第35話

「井伊が抜け駆けをしたかっ!」


 家康が唸るような声を上げた。重大な軍令違反である。本来は福島正則が一番槍のはずだった。福島が違令を申し立てれば、家康は井伊直政を斬らねばなるまい。


「直政らしからぬっ! 短慮ぞっ!」


 傍らにある吉興は、家康が怒りを暴発させぬよう、目の前に座り、そして目を見据えて首を振った。


「…そうか、あれは秀忠の失態をかばわんと」


 そこまで分かっているのであれば、吉興は敢えて言うことも無い。

 秀忠の軍勢、三万、とうに美濃に到着しているはずであったが、行軍が遅れに遅れている。そのため、徳川は外様に頼った戦いをせねばならない。戦後処理のことを思えば、これは大きな痛手である。

 秀忠のせいで徳川の権威は大きく傷つけられた。

 抜け駆けであろうとなんであろうと。ここは徳川直臣が、その武勇を見せつけねばならない。敢えて、戦後処分を覚悟したうえで、井伊直政が火中の栗を拾ったのである。


「直政めがっ。若造のくせに命を粗末にしおって」


 家康のギョロ目から涙がにじむ。


「御大将、福島殿はおそらく問題といたしますまい。織田の件では、井伊殿がずいぶんとりなしたそうです。情けは人の為ならず。福島殿もここは恩返しと弁えて口を噤むでありましょう。あれでも賤ヶ岳七本槍の一。武勇も情けも知る男なれば」

「そうであるか。ならば、加増に色をつけて詫びといたそう」

「まあ、それも勝てば、の話でございますが」

「我らが危ういと?」

「布陣は圧倒的にこちらが不利。さすがは治部少輔」

「だが北条攻めでは、上手くいかなんだようであるが」

「手習い通りに戦が推移するならば誰も苦労はしますまい。治部少輔は手習い通り、きっちりしております。手習い通りであれば守りやすく攻めやすいのも事実。さりながら戦がその通りに行くとは限らぬのも事実」

「そなたであれば、別の布陣をするか」

「それがしならばそもそもさような博打は打ちませぬ。前田、加藤、黒田、佐助。豊家軍事の柱がことごとく、味方に付いておりませぬ。この戦にあってすら、西軍諸将には疑心暗鬼がありましょう。味方を疑っていては勝てるものも勝てませぬ」

「ならば楽勝といきたいものであるな」

「さりながら。宇喜多、大谷、石田は間違いなく死兵の覚悟。侮ればこちらの負けにございまする」


 布陣は西軍が圧倒的に有利であるが、動きが鈍い。縦横無尽に働いているのは、小西、大谷、宇喜多、石田あたりのみ。島津は相応に動いてはいるが寡兵のため、目立たない。

 最大の軍を擁する毛利が動かない。

 ここまで来て何を怖気ついているのであろうが。実際には陣中では深刻な路線対立が起きていた。この時期毛利家政を担っていたのは吉川広家、毛利秀元、福原広俊である。吉川が四十近く、福原が三十代半ば、秀元は二十歳を過ぎたころである。冢宰格は吉川広家であった。

 毛利輝元は四十七歳、いい年齢であったが、治世の大半を偉大な両叔父、吉川元春、小早川隆景の補佐を受けている。

 毛利の最高意思決定機関は一族合議制であり、元就の母方である福原氏、元就妻の実家の吉川氏の意向は特に重い。

 その両氏が、家康との密約をたてに、ここは様子見をすることを、輝元に強いていた。本来なら、西軍総大将に祭り上げられるなど、絶対に阻止しなければならなかったが、秀元に引きずられ、輝元もその気になってここまで来てしまった。

 吉川広家はその間、懸命に家康との間で密約をまとめようとしていた。

 吉興が言ったとおりである。

 ここで大勝を上げたとしても、家康の首を獲るのは難しい。

 同じ勝利を更に二度上げねばならないのだ。それも最終的には敵地とも言える関東で。

 西軍の勝ち目は東軍の三分の一である。

 唯一の勝機は、豊臣が腰を上げて、秀頼が自ら総大将として出陣することであった。そうであれば、東軍諸将の半分は確実に寝返る。

 輝元が大坂城で、その工作に失敗した時点で、勝ち目の薄い戦いになってしまったのである。

 淀殿は、云とは言わなかった。

 彼女にしてみれば家康と輝元を比べれば、輝元の方がまだしも信用ならない。


「動いてはなりませぬぞ」


 吉川広家が輝元に迫る。


「しかしの、儂は総大将であるし」

「そうですとも、殿。すでに決起したのです。後は徳川を倒すしか毛利が生きる道はありませぬ」


 秀元が呼応する。

 

「黙らっしゃい!」


 広家が大声をあげた。


「小僧は、毛利が滅亡の瀬戸際まで追いやられたことを知らぬ。あの時は隆景公が堪え難きを堪え、和議を結べばこそ生き延びたのだ。そもそも毛利は天下を狙うような家ではない」


