第67話

 佐助吉興は二条城の一室、寝室、居間、厠、湯殿が続きになった一画に軟禁されている。罪人ではあるが、客人の扱いであった。すっかりくつろいだ風であり、ひとり将棋などを指している。

 吉興は囲碁は指さない。秀吉が碁打ちであったので、勝っても負けても触りのある碁の相手はしたくなかったからである。代わりに、将棋にはそれなりに打ちこんでいる。

 吉興の棋風は、絡め手の多い軍事行動と違って、居飛車であり、それも棒銀を多用する。普通の棒銀であればいずれ頭打ちになるのだが、吉興は案外それで勝つことが多い。

 思えば、吉興の思想と言うのは、徹底して装飾を剥ぎ、骨格を浮かび上がらせるというものであった。一貫してそうである。本質を掴む、と言えば聞こえはいいが、要は徹底的に単純化し、その単純が通じるように算段するのである。

 個別の事情は無視してなぎ倒してゆくので、独裁者が背後にいて全権を与えられなければ使えない軍事司令官である。決して下の者たちに優しくも無ければ、好評でも無い。

 佐助家中の場合は、不満分子をあらかじめ排除しているから、まとまっているのである。独裁的と言えばこれほど独裁的な組織もそうは無い。多くの点で、佐助家中は分権化が進んでいるが、思想ということに関しては、徹底的に吉興のもののみが存在を許されている。

 軍事に限らず、あらゆる行動原理が、吉興の場合は単純明快である。豊臣のことも、恩義を受けたから尽くした。それだけである。ただし、何に恩義を感じるかは世人とは違うかも知れない。加増などされても、しょせんは政略的なものであるから、儲けたとは思っても吉興はまったく恩義を感じない。

 感じるとすれば、無償の善意に対してのみである。

 この短い幽閉生活で、吉興付きの世話人、小姓としてつけられた海野角兵衛という少年が、善意の人であった。この少年は、特に吉興に憧れは持っていない。余り戦のことは興味が無いようであった。ただ、将棋が好きであった。

 共に将棋盤を囲めば、なかなかに手ごわい。単に強いというだけではない。状況をこしらえるために数十手前から状況を誘導しようとする。


「そなたにもう少し前に会っておけばの」

「それはもっと早く大坂の戦で負けておられればよろしかったということでしょうか」


 そうではない、と苦笑した。その受け答えひとつひとつが、嫌味は無いが発想が面白い。この少年にもう少し早く出会っていれば、軍師の後継者を育てることができたかも知れぬ。

 吉興はそう思うが、自分の余生が少ないのを知っているので、少年には何も言わない。

 この少年が外の大まかな情勢を伝えてくれる。誰が助命嘆願したとか、そういう話である。余計なことを、と思う。

 この助命嘆願には無私は無い。それぞれの家の事情でやっているだけである。そんなものは有難くもなんともない。

 変わった形の石を拾ったと言って、それを吉興と楽しもうと持ってくるこの少年の好意の方がありがたいものだった。

 暇だけはあるので、吉興は書を書き散らす。


「とっておけ」

「かようなものを頂いても」


 心底興味なく、迷惑気に海野角兵衛は言う。


「まあ、数十年は表に出さぬ方がよいの。そなたの曾孫くらいの代になればそれなりの値になるであろう。花押もいれておく」


 将来、どうであれ、名声がついてまわることを吉興は自覚している。十年二十年は「謀反人」であるから表立っては求められないだろうが、今権力を握っている者たちがあらかた死ねば、吉興は必ず武家から崇められるであろうことを自覚していた。


 元禄の頃、市川團十郎が「奥吉田太助忠臣之義」なる演目で人気を博したが、これは南朝の親王に仕える武士、ということにして佐助吉興を描いた物語である。鎌倉北条氏の佐助吉興にとっては南朝は敵であったのだが。


 ともあれ、吉興は隔離されていたのだが、本多正信が、訪ねて来た。本多正信でさえも接見禁止であるはずだが、そこは徳川首脳の一人である。監視役を何とでも言いくるめたのであろう。


 対座して言う。


「大坂の略奪の件では」


 本多正信がそう切り出すのを、すかさず吉興は、


「仰せになられるな」


 と制した。


「言葉にしてしまえばその言葉がおのれが心を縛り付ける。今、正信殿が、大御所様を見限って、得をする者は天下に一人もおらず」


 愚痴から入ろうとした正信であったが、吉興からそう諭されて、考え込む。


「確かに、その通りでございますな」


 大坂略奪の件では、本多正信が大御所に対して苛烈な批判感情を抱いたとしても不思議ではない。吉興はそう見ていた。しかしならば、今の家康にこそ、本多の綱は必要なのではあるまいか。今、本多正信が、家康から離れるのは、誰の得にもならない。


「さすれば、徳川の軍師の仕事を少々致しましょう」

「ほう」

「国松君のことでございますが、それがし不思議なのでございます」

「ともあれ、聞きましょうぞ。お続けなされよ」

「なにゆえお捕まりになったのか。いきなり逃げ出されたわけではないでしょう。事前に、おそらくはそなた様が逃走経路をおつくりになっておられた。大坂城に入られてからでも七ヶ月、十分にその時間はおありになったはず。実際、京都にて捕縛されています。京都まで逃げられたなら、若狭にでもどこにでも逃げられたでしょう。何しろ、国松君のお顔を知る者はほとんどいません。いくらでもやりようがあったはず。

