第15話
「平兵衛、用意は出来ておるか」
小倉城外まで迎えに出た吉興に、如水はそう声をかけた。
「は、整っておりまする」
如水が言ったのは、上方の家臣や諸侯から送られて来た書状のことである。如水自身、家臣に幾つもの文箱を抱えさせていた。
佐助豊前守吉興を、平兵衛と呼ぶのは、今ではこの人くらいである。如水、官兵衛、黒田孝高と言う人は面白い人で、羽柴家臣団の中では播州組、尾張や美濃、近江で秀吉に仕えた者たちからすれば新参なのだが、最初から最古参のような顔をしていて、それで通ってしまうのだから不思議なものである。
嫉妬の的にもなりかねないのに、飄々と躱して大きな面をしている。
もっとも、有岡城攻略のために一年幽閉されたという大きな不幸があればこそ、妬みを抑えられたのかも知れない。
吉興と合流してからは矍鑠と歩いているが、足を引きずる様子は隠し切れない。
吉興が案内した書院には、西洋風の椅子と卓が置いてあった。
「気が利くの」
それだけ言うと、如水はためらいもせずに上座に座った。如水は、足が悪いので、椅子に座った方がやはり楽なのである。
「先頃は倅が騒いで迷惑をかけたようだが」
吉興が対面に座ると、如水はそう言った。
「長政殿らしくなく。気が高ぶっておられるようでしたな。無理もござらんが」
「らしくないということもあるまいて。あれは元々、短慮にて」
「いやいやなかなか気配りの出来る御仁でいらっしゃる。これまでも幾通も詫び状をいただいておりまして」
「詫び状?」
「如水様から嫌がらせを受けるたびに。三十通ではききませんな」
「はっ、だからあれは短慮なのだ。なにゆえかも分からず」
「長政殿のご厚情はともかく、まこと、この吉興、如水様に守っていただきました」
「半兵衛殿の愛弟子をむざむざ太閤の刃にかけさせるわけにはいかぬでの」
吉興と如水は、豊臣の柱であるが、それだけに秀吉から見れば脅威であった。両者が正しくいがみ合わなければ、どちらかが、あるいは両者とも粛清されていただろう。
如水から受けた嫌がらせで一番ひどかったのは、吉興が豊前一国を預かり、如水が中津から豊後府内へ移ることになった時、豊前半国の収穫を早刈りして持っていたしまったことだった。そのせいで吉興は莫大な借財を負い、返せるまで数年かかった。
長政は父の仕打ちを気にして、都度都度、吉興に詫び状を送っていたのだが、如水はそういうところが大局観が無いと言うのである。
「しょせんはその程度の器よの。しきりに徳川に尾を振っているようであるが。まあ、小物故大したこともできまい」
「長政殿は、秀頼君のことは」
「有岡城のことで、一度は見放された者であるから、豊臣に忠義が無いのも、無理からぬことではあろうが。あれが一命をとりとめたはひとえに亡き半兵衛殿のおかげ。太閤には微塵も恩を感じておるまい」
荒木村重が信長に謀反した時に、黒田官兵衛は有岡城に説得に赴いて、一年幽閉された。官兵衛が裏切ったと思った信長は、人質としてとっておいた黒田長政を処刑するように秀吉に命じ、秀吉はそれを執行しようとした。
それを竹中半兵衛が、処刑したことにして、黒田長政を匿っていたのである。
「いくら半兵衛殿が情けをかけてくれたとは言え、秀吉公が黙認してくれればこそ。豊臣への恩義を忘れるとは、あれも相当な人でなしよのう」
如水は嘆息した。
如水の愚痴を聞きながら、吉興は主だった書状を並べる。これは家康から、これは前田利家から、これは北政所から、これは平野長奏から、これは近衛家から、これは本願寺から、と。
「相変わらず交友が広いの」
「如水様も同じでございましょう」
両兵衛の思惑は言わずとも一致している。
腐っても豊臣の軍師、豊臣を守り抜くのはこの二人を置いてない。
だが、決して楽なことではない。
「そなたが関東を家康に呉れてやったから苦労するわ」
「太閤殿下からは、如水様も同様の具申をなさったと聞いておりますが」
「あの時は、あれが最善だと思ったのだ」
石高二百五十万石。ただし、税率は低い関東であれば、実際には百八十万石程度。二百五十万石の賦役を課せば徳川は疲弊するはずであった。
だが家康は見事に関東を治めきった。
「今は少なく見積もっても三百万石はあろう。太閤蔵入よりも多い」
「しかし豊臣恩顧を集結すれば、圧倒できまする」
「集結すれば、な。本能寺の後、織田恩顧が集結すれば、羽柴の天下は無かった。これはの、天下人の家の業病であろう」