 元就公ならばいざ知らず、とまでは広家も言わなかった。家康は今の徳川の事実上の創業者である。元就の業績を継いだだけの輝元とは、求心力において比べ物にならない。

 徳川は傷を負えば追うほど強くなるだろう。毛利は逆境になればなるほど弱くなる。そこが大きな違いである。


「元就公は仰せであった。中国一円、家中においてすら毛利を良く思う者一人も無し。それだけのことをして、保ってきた家なのだ。井伊直政、本多忠勝、榊原康政、いずれも命をなげうってでも主家のために戦うであろう。さような者は毛利家中にはひとりもおらぬ」

「それは言い過ぎでは、広家」


 輝元が若干不機嫌になった。


「殿。吉川元春が生きておれば必ずそれがしと同じことを申し上げたはず。小早川隆景しかり。そして元就公もしかり。そのことは殿もようおわかりのはず。毛利百二十万石、徳川二百五十五万石、石高も倍も違いますが、そもそも意味が違いまする。徳川は太閤殿下をしても削れなかったのですぞ。毛利は削るほどの畏れも無かったゆえに削られなかったのです」


 さすがに事実上、面罵されて、輝元も憮然となった。


「隆景公、自らの家、小早川を太閤の養子の秀秋に渡してまで、毛利をお守り頂いた。殿が、太平に暮らせたのはすべて隆景公のおかげにございまする。さりながら、殿、もう、もう、隆景公はいらっしゃらないのです。元就公の興した家、いいや、そもそもから言えば大江広元公以来、連綿と続く家にございまする。鎌倉の粛清も南北朝も乗り越え、生き延びた家。殿一代で絶やすおつもりか」


 鎌倉幕府の序列で言えば、毛利は本来、圧倒的に格が高い名家である。室町将軍家ですら、たかが御家人の出、文士筆頭であった大江家の足元にも及ばない。


 輝元は押し黙った。


「広家殿! 我らが動かねば、他家も動けませぬぞ!」

「動かぬ。この広家が動かさぬ。秀元、気に入らねばここで儂を斬れ。しかし、儂もただ斬られはしまいぞ。これでも武勇を誇りし元春公が一子にござる」


 かくして毛利は膠着に陥った。


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「敵の動きが鈍いの」

「毛利動かず。連られて、長曾我部、長束らも動けぬようでございますな」

「広家が働いたかの」

「さようでありましょうな」

「しかし我らが軍の動きも緩い」


 家康は物見をしながら言う。


「しょせんは手弁当戦にて」


 吉興が言った。東軍が勝てるなら、何もはなばなしく手柄をたてずともいい。彼らはすでに大名である。得ることよりも守ることの方が大事である。極端に自軍に損害を出さぬ戦いをしていた。


 気の無い戦を東軍がする中、大谷、宇喜多らは獅子奮迅の働きをしていた。


「宇喜多があれほど強いとは。あれなら朝鮮を落としていてもおかしくはなかったであろうに」

「異端を退けましたからな。今の宇喜多は、秀家殿と一心同体でありましょう」


 それに、という。秀吉政権は伴天連追放令を出しはしたが、切支丹禁令が徹底されていない。むしろ、豊臣政権中枢に切支丹が入り込んでいる。淀殿の妹の京極の初姫しかり。秀吉の側室だった松ノ丸殿(京極氏)も切支丹である。秀吉の実子同然ともいえる宇喜多秀家と豪姫も切支丹であった。

 そもそも宇喜多騒動は宗教政策に絡んでいる。秀家が家中の信仰を切支丹に統一しようとしたからである。逆に言えば、今の宇喜多家は、異端を追い出し、信仰で結びついている。強いはずだ。


「切支丹か。婿殿には痛しかゆしであろうな」

「まことに」


 家康は、吉興が反切支丹策を推し進めていることを知っている。


「なるほど、あれは危ういかも知れぬ。駄馬を駿馬にするか。豊臣か徳川かならばしょせんは日の本の内々のこと。しかしあれがイスパニアやポルトガルの命で動けば」

「ご高察のとおりでございまする。なればこそ、今、天下を危うくするわけには参りませぬ。応仁の頃とは訳が違いまする。今国が乱れ、諸侯が分れて争えば」

「外国に日の本が占拠されるか」

「さようにござりまする。呂宋すでに国そのものがイスパニアの物となり、奴隷が亜米利加に送られているとか。日の本をさようなことにしてはなりませぬ」

「それが天下の軍師の第一か」


 家康の問いには、吉興はただ黙って目礼をしただけだった。


「なるほど。なにゆえ婿殿が儂に加勢するか分からなんだが、それでよう分かった。確かに、今、儂が死ねば、たとえ豊臣が残っても、諸侯は自立しよう。中には外国と結ぶ者も出ような」

「宇喜多ですらああなのでございまする」

「儂が天下をとれば、切支丹は禁令としよう」

「是非にも」


 天下の経営者にはただ単に家の繁栄を思うだけでは務まらない。日本国の経営者なのだ。秀頼が育つまでは、それが務まりそうなのは家康くらいしかいない。

 北政所は、宇喜多秀家をその代わりに据えようとした。大きな女人である。しかし、それですら吉興から見れば視野が狭かった。更にその外から見なければならない。

 それが出来るのは、大大名では家康のみ。


 軍馬が砂塵を上げて、戦はたけなわであった。



 

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