第37話
浅井三姉妹の一人、お初、後の常高院は、生涯において四度の落城を経験した。
一度目は浅井の近江小谷城。
二度目は柴田の越前北の庄城。
そして三度目は、京極の城、近江大津城である。
四度目のことは、かの女人はまだ知らない。
京極高次は、東軍についた。大津城は、毛利元康、立花宗茂らに攻められ、関ヶ原の戦いの当日に降伏した。京極高次は助命され、高野山に移送されている。
関ヶ原の敗報を受け、大津城を守っていた西軍の軍勢は撤退した。
そこに琵琶湖の竹生島に逃れていたお初が、入り、城主夫人として、家康を迎えた。
近在の城は、だいたいが炎上、大破損しており、東軍諸将を収容できる城が大津城くらいしかなかった。大津城は、さほど大きくは破損していなかった。
この城を、家康はとりあえず東軍諸将に集結場、待機場とした。毛利が素直に大坂城を渡すかどうかは交渉してみなければ分からない。
関ヶ原の戦いから七日後、残党狩りのため各地に派遣されていた諸将らが再び、大津城に結集した。
続々と、諸将が大手門から城内へと入っていく。
「む」
福島正則は廓の先に、見知った顔があるのに気付いた。
「これはこれは治部少輔。縄目の姿となりいいざまであるの。ぬけぬけと乱を起こし、挙句のこのざまか」
「戦は時の運、やるべき時にやらなかったそなたになど、何を言われても痛くもかゆくもないわ」
「はっ。その姿で虚勢を張るか。さりながら、もはやそなたの讒言を聴く相手もおらぬ。年貢の納め時であるな、治部少輔!」
「正則! 我は先に逝くが、そなたが来るのを愉しみ待って居るわ。豊臣の大敵、徳川に尾を振って、ただ一身の安寧のみに右往左往するそなたが、果たして太閤殿下の御前に出られるかどうか、しかと覚悟しておけっ!」
その気迫に、福島正則は気圧された。何か更に言ってやろうかと思ったが、口ごもり、そっぽを向いた。
「はっ、敗軍の将を嬲ってもつまらぬの」
福島正則はそう言って、その場を去った。
三成は有名人である。ほぼ十五年に及んで、豊臣の「官房長官」を務めていたわけで、顔を見て、それが石田三成であると気づかない者はいない。ほとんどの者は、平然と無視するか、目を伏して走り去るのみであった。
ただ、小早川秀秋が近づいた時、三成は青筋をたてて激怒した。
「秀秋! 太閤殿下の御恩を誰よりも深く受けながら、保身に走るとは許しがたい不孝者! 恥を知れ! 忠義の臣一同、太閤殿下もきっとそなたを許さぬぞ!」
その時の、小早川秀秋の顔は、死刑判決を受けたかのようであった。ただ茫然と、色を失くして、三成を見るばかりであった。
「殿」
稲葉正成が、秀秋をくるむようにして、進ませる。その背中に、
「そなたなど生まれてこなかった方が良かったと北政所様もお思いであろう!」
と言葉の刃が放たれた。
御恩御恩と言うが、この立場の割には、小早川秀秋は、恵まれていない。丹波十万石を得たのは良かったが、豊臣一門としてはいかにも少なかった。その十万石も秀次事件に連座され没収された。小早川の養子となり、隆景の遺領を継いで三十万石、大大名となったは良かったが、朝鮮出兵に追いやられ、いきなり呼び戻されたかと思えばさしたる理由もないまま、越前にて十五万石の減封移転命令、そのため、旧臣の多くを解雇せねばならなかった。
非常に山あり谷ありである。
筑前の旧領に元の石高で復帰できたのは家康の口添えがあればこそである。北政所など何の役にも立ってくれなかった。
「わしが何をしたというのじゃ」
秀秋は背中を押されながら呟いた。
「殿、あやつの言うことなどお聞きになられますな」
「わしはただ、生きたかっただけよ。のう、そうであろうが」
「その通りにございまする」
秀秋の言葉には、しかし死人のように力が無かった。
三成の前を次に通りかかったのは、黒田長政である。
黒田こそは、豊臣の軍師の家でありながら、家康の手駒となって働いた男。三成も、何か罵倒しようと思ったが、それよりも先に、長政は羽織を脱いで、手づから、それを三成に着せた。黒田の家紋が見えるように。
「内府様も無体なことをなされる。仮にも一軍の将、豊臣の奉行に対する扱いではない。このような物しかありませぬが、どうぞ、羽織られよ」
「…かたじけない」
三成は、言葉を呑み込んだ。