天下の家は有力家臣たちが大名として自立することで、求心力を失う。豊臣秀頼は、清須会議の時の織田三法師と同じ立場に置かれている。
「家康は天下を狙うであろう。当然じゃ」
逆に狙わなければ、徳川は潰される。家康が死ねば確実に。
豊臣秀次がまだ関白であった時に、吉興は請われて、将来の策を出したことがある。現大大名当主が没後は、各家を分割する案である。五十万国を上限とし、分割する。徳川の場合は、秀康家、秀忠家、忠吉家、信吉家、忠輝家に分け、いくつかは関東から引きはがす。
家が分かれればおのずと彼らの内で争ってくれる。
吉興がそのようなことをしている時、既に隠居していた如水が、人を使わし、ただちに豊前に戻るようにと忠告した。
それがあればこそ、吉興は秀次の相談役として、秀次粛清に巻き込まれずに済んだのである。
「秀次殿が生きていれば、豊臣がかくも危ういことにはならなかったはずですが」
「言うてもせんないことよ。それに生きていればいたで、秀頼君のお命が危うかったかも知れぬ」
「それは」
「無いと言い切れるか」
「いえ」
秀頼、お拾いが奇跡のように生まれた時、吉興はただちに、秀次が危ういと思った。旧知の山内一豊を通して、秀次に即座に関白の位を返上し、まだ乳飲み子の秀頼に譲るように助言したのだが、秀次は馬鹿馬鹿しいとその助言を蹴った。
常識から言えば、天下を総攬する関白の地位に乳飲み子をつけるなどきちがい沙汰であった。しかし、これは豊臣宗家の血筋を至上のものとするかどうかという問題である。
吉興はよかれと思って、助言したのだが、それが結果的に秀次粛清を生じせしめたのかも知れない。山内一豊を通して、秀吉が、秀次が吉興の助言を蹴ったということを知ったからである。
つまり関白位、天下人の立場に執着があることを明らかにしてしまったのである。
秀吉は、秀次を粛清することで、秀次から我が子・秀頼を守った。しかしそれは同時に豊臣をまとめるべき成人男性が、ただひとりも豊臣にいない現状を作り出してしまった。
ふいに、吉興は本多正信がかつて言った、「家康が天下を取る」と言う言葉を思い出して背筋が寒くなった。
まるで天が家康に天下人への道を誂えているようである。
「あがく」
ふいに、力強い言葉で、如水がそう断じた。
「天がどうであれ、我らはあがくべきだろう。わしとそなたは、豊臣の軍師であるのだから」
如水の言葉に、承諾の意を込めて、吉興は頭を下げた。
「家康に対抗し得るのは、やはりただ一人か」
前田利家である。
今は、前田と徳川は勢力を二分しにらみ合っている。
「合戦になりましょうか」
「なれば、前田が勝つ」
徳川は遠い。美濃、伊勢、近江はさいわい、前田か徳川かであれば、前田に加担するだろう。利家は加賀から援軍を畿内へ送れるが、家康は江戸から畿内へは送れない。遠すぎる。
「しかし家康は味方を増やしている。畿内で踏ん張れば、東国勢がかけつけるかも知れぬ」
「なれば、前田の味方を増やして、畿内の徳川を叩けるだけの勢いをつけさせる必要がありましょうな」
合戦になったとして、前田が勝てば、天下は結局、前田のものになるかも知れない。しかし、万が一にも、前田利家が親友の遺児である秀頼を粗略にするとは考えられない。
天下に野心を見せずに輔弼に徹してくれるかも知れぬし、時期が来れば政権を返上してくれるかも知れぬし、少なくとも命をとることはあるまい。
吉興と如水の目的は、豊臣の天下を保つことではない。
秀頼の命を守り抜くことである。
かくも豊臣の天下が危うくなったこと自体、豊臣が今後も天下を担うことに無理がある証拠である。本当ならば、天下など、流れるがままに力のある者に委ねるのが一番いい。
しかし豊臣は一度は天下をとった家。
穏やかに一大名家に成り下がることこそ至難の業であった。
考えてみれば、家康にとっても、秀頼は義理の甥にあたる。秀忠にとっても義理の甥にあたる。
徳川の残酷嫌いを思えば、徳川に委ねても平穏に一大名化する道がないわけではないと吉興も思う。
しかし、家康は、妻子を見殺しにした男でもある。
我が妻と我が嫡男を、腹の中はどうであれ、斬れと命じた男である。
そんな男が、数々の障害を乗り越えて、義理の甥のために尽くすとも思えない。
託すのであれば、やはり前田利家に。
それが、吉興と如水が出した結論であった。
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