 それがし、あなた様がわざと国松君を差し出されたのではないかと、疑っておりまする」

「ほう。正信殿がそこまで仰せなのだ。それなりに筋の通る話でありましょうな?」

「今更隠してもしょうがありませんが。徳川、公儀は忍びを張り巡らせております。豊前小倉には特に多く。あなた様が供もつけずに小倉城にお入りになり、更に大坂城に入ったことで、今枝一学のことが気になりましてな」

「今枝は大坂に加担する儂に愛想を尽かして出奔したのです」

「さすがにそれは無理のある御言い訳。調べまして、立花宗成殿に仕官しているのを見つけました。あなた様の推薦状を容れられたとか。宗成殿に不信を持たれて、今枝が本当に出奔すればこちらにとっても厄介になりますからな。それとなく宗成殿に聞くのは苦労をいたしましたぞ。今枝には年の頃、六七歳の嫡男がいるようで。あなた様と京での庵暮らし、さて、今枝はさような子をどこの誰ともうけたものやら」

「恥ずかしながら、今枝が妾の子にて。町娘に手出ししたを長年隠しておりました。ゆえに放逐したのでございます。さりながら路頭に迷わせるも、子のためには気の毒。ゆえに宗成殿にお頼みしたのでござる」

「他の忍びらまでつけて?」

「大坂城に既に入るつもりでありましたからな。連座する人間はおらぬ方がよろしかろう」

「まあ、ともあれ、多少不審な点がありましたゆえ、更にそれがしは調べさせました。吉興殿、若狭にお入りになり」

「常高院様より、国松君に引き合わされたのでござる」

「そこは常高院様よりも伺っておりますが、なにゆえわざわざ。大坂城に入れば吉興殿のお立場ならどうせお会い出来ましょうに。まあそこは事前に豊臣の軍師に引き合わせて、大坂城中にて、国松君の後ろ盾になるよう、ご依頼があったと考えればそこまで不自然なことではございません」

「まさしくそうした話にて」

「腑に落ちぬのは、三人の小僧らを若狭より、そなた様がお引き連れあそばされたことにございまする。馬丁らの証言がありましてな。峠小屋の者の目撃もございました」

「国松君の小姓としていかがかと思いましてな。同国人の方が馴染みましょうに」

「そのうちのを連れて、大坂に行かれておりますな。それが十四五人にふくれあがって。それら小童は、今は豊前にいるはず」

「大坂の町のことにも通じた者が小姓にいた方がよろしゅうございますからな。まとめて豊前にて武士がましく仕込んだ上で、大坂城に連れてゆくつもりでした。先に戦になってしまいましたが」

「若狭より連れて参りし小僧が三人。大坂に連れて行ったのが一人。消えた一人が今枝の連れている子ではないかと思いまするが」

「京に気おくれして逃げ出したのでございまする。今頃は若狭に戻っておりましょう」

「気になったのは、あなた様が大坂城に入り、豊臣軍総大将とやらになったことも、辻褄が合わぬように思いました。軍師と言うのは、思い切りが悪いものにございます。最後の最後まで説得を試みるもの。まるで、もはや大坂の豊臣などどうなってもよいとお思いのご様子でございました。しかも、国松君のことを先にご存知であれば、私ならば、国松君を先に大坂城外のどこかに逃がしておきますな。豊臣とのつながりも分からぬようにして。国松君の御身の安堵を確保したうえでならば、大坂城を見捨てることも適いましょうが。それもなさらず。

 となれば、国松君御以外に、豊臣のお血筋の御子がおられるのでは、と」

「…」


 吉興は何も答えない。ただ、正信を見るだけである。


「普通に考えれば、今枝に委ねられた子が怪しいのではございますが、あなた様は二重三重に用心なされるお方。そのうえで、豊家遺児を託すに一番安全なのはやはり佐助を置いて他になく。子は子の中に隠すが最上。大坂にて更に子を集め、豊前に連れてゆかれれば、もう誰が誰かを判別するのは外の者には難しくなりましょう。それがし、若狭よりお連れになりし小僧、残り二名のいずれかが、豊家遺児ではないかと考えておりまする」

「…」

「ご返答を」

「正信殿、このは他に誰が」

「それがしのみにて。大御所様も上様もご存じなく。用いた忍びもそれぞれは断片を知るのみにて、全体を知るはそれがしのみにござる」

「なれば申し上げましょうぞ。豊臣、かつての力かけらもなく。その罪なき子が一人生きていたとしても徳川には何ら触りはありますまい。もし遠い先に、いや、案外近い先やも知れませぬが、豊臣の名が意味を持つとすれば。それは悪行政道不始末に、天下の怨嗟が満ち満ちている時にございましょう。左様な時にはもはや徳川は滅びねばなりますまい。それが天下のためにて。そうお思いになられませぬか」


 吉興の眼をじっと見据えたうえで数十秒、正信はみじろぎもせず、やがて深々と平伏した。


「そう思いまする」


 そう言って、すっくと正信は立ち上がった。そして言った。


「国松君を斬らせて。あなた様も後を追えば、確かにあなた様が何もかもをお諦めになったと世人は思うでしょうな。豊臣はまことに潰えたのだと。あなた様はいつもそれがしの先を行かれる。あなた様が恐ろしい。謀のために、幼い何ら罪の無い国松君を敢えて徳川に捕縛させ、殺してしまわれるとは。

 さりながら。どうも大御所様はあなた様を助命なされるおつもりのご様子。よほど、時康殿に憎まれたくないのでございましょうな。一度助命されたうえで、国松君に殉死すれば、今度ばかりは佐助家も連座は免れますまい。処刑を勝ち取るためには相当なことをせねばなりますまいぞ」

「かたじけない」


 吉興は下げた頭を上げた時、もはや正信の姿はそこには無かった。




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