この時代、怨霊は信じられている。であればこそ、一家を滅ぼしても滅ぼし尽くすことは余りない。一人二人を残して、鎮魂を行わせる。長政も、ある程度はそうしたものを信じている。三成の敵意を逸らしたのである。少なくともそれは黒田には向かわないであろう。
また、この行為によって、長政はさすが武士道を識るとの評判を得た。実際は、長政がやっていることは十中八九裏工作、汚い部分なのであるが、だからこそ清廉潔白の評判が必要である。
黒田長政は、羽織一枚で情報戦を制したと言える。小粒でも、軍師の子ではある。
次に、三成に対したのは、細川忠興であった。
忠興は、三成を見ると、自らも土下座し、五奉行の事実上の筆頭であった男に、相応の礼を示した。
「越中守殿。御内室の儀」
あれだけは、三成は悔やんでいた。死なせる必要が無かった女人である。
「あれも大名の妻なれば。そなた様も遠からず涅槃へ行く御身。それがしもいずれは。来世の功徳のために、流せる恩讐は流しましょうぞ」
三成は忠興に一礼した。
同じく、三成に対して丁重な礼をしたのは藤堂高虎であった。
憎い奴ほど丁寧であった。家康の手先となって働いた者たち。彼らは自らに恥じ入るところがない。おのが行動の正義を確信しているからである。
この最後の日々にあって、三成もまた学んでいる。
世には正と邪があるのではない。
幾つもの異なる正があるのだと。
佐助吉興は、時康を連れて、歩いていた。
その先に、死に装束で縛られている三成の姿を見て、実に嫌な気分になった。時康は余りのことに息を呑んでいる。
三成をさらし者にする。それによって、徳川の天下を印象付けようとしている。しかしそれだけではない。誰がどのような行動をとるか、家康は見定めようとしている。人品を試す意味でも、次の敵となるかも知れぬ者を浮かび上がらせるためにも。
「時康。治部少輔は何かを言うやも知れぬ。何を言われても無視して平然と過ぎるのじゃ」
「はい」
「家康が見ているのを忘れるな」
吉興は、内府とも言わず、ただ家康と呼び捨てにした。
結局は、我らは豊臣の臣、徳川とは相容れぬ。時康にそう伝えたのである。
三成はじろりと吉興を見る。
何を思ったのであろうか。
同じ長浜衆である。幼い頃は随分、三成に助けられたこともある。不器用でも、時には筋違いであっても、石田三成ほど清廉な人間を、吉興は他には知らない。
例えば、業病にかかった大谷刑部が使った茶碗を、余人が飲むのをしり込みする中、三成は平然と飲んだ。三成の本質は常人には分からない。弱い者、差別される者にとっては、三成こそが救いであった。
世の九割の人は平然と心無い振舞いをしている。それが当たり前であるから、心無いことに気づかない。それをいちいち、おまえは間違っていると指摘されれば、かえって被害者意識を持つ。
ああ、そういうことか、と歩きながら、吉興はようやく三成の本質に気づいた。
吉興も、かつては差別される側であった。その時に助けてくれたのは、石田三成と加藤清正くらいであった。だからこそ、分かり合えなくても、苛立たしい思いをしながらも、吉興はこの両者を愛おしく思っている。
おそらくはその清らかさを、秀吉も貴重に思っていたのだろう。秀吉もまた、虐げられる者から人生を始めたのだから。
「吉興殿!」
去ろうとする吉興の背に、三成が渾身の声をかけた。
「平兵衛」
振り向いてはならぬ。家康が見ている。
それは分かっていた。家康が、佐助がどうするのかを見ているのは。
しかし、死を覚悟した男の言葉を、かつての友の言葉を、吉興は無視することは出来なかった。
二人は見つめ合った。
佐吉と平兵衛として。
「秀頼君のことを、頼む。もはやそなたしかおらぬ」
吉興は頷く。
「ここからはこの佐助が引き受ける。これまでのこと、ご苦労であった。そなたは。そなたは、豊臣の誇りぞ」
吉興は、土に座り、深々と、豊臣をこれまで支えて来た男に一礼した。時康もそれに習う。
そして、三成も、両手を縛られながらも、これから、一人で豊臣を支える男に、餞として一礼をした。
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石田三成が、京六条河原にて斬首されたのは、それから九日後であった。
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