第22話

 前田利家が薨去して数日もせぬうちに、黒田の手勢が佐助屋敷を取り囲んだ。

 すわ、合戦か、と家中がどよめく中、佐助は、落ち着け、といい、何の手筈も整えない。


「甲斐守殿ご自身が説明に上がるであろう。来れば書院に通すように」


 とだけ、命じておけば、その通りに、長政が供もつけずに、吉興に面会を請うたのだった。

 佐助屋敷の人数はそこそこいるのだが、合戦となれば動かせる人数は五百程度だろう。これは、吉興の「家族は一緒に住むべき」との方針のため、単身赴任者が他家に比べれば非常に少ないため、居住棟が非戦闘員で占められているからである。

 領主家専属の足早船や商船、輸送船を所有しているので、いざとなれば国元から兵力の補充が容易だということもある。

 大坂にいる佐助の家臣らは、外交関係者、商業関係者が多く、戦闘員は絞りに絞っていた。大坂は物価が高いため、人数を多く置けば、財政に負担が生じるからでもある。

 そのため、黒田の手勢とまともにぶつかれば、いかに吉興が差配しようとも敗北は必至である。必至なのだからじたばたしても始まらない。


 礼儀として、時康が長政を案内し、吉興の待つ書院まで連れて来たのだが、時康はそのまま吉興の隣に侍り、下がろうとしなかった。


「何をしておる。ここからは大名同士の話し合い。そなたは下がれ」

「いいえ、お言葉ながら」


 吉興の武名は轟いている。しかしその武名は一軍の将としてのものであり、個人としての戦闘力は皆無に等しい。そのことは時康がよく承知している。時康がいかに少年とは言え、剣で戦えば、吉興を降すことは容易だろう。

 英雄豪傑は当家には要らぬ、という吉興の考えの是非は言わずとも、身を守るためにはいくらなんでも当人にも最低限度の戦力は必要だ、というのが時康の考えであり、それはこの世にあっては常識的でもあり良識的でもある。偏屈な父を説得するのは早々に諦め、時康はいざとなれば自分が父の剣となり盾となるつもりだった。

 そのために当の吉興から批判されながらも、柳生新陰流の免許皆伝を得たのだから。

 長政が供のひとりもつけないのであれば、吉興も護衛の者を置けない。しかし、この両者、単純に組み合えば間違いなく長政が勝つ。朝鮮で、敵兵を自ら刀にかけた数、百を越える長政である。

 如水に言わせれば、それが大将の振舞いか、ということになるのだが、長政は二代目である。宿老英傑らはみな如水に心酔していて、その中でおのが意に従わせるためには多少の無茶はしなければならない。

 護衛の者はつけられないが、佐助の嫡子として同席するのはそこまで礼儀を外すことにはならない。


「豊前殿さえよろしいのであれば、それがしは別にご嫡男殿が同席されても構いませぬが」


 長政は平然と言う。義父上と呼ばないのは、そう呼ぶことで却って吉興の機嫌を損ねることを恐れているからであり、大名として、いわば公的な身分の資格で訪れているからでもある。


「時康殿はそれがしにとっても義兄上。他人ではございませんしな」

「他人であるよ。先にも言ったが、溶姫が徳川の養女としてそなたに嫁いだのであれば、佐助には関係のない話であろう。時康、去れ」

「お断り申し上げます」


 かっ、となった吉興を慌ててなだめたのは長政である。


「子と言えども親の傀儡ではありませぬゆえ。恥ずかしながら当家もそうでありましょう。まあ、いちいち反抗したいわけではありませんが、何しろ、あの毒舌でありますからな。当家に比べれば時康殿など健気ではありませぬか。お父上を守る気構えでござる。さりながら、豊前殿はお分かりでしょうが、別に戦に参ったわけではありませぬ。どうぞこれをお納めくだされ」


 脇差二本、短刀を添えて、それを時康の方へと差し出した。


「一応は銘のある業物にござる。せっかくですので、義兄上へと進呈いたしましょう」

「時康」


 息子が刀剣類に目が無いことを知っている吉興は、念押しの声をかけた。時康も、一瞬残念そうではあったが、さすがに、


「お心遣いのみお受けいたしまする」


 と言った。


「それで時も無いので早速本題にはいらせていただきまする」


 長政は目の前で親子喧嘩でもされてはかなわぬので話を進めた。


「兵で囲わせねば出来ぬ話か」

「こちら様を襲うためではありませぬ。むしろこちら様から出てくる者を封じるため」

「出てくる者?」

「我ら有志の者、君側の奸、石田治部少輔を探しております。むろん、天誅を加えんがため」

「我ら、とは」

「それがしに加えて、蜂須賀、加藤、福島、細川、田中、浅野幸長殿にございます。治部少輔は天下の嫌われ者なれば、大坂城下で匿いかねない豊家諸将など、大谷、片桐、それに御当家くらいでありますれば」

