるであろう。そなたは十分にやった。自分を責めるのは寄せ」
「そなたのことも考えておったのだ、平兵衛」
「うむ」
「愚かな儂と違い、そなたならば先々のことが見通せたはず。しかしそなたは東軍に加担した。そなたが私利私欲でそうしたとは思わぬ。豊臣を守る以上に譲れない大義があったのであろう。そのうえで豊臣を守るためにも死力を尽くしてくれた。そなたがそこまでしてくれること、儂はなんとなくでならば分からなくも無いが」
「あの、薄汚い浪人の、かつての敵の子を、庇ってくれたは、虎之介と佐吉だけであったな。そう言う時に受けた恩義を儂は忘れぬ」
「ならばそなたが豊臣に尽くすは」
「太閤殿下に恩義を受けたのも本当のこと。しかしそれだけではない。虎之介と佐吉が、おそらくはそう望むであろうから」
「そうか。ならば、儂も少しは豊臣の役に立っていたということであろうか。辻褄がようやくあった思いがいたす」
清正はこのうえなく穏やかな表情になって、そう言った。
「まだ終わったわけではないぞ、虎之介。そなたもまだ生きている。大坂でのこと、なんとしてでもやり遂げねば」
「あいわかった。いざとなれば腹を切ってでも諫言いたす」
豊臣を守るためであれば惜しくない命である。
清正の眼はそう語っていた。
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