第64話

 砂塵渦巻く中。

 雲霞のような徳川大軍を躱しながら、茶臼山の本陣へ接近する一団があった。

 真田の赤備えである。

 ほんのわずかの一瞬の突きを突くようにして、本陣奥深くへと、錐揉みのように食い込んでゆく。


 家康の本陣は、三方ヶ原の戦い、関ヶ原の戦い以来となる本陣崩しに見舞われていた。

 家康と、敵首領との間の距離は、三十間、いや二十間も無い。


 松平忠直勢が横から突こうとするが、騎馬鉄砲隊に阻まれ、忠直自身、馬上から叩き落される。

 家康とその傍らにある時康が視線を向けた先には。

 血に染めたような赤をまとう、真田信繁と、千成瓢箪の馬印を従えた男。豊臣軍総大将、佐助吉興であった。


「大殿!」「大殿!」


 佐助勢の中から、愛おしさのあまり、すがりつくような声が沸き起こる。弱兵と蔑まれた彼らを拾い上げ、無双の兵団の誇りを与えてくれた人であった。


「なにをしている!」


 空気の中に硬質な金属の矢を放つがように、時康が声を上げた。


「そなたらは佐助の兵であろうがっ! 本陣を守れ! 自らがお鍛えになった佐助勢の真の強さを、吉興殿に馳走いたせ!」


 時康の声に雷に打たれたように、兵らはただちに槍衾の布陣をとる。臆病なハリネズミに似て、それでいて隙が無い。


「吉興」


 家康が吉興を見据えて、一歩前に出る。


「天下の軍師ともあろう者が、天下人たる儂の首をとらんとするか。儂が死ねば、世は乱れるぞ」

「それでも!」


 吉興は馬上から家康を睨む。


「この吉興、公武両頭のお約束をやぶりしあなた様に怒り心頭でござる。軍師である前に人である!」


 軍配を振り下ろすと、真田の攻勢が波となって、佐助勢を襲う。一度、二度、三度と。

 佐助の守りは堅かった。佐助の兵は皆、涙を流していた。むしろ負けてやりたい。しかしそうすれば。弱兵をここまで鍛え上げた佐助吉興の名声を汚すことになる。


「おおとのーっ!」


 誰かが飢えた野犬のように吼えた。

 それを機に、吉興も悟る。


「もはやこれまでかと」


 真田信繁が、吉興に言った。


「まだ、なさらねばならぬことがおありなのでしょう。道は真田が切り開きます故」

「頼む」


 吉興はそう言って、一瞬、時康をみて、ふたりの視線が絡んだ。短い瞬間に、生まれたばかりの時康を抱き上げた時のことを吉興は思い浮かべた。

 浅井万福丸を助けられなかった無力さを、弟を実質見殺しにした不実さを、洗い流すかのように生まれてきてくれた光の子であった。少なくとも、吉興にとっては。

 あの乳飲み子が、今やいっぱしの武者の振舞いをしている。

 吉興は、時康に微笑した。


「ちち、うえ…」


 まだ泣けぬ。大将は戦の最中では気を抜くことがあってはならぬ。

 微塵も動かずに、時康は吉興を見つめた。

 その姿が、再び砂塵の果てに消えるまで。


 乱戦の後、真田信繁の遺骸は見つかった。

 松平忠直の手勢が討ったから、越前家も面目を施したことになろう。

 しかし、佐助吉興の姿はどこにも見つからなかった。


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 この日、京にて、夕闇が過ぎてもなお、暗い空を赤く染め上げる、遠い炎を見つめる者らがいた。


「姉様、こちらへ」


 より高い築山へ、女は、おのれと同じほどの老婆の手を引く。


「ああ、燃えておりますの」


 その老婆、日秀は、南無妙法蓮華経、と法華を唱える。


「これで、我らのお家も仕舞いにて」


 女主人の傍らに控えていた男、添田甚兵衛が言った。

 ここ、高台寺の女主人、元の北政所、おね、も頷く。


 ここでは栄華の残り滓のような者たちが肩を寄せあって生きている。

 息子と孫たちを政権の命でことごとく殺された女。

 政権の都合で、生皮を割くかのように妻と引き裂かれた男。

 その悪逆をすべて成した男の妻。

 何もかもが豊臣の家のためであった。

 本来ならばあの炎の中にいなければならないのは自分たちかも知れない、とおねは思う。

 おねは子を産まなかった。茶々は産んだ。

 それだけの違い。

 それだけの違いだけで、今、涼風に吹かれているか、紅蓮の炎にいるかが違っている。


「誰もかも逝ってしまって。私たちだけが中村にいるかのよう」


 おねがつぶやくと、日秀もうなづく。


「確かに。まるで夢のような。美しくはありましたが。悪しき夢のような」

「豊臣の御家がなければ、わしも朝日も、中村で百姓をしておったでしょうな。おそらくは死ぬことも無く」


 おねは二人にもはや夫のしでかしたことの詫びを言わない。

 すでに何十回も言い、そのたびにむしろ彼らを困惑させたからだ。

 日秀にしてみれば、弟のしでかしたことに、賢い姫であったおねを巻き込んでしまったのである。

 しかし考えてみれば。弟のねじれは、幼い頃の傷のせいではないだろうか。その傷を作った自覚が日秀にはある。


 京都、高台寺。北政所の居場所として、家康が天下普請で建立した寺である。

 ここに豊臣家の残り香のような人々が集っていた。

 もはや何の価値も無い、囚われ人として。


 「仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄」


 おねが般若心経を唱えだすと、他の二名も唱和する。

 仏道修行著しい面々である。


 慶長二十年五月八日。

 この日を以てして、大坂豊臣氏の滅亡と史書は記す。

 太閤、豊臣秀吉が薨去してより、十六年と八ヶ月のことであった。

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