「それがしは別に三成と親しいわけではないが」


 同じ近江者であっても、浅井系の吉興と、六角系の三成とでは系列が違う。他家ほどの嫌がらせを受けたわけではないが、太閤の耳に讒言されたことは何度もある。吉興が注意深く対処していたので、疑惑の種を掴ませなかっただけである。


「それでも豊前殿であれば。あれは仮にも五奉行の一なれば、筋目から言って匿わぬはずがありませぬ」

「頼られればな。しかし舐められたものよの。もし頼られれば、それがしがそなたの手の届くところに治部少輔を置くはずもあるまいが」


 長政は、ぎくりとした。


「では、匿ってはおられぬと」

「おらぬな」

「信じてもよろしいので?」

「甲斐守殿。そう言うところが如水殿の神経に触るのだ。忠告しておこう。匿っていなければ匿っておらぬというであろうし、匿っていれば、なおのこと匿っておらぬと言うであろう。つまりその問いは聞くだけ意味のない愚問ぞ。如水殿は寛容なお方なれど、身内には厳しい。莫迦はお嫌いであらせられる故、そなたも少しは考えてものを言うべきであろう」


 余りと言えば余りにも辛辣な物言いに、時康は背筋の凍る思いだった。そもそも、身内には厳しいのは、吉興である。時康はさんざん甚振られて来た。それでも、吉興は他家の大名や身分が下の者には、態度は柔らかく、優しい。これはある意味、長政を身内扱いしているのではないだろうか、と時康は思った。


 しかし、長政は平然と、


「ご忠告、いたみいります」


 と流した。軍師の息子としては、長政の方が時康よりもよほど年季が入っている。今更この程度の毒舌で感情を揺さぶられる長政ではない。


「しかし、大納言様がお亡くなりになれば、早速、細川も加藤も乱を起こすか。あれらは気づいておらぬのであろうな。天下に、前田利長殿は、大納言様の権威を継ぐ能が無いと言っているも同然。伏見は喜んでおろうの」

「さすれば、治部少輔はいずこへ。豊前殿のお考えを伺ってもよろしいか」

「言う義理は無い、と言うところだが、転がりだした団子は行きつくところまで行くは必定。今更どうしようもない。早々に兵を引かせるが、百姓のためか。考えてもみよ。三成は、外様との関係は悪くない。あれでいて公明正大であるからな。豊臣直臣が増長すれば叩くが、外様は戦々恐々の思いで豊家に従っているまで、増長するはずもない。むしろ何事も規律通りにやってくれる治部少輔は、外様には有難い存在であったろう。

 今大坂にいる外様大名のうち、そなたらを敵に回して、匿えるは、佐竹くらいよの。それですら匿い続けるは難しい。となれば、佐和山まで送り届けるくらいがせいぜい。佐竹屋敷にあたってみよ。もぬけの殻のはずよ。そうであれば、今はおそらく、三成は佐竹に守られて、佐和山への道を進んでいるはず」

「これは良いことを伺いました。さすれば、これにてご免」


 長政は踵を返して、大急ぎで佐助屋敷から退出した。


「あ」


 時康が声を上げた。


「甲斐守殿は脇差短刀を置いてゆかれました。それがしにくださるとの仰せ…」

「家人に命じて黒田屋敷まで届けさせよ」

「そう…ですよね、はあ。ところで父上、治部少輔殿の行方、お教えになってよろしかったのですか」

「なに、大坂と佐和山の間には、伏見がある」

「伏見。大爺様ですか。しかし、大爺様にとってこそ、治部少輔殿は目の上のたんこぶなのでは。放っておけば勝手に豊臣諸将が始末をしてくれるならば、こんなにいい話はないのでは。父上は、豊臣五奉行の一人を見殺しにされるおつもりですか」

「家康殿が治部少輔を見殺しにするはずが無い。丁重に佐和山まで送り届けるであろう。まあ、見ておれ。そなたも甲斐守殿のことは他人事ではないぞ。少しは頭を使うことよ」


 これ以上何かを言えば藪蛇になりそうだったので、時康は肩をすくめただけだった。

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